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東京新聞が「検証と見解」を掲載~記者会見の質問制限3 ※追記あり 「追記3」まで更新

 首相官邸が記者会見での東京新聞記者の質問を巡り、事実上、質問を制限するような内容の申し入れを記者クラブに行った問題で、東京新聞が2月20日付の朝刊に、紙面1ページを丸ごと使った「検証と見解」を掲載しました。
 首相官邸の上村秀紀報道室長が昨年12月28日、同26日の菅義偉・官房長官の記者会見で東京新聞の望月衣塑子記者が行った沖縄・辺野古の埋め立てに関しての質問を巡って、「事実誤認」などとして記者クラブ「内閣記者会」に「記者の度重なる問題行為は深刻なものと捉えており、問題意識の共有をお願いしたい」と申し入れていました。東京新聞の「検証と見解」は編集責任者である臼田信行編集局長の署名記事も掲載。それ以前からのものも含めて官邸からの「事実に基づかない質問は慎んでほしい」との9回にも上る申し入れに対して「多くは受け入れがたい内容」「権力が認めた『事実』。それに基づく質問でなければ受け付けないというのなら、すでに取材規制」「権力が記者の質問を妨げたり規制したりすることなどあってはならない」と書いています。
 首相官邸が記者クラブへ申し入れてから50日余り。新聞労連が2月5日に抗議声明を発表してからでも2週間がたってはいますが、当事者である東京新聞が紙面で経緯と問題点をまとめ、見解を表明したことの意義は大きいと思います。他紙、他の放送局もマスメディアとして、社会の人々の知る権利に奉仕し、表現の自由、報道の自由を守る責任と役割を果たすために、例えば東京新聞の「見解」への支持を表明するなど、スタンスを明らかにするようなことがあってもいいのではないかと思います。

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 東京新聞の「検証と見解」は大きく分けて以下の4本の記事で構成されています。
 ◇「『辺野古工事で赤土』は事実誤認か/国、投入土砂の検査せず」
 望月記者が昨年12月26日に行った質問が事実誤認かどうかの検証。沖縄現地の状況を説明しながら「『事実誤認』との指摘は当たらない」と結論付けています。
 ◇「内閣広報官名など文書 17年から9件/『表現の自由』にまで矛先」
 これまでに長谷川栄一・内閣広報官が同紙に出した抗議文書などを紹介。「『事実に基づかない質問は慎んでほしい』という抗議だけでなく、記者会見は意見や官房長官に要請をする場ではないとして、質問や表現の自由を制限するものもある」と指摘しています。
 ◇「1分半の質疑中 計7回遮られる」
 「事実誤認」との抗議と並行して、望月記者だけ、質問の途中に進行役の報道室長が「簡潔に」などとせかしている問題を、ほかの記者の質問とも比較して検証。「本紙記者の質問は特別長いわけではない。狙い撃ちであることは明白だ」と結論付けています。
 ◇「会見は国民のためにある」
 検証の結果を踏まえた臼田信行編集局長の署名記事。

 各記事とも、同紙のサイトで読むことができます。
 http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2019/kanbou-kaiken/

 望月記者の質問を巡っては、記者会見に出席しているほかの記者の間でも受け取り方は様々でしょうし、懐疑的な考えを持つ記者もいるでしょう。しかし、だれであっても記者の質問は制限されてはならないでしょうし、そのことは記者であれば所属組織や社論、個人的な考え方の違いを超えて、一致して守っていかなければ守りきれるものではないと思います。マスメディアの論調の二極化がしばらく前から顕著ですが、記者会見での質問という「報道の自由」自体は一致して守るべきものです。このことは、記者クラブに所属する記者たちだけの問題でもありません。
 ※以下はこの質問制限問題を巡るこのブログの過去記事です。記者会見に記者クラブ所属記者以外のフリーランス・ジャーナリストらも出席できるようにする「記者会見の開放」については、2月5日アップの記事の「追記7」に私見を書いています。また新聞労連も従来から「開かれた記者クラブ」を目指す立場です。

news-worker.hatenablog.com

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 2月19日にはメディア関係者や学者、弁護士らが「質問を抑圧することは許されない。報道の自由の侵害だ」として、首相官邸の申し入れの撤回を求める声明を発表しました。賛同者は346人に上っているとのことです。
 ※47news=共同通信「首相官邸は記者会見要請文撤回を/学者、弁護士ら声明発表」2019年2月19日
 https://this.kiji.is/470543674626327649?c=39546741839462401

 

※「記者の質問制限 東京新聞が『検証と見解』を掲載」から改題しました(2019年2月21日8時50分)

 

▼追記 2019年2月21日23時15分
 東京新聞が20日付朝刊で「検証と見解」を掲載したことを、東京発行の新聞各紙のうち朝日新聞と毎日新聞は21日付の朝刊で紹介しました。他紙には記事は見当たりませんでした。
 朝日新聞の記事はサイトでも読めます。紙面では第3社会面に掲載しています。
 ※朝日新聞デジタル「官邸の申し入れ9回 『質問制限』問題を東京新聞が検証」=2019年2月20日
  https://www.asahi.com/articles/ASM2N5WFKM2NUTIL049.html

 記事は最後に、東京新聞の検証記事に対する菅義偉・官房長官の記者会見でのコメントと、それに対する東京新聞編集局のコメントも紹介しています。

 菅義偉官房長官は20日の会見で、「申し入れをまとめたと思われる表の中で、両者の間のいくつかの重要なやりとりが掲載をされていないなど、個人的には違和感を覚える所もある」と述べた。「違和感」を覚えるとした箇所については「政府としていちいちコメントすることは控えたい。東京新聞側はよくお分かりになっているのではないか」と話した。
 東京新聞編集局は20日、朝日新聞の取材に「20日朝刊紙面で、概要を示しています。菅官房長官は『いくつかの重要なやり取り』が何であるかを示しておらず、何を言いたいのか理解に苦しみます」と回答した。

 毎日新聞は第3社会面に2本の記事を掲載。経緯をまとめた「取材の権利 制限か/専門家『批判者を排除』」の見出しの記事と、東京新聞の「検証と見解」を紹介した「東京新聞『事実誤認当たらず』」です。
 後者の記事の中で、論点として軽視できないと感じた部分を引用して書きとめておきます。

 「質問制限」を巡る問題については、新聞労連が今月5日に抗議声明を出したことを受けて、報道各社も報道するようになった。服部孝章・立教大名誉教授(メディア法)は官邸側を批判した上で「報道各社は申し入れを受けて報道すべきで、1カ月以上沈黙したのは残念だ」と報道側の問題にも言及。一方で「(東京新聞記者の)質問が新聞紙面に生かされているか伝わってこない」ことも指摘した。
 東京新聞編集局は「辺野古の問題など、質問に関連する記事を何度も書いてきたが、官房長官の答えはほとんど記事にしていない。記事にするほどの内容がないためだ。中身のある回答を引き出すための戦略は考えているが、相手のこともあり、簡単にはいかないのが実情だ」と文書で答えた。

 もう一つ、神奈川新聞の記事を紹介して書きとめておきます。
※カナロコ「<時代の正体>質問制限 削られた記事『8行』 忖度による自壊の構図」=2019年2月21日
 http://www.kanaloco.jp/article/389690
 相当な長文の署名記事です。書き出しの部分を引用して書きとめておきます。リンク先で全文を読めます(2月21日夜現在)。

 【時代の正体取材班=田崎 基】18日夜、わずかな異変が起きていた。新聞各紙の締め切り時間がじわじわと迫る午後9時57分、共同通信が、加盟各紙に配信した記事の一部を削除すると通知してきた。
 「官邸要請、質問制限狙いか 『知る権利狭める』抗議」と題する大型サイド。官房長官記者会見での東京新聞記者による質問について、首相官邸が「事実誤認」だと断定し質問制限とも取れる要請文を内閣記者会に出したことについて、問題点を指摘する記事だった。
 要請文が出された経緯や、その後に報道関連団体から出された抗議声明、識者の見解などを紹介する記事の終盤に差し掛かる段落のこの記述が削除された。
 〈メディア側はどう受け止めたのか。官邸記者クラブのある全国紙記者は「望月さん(東京新聞記者)が知る権利を行使すれば、クラブ側の知る権利が阻害される。官邸側が機嫌を損ね、取材に応じる機会が減っている」と困惑する〉
 午後4時13分に一度配信された記事は、5時間44分後に、この8行が削除されて配信され直した。
 共同通信による「編注」(編集注意)には削除理由としてこう記されていた。
 〈全国紙記者の発言が官邸記者クラブの意見を代表していると誤読されないための削除です〉

 共同通信は、本紙を含め全国の地方紙や全国紙、海外メディアなどに記事を配信する国内最大級のニュース通信社で、世界41都市に支社総支局を置く。NHKを含め加盟新聞社は56、契約民間放送局は110に上る。
 24時間体制で速報を配信し続けているため、記事の配信後に内容が随時差し替わっていくケースは少なくない。分量が増えたり、無駄な記述が短縮されたり、事実関係について随時削除、追加されたりすることもある。
 だが今回は違った。事実とは無関係の、それも記事の核心部を無きものにしたと、私は思う。

  削除された「官邸記者クラブのある全国紙記者」が口にした困惑は、それが内閣記者会の記者たちの意見を代表するものではないとしても、毎日新聞の記事の中で服部孝章氏が指摘している、報道各社の1カ月以上の沈黙と、根っこの部分でつながっていないか―。マスメディアで働く一人として、考えています。

 ※付記 神奈川新聞は21日付で社説「会見の『質問制限』/『知る権利』侵す行為だ」も掲載しています。

 

▼追記2 2019年2月23日18時10分
 朝日新聞が2月22日付で関連の社説を掲載しました。「官邸と一新聞社との間の問題ではない。メディアを分断するような官邸の振る舞いを許せば、会見は政権にとって都合のよい情報ばかりを流す発表会に変質してしまう」と指摘しています。「メディアの分断」はこの問題の重要なキーワードだと思いますし、さらに「個々の記者の分断」ととらえてみれば、公権力と記者クラブ、記者クラブと個々の取材者の関係、開かれた記者クラブの実現など、より本質的な問題も見えてくるのではないかと感じます。
 朝日の社説は「『記者は国民の代表として質問に臨んでいる』という東京新聞の見解に、官邸側は『国民の代表とは国会議員』と反論した」ことを挙げた上で、記者自身が国民の「知る権利」を支えている重い責任を自覚するよう求めています。マスメディアの記者は所属組織の一員として行動しますが、そうではあっても、ジャーナリズムを仕事にしている一人の個人として、国民の「知る権利」への奉仕のためには、立場の違いを超えた連帯が必要ですし、可能なはずです。立場の違いには、所属組織の違いに加えて、所属組織の有無の違いもあります。それらの違いを超えた連帯ができないのはなぜなのか―。わたしは自身は「個々の記者の分断」の観点から考えているところです。

 朝日新聞が今回の記者の質問制限の問題を社説で取り上げるのは2回目です。23日の時点で、これまでに目に止まった新聞各紙の社説、論説をまとめておきます。朝日新聞、記者が事実上の名指しを受けた中日・東京新聞、北海道新聞、神奈川新聞、信濃毎日新聞、京都新聞、神戸新聞、沖縄タイムス、琉球新報の計9紙です。いずれも質問の制限を批判する内容です。ネット上で無料で読めるもの(23日現在)はURLも載せています。

■2月22日
・朝日新聞「官房長官会見 『質問』は何のためか」※2回目
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13903936.html?iref=editorial_backnumber

 東京新聞は一昨日、「検証と見解」と題する特集記事を掲載した。一昨年秋から9回、「事実に基づかない質問は厳に慎んでほしい」などと官邸側から申し入れがあったという。
 また、記者の質問中に進行役の報道室長から「簡潔にお願いします」などと、たびたびせかされるようになったとして、1月下旬のある会見で、1分半に7度遮られた事例を紹介した。会見の進行に協力を求める範囲を明らかに逸脱しており、露骨な取材妨害というほかない。
 これは、官邸と一新聞社との間の問題ではない。メディアを分断するような官邸の振る舞いを許せば、会見は政権にとって都合のよい情報ばかりを流す発表会に変質してしまう。
 「記者は国民の代表として質問に臨んでいる」という東京新聞の見解に、官邸側は「国民の代表とは国会議員」と反論した。確かに、記者は選挙で選ばれているわけではないが、その取材活動は、民主主義社会の基盤となる国民の「知る権利」を支えている。質問を発する記者自身も、その重い責任を深く自覚せねばなるまい。

・沖縄タイムス「[官房長官会見]質問封じは許されない」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/387956

■2月21日
・神奈川新聞「会見の『質問制限』 『知る権利』侵す行為だ」

■2月19日
・東京新聞・中日新聞「記者会見の質問 知る権利を守るために」
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019021902000183.html

・琉球新報「官邸の質問制限 国民の知る権利の侵害だ」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-877385.html

■2月18日
・信濃毎日新聞「官邸の質問制限 『知る権利』を侵害する」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190218/KT190216ETI090003000.php

■2月17日
・京都新聞「長期政権の緩み  放言と異論封じが際立つ」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190217_4.html

■2月15日
・神戸新聞「官邸の質問制限/政府の説明責任棚上げか」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201902/0012066170.shtml

■2月10日
・北海道新聞「官邸の質問制限 『知る権利』狭める恐れ」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/275348?rct=c_editorial

■2月8日
・朝日新聞「官房長官会見 『質問制限』容認できぬ」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13884468.html?iref=editorial_backnumber

 

▼追記3 2019年2月24日23時10分
 24日付で毎日新聞も社説で取り上げました。これでこの問題を社説・論説で取り上げた新聞は、目に付いた限りですが10紙になりました(24日現在)。
 毎日新聞の社説の一部を引用して紹介します。
※「菅官房長官の記者会見 自由な質問を阻む異様さ」
 https://mainichi.jp/articles/20190224/ddm/005/070/051000c

