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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「自民の『党利党略』」(朝日)、「『議席増』期待 野党弱腰」(毎日)~参院定数6増法案が参院通過 ※追記・読売、産経も改正案を批判

  参院の議員定数を6増やすとともに、比例代表に特定枠を設けて、候補者の得票数に関係なく当選順位をあらかじめ決めておく仕組みを盛り込んだ公職選挙法改正案が7月11日、参院本会議で可決されました。法案は自民党が提出し、採決では公明党も賛成。野党では国民民主、共産、日本維新の会、希望の各党などは反対。立憲民主、自由、社民各党などは退席したとのことです。
 複雑な仕組みの説明はここでは割愛しますが、自民党の狙いは「鳥取・島根」「徳島・高知」の合区で公認できない候補者を特定枠で救済することだと指摘されており、野党からは「自民党の党利党略」との批判が出ています。議席を六つも増やすこと、特定枠を設けることによる比例代表の仕組みの複雑さ、選挙区の1票の格差の抜本是正とは言い難いことなど、この改正案に合理性や納得性があるかは極めて疑問です(なお私見ですが、議員定数は少なければよいとは必ずしも思いません。議員の仕事とは何か、との命題と合わせて考えるべきだと思っています)。
 翌12日付の東京発行新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)の扱いには差が見られました。1面トップに据えた朝日、東京両紙は主見出しでも「採決強行」(朝日)、「与党押し切る」(東京)と与党の強硬ぶりを強調しています。朝日新聞は1面の解説で「自民の『党利党略』」と、社説では「自民の横暴、極まれり」とまで記しています。一方で毎日新聞は出稿の全体を通じてトーンは自民党と改正案に批判的ですが、1面の見出しは「『6増』法案参院通過/自民、17日成立目指す」と淡々としています。
 興味深く感じたのは、実は改正案は野党の一部には議席増につながる可能性があるとの指摘です。毎日新聞は総合面の記事の見出しで「『議席増』期待 野党弱腰」と、産経新聞も「定数増 埼玉・比例で野党に利も」と、それぞれ指摘しています。採決に当たって野党の中で、退席と「反対」表明とに対応が分かれたのも、そうした事情の反映なのかもしれないと感じました。
 衆参両院は、互いの選挙制度改正に異議を唱えないのが慣例とされています。17日は与党の目論見通り、粛々と衆院で採決が行われ、「複雑怪奇な選挙制度」(毎日新聞社説)が有権者に押し付けられることになるのでしょうか。注視したいと思います。

 以下に東京発行6紙の12日付朝刊の扱いと主な見出しを書きとめておきます。

▼朝日新聞
1面トップ「参院6増 採決強行/参院通過 今国会 成立確実に」
1面・視点「自民の『党利党略』」
3面「参院 熟議なき6増/質疑6時間 遠い抜本改革」
3面・考論「特定枠 ご都合主義」中北浩爾・一橋大教授(政治学)/「各党共通理念 欠く」高見勝利・上智大名誉教授(憲法学)
社説「参院選挙制度 自民の横暴、極まれり」

▼毎日新聞
1面「『6増』法案参院通過/自民、17日成立目指す」
3面・クローズアップ「『6増』本質議論乏しく」/「『議席増』期待 野党弱腰」/「『特定枠』説明つかず」
社説「『合区救済』法案が成立へ 参院は主権者を遠ざけた」

▼読売新聞
1面「参院定数『6増』可決/自民案 今国会成立へ/参院本会議」
2面「特定枠・比例増 批判根強く/野党『党利党略だ』」
4面「参院自民 後手後手/維新に根回し不足 1日遅れ」

▼日経新聞
4面「参院6増法案 参院通過/与党、今国会成立目指す」

▼産経新聞
3面「『6増』参院通過/参院選改革 今国会成立へ」
4面「格差と合区救済 自民苦渋/定数増 埼玉・比例で野党に利も」

▼東京新聞
1面トップ「参院6増案 与党押し切る/野党『身を切る改革に逆行』/参院で可決」
2面・核心「人口減なのに6増?/参院選『合区』救済、『党利党略』/参院可決『負担年4億円増』」

 

【追記】 2018年7月13日23時45分
 読売新聞、産経新聞は13日付朝刊に社説を掲載しました。
 読売新聞の社説の見出しは「参院選挙制度 弥縫策は混乱を広げるだけだ」。書き出しは「小手先の対策では、国民の理解は得られない。参院選挙制度の抜本改革が出来なかったことを、与野党は深刻に受け止める必要がある」となっており、自民党案に対しては「選挙の約1年前になって、自らに都合の良い改正案を急きょ提示し、実現を図る自民党の姿勢は疑問だ」「改正案は、弥縫びほう策に過ぎず、改革の名に値しない」と批判しています。13日付朝刊の4面(政治面)にも「参院選改革 自民も批判/衆院側『6増 説明できぬ』」の記事を掲載しています。
 産経新聞の社説(『主張』)は「公選法改正案 参院無用論を広げるのか」。参院を通過した法案に対して「日本の人口が否応なく急速に減る時代の流れを踏まえず、国会議員だけはお手盛りの定数増を図ろうという案である」と厳しい評価で「与党は国会会期末の22日までに衆院本会議で成立させる方針というが、頭を冷やしたらどうか。国会閉会後も与野党で協議を続け、秋に想定される臨時国会で、もっとましな内容の改正案を成立させるべきだ」と与党を批判しています。
 東京発行の新聞各紙は、各紙ごとの力点に違いはあっても、おおむね法案に批判的という点では共通していると言っていいように思います。

「共謀罪」施行1年

 犯罪の実行ではなく計画段階で処罰の対象とする「共謀罪」の趣旨を含んだ改正組織犯罪処罰法の施行から、7月11日で1年です。東京発行の新聞各紙の中では、朝日新聞と東京新聞が11日付朝刊で、毎日新聞は12日付朝刊で記事を掲載しました。それぞれの記事の見出しを書きとめておきます。

▼朝日新聞 11日付3面
「共謀罪 検察受理件数はゼロ/施行から1年」
「捜査機関への情報提供『公表を』市民団体/LINE開示942件」

▼東京新聞 11日付1面
「廃止求める動き 続く/『共謀罪』法施行1年」

▼毎日新聞 12日付29面(社会・総合面)
「『共謀罪』適用報告なし/施行1年 法務省『ハードル高い』」

 朝日新聞は、「共謀罪」の施行によって、通話やメールの内容が証拠として使われる可能性があることについて、「通信事業者は、捜査機関への情報提供の状況を公表すべきだ」と求めている市民団体などの指摘を紹介しています。裁判所の令状を伴った要請については開示し、その件数を公表したLINEの例もありますが、国内の事業者は実態の公表に必ずしも積極的ではないとのことです。既に「監視社会」は到来していると受け止めた方がいいと、あらためて感じます。
 ほかに共同通信は10日付朝刊用に「『共謀罪』適用ゼロ/弁護士ら、運用注視を/あす施行から1年」を配信しています。全国の地方紙に掲載されていると思います。
 新聞各紙の11日付の社説では、ネットで検索した範囲では、北海道新聞と信濃毎日新聞が取り上げました。それぞれ、一部を引用します。

▼北海道新聞「『共謀罪』法1年 やはり廃止するべきだ」

 さまざまな問題をはらんだ法律であるにもかかわらず、政府は昨年、参院の委員会採決を省略する「中間報告」という奇手まで繰り出して強引に成立させた。
 施行から1年がたったからといって、国会審議をないがしろにした極めて乱暴な手法を不問に付すわけにはいかない。
 安倍晋三首相は、昨年の通常国会閉会後の記者会見で「共謀罪」法について「必ずしも国民的な理解を得ていない」と認めている。
 ところが、その後、国民に誠意を持って対応しようとする姿勢は皆無に等しい。
 「丁寧な説明」を口にするだけで、実行を伴わない不誠実さは国民軽視のそしりを免れまい。
 「共謀罪」法を巡っては、いまも全国各地で反対集会やシンポジウムが続いている。
 政府は市民の根強い懸念に向き合う必要がある。
 野党の責任も重い。国会で議論を巻き起こし、粘り強く法の問題点を追及すべきだ。

▼信濃毎日新聞「共謀罪法1年 厳しい目、向け続けねば」  

 共謀罪法(改正組織犯罪処罰法)が施行されて1年が過ぎた。内心の処罰につながり、民主主義の土台を揺るがす危険性をはらんだ法である。時間とともに社会の関心が薄れていないか、気がかりだ。
 広範な犯罪について、計画に合意しただけで処罰できるようにした。実行行為を罰する刑法の基本原則は覆され、刑罰の枠組みそのものが押し広げられた。
 合意という意思を罰することは内心の自由や表現の自由を侵し、人権と尊厳の根幹を損なう。その危うさは、思想・言論が弾圧された戦時下の治安立法に通じる。
 共謀罪が適用された事例はまだない。強い批判を押し切って成立させただけに慎重に対応せざるを得なかった状況がうかがえる。
 ただ、捜査当局による運用実態を把握する仕組みはない。恣意的な運用の歯止めもないに等しい。社会が厳しい目を向け、縛りをかけていくことが欠かせない。 

 1年前の去年の7月11日に、わたしはこのブログに以下のように書きました。今も考えに変わりはありません。まずは黙らない、語り続けることが大事です。  

 だから、「共謀罪」の乱用を許さないためにも、まずは黙らない、語り続けることが大事なのだと思います。そして、マスメディアは黙らずに語り続けることができる社会を維持するために、語り続けようとする人たちを支えていく役割があるのだろうと考えています。
 戦前の治安維持法がそうでしたが、悪法は小さく生まれて大きく育つ場合があります。「共謀罪」は導入されてしまいましたが、これで決して終わりではありません。 

news-worker.hatenablog.com

 

【追記】 2018年7月13日8時
 徳島新聞も11日付で社説を掲載しました。一部を引用します。

▼徳島新聞「『共謀罪』施行1年 今なお不安が拭えない」 

 改正法の施行後、目に見えて犯罪の摘発が勢いづいたり、通信傍受が強化されたりしているわけではないが、じわじわと市民への監視が強まっていく可能性がある。
 こうした懸念に対し、兵庫県宝塚市が講じた措置は注目に値する。
 市は、街頭に設置を進めている防犯カメラの映像を捜査機関に提供する際、共謀罪に関する場合は、裁判所の令状がないと認めない運用要綱を定め、昨年10月から適用している。市民の共謀罪への不安や人権保護に配慮した市の姿勢を評価したい。
 ごり押しで成立に至った改正法の危うさは、施行後も何ら変わらない。市民は、共謀罪への不安や疑念を訴え続けていく必要がある。 

 