 こうした文書を出すこと自体が自由な質問を阻み、批判的な記者の排除につながる恐れがある。まず官邸はそうした姿勢を改めるべきだ。
 記者会への文書は昨年末、出された。米軍普天間飛行場移設に伴う土砂投入をめぐる同紙記者の質問に対し、正確な事実を踏まえた質問をするよう申し入れたものだ。
 大きな問題点はここにある。仮に質問が事実でないのなら、その場で丁寧に正せば済む話だからだ。
 しかも官邸の認識を記者会も共有するよう求めている。狙いは報道全体への介入や規制にあると見られても仕方がない。記者会が「質問制限はできない」と伝えたのは当然だ。

 続いて、東京新聞が「検証と見解」を紙面に掲載したことに対して、以下のように書いているのですが、この部分はわたしには違和感が残りました。

 改めて取材を重ね検証した点は評価したい。ただし申し入れの事実をもっと早くから自ら報じて提起すべきではなかったか。疑問が残る。
 同紙記者の質問を菅氏が「指摘は当たらない」の一言で片付け、官邸報道室長が「簡潔に」と質問を遮る場面が横行している。もはや質問と回答という関係が成立していない。無論責任は菅氏側にあるが、記者も本意ではなかろう。きちんとした回答を引き出す工夫も時には必要だ。

 首相官邸側の昨年12月28日の申し入れは東京新聞の記者を事実上、名指ししてはいますが、あて先は東京新聞ではなく記者クラブ(内閣記者会)でした。記者クラブに自社の記者が加盟している報道機関であれば、新聞労連の抗議声明を待たずとも、自社で報じて提起する機会は等しくありました。また、ここで東京新聞記者に「きちんとした回答を引き出す工夫」を求めるのは、問題の所在を分かりにくくするように感じます。
 とはいえ、官邸側による質問制限は認められない、との主張を社説で明らかにしたことには意義があります。

 新聞労連が2月5日に抗議声明を出して約3週間。この間の東京発行の新聞各紙の紙面上の対応は、大きく2分と言っていい状況だと思います。新聞労連の声明後に遅ればせながらとはいえ、紙面に特集記事を載せて社説でも取り上げた朝日新聞、毎日新聞、東京新聞の3紙に対し、読売新聞、産経新聞、日経新聞は扱いの小ささが目立ちます。当事者性がある東京新聞は別としても、朝日や毎日に比べて紙面で取り上げることには消極的です。
 内閣記者会は官邸側の申し入れに対し、記者の質問を制限することはできないと伝えたと報じられており、紙面で積極的に取り上げていない新聞も、質問の制限を決して容認してはいないのだろうと思います。ただ、読売新聞、産経新聞は近年、安倍晋三政権の政策に対して、支持ないしは理解がある論調を示すことが多く、安倍政権に批判的なことが少なくない朝日、毎日、東京の3紙との間で、論調の2極化が顕著です。そのことと、質問制限問題への紙面上の対応が2分している状況は、外面上は重なり合って見えます。首相官邸側が事実上名指しした東京新聞の望月衣塑子記者が、もっぱら安倍政権批判の見地から質問を繰り返していることが、この2分化の要因でしょうか。

正当化を閣議決定~続・記者会見の質問制限 ※追記あり 「追記2」まで更新

 首相官邸が昨年12月28日、官邸報道室長名で記者クラブである「内閣記者会」に対し、東京新聞記者の菅義偉・官房長官の記者会見での質問を「事実誤認」「度重なる問題行為」として、「官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念」「このような問題意識の共有をお願い申し上げる」と申し入れた「質問制限」問題についての続きです。2月5日にアップした記事「新聞労連の声明『首相官邸の質問制限に抗議する』」の最後の追記から1週間がたちますので、追記ではなく新しい記事をアップします。今後も備忘を含めて随時、この記事に追記します。
news-worker.hatenablog.com

 この問題で自由党の山本太郎参院議員が質問主意書で「記者の質問権のみならず国民の知る権利をも侵害されかねない状況だ」と指摘したのに対し、政府は2月15日、答弁書を閣議決定しました。共同通信の記事によると「必ずしも簡潔とは言えない質問が少なからずある。今後とも長官の日程管理の観点からやむを得ない場合、司会者がこれまでと同様に協力呼び掛けなどを通じて、円滑な進行に協力を求める」「(注:記者会見は)内閣記者会が主催するもので、政府が一方的に質問を制限できる立場にない。あくまで協力依頼にすぎない」との内容です。
 あくまでも昨年末の申し入れは正当との主張です。「司会者の協力呼び掛け」とは、記者が質問途中であっても、首相官邸報道室長が質問を切り上げるようにせかす、記者から見れば質問を邪魔されるということで、今後もそのことに変わりはないと宣言したことにほかならないように思います。「円滑な進行」とはだれのどんな利益のための「円滑」なのでしょうか。
 ※47news=共同通信「東京新聞記者の会見で閣議決定/司会者、今後も『協力』呼び掛け」2019年2月15日
 https://this.kiji.is/468986028385305697?c=39546741839462401

 この答弁書に対して、朝日新聞政治部の記者(休職中)でもある新聞労連委員長の南彰さんが批判を加えています。ツイッターへの投稿を、賛同の意を込めて紹介します。

  朝日新聞は2月16日付の朝刊第3社会面の「メディアタイムズ」で、この問題を巡るリポート(「官邸、質問に矛先なお/東京新聞記者巡り『取材じゃない。決め打ち』」)を掲載しました。内閣記者会に加盟している新聞各紙やNHK、共同通信にも取材してコメントを載せています。引用して書きとめておきます。
・東京新聞「質問の前提として、その時点で把握していた事実関係や情報を述べた。通常の取材であり、『決め打ち』とは考えていない。官邸側から指摘が相次いでいることへの見解は、近日中に紙面でお示しする」
・産経新聞「内閣記者会の対応以上のコメントはない」
・読売新聞「一般論として、事実に基づかない質問は適当ではないが、記者会が個別の質問を制限することはできないと考える」
・毎日とNHK「『記者の質問を制限することはできないと考える』との趣旨の回答を寄せた」
・共同通信「記者会見は国民の知る権利に応えるための場で、参加する記者の質問が制限されたり、不当な圧力が加えられたりすることはあってはならないと考えている

 

▼追記 2019年2月18日22時45分
 首相官邸による東京新聞記者の質問制限問題について、信濃毎日新聞が18日付の社説で取り上げました。京都新聞も17日付の社説の中で触れています。それぞれ一部を引用して紹介します。

※信濃毎日新聞「官邸の質問制限 『知る権利』を侵害する」=2019年2月18日
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190218/KT190216ETI090003000.php

 首相、官房長官、各省の大臣ら、政府の中枢にいる政治家が会見で記者の質問に答える理由は何だろう。
 それは、憲法が国民に保障する「知る権利」を実現する役割をメディアが担っているからだ。
 記者会見は政治家が国民に対する説明責任を果たす場でもある。会見に応じなかったり質問を制約したりするのは、憲法に照らして望ましくない。
 (中略)
 質問内容が事実誤認に基づくなら、官邸はその旨を指摘して正しい情報を開示すればいいだけの話だ。「問題意識の共有」を求めるのは筋違いである。
 新聞、通信社の労組でつくる日本新聞労働組合連合(新聞労連)はこの問題で抗議声明を出している。それによると、官房長官会見では記者が質問しているときに司会役の報道室長が「簡潔にお願いします」などと数秒おきに述べ、妨害しているという。
 声明は「意に沿わぬ記者を排除するのは国民の知る権利を狭める」と指摘。質問制限が「悪(あ)しき前例として日本各地に広まることを危惧する」と述べる。
 (中略)
 居丈高に「事実誤認」と攻撃する政府の姿勢は、辺野古の問題で報道機関全体を威圧し、萎縮させることを狙っていると受け取られても仕方ない。

※京都新聞「長期政権の緩み  放言と異論封じが際立つ」=2019年2月17日
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190217_4.html

 安倍首相は常々、自身に対する野党からの批判に「印象操作だ」と気色ばんで反発することがある。その批判は自分自身にも当てはまるのではないか。
 首相周辺も同様だ。首相官邸が昨年末、菅義偉官房長官の記者会見で「特定の記者が事実誤認の質問をした」として、「事実を踏まえた質問」を要請する文書を内閣記者会(記者クラブ)に出した。
 記者は会見でさまざまな角度から質問し事実や課題を浮かび上がらせる。質問を封じるような要請は本末転倒である。質問が事実でなければ丁寧に説明するのが政府の役割ではないか。
 (中略)
 安倍政権は今月23日で吉田茂政権を抜き戦後単独2位の長期政権となり、11月には憲政史上最長になる。無思慮な発言は長期政権のおごりと緩みから来ている。
 歴史に名を残すためには、何が必要か。首相や政権幹部は深く考え直してもらいたい。

 この問題では朝日新聞が2月8日付で、次いで北海道新聞が同10日付で社説を掲載しています。
※朝日新聞「官房長官会見 『質問制限』容認できぬ」=2019年2月8日
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13884468.html?iref=editorial_backnumber

 しかし、記者会見はそもそも、当局に事実関係を確認する場であり、質問に誤りがあったとしても、その場で正せばすむ話だ。特定の記者を標的に、質問の制限を求めるような今回のやり方は不当であり、容認できない。政権の意に沿わない記者の排除、選別にもつながりかねない。
 (中略)
 文書が内閣記者会に「問題意識の共有」を求めたのも、筋違いだ。報道機関の役割は、権力が適正に行使されているかをチェックすることであり、記者会側が「質問を制限することはできない」と応じたのは当然だ。
 官房長官は、平日は原則、午前と午後の2回、記者会見に応じている。政府のスポークスマンとして、国民への説明責任を重んじればこそではないのか。記者の自由な質問を阻害することは、国民の「知る権利」の侵害でもあると知るべきだ。
 (中略)
 森友・加計学園の問題や統計不正など、不祥事が起きても、真相解明に後ろ向きな対応を繰り返しているのが安倍政権だ。今回の件も、国民の疑問に正面から向き合わない姿勢の表れにほかならない。

※北海道新聞「官邸の質問制限 『知る権利』狭める恐れ」=2019年2月10日
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/275348?rct=c_editorial

 報道機関の務めは権力監視である。疑問をぶつけなければその役割は果たせない。質問に異議があるなら反論すればいいだけだ。
 記者の選別は許されない。
 「質問制限」ではなく、むしろ積極的に答えるのが政府のあるべき対応ではないのか。
 日本新聞労働組合連合(新聞労連)は先週、抗議の声明を出し「悪(あ)しき前例として日本各地に広まることも危惧する」と指摘した。
 憲法は「表現の自由」を基本的人権の一つとし、それによって国民の「知る権利」を保障している。その権利を狭めるようなことがあってはならない。

  また、新聞労連のほか民放労連や出版労連などでつくる日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)も18日、抗議の声明を発表しました。

 

▼追記2 2019年2月19日20時50分
 首相官邸側から、事実誤認に基づく質問をする記者として事実上名指しされた望月衣塑子記者が所属する東京新聞が、19日付の社説で取り上げました。中日新聞の社説も同一です。新聞労連が2月5日に抗議声明を発してちょうど2週間です。
 一部を引用して紹介します。
 ※東京新聞・中日新聞「記者会見の質問 知る権利を守るために」=2019年2月19日
  http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019021902000183.html

 記者会見での記者の質問は、国民の知る権利を守るために、報道機関として当然の行為だ。権力側が、自らに都合の悪い質問をする記者を排除しようとするのなら、断じて看過することはできない。
 なぜ今、こうしたことに言及せざるを得ないのか、経緯を振り返る必要があるだろう。
 (中略)
 憲法は「表現の自由」を基本的人権の一つとして、国民の「知る権利」を保障している。
 官邸報道室は申し入れに「質問権や知る権利を制限する意図は全くない」としているが、政府に都合の悪い質問をしないよう期待しているのなら見過ごせない。
 申し入れがあっても、質問を制限されないことは、知る権利を尊重する立場からは当然だ。
 菅氏はかつて会見で安倍晋三首相の友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設を「総理の意向だ」と伝えられたとする文部科学省文書を「怪文書みたいではないか」と語ったことがある。
 その後、文書は存在することが分かった。政府が常に正しいことを明らかにするとは限らない。一般に権力は、都合の悪いことは隠すというのが歴史の教訓である。
 権力を監視し、政府が隠そうとする事実を明らかにするのは報道機関の使命だ。私たち自身、あらためて肝に銘じたい。

 書き出しで「自らに都合の悪い質問をする記者を排除しようとするのなら」と、官邸側の意図を巡って留保をつけた表現になっているのは、官邸側が「質問権や知る権利を制限する意図は全くない」と弁明しているからでしょうか。 

 琉球新報も19日付の社説で取り上げています。
 ※琉球新報「官邸の質問制限 国民の知る権利の侵害だ」=2019年2月19日
  https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-877385.html

 記者会に文書を出すまでもなく、会見の場で情報を公開し、記者が納得するまで説明を尽くせば済む話である。それが政府の当然の責務だ。記者に非があるかのような指摘は明らかに筋違いである。事実が明確でない情報について記者が質問する事例はよくあることだ。
 質問を制限するかのような文書を記者会に出した行為は望月記者を狙い撃ちにし、質問を封じる取材妨害と言われても仕方がない。実際、望月記者は「文書は私や社への制止的圧力だ」との見解を示している。
 この高圧的な政府の対応は、度重なる県の申し入れや確認を無視し、辺野古の埋め立てを強行している姿勢と重なる。辺野古新基地へのオスプレイ配備計画や大浦湾側の軟弱地盤の存在など、隠していた事実が後に判明した事例は枚挙にいとまがない。現政権は国民の知る権利に不誠実と言わざるを得ない。
 報道機関は憲法が保障する国民の知る権利の奉仕者である。記者会への官邸の申し入れはその権利を侵害する行為だ。これによって記者が萎縮し厳しい質問を控えることは断じてあってはならない。

 一方、共同通信は19日付朝刊の新聞掲載用に、この問題の経緯を振り返り、識者のコメントなども盛り込んだリポートを送信しました。全国の地方紙に掲載されているのではないかと思います。一部を引用して紹介します。

「事実でないなら、そう答えればいいだけだ」。問題に注目する作家の平野啓一郎さんは指摘する。「事実でない質問をした記者の排除が許されるなら、政府は都合の悪い問題は全て事実でないと言うだろう」
 望月記者の質問中、上村室長が数秒ごとに「簡潔に」「結論を」と遮ることにも平野さんは「陰湿で見るに堪えない。正しい態度と胸を張れるのか」と批判した。
 (中略)
 新聞労連の南彰委員長は「危機感がある。地方行政や警察の取材現場に波及しかねない。現場の記者がおかしいと声を上げることが、国民の権利を守る最大の力になるはずだ」と訴えた。
 成城大の西土彰一郎教授(メディア法)は、クラブが主催する会見の進行を官邸側が務めていることに触れ「官邸には『会見を開いてやっている』との意識が感じられるが、権力者が取材に応じるのは義務だ。メディアの分断が図られており、記者が連帯して抗議するべきだ」と指摘した。

 

焦点は沖縄の「自己決定権」~辺野古埋め立て 県民投票告示の各紙社説 ※追記あり

 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設を巡り、同じ沖縄県内の名護市辺野古に新基地を作るための埋め立てに対して賛否を問う県民投票が2月14日、告示されました。24日に投開票されます。沖縄の地元紙2紙は告示当日の14日付の社説でそれぞれ県民投票の意義を指摘しています。
 「沖縄の将来像を語ろう」との見出しを付けた沖縄タイムスは、住民投票の結果次第では、米軍基地の集中の問題を巡って、沖縄の民意を反映した「実質的な負担軽減」を求める声が国内外で高まる可能性があるとして、「今さら法的拘束力もない県民投票を実施する必要がどこにあるのか-そんな声は今もある。だが、県民投票を実施する最大の理由は、まさにそこにある」「戦後74年にわたる基地優先政策が招いたいびつな現実を問い直す試みでもある」と強調しています。
 琉球新報の社説は「高投票率で民意示したい」の見出し。「沖縄の戦後史は人権と民主主義、自己決定権を求めてきた歴史である。今回の県民投票が実現した経緯、全県実施を巡る曲折も、民主主義実現の実践だった。その成否は投票率の高さで示される」と述べています。
 普天間飛行場の県内移設に反対であるとの沖縄の人たちの民意は、これまでの知事選や国政選挙で繰り返し示されています。しかし日本政府は埋め立て工事を強行しています。県民投票の結果は法的な拘束力は持ちませんが、それでも「地域のことは自分たちで決めたい」との自己決定権を沖縄の人たちが求めていることが、日本政府だけでなく、その日本政府を成り立たせている日本本土の住民に伝わることに意義があるのだと、両紙の社説からあらためて感じます。わたしも含めて、本土の側が沖縄の人たちの思いと正面から向き合わなければなりません。そういう当事者であるとの自覚を持って、投票の結果を待とうと思います。
 ※両紙の社説の一部を引用して紹介します。本土紙の社説、論説と一括して後掲します。

 東京発行の新聞各紙は14日付夕刊で「告示」の記事を載せ、続く15日付朝刊(最終版)でも続報を大きく載せました。朝日新聞、毎日新聞、東京新聞は1面トップ。見出しは写真の通りです。読売新聞は1面の真ん中に「辺野古移設 問う3択」の主見出し3段の扱い。日経新聞は2面に「辺野古反対派28万票狙う」(4段)、産経は東京本社では夕刊の発行がなく、朝刊は2面に「沖縄県民投票 告示」(3段)の主見出しでした。

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 沖縄県外、日本本土の新聞各紙がこの県民投票をどうとらえているのかをみてみたいと思い、紙面のほか地方紙はネット上のサイトで社説、論説をチェックしてみました。
 このうち全国紙は朝日、毎日、読売、産経の4紙が15日付でそろって掲載。特徴的だと感じたのは、読売、産経両紙は「安保政策は…政府が責任を持って進めるべきものである。住民投票にはなじまない」(読売)、「今回の県民投票は行うべきではなかった」「投票実施を評価するのは民主主義のはき違え」(産経)と、県民投票の実施そのものに否定的な評価を示している点です。
 一方で地方紙・ブロック紙は、中日新聞と共通の東京新聞を含めて、14日付、15日付で目にした社説、論説はいずれも、表現や言い回しはそれぞれに異なっていても、他人ごとではなく自らに引き寄せてとらえようとしているように感じます。特に中国新聞や神戸新聞が「自己決定権」というキーワードを明記して論じていることは、地域に立脚するジャーナリズムのありようの観点から注目されていいと思います。

 一つだけ、14日当日のニュースを書きとめておきます。菅義偉官房長官の記者会見での発言です。
※47news・共同通信「菅官房長官『辺野古移設変えず』/沖縄県民投票の結果出ても」=2019年2月14日
 https://this.kiji.is/468613775307654241

 菅義偉官房長官は14日の記者会見で、米軍普天間飛行場移設を巡る沖縄県民投票の告示を受け、投票結果にかかわらず名護市辺野古移設を進める方針を表明した。「どういう結果でも移設を進めるか」との問いに「基本的にはそういう考えだ」と述べた。「問題の原点は普天間の危険除去と返還だ」とも強調した。

 安倍晋三政権が、住民投票の結果いかんにかかわらず、辺野古の埋め立て工事を進めるであろうことは、いわば周知の事実だろうと思います。しかし、そう一般に受け止められているとしても、住民投票の告示当日のタイミングで政権中枢があからさまに明言することは、やはり問題であるように思います。民主主義の中で定められている住民の意思表示の手続きをあまりにも軽んじていないか。さらには、「反対票を投じても、埋め立て工事は止まらない。投票には意味がない」と感じて、反対の投票を見送ってしまう有権者がいる可能性はないのか。政権による県民投票への介入の色彩は皆無ではないと感じます。

 

 以下に、各紙の社説、論説の見出しや、本文の一部を引用して書きとめておきます。

【2月14日付】
▼沖縄タイムス
2月14日付「[県民投票きょう告示]沖縄の将来像を語ろう」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/384738 

 1996年に実施された県民投票は、米軍基地の整理・縮小と日米地位協定見直しの賛否を問うものだった。
 辺野古埋め立ての賛否を問う今回は、結果次第では、沖縄の民意を反映した「実質的な負担軽減」を求める声が国内外で高まる可能性がある。 政府は「辺野古が唯一の選択肢」だと繰り返し主張してきた。辺野古では今も、連日のように土砂投入などの埋め立て作業が続いている。
 今さら法的拘束力もない県民投票を実施する必要がどこにあるのか-そんな声は今もある。だが、県民投票を実施する最大の理由は、まさにそこにある。
 「他に選択肢がない」という言い方は、政策決定によってもっとも影響を受ける者の声を押しつぶし、上から目線で「これに従え」と命じているのに等しい。実際、選挙で示された民意はずっと無視され続けてきた。
 県民投票は、戦後74年にわたる基地優先政策が招いたいびつな現実を問い直す試みでもある。
 軟弱地盤の改良工事のため、当初の予定を大幅に上回る工期と建設経費がかかることも明らかになってきた。状況が変わったのだ。
 (中略)
 県民投票に法的な拘束力はない。どのような結果になっても計画通り工事を進める、というのが政府の考えである。
 しかし、「反対」が多数を占めた場合、玉城知事は辺野古反対を推し進める強力な根拠を得ることになる。
 県民投票によって、疑う余地のない形で沖縄の民意が示されれば国内世論に変化が生じるのは確実だ。
 政府が辺野古での工事を強行しているのは、県民投票を意識している現れでもある。

▼琉球新報
2月14日付「県民投票きょう告示 高投票率で民意示したい」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-875165.html

 県民投票に法的拘束力がないことを強調してその意義を軽んじる意見もある。しかし、個別の課題で民意を直接示すことの重要性は、いくら強調してもし過ぎることはない。
 昨年9月の県知事選をはじめとして選挙で新基地反対の民意が何度も明らかになってきた。にもかかわらず、安倍政権は選挙結果を無視して工事を強行してきた。
 また、この間の県内選挙で、政権の支援を受けた候補は新基地への賛否を明確にせず、公開の討論会も避けるなどして、争点隠しを徹底した。マスメディアが「新基地の是非が事実上の争点」と報じても、選挙戦の中では議論として盛り上がらず、有権者の判断材料は乏しかった。このような争点隠しと選挙結果無視の中で、今回の県民投票が必要とされたのである。
 論点は単純ではない。辺野古の自然環境の保護か、普天間飛行場の危険性の除去かという二者択一ではない。
 (中略)
 沖縄の戦後史は人権と民主主義、自己決定権を求めてきた歴史である。今回の県民投票が実現した経緯、全県実施を巡る曲折も、民主主義実現の実践だった。その成否は投票率の高さで示される。結果は世界から注目されている。力強く県民の意思を示すため、投票率を高める努力が必要だ。

▼山形新聞「沖縄県民投票きょう告示 本土の意識が問われる」
 http://yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20190214.inc

 辺野古移設は沖縄県民の生活に密接に関わる。だから県民の意思を知ることがまずは大切だ。だが、移設の是非を沖縄県民に問えばそれで十分というわけではあるまい。移設は政府が進めている計画であり、日本の安全保障政策上の観点から抑止力の維持をその理由に挙げている。日本全体の安保政策であるならば、その是非は全国民が考えなければならないはずだ。問われるのは「本土」の側の意識であり、県民投票を機会に国民一人一人が当事者としてその是非を考えたい。
 (中略)
 さらにこれまでの知事選の結果、辺野古移設への反対を主張した故翁長雄志前知事や玉城知事が誕生した一方で、政府は移設工事を進めている。沖縄の民意が顧みられない構図が続いていることは否定できない。玉城知事が「政府には丁寧に沖縄の民意に向き合うよう求めたい」と強調するゆえんだろう。
 県民投票は、議員を通じた間接民主制では把握しきれない個別事案への意識を問う直接民主制の手法であり、間接民主制を補完するものだ。一方で、英国の欧州連合(EU)離脱を巡る国民投票のように、市民の分断を招く恐れも指摘される。仮に県民の意思がはっきり分かれる結果になったとしても、沖縄が混乱しているだけと座視してはなるまい。

▼岩手日報「沖縄の県民投票告示 国は無視を決め込むか」
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/2/14/46639

 2000年施行の地方分権一括法で、国と地方の関係は「上下」から「対等」へと転換した。投票結果に拘束力はないとはいえ、国が無視を決め込むのは妥当なのか。今回の県民投票は、国と地方の関係を考える上で貴重な国民的体験ともなるだろう。
 関連条例制定を直接請求した市民グループ「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎代表は、全県での実施を喜びつつ「県民は賛成か反対か悩みながら選んでほしい」と語っている。元山さんは27歳。この世代が行動を起こしたことに、もう一つの意義を見いだすべきだろう。
 悲惨を極めた戦争体験を経て、「基地の島」と言われるに至る現実を、今を生きる県民自身がどう受け止め、どう次世代に伝えていくか。若者が提起した問題意識が単に集票を争うだけにとどまらず、「悩みながら」投票する過程で老若がひざすり合わせ、対話を深める動機付けになることを期待したい。
 もちろん投票結果は本土に跳ね返る。安全保障に関わる問題の重さから、われわれも対話を求められているとの認識を持たなければならない。

▼茨城新聞「沖縄県民投票きょう告示 問われる『本土』の意識」

▼信濃毎日新聞「沖縄の県民投票 国民全体の問題として」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190214/KT190213ETI090005000.php

 基地問題は国民全体で考えなければならない問題である。政府のごり押しが続く現状に改めて目を向け、結果を見守りたい。
 (中略)
 運動を活発化させる反対派に対し、移設容認の自民党は積極的な呼び掛けを控える。4月の衆院補選をにらみ、反対派を刺激しない戦略だ。一方で普天間返還の必要性を訴える動きもある。どう意思表示するか、悩みながら臨む県民も少なくないのではないか。
 辺野古反対の民意はこれまで国政選挙や地方選挙で繰り返し示されてきた。2014年の知事選で反対を掲げた翁長雄志氏が当選した。昨年の知事選でも新基地建設阻止を訴える玉城デニー氏が、政権の支援を受けた候補者に8万票の差をつけて当選している。
 それでもあえて県民投票に踏み切るのは、政府が沖縄の声に耳を傾けることなく、工事を強行しているためだ。改めて明確な形で民意を示し、断念を迫ろうという切実な思いからである。政府は重く受け止めなくてはならない。
 なお不誠実な対応が続く。県民投票を前に、工事を加速させている。1月下旬に埋め立て海域東側の新たな護岸造成に着手した。護岸の着工は8カ所目になる。新たな区域での土砂投入を3月下旬に始めることも県に通知した。諦めや無力感を誘いたいのか。

▼中日新聞・東京新聞「沖縄県民投票 政権の姿勢が問われる」
 http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019021402000117.html

 問われるべきは安倍政権の姿勢だ。きょう告示される沖縄県民投票。辺野古の沿岸には軟弱地盤が横たわり、新基地建設は工期も工費も見通せない。展望なき難工事を続ける意味はあるのか。
 県民投票は米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古新基地建設を巡り、沿岸埋め立てについて賛成、反対、どちらでもないのどれかで答えてもらう。投票は二十四日。
 この際、県民のみならず国民みなが認識すべきことの一つに建設工事の現状がある。
 政府は二〇一七年四月、護岸建設に着手。昨年十二月、辺野古崎の南側区域で土砂投入に踏み切った。しかし、北東側の埋め立て区域の海底には軟弱地盤が存在する。安倍晋三首相は一月末、地盤改良のための設計変更が必要になると国会答弁で認めた。
 ボーリング調査の杭(くい)が何もしなくても沈む「マヨネーズ状」と形容される地盤。地元紙などの取材によると、水深三〇メートルの下に厚い部分で六十メートルの層になっている。
 防衛省側は、六十五ヘクタールにわたるこうした地盤を固めるため約七万七千本もの砂杭を打ち込む計画という。専門家は国内では例がない難工事になると予測している。
 北東側には希少サンゴが多数生息する。環境に計り知れない影響を与えるのは確実だ。工期も工費も大幅に膨らむだろう。
 (中略)
 県民投票で判断されるのは、埋め立ての賛否だけでなく不都合を隠したまま工事を強行する政権の姿勢でもある。工期が不明なら政権が繰り返す「一日も早い普天間返還」は現実的約束と言えない。
 日米安保は重要とはいえ、本当に新基地は必要なのか。湯水のように税金を投入していいのか。私たちも県民と共に考えたい。