備忘:「自然災害大国の避難が『体育館生活』であることへの大きな違和感」(大前治氏)~国家と住民の間の「権利」「義務」

 西日本豪雨はこのブログ記事を書いている7月11日朝の時点で、死者が12府県で157人、安否不明者が56人と報じられています(共同通信)。犠牲になった方々に哀悼の意を表するとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げます。
 避難者も10日午後の時点で、15府県で計1万人を超えると報じられています。東京発行新聞各紙の11日付朝刊紙面でも「避難所 酷暑リスク」(朝日新聞)、「先見えぬ避難生活」(読売新聞)などの見出しが目に付きます。
 そんな中で、災害時の住民避難を巡りとても重要だと感じる論点、視点を提示している論考をネット上で目にしました。マスメディアの災害報道の上でも多々、参考になると思い、書きとめておくことにします。

※講談社 現代ビジネス
 大前治弁護士「自然災害大国の避難が『体育館生活』であることへの大きな違和感 避難者支援の貧困を考える」=2018年7月10日
 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56477

gendai.ismedia.jp

 内容をきわめて大雑把に、わたしなりにごく簡潔にまとめると「学校の体育館に象徴される日本の住民避難は海外に比べて問題が多く、国際的な基準を満たすにはほど遠い」「そこには、援助を受けることは避難者の『権利』であると位置付け、それに応じることは国家の『義務』であると捉えられるかどうかの問題がある」ということになります。
 この論考の結びの部分を引用して紹介します。

 今回の大阪北部地震や西日本豪雨でも、「体育館で身を寄せ合う避難生活」の光景は、当たり前のように、あるいは我慢と忍耐の姿として報じられた。しかし、そこには今の政治の問題点が映し出されている。
 この光景は、適切な援助を受ける権利を侵害されて尊厳を奪われた姿と捉えるべきである。この国の避難者支援の貧困が表れているのである。
 個人の努力でボランティア活動をすることは素晴らしい。それとともに、政府は被災者へ十分な支援をせよと声をあげて求めること、それを通じて政治に変化を及ぼすこともまた、私たちができる被災者支援として大切なことだと思う。

 筆者の大前治氏は自衛隊イラク派遣違憲訴訟や大阪空襲訴訟を手掛けてきた弁護士。戦争や軍事面での国家と住民の関係の考察の上に立った卓見だと感じます。

安倍内閣「支持」44%、4カ月ぶりに「不支持」上回る(NHK調査)

 NHKが7月6~8日に実施した電話世論調査の結果が報じられています。安倍晋三内閣の支持率は6月の調査から6ポイント増の44%だったのに対し、不支持率は5ポイント減の39%。4カ月ぶりに「支持」が「不支持」を上回ったとのことです。
 加計学園の獣医学部新設をめぐっては、学園の加計理事長が、愛媛県の文書に記載されていた安倍首相との面会について「記憶にもないし、記録にもなかった」と否定したことに対し、この説明に納得できるか聞いたところ、「大いに納得できる」2%、「ある程度納得できる」11%、「あまり納得できない」27%、「まったく納得できない」が50%でした。
 森友学園の国有地購入をめぐる問題の関連では、財務省の文書改ざん問題を受けて、野党側が、佐川前理財局長の証人喚問での証言には偽証の疑いがあるとして、国会として告発するよう求め、与党側は慎重な姿勢を示していることを巡り、佐川氏を告発すべきかどうか聞いたところ、「告発すべき」38%、「告発する必要はない」16%、「どちらともいえない」が37%でした。
 加計学園、森友学園の問題に依然として世論は納得していないことがうかがえますが、しかし政権の支持率には影響を及ぼしていないことも明確なようです。
 このほか、時間外労働に上限規制を設ける一方、高い収入の一部専門職を労働時間の規制から外すことなどを盛り込んだ働き方改革関連法が成立したことに対し、「大いに評価する」が5%、「ある程度評価する」が36%、「あまり評価しない」が31%、「まったく評価しない」が16%。「評価する」「評価しない」をそれぞれ足し合わせると41%と57%で、「評価しない」が過半数でした。設問を、高い収入の一部専門職を労働時間の規制から外す「高度プロフェッショナル制度」に限定して賛否を尋ねれば、どのような結果になっていたのでしょうか。

※「内閣支持率 4か月ぶり『支持する』が上回る NHK世論調査」
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180709/k10011524991000.html

「闇」は残っているのか~オウム真理教事件を語り継ぐ意義

 1995年3月の地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教の事件で死刑が確定していた松本智津夫(63歳、教祖名・麻原彰晃)ら7人の刑が7月6日、執行されました。わたしが現在の勤務先に入社し記者になったのは1983年。教団の前身の「オウム神仙の会」が設立されたのは84年2月だったとされます。わたしにとっても、まさに同時代の事件だったのだと、今さらながらに思います。

▼同時代の事件
 わたし自身の歩みと重ねて振りかえってみます。教団から25人が立候補し全員が落選した衆院選は90年2月。わたしは埼玉県の支局でこの選挙を取材していました。わたしが担当する選挙区に教団の候補はいませんでしたが、白い修行服姿の若い女性信者らが歌って踊る選挙活動は話題になっていました。社会の受け止めは、風変わりな宗教団体というものだったように思います。既にこのときには、坂本堤弁護士一家は殺害されていたのですが、無事を願って情報提供を呼びかけるポスターをそこかしこで目にしていました。この年の春、わたしは東京で社会部勤務となり、下町の警察署回り、次いで検察庁・裁判所を取材しました。
 94年8月の松本サリン事件の時には、社会部で中堅どころの記者で、ある行政官庁を担当していました。早朝、呼び出しがあり、何が何だかわけのわからないままに社会部に駆け付け、記事の取りまとめなどを担当した記憶があります。そして95年3月20日の地下鉄サリン事件。わたしは前夜から社会部で泊まり込みのシフト勤務でした。朝8時過ぎ、警視庁詰めの記者から「地下鉄駅で人がばたばた倒れている」との一報があったのをよく覚えています。スマホはもちろん携帯電話もなく、呼び出し手段はポケットベルの時代でした。社会部の全員を呼び出すために次々にポケベルを鳴らし、かかってくる電話を次々にさばきながら、それが一息ついたところで、集まった情報を整理し、社会面リードと呼ぶコンパクトな記事に取りまとめる仕事を深夜まで続けました。記事に「首都東京は“見えない殺意”に終日おびえた」との文言があったのを覚えています。
 記者としてオウム真理教の事件や公判を直接担当することはありませんでしたが、麻原彰晃に死刑を言い渡した2004年2月の東京地裁判決は、社会部の裁判担当デスクとして関わりました。膨大な出稿があり、準備も大変だっただろうと思うのですが、やはり「死刑」しかないだろうと思っていた、その予想通りの判決だったと感じた淡い記憶が残っています。
 麻原の弁護団が、被告と意思疎通が取れないとして控訴趣意書を提出しなかったことに対して、東京高裁が控訴棄却を決定した06年3月当時は、勤務先を休職して新聞労連の専従役員でした。最高裁が弁護団の特別抗告を棄却し、麻原の死刑が確定した06年9月当時は社会部デスクに復職しており、やはり裁判担当として関わったのですが、既に流れは決していたな、と感じていました。麻原の口から、様々に事件を語らせるべきだという意見に共感はしながらも、そもそも刑事裁判は有罪か無罪かを判断し、有罪の場合は刑を決めるためのものであって、それから言えば麻原の死刑の確定は東京地裁の審理で十分なようにも思えました。
 長々とわたし自身の個人史を書いてきましたが、マスメディアにいるわたしと同世代、あるいは少し下の世代は、オウム真理教と一連の事件には多かれ少なかれ、関わりがあったはずです。そして捜査段階や公判段階で直接、事件の取材を担当した記者たちは、いろいろなことを見て、聞いて、取材してきたことと思います。

▼「闇」はない
 麻原ら7人の処刑を報じる新聞各紙を手にして感じたことの一つは、「闇」とか「未解明」などの表現が目立つ、ということです。首謀者とされる教祖が一連の事件の動機を語ることなく処刑されたわけですから、どうしてもそのような表現になってしまうことは分かります。しかし、わたしたちの社会の今後を考えた時に、同じような事件の再来をどうやって防ぐのかが最大の課題です。そのときに「闇」や「未解明」ばかりが強調されるとしたらどうでしょうか。残念なことですが、わたしたちの社会には歴史修正主義やフェイクニュースが跋扈しています。事件を直接知らない後続世代に、「闇」や「未解明」ばかりが強調されて伝えられていったとしたら、いずれ「地下鉄サリン事件はなかった」とか「オウム犯行説は陰謀で真犯人は別にいる」とか、そんな言説の流布を許す恐れは皆無と言い切れるでしょうか。
 そんなことを考えながら目を通していた7月8日付の東京発行各紙の紙面で「そうだよな」と共感した記事がありました。毎日新聞の2ページ特集、13面に掲載されている「元信者の証言 教訓に」。筆者は「オウム裁判取材続けた森本英彦記者」です。一部を引用します。 

 「真実を語る機会が失われ、多くの『闇』が残されてしまった」。死刑執行に対して、そんな指摘も一部にはある。果たしてそうだろうか。
 (中略)
 松本死刑囚を沈黙に追い込んだのは、「教祖の指示」を法廷で明言したかつての弟子たちだった。井上嘉浩死刑囚(48歳)は、教団施設に向かうリムジンの中で松本死刑囚が「サリンでないとだめだ」とサリン散布を命じた場面を明らかにした。自分に不利益な証言を続ける井上死刑囚を前に、松本死刑囚は「反対尋問を中止していただきたい」と訴えたが、尋問は続行され、他の元幹部も次々に教祖と決別した。事件が解明されていくにつれ、松本死刑囚は殻に閉じこもっていった。
 それでも、本人の口から真相を語ってほしい。一片でも謝罪の言葉を聞きたい。そう願う人たちが法廷で松本死刑囚に必死に迫った。(中略)中川智正死刑囚(55歳)は「サリンを作ったり、人の首を絞めるために出家したんじゃないんです」と泣き崩れた。裁判長は「多くの被害者や弟子があなたの供述を望んでいるが、それでも話をしようと思いませんか」と問い掛けた。
 だが、沈黙に逃げ込んだ松本死刑囚が言葉を発することはなかった。
 (中略)
 一方、起訴された信者の多くはマインドコントロールの呪縛から解き放たれ、人間性を取り戻した。救済を求めて入信した若者たちが狂信的な教義にからめ捕られ、「ポア」と称して平然と人を殺害するまでになるカルトの恐ろしさを世に示したことは、裁判から得られた大きな教訓といえる。 