▼福井新聞「沖縄県民投票告示 国民が考える機会とせよ」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/796446

 沖縄での県民投票は1996年9月以来となる。95年の米兵による少女暴行事件を受け、日米地位協定の見直しと米軍基地の整理・縮小への賛否を問うものだった。結果は投票総数の89%が「賛成」を投じ、全有権者数でも53%に達した。
 だが、民意が求める地位協定の抜本的な見直しがなされないばかりか、在日米軍専用施設の7割が沖縄に集中している。こうした現状は一義的には「防衛は国の専権事項」としてきた政府の責任だ。一方で「本土」の国民は真剣に向き合ってきただろうか。今回の県民投票では傍観者然とせず、その是非を考える機会としなければならない。
 (中略)
 普天間の固定化回避は玉城氏にとって重要命題だ。新基地とは切り離して普天間返還を目指す方策について説明を求めたい。「反対」の民意が示されたとき、安倍政権こそが向き合うべき課題でもある。辺野古の軟弱地盤対策に長期間を要するとの試算もある。危険性が解消されない普天間の運用停止に向け米側と早急に話し合うべきだ。
 県民投票が新たな分断を生むと危惧する声もある。しかし、それ以上に長年民意が顧みられない構図が分断をあおってきたのではないか。対等であるべき国と地方自治体の関係を無視し、アメとムチを使い分けてきた政府の姿勢がもたらした結果だ。それを黙認してきた本土の国民も責任を自覚する必要がある。

▼中国新聞「沖縄県民投票告示 基地負担を直視しよう」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=504946&comment_sub_id=0&category_id=142

 沖縄県民は、日常生活のさまざまな場面で米軍基地の影響を受けている。それだけに新基地建設に賛否の意思を明らかにするのは当然のことで、その意義は重い。「沖縄のことは自分たちで決める」という自己決定権の行方を、全ての国民が注視する責任があるはずだ。
 (中略)
 安全保障は国全体の問題といいながら、なぜ沖縄だけが過重な基地負担を強いられているのか―。県民投票には全国民に対する切実な問い掛けも込められているはずである。
 基地負担の現実を直視するとともに、沖縄への押し付けを容認してきた責任を自覚しなければならない。辺野古でなければならない理由について、私たちも改めて一緒に考える機会にすべきだろう。

▼山陰中央新報「沖縄県民投票きょう告示/問われる『本土』の意識」

▼南日本新聞「[県民投票告示] 国民全体で沖縄に目を」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=102058

 政府は昨年12月に辺野古沿岸部での埋め立て工事に着手し、投票結果にかかわらず工事を進める構えを崩していない。
 根底には「安全保障政策は政府の専権事項」という考え方がある。しかし、民意を顧みずに民主主義国家と言えるのか。問われるのは政府の姿勢である。
 政府は、日本の安保政策上の観点から抑止力の維持を辺野古移設の理由に挙げている。
 日本全体の安保政策のために辺野古移設が必要だとするのなら、その是非は全国民で考えるべき問題ではないか。
 鹿児島県にとっても、在日米軍を巡る問題はよそごとではない。
 西之表市の馬毛島は米軍空母艦載機陸上離着陸訓練(FCLP)の移転が検討されている。岩国基地(山口県岩国市)に移駐した在日米軍給油機部隊は、訓練のローテーション展開先として鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地を使用することになっている。
 沖縄県民投票を、国民一人一人が安保問題の当事者として考える機会としたい。

 

【2月15日付】
▼朝日新聞「沖縄県民投票 国のあり方考える機に」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13893334.html?iref=editorial_backnumber

 市民から一方的に投票権を奪う行いは到底許されるものでないし、「どちらでもない」の解釈をめぐって、この先、混乱が生じる懸念も否定できない。
 だが、「沖縄の基地負担を減らすために沖縄に新たに基地を造る」という矛盾に、答えを出しかねる人がいるのも事実だ。3択にせざるを得なかったことに、沖縄の苦渋がにじみ出ていると見るべきだろう。
 (中略)
 知事選や国政選挙で「辺野古ノー」の民意が繰り返し表明されたにもかかわらず、一向に姿勢を改めない政府への失望や怒りが、県民投票の原動力になった。しかし菅官房長官はきのうの会見でも、辺野古への移設方針に変化はないと述べ、投票結果についても無視する考えであることを宣言した。
 一度決めた国策のためには地方の声など聞く耳持たぬ――。こうした強権姿勢は、他の政策課題でも見せる安倍政権の特徴だ。同時に、基地負担を沖縄に押しつけ、それによってもたらされる果実を享受する一方で、沖縄の苦悩や悲哀は見て見ぬふりをしてきた「本土」側が底支えしているといえる。
 24日に示される沖縄県民の意思は、民主主義とは何か、中央と地方の関係はどうあるべきかという問題を、一人ひとりに考えさせるものともなるだろう。

▼毎日新聞「辺野古問う沖縄県民投票 民意を熟成させる10日間」
 https://mainichi.jp/articles/20190215/ddm/005/070/061000c

 今回は辺野古埋め立てに「賛成」「反対」「どちらでもない」の3択となった。一時、宜野湾市など5市が不参加の方針をとったのは、賛否2択では複雑な民意をすくえないというのが大きな理由だった。
 例えば、普天間飛行場を抱える宜野湾市民には早期返還を求める思いが強いだろう。県内移設には反対だが普天間返還が遅れるのも困るという人はどうすればよいのか。
 賛否だけでなく、「どちらでもない」の票数や投票率からも多様な民意を丁寧にくみ取る必要がある。
 (中略)
 政権与党の自民、公明両党は自主投票を決めた。組織を動員して賛成や棄権を呼びかければ、かえって反発を買うと考えたのだろう。
 しかし、政府は県民投票の結果にかかわらず辺野古の埋め立て工事を続行する方針だ。菅義偉官房長官は告示日のきのう「基本的にはそういう考え方だ」と明言した。
 投票結果に法的な拘束力はない。だからといって、結果を見る前から無視を決め込むのは、懸命に民意をまとめようとしている沖縄の努力を軽んじる態度にほかならない。

▼読売新聞「沖縄県民投票 基地問題の混迷を憂慮する」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190214-OYT1T50258/

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の危険性を除去することが、基地問題の原点である。県民投票は長年の取り組みへの配慮を欠く。対立と混迷が深まるだけではないか。
 (中略)
 住民投票は本来、市町村合併などの課題について、その地域の有権者の意見を聞くのが目的だ。
 安保政策は、国民の生命、財産と国土を守るため、国際情勢と外交関係を勘案し、政府が責任を持って進めるべきものである。住民投票にはなじまない。
 条例制定を主導した政治勢力は、4月の衆院沖縄3区補欠選挙や夏の参院選を前に、移設反対派の結束を固めたい、という思惑があるのではないか。
 基地問題を二者択一で問うことへの批判が高まると、場当たり的に選択肢を増やした。だが、本質的な問題は何ら解消されない。
 肝心なのは、普天間の固定化を防ぐことである。
 1995年の米兵による少女暴行事件を受け、当時の橋本首相と大田昌秀沖縄県知事が協議し、普天間の返還や沖縄振興を進める方針で一致したのが出発点だ。
 長年にわたり、政府と県は互いの立場を尊重しながら、移設計画に取り組んできた。この努力を無駄にすることは許されまい。

▼産経新聞(「主張」)「県民投票の告示 与党は移設の意義を語れ」
 https://www.sankei.com/column/news/190215/clm1902150001-n1.html

 改めて指摘したいのは、今回の県民投票は行うべきではなかったということだ。
 投票実施を評価するのは民主主義のはき違えである。日米安全保障条約に基づく米軍基地の配置は、政府がつかさどる外交安全保障政策の核心だ。国政選挙や国会における首相指名選挙など民主的な手続きでつくられた内閣(政府)の専管事項である。
 特定の地方自治体による住民投票で賛否を問うべき事柄ではない。沖縄県を含む日本の安全保障を損なうだけだ。
 市街地に囲まれた普天間飛行場の危険性を取り除くことにつながらないという問題点もある。
 (中略)
 菅義偉官房長官は記者会見で、県民投票の結果にかかわらず政府は移設工事を進めるのかを問われ、「基本的にはそういう考えだ」と述べた。普天間の危険性除去と日米同盟の抑止力確保のために辺野古移設は必要だ。菅氏が示した政府方針は妥当だ。
 投開票日に向けて、移設反対派は運動に力を入れるだろう。
 一方、国政与党の自民、公明両党は自主投票を決めた。特定の選択肢への投票を呼びかける運動を予定していないという。4月の統一地方選などへの悪影響を考えているとすれば筋違いだ。本来望ましくない県民投票だが、実施される以上は静観はおかしい。自民、公明両党は、辺野古移設の意義を県民に丁寧に説く必要がある。

▼北海道新聞「沖縄県民投票 国の基地政策問う場に」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/276849?rct=c_editorial

 国土全体の0・6%しかない沖縄に、米軍専用施設の7割が集中している。その現実を踏まえ、県外の人々も基地問題を自らの問題として考える機会としたい。
 (中略)
 県民投票に至る背景には、国が辺野古移設を巡る地元との合意をほごにしたことへの反発もある。
 96年の日米特別行動委員会(SACO)合意で普天間飛行場の全面返還が決まり、99年には、その代替施設を辺野古の沖合に造る政府方針が閣議決定された。
 当時、県や名護市は、建設地を辺野古の沖合とし、15年間の使用期限を設けるなど条件付きで容認した。だが、政府は米軍との新たな合意を優先して約束を履行せず、建設地も沿岸部に変更された。
 今回の投票では、こうした一連の国の基地政策が問われている。

▼秋田魁新報「県民投票告示 注目したい沖縄の民意」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20190215AK0013/

 住宅や学校に囲まれ、世界一危険だとされる普天間飛行場の返還に日米で合意したのが1996年。辺野古はその代替施設として白羽の矢が立ったが、これ以上沖縄に基地はいらないとする県民の反発の声は根強い。その思いをないがしろにしてはならない。
 政府は「抑止力を維持しつつ、沖縄の負担軽減を図るためには辺野古という選択肢しかない」と主張。今回の県民投票についても、投票結果にかかわらず移設工事は続けるとしている。
 だが在日米軍専用施設の7割が沖縄に集中している現状を踏まえれば、選択肢が辺野古以外にないという姿勢はあまりにも硬直的ではないか。反対の民意が明確に示された場合は沖縄の声にいま一度真剣に耳を傾け、他の選択肢を探るべきだ。

▼京都新聞「沖縄県民投票  全国民で考える機会に」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190215_4.html

 沖縄の県民投票は1996年にも行われた。その1年前に米兵による少女暴行事件があり、日米地位協定の見直しと米軍基地の整理・縮小に89%が賛成し、全有権者の過半数を占めた。
 それでも民意は反映されることなく今も在日米軍専用施設の7割が沖縄に集中し、辺野古では新基地建設も進む。政府には「防衛は国の専権事項」との考え方が根底にあるからだが、それは沖縄に基地を集中させる理由にはならない。
 民主国家ならば国策の遂行が民意と無関係であってよいはずがない。投票で最多の選択肢が投票資格者の4分の1に達すれば、知事に尊重義務が課せられる。政府も結果を軽んじるべきではない。
 沖縄にこうした県民投票を余儀なくさせる責任の一端は、本土に住む私たちの無関心にもある。基地負担の問題を国民全体で考える機会にしなければならない。

▼神戸新聞「沖縄県民投票/国民も関心と理解深めて」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201902/0012066169.shtml

 しかし県民がなぜここまで強固に反発するのか、国民の認識が十分とはいいがたい。過剰な基地負担を強いられる現状に私たちももっと目を向けたい。
 基地集中は沖縄が望んだ結果ではない。米軍占領を経て復帰した歴史のうねりの中で、求め続けたのは大事なことを自分たちで決める「自己決定権」だ。
 沖縄の米軍基地を巡っては、1996年の県民投票で整理・縮小などを求める民意が明確になった。名護市の住民投票でも、建設反対を求める意見が多数を占めた。
 草の根の民主主義を支える自己決定の願いを、政府はなぜ尊重しようとしないのか。国全体の問題と認識する必要がある。

 

※追記 2019年2月16日23時45分
 16日付の社説です。
▼新潟日報「沖縄県民投票 『沖縄の心』を見つめたい」
 http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190216451409.html

 安倍政権は安全保障は「国の専権事項」として工事を進める。しかし、地元の意見を十分に聞き、それを国政に反映させるのが民主主義のルールだ。
 市街地中心部にある普天間飛行場の危険性除去には、辺野古移設が唯一の解決策だと一貫して主張するが、普天間の代替地を同じ県内に建設しても、沖縄県民の危険性は変わらない。
 埋め立て予定海域には軟弱地盤があり工事の長期化も指摘されている。だが政府は工期を示していない。普天間飛行場の運用停止がいつになるのかを含め、明らかにすべきだ。
 県民は基地があることによる事件や事故、騒音に苦しみ続けている。県内移設に対する反対論の底流には、基地負担を巡る本土との格差もある。
 安全保障はどうあるべきなのか。私たちも沖縄の人々に寄り添い、ともに考えたい。

▼西日本新聞「沖縄県民投票 地方から国策を問う意義」
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/487314/