 少なくない数の記者がこの間、森本記者のように公判で、あるいはその以前でも、さまざまなことを取材し、記録してきました。その個々の具体的な事実に照らせば、いかに教祖が沈黙したままだったとしても、教団には「闇」というほどの「闇」は残っていないと言うべきではないかと思います。解明されないままになっていることがあることを強調するよりも、今までに解明されたこと、あるいは呪縛と洗脳が解けた元信者たちが語った教団の実態や実相をもって、オウム真理教とその一連の事件のことを語り継いでいった方が、社会に事件の教訓を残していくには有効だろうと思います。

▼目的と手段
 もう一つ思うのは、以前の記事でも書いたことですが、事件そのものの衝撃もさることながら、地下鉄サリン事件以後に繰り広げられた“オウム狩り”とでも言うような大掛かりな捜査のことです。
 オウム真理教の信者なら、マンションの駐車場に車を止めれば「住居侵入」で、カッターナイフを持っていれば「銃刀法違反」で現行犯逮捕する、そういう捜査が続きました。出遅れた警察が教団の実状を把握できていなかったことが背景にありました。ただ社会では「社会防衛のため」という意識が共有されていたのだと思います。平時なら「行き過ぎ」との批判を免れないそうしたやり方を社会が容認し、マスメディアも表立って異議を唱えることはありませんでした。
 麻原らの死刑執行後の課題として、なお麻原崇拝から脱しきれない教団後継グループの監視を強化するとともに、強制的な解散を可能にする法整備を挙げる論調もあります。麻原への個人崇拝から再びテロが起きることは何としてでも防がねばならないのはもちろんですが、だからと言って、人の内心にまで踏み込むような規制には躊躇を覚えます。緊急性などさまざまな要因を考慮した慎重な検討が必要だと思います。目的のために、手段はどこまでが許されるのか。これも課題の一つかもしれません。

備忘:オウム真理教教祖ら7人の死刑執行・在京紙の報道の記録

 1995年3月の地下鉄サリン事件や94年6月の松本サリン事件などオウム真理教の一連の事件で死刑が確定していた松本智津夫(63歳、教祖名・麻原彰晃)ら7人の刑が7月6日、執行されました。教団の確定死刑囚13人のうち、半数以上が同じ日に処刑されました。ほかの6人は、いずれも初期に入信し教団で麻原に重用されていた早川紀代秀(68歳)、井上嘉浩(48歳)、新実智光(54歳)、土屋正実(53歳)、中川智正(55歳)、遠藤誠一(58歳)。
 東京発行の新聞各紙は7日付の朝刊で、日経新聞を除く5紙が1面トップと、前日夕刊に引き続いて大きく扱っています。事件を振りかえる2~1ページ特集も目立ちます。各紙の1面本記の見出し、総合面・社会面の主な見出し、編集幹部らの署名評論と社説の見出しなどを書きとめておきます。

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▼朝日新聞
1面本記「オウム7人死刑執行/松本死刑囚ら/一連の事件から四半世紀」
総合面・時時刻刻「7人 異例の同時執行/『平成のうちに』法務省判断」
社会面「教祖語らぬまま」「『区切り』残る無念」
降幡賢一・元編集委員「暴走の闇 私たちと無縁か」
社説「オウム死刑執行 根源の疑問解けぬまま」
※2ページ特集「社会が震撼 一連の事件」
※オピニオン「耕論」に作家中村文則さん、オウム真理教犯罪被害者支援機構副理事長・中村裕二さん、映像作家森達也さん

▼毎日新聞
1面本記「松本死刑囚ら7人執行/オウム事件 節目」
総合面・検証「死刑執行 平成のうちに/改元契機『オウム』総括」
社会面「一つの区切りに」「後継の動き懸念」
小川一・元社会部長「病理は消えたのか」
社説「松本死刑囚ら7人の刑執行 再び闇を生まないために」国家転覆目指した異常/根源的な問い掛け続く
※2ページ特集「日本震撼13事件/教祖に法の裁き」
※特集内「論点」に宗教学者・島田裕巳、常磐大学長・諸沢英道、社会学者・宮台真司

▼読売新聞
1面本記「松本死刑囚ら7人 刑執行/地下鉄サリンなど関与/オウム真理教元幹部」
社会面「『平成終わる前に』」「遺族 晴れぬ無念」
平尾武史・社会部長「事件の教訓 次代へ」
社説「松本死刑囚執行 『オウム』を再び生まぬ社会に 事件を教訓にテロ対策の充実を」/「凶悪重大な犯行」だ/苦しみ続ける被害者/教団監視は怠れない
※2ページ特集「無差別殺人 教祖が主導」
※「論点スペシャル」に元検事総長・但木敬一氏、元警視総監・池田克彦氏、大阪大名誉教授・川村邦光氏

▼日経新聞
1面本記「オウム事件『平成』終幕意識/法務省 松本死刑囚ら7人刑執行」
総合面「『オウム的なもの』今なお/排他的主張、社会の不満吸収」
総合面「危機管理の転換点に/情報収集や初動対応強化」
社会面「医師志した若者 暴走」
坂口祐一・編集委員「『オウム』生んだ日本の責務」
社説「刑執行で終わらぬオウム事件」
※1ページ特集「オウム凶行 震えた列島」

▼産経新聞
1面本記「麻原死刑囚ら7人刑執行/オウム真理教元幹部/地下鉄サリン、弁護士一家殺害」
1面「慶事・五輪控え年内決着/幹部を先行」
総合面「法の下 毅然と刑執行」「教団分裂 増える信者」
社会面「逮捕23年 消えぬ無念」「被害者 進まぬ賠償」
井口文彦・編集局長「犯罪処理で終わるな 伝えよ」
社説(「主張」)「元教祖ら7人死刑 執行は法治国家の責務だ 終わってはいないオウム事件」後継団体の監視強めよ/法の整備が欠かせない
※1ページ特集「オウム事件とは 構図とは」

▼東京新聞
1面本記「オウム真相 闇残し/麻原死刑囚 刑執行/地下鉄サリンなど 元幹部6人も」
総合面・核心「なぜ今 黙する法相」
社会面「教祖 語らぬまま」「悔しさ消えない」
瀬口晴義・編集局次長
社説「オウム事件で死刑執行 記憶を消さぬように」理不尽な犯罪が次々と/闇はまだ続いている/「心残りがある」とも
※2ページ特集「未曽有のテロ 計画、実行」「震かん『オウム』の30年」
※特報面「カルトは今」

裏口入学が賄賂、文科省汚職~「無罪推定の原則」に留意が必要 ※追記・前官房長は容疑を否認

 気になる事件捜査の動きを書きとめておきます。
 東京地検特捜部は7月4日。東京医科大を文部科学省の私立大支援事業の対象校に選定するよう便宜を図る謝礼として、自分の子どもを医科大に合格させてもらったとして、受託収賄の疑いで、同省前官房長の佐野太・科学技術・学術政策局長(58歳)を逮捕しました。逮捕容疑は、官房長だった昨年5月、東京医科大の関係者から支援事業の対象校に選んでほしいと請託を受け、今年2月の入学試験で子どもの点数を加算させ、合格にしてもらった疑いと報じられています。

▼子どもの裏口入学は父親の利益か
 気になることの一つは、子どもの不正合格=裏口入学が賄賂とされている点です。
 確かに、賄賂は金銭の利益には限りません。報道では「人の欲望を満たすような不法な利益」であれば賄賂に当たるとの判例があると紹介されており、芸者の演芸や異性との性的関係、職務上の地位などが挙げられています(朝日新聞5日付朝刊)。子どもの人生は子どものものであって、医大への進学は子どもの将来の職業に直結しますから、まさに子どもの利益です。それを父親の利益とすることには違和感があります。仮に、裏口入学がシステム化されていて、入試の点数1点につき何万円となっていたとしたら、かさ上げした得点分を親が支払うべきところを免除したとなって、話は分かりやすいのですが、実態はどうなのでしょうか。
 ただ、仮に子どもの裏口入学が賄賂と認められればある意味、画期的なことだろうと思います。次は子どもの就職あっせん、つまり縁故採用なども射程に入ってくるのではないかと思います。「息子さんはわが社で引き受けますから、官房長、例の件、頼みますよ」「わかっておる」―というようなやりとりが立件される、ということになるかもしれません。

▼加計学園の2大学
 もう一つは、前官房長の逮捕容疑の中で請託の対象になっている「私立大学研究ブランディング事業」のことです。この事業では2016年度、加計学園の2大学にも補助金が出ていました。加計学園への優遇ではないか、との追及が国会でも野党から始まっているようですが、昨年暮れに東京新聞が報道で指摘していました。 

※東京新聞「加計だけ2大学に補助金 16年度新設私大事業 文科省『優遇ではない』」=2017年12月31日朝刊
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201712/CK2017123102000118.html 

 二〇一六年度に国が実施した私立大学への研究補助事業で、安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人「加計(かけ)学園」だけが、運営する二校が選定されていたことが分かった。当時は、加計学園に有利な条件で国家戦略特区での獣医学部新設が決まったばかりの時期。所管する文部科学省は「加計学園を優遇したわけではない」と説明するが、識者は疑問を投げかけている。 (中根政人)
 補助事業は、文科省が一六年度に始めた「私立大学研究ブランディング事業」。「独自性の高い研究や事業に取り組む私大」に対して補助金を新たに交付したり、増額したりする。
 一六年度は計百九十八校の応募(応募主体の学校法人数は非公表)があり、同年十一月二十二日に四十校が選定された。この中で、加計学園が運営する岡山理科大(岡山市)が「恐竜研究の国際的な拠点形成」、同じく千葉科学大(千葉県銚子市)が「『大学発ブランド水産種』の生産」などの研究で、それぞれ選ばれた。同じ学校法人から複数選ばれたのはこの二校だけ。
 補助金の交付期間は少なくとも三年間で、中間評価の結果が良ければ最長五年間。一六年度の二校への補助金は計約一億一千六百万円に上った。 

 東京地検特捜部の捜査では当然、「私立大学研究ブランディング事業」そのものの経緯も調べることになるだろうと思います。不正合格のほか、大学2校の教職員への縁故採用などが先々、新たな焦点として浮上するようなことはないのか、注視しようと思います。

▼「無罪推定の原則」
 マスメディアの報道についても危惧があります。まだ前官房長が逮捕されたばかり。逮捕容疑に対する認否も東京地検特捜部は明らかにしていません。贈賄容疑の大学側は逮捕されず任意での取り調べという非対称性の中での捜査です。裁判で有罪が確定するまでは犯人扱いされない「無罪推定の原則」を踏まえた報道が必要です。逮捕容疑が犯罪事実として確定しているかのような報道は厳に避けるべきです。特捜検察が官僚を逮捕した前例では、厚生労働省の村木厚子さんが無罪となり、主任検事による証拠の隠蔽改ざんが明らかになった例もあります。マスメディアにも教訓は残っているはずです。