基地の配置など安全保障政策は本来、国の仕事である。それを理由に、基地問題を自治体単位で行われる住民投票のテーマにすべきでないとの論もある。
 しかし「なぜ沖縄県民が県民投票を望むのか」という出発点に立ち返って考えたい。
 沖縄で県民投票が実施されるのは2度目である。前回(1996年)も米軍基地が争点で、約9割が基地の整理縮小を求めた。それから20年以上たつが、沖縄の過重な基地負担はほとんど軽減されていない。
 国策と「地元の民意」の間に大きな溝があるにもかかわらず、国が溝を埋める努力を怠り、国策を力ずくで押し通そうとしている。その時、地方はどのようにして国に民意を尊重させればいいのか。その答えの一つが住民投票なのだ。
 今回の県民投票を、地方から国策を問う大事な機会だと意義付けたい。「地方と国策」のテーマは基地問題にとどまらない普遍性を持っている。
 本土の住民も、日米同盟の抑止力を理由に沖縄に過重な基地負担を押し付けている「国策」の現状を、同じ地方の住民として捉え直すべきだ。沖縄だけの話と思わず、本土からも県民投票の論戦と結果を注視したい。

 

韓国国会議長「天皇の謝罪」発言と報道 ※追記あり 「追記2」更新

 経済・金融情報の通信社として知られるブルームバーグが2月8日、韓国の文喜相・国会議長にインタビューした「従軍慰安婦問題は天皇の謝罪の一言で解決される-韓国国会議長」との見出しの記事をサイトにアップしました。日本のマスメディアは9日午後以降に「ブルームバーグの報道」と引用して報道。東京発行の新聞各紙は10日付の朝刊で一斉に報じています。ブルームバーグの記事も日本の新聞各紙の記事も元従軍慰安婦への「天皇の謝罪」に焦点が当たっています。ニュースバリューがそこにあることに間違いはないのですが、一方で文議長は、国家間の問題としての位置付けとは別に被害者個人の問題があることを強調しています。被害者への謝罪は天皇でなければならないわけではなく、首相でもいい、とも言っています。わたしは発言全体から、個々の当事者を慰撫し、被害感情を癒すことが必要で、そのために日本は何をなすべきか、何ができるのかを文議長は問い掛けている、本意はそこにあると感じました。
 なお、文議長は2004~08年に韓日議員連盟の会長を務めたとのこと。毎日新聞は「日韓関係のパイプ役」と、読売新聞や日経新聞は「知日派」と紹介しています。
 備忘を兼ねて、以下に報道の記録と、思うところを書きとめておきます。

 まずブルームバーグの日本語版の記事の一部を引用します。
※「従軍慰安婦問題は天皇の謝罪の一言で解決される-韓国国会議長」

日本語版 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-02-08/PMLGIP6KLVR801?srnd=cojp-v2

英語版 https://www.bloomberg.com/news/articles/2019-02-08/south-korea-lawmaker-seeks-imperial-apology-for-japan-sex-slaves

 文在寅大統領に近い文議長(73)は7日のブルームバーグとのインタビューで、「一言でいいのだ。日本を代表する首相かあるいは、私としては間もなく退位される天皇が望ましいと思う。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度おばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと一言いえば、すっかり解消されるだろう」と語った。
 (中略)
 日本政府は慰安婦問題の最終的な解決のために2015年に韓国政府と交わした合意で、「当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から日本政府は責任を痛感している」と表明している。
 文議長は「それは法的な謝罪だ。国家間で謝罪したりされたりすることはあるが、問題は被害者がいるということだ」と語った。

 英語版は日本時間の8日17時45分のアップで、18時33分にアップデートの記録があります。日本語版では同日17時50分のアップ、18時38分にアップデートとなっています。そのまま引用して報じるだけなら、日本の新聞や放送も8日中ないしは9日付朝刊での報道が可能だったはずですが、実際には9日に韓国メディアが伝えた後を丸1日遅れて追う展開でした。
 以下に東京発行の新聞各紙の扱いと見出しのほか、自社サイトへのアップの時刻と見出しも分かる範囲で書きとめておきます。
▼朝日新聞
・10日付朝刊6面(国際面)見出し3段
「『慰安婦問題、天皇の謝罪で解決』/米報道 韓国・国会議長が発言」※クレジットは末尾「(ソウル=武田肇)」
・サイト:9日19時35分
「韓国議長『天皇の直接謝罪で慰安婦問題は解決できる』」

▼毎日新聞
・10日付朝刊7面(国際面)見出し1段
「『天皇の謝罪で歴史問題解決』/慰安婦巡り韓国議長」※クレジットは「【ソウル堀山明子】」
・サイト:10日2時51分
「韓国議長『天皇の謝罪で歴史問題解決』」

▼読売新聞
・10日付朝刊2面(総合面)見出し2段、顔写真
「慰安婦問題 韓国議長が見解/天皇陛下の謝罪『望ましい』」※クレジットは「【ソウル=水野祥】」
・サイト:10日午前
「天皇陛下の謝罪で『すっきり解決』…韓国議長」

▼日経新聞
・10日付朝刊5面(総合面)見出し3段
「『天皇陛下が謝罪すべき』/韓国国会議長 慰安婦問題で」※クレジットなし
・サイト:9日18時06分
「元慰安婦『天皇陛下が謝罪を』韓国の国会議長」

▼産経新聞
・10日付3面(総合面)見出し4段、顔写真
「『天皇が元慰安婦に謝罪すれば解決』/韓国国会議長」※クレジットは「【ソウル=名村隆寛】」
・サイト:9日14時35分
「『天皇が手を握り謝罪すべき』/慰安婦問題で韓国国会議長/米メディアのインタビューで」

▼東京新聞
・10日付朝刊2面(総合面)見出し1段
「『天皇陛下謝罪なら慰安婦問題は解決』/韓国議長が主張」※クレジットは「【ソウル=共同】」

 注目すべきだと思うのは朝日新聞の記事で、天皇のことを文議長が「戦争犯罪の主犯の息子」と表現したとブルームバーグが伝えていることについて、以下のように独自に裏付け取材を試みています。

 国会報道官は朝日新聞に「他の同席者にも確認したが、文氏は(天皇に関し)『戦争犯罪』という表現は使っておらず、『戦争当時の天皇の息子』と述べたと思う」と記事が引用した文氏の発言を一部否定。「天皇が訪韓の意思を明らかにしており、元慰安婦の手を握って謝罪すれば、心のしこりが解けるのではないかというのが文氏の趣旨だった」と説明した。

 「戦争当時の天皇の息子」は客観事実の表現ですが、「戦争犯罪の主犯の息子」となると、昭和天皇が戦争責任を問われて訴追された事実はないことから、比喩的な主観混じりの表現ということになりそうです。このニュースの評価の際には、こうした問題があることにも留意が必要だと感じます。
 また、日本の各紙の報道の間には顕著な違いがあります。朝日、読売、産経は基本的にはブルームバーグが伝えた文議長の発言の引用、紹介にとどめているのに対し、毎日、日経、共同通信は日韓関係への影響に踏み込んで触れていることです。それぞれ、以下のように書いています。
 ・毎日:「インタビューでは、15年の慰安婦問題の日韓合意についても国家間の謝罪の限界に言及しており、日韓の和解を模索する中での発言とみられるが、天皇の政治利用を促しているとも受け取れる内容で批判を招きそうだ」
 ・日経:「今回の発言が日韓関係の悪化を加速させる可能性がある」
 ・共同:「韓国の中央日報(電子版)は『(元徴用工訴訟問題などで)韓日関係が最悪の中、日本の国民感情を刺激する発言で、波紋を広げることが予想される』と指摘。日韓の対立を一層激化させる可能性がある」

 ちなみにNHKはサイト上では「韓国の国会議長『総理大臣か天皇陛下が謝罪を』」との見出しを立てています(アップは9日18時04分)。新聞各紙と比べて、文議長の発言に正確な見出しであり、本意も伝わりやすいのではないかと感じました。

 わたし個人の受け止めですが、首相や天皇が謝罪するのがいいのかどうかはさておき、個々の当事者を慰撫し、被害感情を癒すことが必要との問い掛けには、日本国民の一人としてきちんと向き合いたいと思います。仮に両国の政府間では解決済みとの立場だとしても、歴史を教訓として、歴史の前に謙虚であろうとするなら、かつての加害側は抑制的に振る舞うべきだと考えています。これは従軍慰安婦問題ばかりでなく、徴用工の問題でも同じです。

f:id:news-worker:20190210214240j:plain

「天皇」だけでなく「総理大臣」も見出しに取ったNHKのサイト記事=10日夜にスクリーンショット採録

 

 【追記】2019年2月11日7時55分
 2015年12月に日韓両政府間で従軍慰安婦問題に対して「合意」がなされた当時の報道を書きとめた、このブログの過去記事を読み返してみました。日本政府に元慰安婦への賠償を命じた「関釜裁判」の原告側代理人の山本晴太弁護士、アジア女性基金で専務理事を務めた和田春樹・東大名誉教授というこの問題に精通している識者2人が、ともに被害者の気持ちの問題に言及しています。被害者への直接謝罪、被害者の気持ちの問題は、ずっと以前から従軍慰安婦問題の根本にあります。徴用工の問題でもそうでしょう。そこを踏まえないと、現在の日韓関係に対しても「韓国は非常識な国」というとらえ方でしか説明できなくなってしまうように感じます。

news-worker.hatenablog.com

 

【追記2】2019年2月13日10時
 朝日新聞は2月13日付朝刊に、文喜相議長の発言の文言について「『その方(天皇陛下)は戦争犯罪の主犯の息子ではないか』と語っていた」との記事を掲載しました。ブルームバーグ通信が公式サイトでインタビュー音声の一部を公開したとのことです(東京本社14版、4面「韓国議長の音声 米メディア公開/天皇陛下巡る発言」)。
 比喩的にはともかくとして、東京裁判などの客観事実とは異なるわけで、文議長の発言は立場を考えれば問題があります。より大きな問題としては、外交上の問題の解決を図るために天皇を持ち出すのだとすれば、天皇の政治利用の疑義が生じるという点もあります。
 一方で、文議長の真意は被害当事者の気持ちの問題が残っており、それが従軍慰安婦問題の最終解決を妨げている、という点にあって、日本のだれかが直接、謝罪することが必要と指摘していると、わたしは受け止めています。議長は、だれが謝罪するのかについて「日本を代表する首相」とも言っています。この被害者の気持ちの問題があるとの主張を理解しないと、いつまでも、どこまでも「韓国は無礼で非常識な国だ」との受け止めしかなく、つまるところは日本社会で韓国ヘイトの言辞が勢いを増すだけになることを危惧します。

新聞労連の声明「首相官邸の質問制限に抗議する」 ※追記あり 「追記8」まで更新

 新聞労連が2月5日、声明「首相官邸の質問制限に抗議する」を発表しました。首相官邸が昨年12月28日、官邸報道室長名で内閣記者会に対し、東京新聞記者の菅義偉・官房長官の記者会見での質問を「事実誤認」「度重なる問題行為」として、「官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念」「このような問題意識の共有をお願い申し上げる」と申し入れたことに抗議する内容です。
 こうした文書が日本政府の中枢である首相官邸から記者会(記者クラブ)に示されること自体、重大な問題をはらんでおり、抗議声明はその点についても分かりやすく説明しています。この声明への支持と賛同の意を込めて、ここで全文を書きとめて紹介します。新聞労連のホームページやフェイスブックページでも読むことができます。

 ※新聞労連のサイト http://www.shinbunroren.or.jp/seimei/20190205.html

 ※新聞労連のフェイスブックページには、官邸報道室長名の文書の写真もアップされています。

https://www.facebook.com/%E6%96%B0%E8%81%9E%E5%8A%B4%E9%80%A3Japan-Federation-of-Newspaper-Workers-Unions-2286242578319544/

 5日22時の時点でマスメディア各社のサイトを見た限りですが、新聞労連の声明を朝日新聞、毎日新聞、共同通信が記事化しています。わたし自身はこの問題を、ヤフーニュースにアップされた情報誌「選択」の記事で知りました。国民の知る権利とマスメディアのジャーナリズム、権力監視に直接的に関わる問題として、広く知られていいと思います。です。政府の中枢である首相官邸が、記者たちに「問題意識の共有」を迫る、言い換えれば為政者側への忖度を求めているにも等しく、広く社会に知られていいことだろうと思います。

 なお、朝日新聞の記事によると内閣記者会側は首相官邸側に、「記者の質問を制限することはできない」と伝えたとのことです。

首相官邸の質問制限に抗議する
2019年2月5日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 南  彰

 首相官邸が昨年12月28日、東京新聞の特定記者の質問行為について、「事実誤認」「度重なる問題行為」と断定し、「官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念」、「このような問題意識の共有をお願い申し上げる」と官邸報道室長名で内閣記者会に申し入れたことが明らかになりました。

 記者会見において様々な角度から質問をぶつけ、為政者の見解を問いただすことは、記者としての責務であり、こうした営みを通じて、国民の「知る権利」は保障されています。政府との間に圧倒的な情報量の差があるなか、国民を代表する記者が事実関係を一つも間違えることなく質問することは不可能で、本来は官房長官が間違いを正し、理解を求めていくべきです。官邸の意に沿わない記者を排除するような今回の申し入れは、明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の「知る権利」を狭めるもので、決して容認することはできません。厳重に抗議します。

 官房長官の記者会見を巡っては、質問中に司会役の報道室長が「簡潔にお願いします」などと数秒おきに質疑を妨げている問題もあります。このことについて、報道機関側が再三、改善を求めているにもかかわらず、一向に改まりません。

 なにより、「正確な事実を踏まえた質問」を要求する官邸側の答弁の正確性や説明姿勢こそが問われています。2017年5月17日の記者会見で、「総理のご意向」などと書かれた文部科学省の文書が報じられた際に、菅義偉官房長官は「怪文書のようなものだ」と真っ向から否定。文書の存在を認めるまで1カ月かかりました。こうした官邸側の対応こそが、「内外の幅広い層に誤った事実認識を拡散させる」行為であり、日本政府の国際的信用を失墜させるものです。官邸が申し入れを行った18年12月26日の記者会見でも、菅官房長官は「そんなことありません」「いま答えた通りです」とまともに答えていません。

 日本の中枢である首相官邸の、事実をねじ曲げ、記者を選別する記者会見の対応が、悪しき前例として日本各地に広まることも危惧しています。首相官邸にはただちに不公正な記者会見のあり方を改めるよう、強く求めます。