【追記】 2018年7月10日8時10分
 受託収賄容疑で逮捕された前官房長(前科学技術・学術政策局長)が容疑を否認しているとの報道が10日、出ました。

 ※47news=共同通信「前文科省局長、容疑否認 『対象校選定の権限ない』」2018年7月10日
 https://this.kiji.is/389099159418078305?c=39546741839462401 

 私大支援事業を巡り受託収賄容疑で逮捕された文部科学省の前科学技術・学術政策局長佐野太容疑者(58)が、東京地検特捜部の調べに「当時官房長だった自分に事業の対象校選定の職務権限はなかった」などと容疑を否認していることが9日、関係者への取材で分かった。官房長は選定に直接関与できないが、特捜部は収賄罪の構成要件である職務権限の範囲内だったとみている。 

 前官房長が何をしていたのか、していなかったのかを取材するのとともに、東京地検特捜部がどのように捜査を進めるのかをウオッチするのも、マスメディアの権力監視だろうと思います。

オウム真理教・松本智津夫死刑囚ら7人の刑執行

 1995年の地下鉄サリン事件を始めとする一連のオウム真理教事件で死刑が確定していた松本智津夫(教祖名・麻原彰晃)死刑囚(63歳)ら13人のうち、7人の刑が7月6日、執行されました。東京発行の新聞各紙も6日付夕刊で大きく報じています。
 今年1月にすべての被告の裁判が終結したことから、執行は時間の問題と報じられていました。その意味では、このタイミングでの執行に驚きはありません。ただ、1度に7人もの死刑執行は、やはりインパクトがあります。敗戦後、独立を回復して以後の日本国による死刑執行としては、1日7人は最多でしょう。この後、残り6人の執行もさほど先のことではないはずです。

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 新聞各紙の夕刊は、7人執行の事実を追い、ごく限られた事件関係者の反応を取材して載せるのが精いっぱいだっただろうと思います。事件の今日的な意味を深く掘り下げて考えるような記事は、7日付朝刊以降の掲載になるでしょう。
 わたしが個人的に思うのは、事件そのものの衝撃もさることながら、地下鉄サリン事件以後に繰り広げられた“オウム狩り”とでも言うような大掛かりな捜査のことです。オウム真理教の信者なら、マンションの駐車場に車を止めれば「住居侵入」で、カッターナイフを持っていれば「銃刀法違反」で現行犯逮捕する、そういう捜査が続きました。「社会防衛のため」という意識が共有されていたのでしょうか。そうしたやり方を社会が容認し、マスメディアも異議を唱えなかったように思います。そのことが今日のわたしたちの社会に、どのように影響しているのか。当時、あの事件のただ中の時間を記者として過ごしていた一人として、そのことはきちんと考えなければならないと思います。

「加計学園が再会見を拒否」の報じられ方~雑感:記者会見と記者クラブ

 岡山市の学校法人「加計学園」が7月4日、愛媛県今治市での獣医学部新設を巡り、今後、記者会見をする予定はないことを表明しました。最初にわたしの目に止まったのは、朝日新聞デジタルの6月4日午後にアップした記事でした。

 ※「『今後会見の予定ない』 加計学園が記者クラブにFAX」
 https://www.asahi.com/articles/ASL74460HL74PTIL00K.html

 学校法人「加計学園」(岡山市)の愛媛県今治市での獣医学部新設をめぐり、学園は4日、愛媛県庁を担当する記者クラブに対して「今後の記者会見について対応予定はございません」とするファクスを寄せた。記者クラブは6月28日と7月3日、地元での加計孝太郎理事長の記者会見を文書で要請していた。

 朝日のサイトにはFAXの全文も掲載されています。以下の通りです。文中の「大学・交通記者クラブ」は岡山の記者クラブです。

 

 件名:ご依頼について
 平素より学園の教育活動にご理解とご協力を賜り誠に有り難う御座います。
 ご依頼の件につきまして下記のとおり回答致します。
 本学園は、大学・交通記者クラブ加盟者の各社(通信社2社 新聞社7社 放送会社6社)の要請を受けて、6月19日、学園本部において、理事長及び学長が記者会見を行いました。共同などの通信社、NHKのほか全国ネットの系列テレビ局、及び地方紙のほか全国紙を含む新聞社の記者さんから多数の御質問を受け誠実に対応させていただきました。新たな質問が出なくなり、質問が出尽くしたことから記者会見を終わり、次の日程に移動した次第です。
 今後の記者会見について対応予定はございません。
 貴意に添えない形となりますが何卒ご理解のほど宜しくお願い申し上げます。 

 夜にはNHKもサイトにアップしました。
 ※「『以後 会見に応じない』加計学園が報道機関にFAX」
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180704/k10011508831000.html 

 加計学園の獣医学部新設をめぐる問題で学園側は、愛媛県内の報道機関が加計理事長に申し入れていた記者会見について、先月、岡山市で行った会見で質問は出尽くしたとして今後は応じない考えを示しました。
 (中略)
 この時の会見は出席が岡山県内の報道機関に限られ、時間も30分足らずで打ち切られたことから、愛媛県内の報道機関は再度、加計理事長の記者会見を申し入れていましたが、学園側は4日付けで「以後、会見には応じない」とFAXで回答しました。 