《追記》 
 そもそも官邸が申し入れのなかで、東京新聞記者の質問を「事実誤認」と断じた根拠も揺らいでいます。
 記者が、沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設をめぐり、
 「埋め立て現場ではいま、赤土が広がっております」
 「埋め立てが適法に進んでいるか確認ができておりません」
と質問したことに対して、官邸側は申し入れ書のなかで、
 「沖縄防衛局は、埋立工事前に埋立材が仕様書どおりの材料であることを確認しており、また沖縄県に対し、要請に基づき確認文書を提出しており、明らかに事実に反する」
 「現場では埋立区域外の水域への汚濁防止措置を講じた上で工事を行っており、あたかも現場で赤土による汚濁が広がっているかのような表現は適切ではない」
――と主張しました。
 しかし、土砂に含まれる赤土など細粒分の含有率は、政府は昨年12月6日の参議院外交防衛委員会でも「おおむね10%程度と確認している」と説明していましたが、実際には「40%以下」に変更されていたことが判明。沖縄県が「環境に極めて重大な悪影響を及ぼすおそれを増大させる」として立ち入り検査を求めていますが、沖縄防衛局は応じていません。「赤土が広がっている」ことは現場の状況を見れば明白です。偽った情報を用いて、記者に「事実誤認」のレッテルを貼り、取材行為を制限しようとする行為は、ジャーナリズムと国民の「知る権利」に対する卑劣な攻撃です。

 新聞労連は今年1月の臨時大会で、「メディアの側は、政治権力の『一強』化に対応し、市民の「知る権利」を保障する方策を磨かなければなりません。(中略)いまこそ、ジャーナリストの横の連帯を強化し、為政者のメディア選別にさらされることがない『公の取材機会』である記者会見などの充実・強化に努め、公文書公開の充実に向けた取り組みを強化しましょう」とする春闘方針を決定しています。今回の東京新聞記者(中日新聞社員)が所属する中日新聞労働組合は新聞労連に加盟していませんが、国民の「知る権利」の向上に向けて、共に取り組みを進めていきたいと考えています。
(以上)

▼追記 2019年2月6日8時40分
 ブログ記事本文のうち「国民の知る権利とマスメディアのジャーナリズム、権力監視に直接的に関わる問題」に続く部分を修正し、加筆しました。
 
 声明が「追記」の中で、「今回の東京新聞記者(中日新聞社員)が所属する中日新聞労働組合は新聞労連に加盟していませんが、国民の『知る権利』の向上に向けて、共に取り組みを進めていきたいと考えています」としている点は、所属組織の違いを超えて、ジャーナリズムを仕事にする同じ職能の者が連帯する、重要な視点だと思います。

 新聞労連の現在の委員長の南彰さんは朝日新聞政治部記者。新聞労連は昨年11月には、米ホワイトハウスでのCNN記者排除に対しても声明「CNN記者の早期復帰を求める―CNNやホワイトハウス記者協会と連帯する― 」を発表しています。

news-worker.hatenablog.com

 

▼追記2 2019年2月6日21時40分

 新聞労連の抗議声明について、ネットニュースサイトの「ハフポスト日本版」が新聞労連委員長の南彰さんに取材しています。
 ※「官房長官の会見で東京新聞記者の質問制限→官邸の申し入れに新聞労連が抗議。真意を聞いた」 

www.huffingtonpost.jp

 記事の一部を引用します。 

━━なぜすぐに抗議しなかったのですか?

新聞労連として、この件を知ったのが2月1日だったからです。「選択」の記事で初めて知りました。

━━内閣記者会に加盟している社は問題視しなかった?

当初、記者クラブに対しては、もっと強いトーンでこの記者の排除を求める要求が水面下であったようです。記者クラブがこれを突っぱねたため、紙を張り出すかたちで申し入れを行ったと聞いています。クラブとしては、これを受け取ってはいない、ということです。

(中略)

━━官邸がメディアにこのような申し入れをすることの、何が問題だと考えていますか?

日本の中枢である官邸の会見がこうでは、地方でも「あれでいいんだ」という風潮が広まる恐れがあります。新聞労連内でも、地方で取材している記者のほうが問題を深刻だと受け止めています。

━━新聞だけの問題とは思えません。

今回は新聞記者がターゲットになったので、新聞労連が最初に動きました。今後は各メディアの労組や記者クラブとも連携し、一緒に声を上げていきたいと思っています。

━━ところで、ハフポストなどの記者クラブに加盟していないメディアが官房長官会見に出席できないのですが、どう思いますか?

理由は詳しく知らないのですが、ニコニコ動画は普段から出席していますね。記者会に加盟していないメディアでも、申請して認められれば、金曜午後の会見には出席することができるようです。どんどん出席して、いろいろな質問をぶつけてほしいです。 

 一方、内閣記者会に要請文書を提出した首相官邸の上村秀紀報道室長は、記者団に「特定の記者を排除する意図は全くない」と強調したとのことです。それでは何のためだったのでしょうか。
 ※47news=共同通信「記者排除意図ないと官邸報道室長 会見巡る要請文で」2019年2月6日
  https://this.kiji.is/465778294266643553?c=39546741839462401

 

▼追記3 2019年2月7日9時15分
 新聞労連の抗議声明について、東京発行の新聞各紙の報道の扱いをまとめておきます。
 ・朝日新聞 2月6日付朝刊 第3社会面 見出し1段
 ・毎日新聞 2月6日付朝刊 第3社会面 短信 ※横書き、通常の記事より小さいフォント
 ・産経新聞 2月6日付 5面(総合面) 短信 ※横書き
 ・東京新聞 2月6日付朝刊 第2社会面 見出し2段

 このほか朝日新聞は7日付朝刊の第3社会面「メディアタイムス」で、首相官邸からの申し入れについて、メディア研究者の見解も含めて詳しくリポートしています。読売新聞は7日付朝刊の第3社会面に、国民民主党が官邸報道室長から事情を聞いたことを短信(横書き)で報じていますが、新聞労連の抗議声明には触れていません。

 記者の質問を制限し、事実上、会見から排除することを求めるような申し入れがあったこと自体、首相官邸側に国民の知る権利や表現の自由、報道の自由を尊重する意思や真摯な姿勢が欠如していることを示しているように思います。昨年9月の自民党総裁選では、自民党が新聞・通信各社に「公平・公正な報道」を求める文書を配っていました。2014年の衆院選では、自民党は放送局各局に、詳細に項目を挙げて公正な報道を求める文書を出したこともありました。今回は自民党ではなく首相官邸の申し入れですが、底流はつながっているように思います。マスメディアは新聞労連の抗議声明を待たずとも、申し入れがあったことを報じても良かったのではないかと感じます。
 また、記者会見での質問を制限しない、ということでは、「記者会見の開放」の問題をあらためて考え、いっそうの改善を図る契機にもなるだろうと思います。

 

▼追記4 2019年2月8日9時40分

 朝日新聞が2月8日付の社説で取り上げました。
 ※朝日新聞社説「官房長官会見 『質問制限』容認できぬ」=2019年2月8日
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13884468.html?ref=editorial_backnumber

 しかし、記者会見はそもそも、当局に事実関係を確認する場であり、質問に誤りがあったとしても、その場で正せばすむ話だ。特定の記者を標的に、質問の制限を求めるような今回のやり方は不当であり、容認できない。政権の意に沿わない記者の排除、選別にもつながりかねない。
 (中略)
 文書が内閣記者会に「問題意識の共有」を求めたのも、筋違いだ。報道機関の役割は、権力が適正に行使されているかをチェックすることであり、記者会側が「質問を制限することはできない」と応じたのは当然だ。
 官房長官は、平日は原則、午前と午後の2回、記者会見に応じている。政府のスポークスマンとして、国民への説明責任を重んじればこそではないのか。記者の自由な質問を阻害することは、国民の「知る権利」の侵害でもあると知るべきだ。
 (中略)
 森友・加計学園の問題や統計不正など、不祥事が起きても、真相解明に後ろ向きな対応を繰り返しているのが安倍政権だ。今回の件も、国民の疑問に正面から向き合わない姿勢の表れにほかならない。

 もう一つ、新聞労連委員長の南彰さんの個人アカウントによるツイッターの連続投稿を紹介します。記者会見の問題であるとともに、マスメディアの問題でもあるとの意味合いの指摘だと受け止めました。

 

 

 

 

 

 

▼追記5 2019年2月9日7時25分
 首相官邸報道室長の申し入れについて、菅義偉官房長官が8日の記者会見で「『質問妨害はやっていない。正確な事実に基づく質問を心掛けて頂けるように協力を依頼した』と語った」とのことです。朝日新聞が報じています。
 ※朝日新聞デジタル「『質問制限』文書問題、菅長官『質問妨害していない』」=2019年2月8日
  https://www.asahi.com/articles/ASM285TLGM28UTFK01Y.html

 一般論として「正確な事実に基づく質問」を要請しているようにも聞こえますが、申し入れの中で問題にしているのは特定の東京新聞記者です。申し入れは一般論のようには受け取れません。「協力」と言っているところがミソで、「正確な事実に基づく質問」だけが行われるように記者クラブは協力を→あの記者を記者クラブが黙らせろ、ということだと感じます。以前の朝日新聞の記事によると、記者クラブは「記者の質問を制限することはできない」と伝えたとのことなので、官邸側の意図を正確に理解していたのでしょう。
 森友学園や加計学園の問題でも明らかになった通り、安倍晋三政権は基盤に「忖度」があると言っても過言ではないように思います。記者クラブも忖度するだろうと考えたのでしょうか。

 

▼追記6 2019年2月10日17時15分
 専修大教授の山田健太さん(言論法)が琉球新報の連載「メディア時評」で取り上げています。政権による報道界への威圧に対しては、報道機関が一致して対抗する必要があるし、それが報道機関としての最低の矜持だ、との指摘は、とりわけ重要だと思います。一部を引用して紹介します。
 ※琉球新報「<メディア時評・官邸による質問制限>異論封じ込め狙う 事実ねじ曲げ報道威圧」=2019年2月9日
  https://ryukyushimpo.jp/news/entry-873376.html

 そのうえで、政府から記者クラブへの申し入れは、二つの点で大きな問題がある。一つは、特定の記者の質問を封じ込めるかの強圧的対応は、事実上の取材妨害であって、これは国民の知る権利を阻害する行為である。都合の悪い情報を隠したり、否定したりするのは為政者の習性ではあるが、昨今の公文書や統計情報の破棄・改竄(かいざん)・隠蔽にも通じる、事実を捻(ね)じ曲げ自己の正当性を押し付ける政府による情報コントロールの手法は許されない。
 (中略)
 そしてもう一つは、当該記者あるいは社ではなく、記者の集合体である記者クラブ(内閣記者会)に対し申し入れをすることで、報道界全体を威圧するとともに、間接的には政権への忠誠を尽くすよう求めた点だ。これは先に挙げた、自衛隊配備をめぐる琉球新報の報道に対し、日本新聞協会に対し申し入れをしたのと同じ構図である。こうした場合、報道界側は一致して跳ね返す必要があるが、今回は公表されることなく、1カ月以上が経過していた。冒頭の新聞労連声明などがなかったら、そのまま埋もれ既成事実化することになっていたということだ。
 (中略)
 実際、申し入れを受けた記者クラブ内に、望月記者の取材手法を疎ましく思う人(勢力)があるのかもしれない。官房長官に対する厳しい質問を、殊更に取材先との対立を産むものとして好かない記者もいるのだろう。
 トランプ政権下のホワイトハウス記者会見におけるCNNジム・アコスタ記者や、東日本大震災後の福島第1原発事故に際しての日隅一雄弁護士のやり取りを、記者会見をパフォーマンスの場にしているとか、喧嘩(けんか)ごしのやり取りは記者会見にふさわしくないとの意見があったのと似た印象を受ける。
 しかし重要なのは、それとこれとは別という点である。先のCNN記者の場合も、排除の動きに対しては、通例、トランプ政権に親和的なFOXも含め、一致して報道機関が対抗措置をとった。それが最低限の報道機関としての矜持(きょうじ)というものだし、知る権利の代行者として記者会見の場に出ているものとしての社会的責務だからだ。こうしたことから、プレス(報道機関)への信頼性は高まることもあるし、簡単に失われもすることを改めて認識して欲しい。

 

▼追記7 2019年2月11日23時
 このブログ記事の追記更新は、ツイッターにもお知らせを投稿しています。前回の追記のツイートに対して、フリーランスのジャーナリストの方々から、記者クラブや「記者会見の開放」を巡る論点の指摘をいただきました。重要な問題ですので紹介します。

※軍事ジャーナリスト、作家の清谷信一さん

 ※ジャーナリスト、寺澤有さん

 ※ジャーナリスト、三宅勝久さん

  今回の東京新聞の特定の記者を巡る首相官邸報道室長の申し入れは「内閣記者会」という記者クラブ宛てでした。記者会見の質問制限の問題は、記者クラブの問題でもあります。
 記者クラブがフリーランスのジャーナリストらになかなか門戸を開かず、そのことによって既存の新聞、放送メディアが情報を独占している、との批判があること、その批判に記者クラブに加盟する新聞、放送メディアの側がどう応えていくのかということは、古くて新しい問題だとわたしは考えています。
 日本新聞協会は「記者クラブ見解」の中で、記者会見の開放について、記者クラブ主催の会見でも「記者会見参加者をクラブの構成員に一律に限定するのは適当ではありません。より開かれた会見を、それぞれの記者クラブの実情に合わせて追求していくべきです」と明記しています。あとは個々の記者クラブの運営の問題です。 

 2009年の政権交代で、当時の民主党が記者会見の開放に熱心だったため、随分と変化が起き、一時期は記者会見の開放を巡る個々の記者クラブの動きが記事として新聞に載るようになりました。その中で明確になったのは、「記者会見出席を認めるか否かを判断するのはだれか」の問題でした。これは「記者会見の主催者はだれか」の問題と表裏一体であり、ひいてはジャーナリズムの担い手はだれか、の問題につながります。
 しかし、その後の安倍・自民党の政権奪還で、安倍政権・自民党に対するマスメディアの姿勢の二極化が進みました。今回の質問制限の件も、この流れでとらえれば、政権によるメディア・記者選別の問題ととらえることも、あながち間違ってはいないように思います。政権によるメディア・記者選別を許さないのであれば、同じように記者会見の参加者にも恣意的な選別があってはならないでしょう。より開かれた会見を追求していくべきです。
 このブログ記事の「追記3」でひと言だけ触れたことですが、記者会見での質問を制限しない、ということから進んで、記者会見に出席するのはだれか、を今一度考え、いっそうの変革に取り組む契機ともすべきだろうと思います。

 2009~10年当時、わたしは「記者会見の開放」について、このブログに何本か記事を書きました。当時と今とでは立場は変わり記者クラブの現場からも随分と遠いところに来ていますので、あるいは今では的外れになっていることもあるかもしれません。ただ、基本的に考えは変わっていません。カテゴリーの「記者クラブ」から過去記事を読むことができます。
 当時、朝日新聞社の月刊誌「ジャーナリズム」に2回、小論を寄稿しました。そのことに触れた過去記事を2件、以下に紹介します。寄稿は現在もネット上で読めるようです。記事中にリンクがあります。

news-worker.hatenablog.com

news-worker.hatenablog.com

 

▼追記8 2019年2月17日0時30分
 この記者の質問制限について、ひとまず追記は終わりにして新たな記事をアップしました。今後の備忘などの追記は、新たな記事に追加していきます。

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統計不正が安倍内閣の支持率に影響しないのはなぜ?

 先週末実施の世論調査の結果が報じられています。安倍晋三内閣の支持率は次の通りです。「支持」が微増、「不支持」が微減との傾向は一致しています。
 ※カッコ内は前回1月調査との比較。ただし毎日の前回調査は昨年12月。Pはポイント
・毎日新聞 2月2、3日
  「支持」38%(1P増) 「不支持」39%(1P減) 「関心がない」22%(1P増)
・共同通信 2月2、3日
  「支持」45・6%(2・2P増) 「不支持」41・1%(1・2P減)
・JNN 2月2、3日
  「支持」52・8%(2・0P増) 「不支持」44・3%(1・2減)

 ここのところ、統計不正で厚生労働省の長年にわたる不正と、その不正をめぐる調査のずさんさが次々に明らかになっており、さらには総務省の統計でも調査方法の不正が明らかになる事態になっています。統計という国の政策の根幹にかかわるデータの信用性が揺らぎ、さらにはアベノミクスの虚構性まで取り沙汰されているというのに、内閣支持率がわずかとはいえ上がる(あるいは下がらない)のはなぜでしょうか。
 統計不正問題に対しては、共同通信調査では政府の対応について「不十分だ」との回答は83・1%に上り、毎日新聞調査でも統計への信頼が「揺らいだ」とする回答は75%に達しています。一方で、根本厚生労働大臣が辞任すべきかどうかの質問には、共同通信調査では「辞任すべきだ」46・3%は「辞任する必要はない」42・2%を4・1ポイント上回っただけです。JNN調査になると、結果は逆転して「辞任すべき」35%に対して「辞任する必要は無い」46%と11ポイントも上回っています。統計不正問題について世論は「これでいい」と思っているわけではないものの、内閣の責任を厳しく問うべきだとは必ずしも考えていない、ということでしょうか。
 統計不正問題が内閣支持には影響しない要因として、共同通信の新聞向け配信記事は「自民党内では、発覚後の対応が後手に回っているとはいえ、事実究明と再発防止を優先させる政権の方針に一定の理解があるとの読みがある」と指摘し、与党幹部の「今回の問題は消えた年金とは違う。金額も対象となる人も限定的だ」との言葉を紹介しています。

 統計不正問題に対してわたしは「いくら追加支給があるのか」といった問題にとどまらないと思うのですが。

※参考過去記事

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 統計不正そのものへの評価は厳しくても、内閣支持率には影響がない状況は前月から続いています。

レーダー照射問題の「そもそも」の疑問~“いきなり防衛相”の強硬姿勢、深層の検証は報道の課題

 1月に実施された世論調査結果についての記事の続きになります。各社とも日韓関係について質問しています。元徴用工が日本企業に賠償を求めた訴訟で、韓国の最高裁に当たる大法院が新日鉄住金に賠償を命じた問題や、海上自衛隊のP1哨戒機が韓国海軍の駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けたとして、防衛省が抗議した問題などで、日韓両政府の関係が冷え切っていることが、調査結果にも反映されているようです。質問は各調査それぞれに異なっていますが、回答状況は総じて、日本政府は韓国政府に対し強い態度で臨むべきだとの考えが多数であることを示しているようです。
 ※各調査の質問と回答は、この記事の最後に書きとめておきます。

 海自哨戒機へのレーダー照射問題を簡単に振り返ります。昨年12月20日午後、能登半島沖の日本海で発生。翌21日に岩屋毅防衛相が記者会見して公表しました。火器管制レーダーの照射について「不測の事態を招きかねない極めて危険な行為」だと韓国側を批判したと報じられています。しかし韓国側は、その後の実務レベルの協議でも事実関係を認めず、逆に遭難した漁船の救助活動中に海自機が威嚇飛行を行ったと主張して謝罪を求めました。
 実務レベルの協議は水掛け論の様相のまま、1月21日に防衛省は「協議を韓国側と続けていくことはもはや困難」との声明を出し、「最終見解」を公表。日本側が一方的に協議を打ち切った形になりました。この間の12月28日には、海自機が撮影した韓国駆逐艦の映像と乗員の会話の音声記録を公開。1月21日には、火器管制用レーダーの探知音や海自機の飛行ルートなども公開しました。なお、韓国側も対抗して動画を公表し、防衛省の最終報告の後にも1月23日に、海自機が同日を含め3回、韓国海軍艦艇に威嚇飛行を繰り返したと主張し、日本を批判しています。

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防衛省の動画公表を伝える東京発行の新聞各紙(昨年12月29日付朝刊)。毎日、読売、産経、東京の各紙が1面に動画の一部の映像をカラーで掲載したのに対し、朝日新聞は総合面、写真もモノクロと、扱いの抑制ぶりが目を引きました。

▽冷静沈着な機内

 レーダー照射問題を巡ってわたしには、12月28日に防衛省が公開した映像を見てから、ずっと知りたかったことがありました。それは、発生翌日という速さで防衛相が発表することを決めたのは、誰の、どんな判断に基づいていたのか、ということです。首相に次ぐ自衛隊の最高位クラスの指揮官である閣僚が緊急会見を開くという、そんな仰々しい形を取るほどのことだったのか。韓国側から実際に攻撃を受けたわけではありません。韓国側に領海侵犯があったわけでもなく、日本側の哨戒飛行が日常的な業務であり、やましい点は何もないのだとすれば、軍事組織同士の互いの実務遂行の中でのトラブルとして、つまりは自衛隊と韓国軍の実務者同士の間の問題として、大臣による公表の前にまず実務レベルで協議を尽くす、という発想は防衛省の中になかったのかな、と疑問に思いました。
 というのも、公開映像を見る限りのわたしの受け止めですが、海自機の乗員たちは一貫して冷静沈着ではあっても、その会話や行動からは、「撃たれる」というような危機感や切迫感、あるいは焦燥感はまるで感じられなかったからです。乗員たちはレーダー照射音を感知しても慌てたり焦ったりする風はなく、冷静にいったん駆逐艦から距離を取りながらも、再び駆逐艦の方向に飛び、そして冷静に無線で駆逐艦にコンタクトを試みています。今にもミサイルを撃たれるかもしれない、という場合の行動なのか。強く疑問に思いました。
 そういう疑問とともに、岩屋防衛相の最初の発表の報道をあらためて見てみれば、レーダー照射の危険性について「不測の事態を招きかねない」と語っている点に注意が必要だと感じます。「招きかねない」との言い回しは、一般論として不測の事態を招く恐れは否定できない、ということであって、必ず不測の事態が到来する、ということではないでしょう。火器管制レーダーの照射は攻撃のためには必須の手順ですが、ではレーダー照射を受ければ必ず攻撃されるのか―。そうではないはずです。撃たれるという差し迫った危険は現場にはなかったのではないか。そのことは「招きかねない」との防衛相の発言からもうかがえます。しかし、この問題に対する意見の中には、全国紙に載った論評にすらも「交戦寸前だった」と断定しているものも見かけます。飛躍があるように思います。

▽「首相官邸の強い意向」(時事通信)

 12月21日に防衛相が記者会見で公表することを決めたのは、誰の、どんな判断に基づいていたのか―。この疑問に対して、明快に答えを示している報道がありました。

※時事通信「電子戦の『機密』、異例の公開 =首相官邸、探知音で幕引き-韓国軍レーダー照射」=2019年1月21日(署名は「時事通信社編集委員 時事総研 不動尚史」)
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2019012101132
 記事の書き出しは以下の通りです。

 韓国駆逐艦から海上自衛隊P1哨戒機が火器管制(FC)レーダー照射を受けた問題で、防衛省は21日、P1の電子戦の能力が知られかねない探知音の異例の公表に踏み切った。P1の電波受信能力の保全だけでなく、同じFCレーダーを台湾、タイ、カナダなどが使用しており、同省はオペレーションに影響が出ないよう「生の音」を一部加工して、ホームページ(HP)上に公開した。政府関係者によると、照射問題の一連の対応は「音の公開」を含め首相官邸が主導したという。

 続いて記事は、日本側が映像や音源の公開という異例の対応に踏み切った内情や背景事情を描いていきます。その中に、以下のような記述がありました。

 昨年12月20日に照射問題が発生した当時、自衛隊内では「韓国海軍が謝罪するよう、制服組同士で協議する時間をもう少し作るべきでは」との声もあった。しかし、首相官邸の強い意向を踏まえ照射翌日に公表され、海自関係者は「この時点で自衛隊の手を離れ、完全に政治問題になった」と話す。2013年の中国艦船による護衛艦への火器管制レーダーの照射では、発生から6日後に公表されただけに、今回は対応の違いが際立つ。

 この時事通信の記事に先立っては、防衛省の異例の映像公開が安倍晋三首相の指示だったとの複数の報道がありました。初動段階の時事通信の記事の指摘も「さもありなん」と感じる内容であり、その通りだとすれば、自衛隊の中には実務をつかさどる立場からの冷静な判断があったのであり、実務レベルの協議が十分に時間を取って先行していれば、韓国側の反応も違った展開になっていたかもしれないと感じます。日本国内向けの発表は、その後ではだめだったのか。なぜ、軍事上の実務レベルの問題を首相官邸が主導して、政治問題としたのか。しかも相手は、日本と同じく米国と同盟関係にあり、日本から見て軍事的には中国よりも近い関係にあるはずの韓国です。外交上は韓国との間には先行して徴用工の問題があり、安倍晋三政権が文在寅政権を激しい言葉で批判していたことなどを考え合わせれば、レーダー照射問題を政治問題化させた安倍政権の思惑については、例えば日本国内に韓国への強硬姿勢をアピールして支持を高めたかったのではないか、など、わたしなりに思うところは少なからずあります。
 そうした推測の当否はさておくとして、安倍晋三政権と文在寅政権の間に信頼関係がないのは事実だとしても、マスメディアはまず事実を冷静に伝えることを第一にするべきだと思います。これまでの報道を見ていて、なぜ発生翌日に防衛相がいきなり発表するという強硬姿勢に出たのか、日本側の内実に迫った報道は、1月21日の時事通信の記事まで見当たりませんでしたし、今も決して広くは知られてはいないように思います。そうした「事の始まり」が知られないままに、双方の主張が対立していることばかりが大きく報じられていた印象があります。仮に、レーダー問題が首相官邸の強い意向で当初から政治問題化されたとの時事通信の報道がその通りだとすれば、そのことがもっと早く、もっと広範に、もっと多くのメディアによって報じられていれば、日韓両政府間の関係に対しても、世論の受け止めは違っていた可能性があるのではないかと思います。この「事の始まり」の深層を明らかにすることは、マスメディアの検証報道の課題だろうと、わたしは考えています。

 以下に、日韓関係についての1月の世論調査の結果を、質問も含めて書きとめておきます。

【日韓関係】
■読売新聞 1月25~27日
 日本と韓国は、第2次世界大戦中の元徴用工の問題や、海上自衛隊の哨戒機へのレーダー照射問題などを巡り、両国政府の対立が続いています。今後の日韓関係について、次の2つの意見のうち、あなたの考えに近い方を選んでください。
 関係の改善が進むよう、日本が韓国に歩み寄ることも考えるべきだ 22%
 受け入れがたい主張を韓国がしている限り、関係が改善しなくてもやむを得ない 71%

■日経新聞 1月25~27日
 海上自衛隊の航空機が韓国の軍艦から射撃用のレーダーを照射された問題を巡り、日本政府は韓国に抗議しています。日本政府は今後、どう対応すべきだと思いますか。
 もっと強い対応をとるべきだ 62%
 もっと韓国側の主張を聞くべきだ 7%
 静観すべきだ 24%

■朝日新聞 1月19、20日
 日韓関係についてうかがいます。あなたは、元徴用工の問題や、自衛隊機へのレーダー照射をめぐる問題など最近の日本と韓国の関係を見て、安倍政権の韓国に対する姿勢を評価しますか。評価しませんか。
 評価する 38%
 評価しない 48%

■産経新聞・FNN 1月19、20日
・いわゆる徴用工をめぐる韓国最高裁判決を受けて日本企業の資産が差し押さえられ、日本政府は「賠償問題は1965年の日韓請求権協定で解決済み」との立場で抗議していることについて
《日本政府の立場を支持するか》
支持する 84.5% 支持しない 9.4%
《日本政府は相応の対抗措置を取るべきだと思うか》
思う 76.8% 思わない 14.4%

・韓国軍艦艇が海上自衛隊機に射撃をするための火器管制レーダーを照射したとして、防衛省が映像を公開した。韓国側も反論の動画を公開し、哨戒機が危険な低空飛行をしたとして日本の謝罪を求めていることについて
《映像を公開した日本政府の対応を支持するか》
支持する 85.0% 支持しない 8.8%
《韓国側の主張に納得できるか》
納得できる 3.7% 納得できない 90.8%