 このほか共同通信も4日夕に記事を配信しています。
 一方で5日付の東京発行の新聞各紙朝刊では、朝日は第2社会面で比較的大きく記事を掲載しましたが、他紙には記事は見当たりませんでした。愛媛県庁の記者クラブの要請に対する回答なので、朝日以外の全国紙各紙は愛媛県版に記事を掲載しているのかもしれません。しかし、加計学園が再度、記者会見に応じるかは全国的なニュースバリューがあります。例えば事前に加計理事長が安倍晋三首相と面会し、獣医学部新設の計画を説明したとの指摘に対し、6月19日の会見で加計理事長はただ否定するだけで、何ら説得力のある説明もなければ、資料の提示もありませんでした。一国の首相の動向に絡むことです。再度、会見に応じて、説得力のある説明をするのかどうかは、全国的な関心ごとです。その当事者の加計学園が、もはや記者会見には応じないと表明したのですから、ことの善悪の判断はともかく、ニュースとして全国的に報じられていいように思います。

 もう一つ思うのは、記者会見と記者クラブの関係です。6月19日の岡山市での会見について加計学園は「大学・交通記者クラブ加盟者の各社(通信社2社 新聞社7社 放送会社6社)の要請を受けて」と、記者クラブの要請を受け入れたものだったことを認めています。そうであるならば、記者会見の主催は記者クラブ、ないしは記者クラブと加計学園の共催であるのが筋です。そのあたりの詳しい経緯や実状は承知していないのですが、少なくとも記者クラブ主催の記者会見であれば、出席者を地元の記者に制限したり、予定時間よりも早く一方的に打ち切ったりといった進行にしてはならないでしょう。
 また、記者クラブはそれぞれ自主自立的に運営されています。岡山で会見したから愛媛では必要ない、というものではありません。岡山と愛媛では、行政もメディアも住民も関心の所在や問題意識に違いがあって当然です。岡山で記者クラブの要請を受けて記者会見に応じたと言うのであれば、愛媛でも応じるべきです。岡山と同じ質問しか出ない、ということはあり得ません。

 

【追記】2018年7月5日21時10分

 当初の「加計学園が再度の記者会見」から改題しました。

国会傍聴、「9」「NO WAR」の服装NG

 たまたま知り合いの方がフェイスブックで紹介しているのを見て、紫野明日香さんのこのツイートを知りました。

twitter.com

 最初は、大変失礼ながら、作り話ではないかとも思いました。でも、このツイートを見た人たちの返信と、その後のツイートを追っていくと、どうやら国会当局は数字の「9」がダメと言っているのではなく、「憲法9条を守れ」という意思表示を国会内に持ち込ませまいとしたのではないか、ということが分かって来て、それなら今どきの国家機関なら十分にあり得ることだと感じました。
 既に自治体では、憲法問題をはじめ政治的な主張などを理由に、公的施設や場所を使わせないようにする事例などが目に付きます。さいたま市では、市立公民館での句会で参加者の女性が詠んだ「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の句を、公民館だよりに掲載するのを拒否したケースがありました。この件ではさいたま地裁が昨年10月に「不公正な取り扱いで違法」などとして、市に慰謝料5万円の支払いを命じる判決を言い渡しています。
 ※毎日新聞「9条俳句不掲載『違法』 市に賠償命令」2017年10月13日
 https://mainichi.jp/articles/20171014/k00/00m/040/095000c

 それにしても、国会審議を傍聴するのに「憲法を守れ」という趣旨の意思表示、それも声や音を出すわけではなく、ただ単に「NO9」「NO WAR」と書かれたシャツを着ているだけでダメだとは、けっこう驚きました。国会とは、憲法を尊重し擁護する義務を負った国会議員たちが議論を戦わせる場のはずです。衆参両院の職員にも同じ憲法尊重擁護の義務があります。「憲法を守れ」との趣旨の意思表示を示威宣伝として排除するのは自己矛盾にならないのでしょうか。国会当局の見解をマスメディアは取材すべきだろうと思いました。
 このツイートはネット上で反響を呼び、東京新聞が関係先に取材して7月3日付朝刊の特報面に記事を掲載しました。見出しは「『9』着用者を狙い撃ち」「参院委員会 傍聴女性を制止」「『改憲進めたい政権に配慮』恣意的な運用」。
 記事によると、参院警務部の見解は「職員とのやり取りの中で女性から『九条』という言葉もあったため、示威宣伝にあたると判断した」とのこと。九条ネギや銀河鉄道999はどうなのかについては「政治的メッセージは含まれておらず、入場は拒まない」ものの、九条ネギのシャツを着た多数の人が、外で護憲を旗印にシュプレヒコールを上げた後に入るような場合は「お声がけすることになる」とか。「要するに『9』に護憲の意味がくっつくと駄目らしい」と記事は解説しています。
 確かに傍聴席に政治的主張の持ち込みを認めると、議場の審議の妨げになるということはあり得ると思います。しかし、シャツや装飾品程度では傍聴席の静謐が保たれないわけでもなく、のぼりや旗、パネルを持ち込むわけでもありません。「日本は戦争をしろ」と言うならともかく、「NO WAR」は「人を殺してはいけない」と言うのと倫理感覚的にはさほどの違いはないとも感じます。

 東京新聞の記事を読んでも、やはり疑問は尽きませんし、同じように感じる方も少なくないのではないでしょうか。ほかのマスメディアも含めて、もっと広く伝えられていいニュースだと思います。