■NHK 1月12~14日
・太平洋戦争中の「徴用」をめぐる裁判で、韓国の裁判所が日本企業の資産の差し押さえを認める決定をしたことに対する日本政府の対応について
 「あくまで2国間で話し合う」20%
 「国際社会の場で解決する」53%
 「対抗措置を講じる」17%

・海上自衛隊の哨戒機が韓国軍の駆逐艦から射撃管制用のレーダーを照射された問題への対応について
 「日韓双方の当事者で話し合う」28%
 「国際機関に訴える」56%
 「静観する」6%

■共同通信 1月12、13日
 韓国の最高裁判所は、植民地時代に朝鮮半島から日本に動員された韓国人の元徴用工に対し、賠償金を支払うよう日本企業に命じる判決を出しました。日本政府は、賠償問題は解決済みで判決は国際法に違反すると抗議しています。あなたは日本政府の対応を支持しますか、支持しませんか。
 支持する 80・9%
 支持しない 11・3%

 防衛省のサイトには、レーダー照射問題のページがあります。12月20日当日の映像や、レーダー探知音として公表した音源もアップされています。
http://www.mod.go.jp/j/approach/defense/radar/index.html 

 


韓国海軍艦艇による火器管制レーダー照射事案について

新旧経営者の社告2本を掲載~労組が紙面を守ってきた「宮古新報」

 社長の一方的な廃業、解雇の通告に対抗して、労組が新聞の自主発行を続ける沖縄県・宮古島の地域紙「宮古新報」を巡る状況の続報です。
 このブログの以前の記事でも触れたように、新聞発行事業の譲渡は決まっていました。宮古新報の紙面では、ようやく2月1日付で社告が掲載されました。経営側が紙面で初めて読者に現在の事態を説明したことになりますが、分かりにくいことに社告は2本が並んで掲載されています。一つは「宮古新報株式会社 代表取締役 座喜味弘二」名で、もう一つは「宮古新報社」名です。
 前者は「私は」の一人称表記で、座喜味・代表取締役個人から読者や広告主に宛てた体裁になっています。新聞界に入って60年、経営者として50年余り、宮古島の新聞界の発展のために尽力してきたが、諸般の事情で新聞業務を譲渡したとして、謝辞を述べています。宮古新報労組から退陣を要求されていたこと、廃業と全員解雇を社員に通知したものの、廃業の社告掲載は労組が拒否したこと、その後の新聞発行は、労組が新聞労連や沖縄県マスコミ労協、宮古毎日新聞労組などの支援を受けながら自主的に続けていることなどには一切触れていません。
 「宮古新報社」名の社告は「弊社は2月1日から新しい経営陣の下でスタート致します」として、当面は紙面4ページ、購読料は月額1000円とすることを明らかにしています。宮古新報社のサイトによると、これまでは配達の場合、購読料は月額1998円だったようですので、ページが減っている分、購読料も下げるということのようです。社告は「早急に8ページ以上の紙面に戻すよう新役員と社員が一丸となって努力しているところ」と述べています。
 これまでの沖縄の地元紙の報道などによると、2月1日から新経営者のもとで「宮古新報社」の社名を引き継いだ新会社が新聞発行を継承するとのことでした。社告が2本並んだことは、そうした事情を反映しているようです。
 当面は4ページの発行ということでも分かるように、雇用面も含めて発行体制が安定するまでにはまだ時間がかかるようですし、宮古新報労組への新聞労連を始めとした支援も続くようです。

【カンパと激励メッセージ】
 宮古新報労組へのカンパや、激励、連帯のメッセージの届け先をあらためて紹介します。世話役の方によれば、組合とは関係なく、管理職もOBも、マスコミ以外で働く人も含めてだれでも参加できる幅広いカンパと激励メッセージの受け皿としているそうです。
 ■カンパ振込先
 ゆうちょ銀行 店名:〇一八(ゼロイチハチ) 店番:018 (普)8761741 恵友会(ケイユウカイ)
 ■メッセージ送信先
 keijinsanwaido@gmail.com

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【追記】2019年2月2日22時15分
 琉球新報の2日付の記事です。
 ※「宮古新報が新体制 購読料下げ、当面4ページ」
 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-870136.html

 同社労組によると、社員の新たな雇用契約は今月中旬ごろにも結ばれる予定。新たな経営者はまだ発表されていないが、近日中に会見を開いて新体制について正式に発表する。

座喜味社長名での社告も掲載されており、事業譲渡について「新聞業界に入って60年、経営者として50年余、宮古島の新聞業の発展のために尽力してきたが、諸般の事情により新聞業務を譲渡した」などと説明。購読者や広告掲載の依頼者などへの謝辞が述べられ、「社会の公器としての役割を果たすことができた」としている。

 

ryukyushimpo.jp

統計不正「納得できない」「信用できない」が圧倒、安倍内閣支持率は上昇傾向~1月の世論調査結果から

 1月に実施されたマスメディア各社の世論調査の結果のうち、目に止まった主なものを書きとめておきます。
 まず、安倍晋三内閣の支持率は以下の通りです。「支持」の水準は調査によって最大10ポイントの差がありますが、前回の昨年12月調査と比べて支持が増え、不支持が減っていること、支持が不支持を上回っていることなど、傾向はおおむね共通しています。

【内閣支持率】※カッコ内は前月比、Pはポイント
・読売新聞 1月25~27日実施
 「支持」49%(2P増) 「不支持」38%(5P減)
・日経新聞 1月25~27日実施
 「支持」53%(6P増) 「不支持」37%(7P減)
・朝日新聞 1月19、20日実施
 「支持」43%(3P増) 「不支持」38%(3P減)
・産経新聞・FNN 1月19、20日実施
 「支持」47・9%(4・2P増) 「不支持」39・2%(4・2P減)
・NHK 1月12~14日実施
 「支持」43%(2P増) 「不支持」35%(3P減)
・共同通信 1月12、13日実施
 「支持」43・4%(1・0P増) 「不支持」42・3%(0・8P減)

 現在進行で事態が動いているニュースとしては、厚生労働省が企業の賃金や労働時間を把握する「毎月勤労統計」で不正な調査をしていた問題が取り上げられました。組織的な隠蔽を否定する厚労省の説明に対して、1月12、13日実施の共同通信調査では「納得できない」が69%と「納得できる」の18%を圧倒。1月25~27日の読売新聞調査ではそれぞれ「納得できる」85%に対し「納得できない」6%となっています。異なる調査なので、2週間で「納得できない」がさらに増加した、とはただちには言えませんが、一貫して「納得できない」との受け止めが圧倒的に多いことは間違いないと思います。
 政府の統計を信用できるかどうかについても、「信用できない」との回答は共同通信の調査では78%、1週間後の産経新聞・FNN調査も78%、その1週間後の日経新聞調査で79%と、一貫して8割に近い高い割合です。
 信用できるかどうかをストレートに聞くのではなく、少しひねったのは朝日新聞調査で、政府の統計への信頼度が変わったかどうかを聞いています。結果は信頼度が「下がった」48%の一方で「変わらない」44%。ほかの調査結果と合わせて考えると、もともと政府統計を信頼していない層が相当程度あることがうかがえるようで、興味深く感じました。

 これらの調査結果に対するSNS上の反応には、統計不正では政府の対応に納得できない、政府の統計を信用できない、との回答が圧倒的に多いのに、内閣支持率が調査によっては6ポイント(前回比)も上がったのはなぜか、との疑問の声が少なからず目に付きました。統計データは政府の政策立案の前提になる資料であり、そこに不正があったとすれば国家は根底から揺らぐことになります。ことの重大さに鑑みれば、最終的な責任は政府の責任者、すなわち首相が負うべきだとの考え方はもっともであり、責任論としても分かりやすいのですが、内閣支持率には反映されていないようです。
 仮定であり推測ですが、統計不正には怒りを感じているし、政府の統計には信頼を置いていない人は多いけれども、安倍政権を支持するかどうかは別の問題であり、ほかの様々な要因を総合して態度を決めている、ということなのかもしれません。
 各調査とも、内閣を支持するかどうかを最初に尋ねています。試しに個別のトピックスに関する質問を先にして、最後に内閣を支持するか否かを尋ねれば、支持率の数字は変わるはずだ、との指摘もSNSで目にしました。このやり方で、支持率がどう変わるか、わたしも興味がありますが、ただ毎回、調査のたびに内閣支持率を調べる前提条件が異なることになってしまい、継続調査の意義が薄れてしまいます。現実的ではないのでしょう。
 以下に、統計不正についての各調査の質問と回答状況を書きとめておきます。

【統計不正】
■読売新聞 1月25~27日
・厚生労働省は、「毎月勤労統計」の調査手法が不適切だった問題について、職員が不適切だと知りながら対応しなかったとする一方、組織的な隠ぺいはなかったと説明しています。この説明に、納得できますか。
 納得できる 6%
 納得できない 85%
・勤労統計など、国の統計を不適切に処理していた問題は、国の省庁の信頼性に影響すると思いますか。
 影響する 80%
 影響しない 12%

■日経新聞 1月25~27日
・厚生労働省の「毎月勤労統計」で不適切な調査を続けてきたことが明らかになりました。あなたは政府の発表する統計を信用できますか、できませんか。
 信用できない 79%
 信用できる 14%

■朝日新聞 1月19、20日
・勤労統計の問題についてうかがいます。厚生労働省の毎月の勤労統計の調査方法に不正があり、のべ2千万人以上の雇用保険などが少なく支給されていました。あなたは、勤労統計が不正に調査されていたことは、大きな問題だと思いますか。それほどでもないと思いますか。
 大きな問題だ 82%
 それほどでもない 13%
・勤労統計が不正に調査されていた問題や、その後の政府の対応を受けて、政府が出す統計データへの信頼度はどうなりましたか。上がりましたか。下がりましたか。それとも、変わりませんか。
 上がった 3%
 下がった 48%
 変わらない 44%

■産経新聞・FNN 1月19、20日
・厚生労働省が「毎月勤労統計」について15年前から一部で不適切な手法で調査を行っていたことに関して
《政府の統計を信頼できるか》
信頼できる 12.1%
信頼できない 78.2%
《この15年間の歴代厚労相に対して報酬の一部返上など何らかのペナルティーが必要だと思うか》
思う 59.6%
思わない 30.4%

■共同通信 1月12、13日
・厚生労働省の「毎月勤労統計」で調査方法が不適切だったことが分かりました。この影響で、雇用保険などの給付額が本来もらえる額より少なかった人は延べ約1970万人で、不足の総額は約530億円に上ります。根本匠厚生労働相は全対象者に不足分を追加支給すると表明する一方で、組織的な隠蔽は否定しました。あなたは、根本厚労相の対応や説明に納得できますか、納得できませんか。            
 納得できる 18・0%
 納得できない 69・1%
・毎月勤労統計は政府や民間の経済見通しなどに幅広く活用されている重要な政府統計です。あなたは、毎月勤労統計の不適切調査が発覚したことを受けて、政府統計についてどう思いますか。
 信用できる 10・5%
 信用できない 78・8%

 

元山仁士郎さんのハンストが事態を動かした~沖縄県民投票、全県実施へ

 沖縄県の米軍普天間飛行場を県内の名護市辺野古に移設することへの是非を問う沖縄県民投票が、県内全自治体で実施される見通しになりました。宜野湾、沖縄など5市長が不参加を表明していましたが、県議会と玉城デニー知事が動き、2択から3択に変更することで各党が合意して決着。5市長も受け入れざるを得ないようです。
 5市が不参加では、県民の約3割が投票権を奪われることになるところでした。辺野古移設推進の立場からは「そのような県民投票に意味があるのか」との言説も出ていた一方で、県条例で定めた投票事務を市長が拒否できる法律上の根拠はなく、不参加は憲法違反との指摘もありました。5市長は安倍晋三政権寄りとの指摘があり、また5人の中で辺野古移設反対を表明している首長はいません。
 事態を動かす原動力になったのは、27歳の青年、「辺野古」県民投票の会代表の元山仁士郎さんが105時間にわたって行ったハンガーストライキだったことに間違いないでしょう。県民投票の完全実施を求める訴えでした。辺野古移設に反対でも賛成でも、皆が意思表示として投票できるようにと。自分に意見はあっても、他者の意見を「間違っている」と攻撃するのではなく、その意見を聞き自分も意見を述べる、そうやって話し合い、みんなで決めていくことが大事だと、そのことをわたし(58歳)もあらためて元山さんに教えられた気がします。

 沖縄タイムスと琉球新報の25日朝アップの記事をまとめて紹介します。
■沖縄タイムス

・「県民投票『3択』で全県実施へ 沖縄県議会の与野党、条例改正で合意」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/376984

www.okinawatimes.co.jp

・社説「[県民投票 全県実施へ]与野党の歩み寄り評価」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/376982

www.okinawatimes.co.jp

■琉球新報

・「県民投票全県実施へ 与野党、3択合意 5市長参加の意向 29日に条例改正」
 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-866055.html

ryukyushimpo.jp

 以下は、25日午後アップの記事です。

■沖縄タイムス「元山さん『よかった』沖縄県民投票、全県実施へ 辺野古ようやく議論できる」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/376990

www.okinawatimes.co.jp

■琉球新報「玉城知事『積極的に投票に参加してほしい』 県民投票全県実施を受け期待」
 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-866436.html

ryukyushimpo.jp

 以前の記事にも書きましたが、県民投票で示される民意は安倍政権だけにではなく、日本本土に住む日本の主権者すべてにも向けられるのだと、わたしは受け止めています。今度は本土で、意見の違いを認め合いながら、沖縄の人たちの民意に応える結論を見いだしていく番だと思います。

※参考過去記事 元山さんの言葉に接してみてください

news-worker.hatenablog.com

 

※追記 2019年1月26日9時30分
 琉球新報の26日付の社説です。
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-866630.html

 この間、党利党略の思惑で動いているように見えた政治家たちが、ぎりぎりのところで分別を働かせ、落ち着くべきところに落ち着いたということだろう。「全有権者に等しく投票権を保障すべきだ」という県民世論が後押ししたのは間違いない。 

ryukyushimpo.jp