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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「令和」初日 祝賀に包まれた在京紙の報道の記録

 新元号「令和」初日、東京発行新聞各紙の5月1日付朝刊はいずれも徳仁皇太子の天皇即位と改元を大きく報じました。前日の「平成最後の紙面」と同じく、この「令和最初の紙面」もある意味、歴史の記録だろうと思い、6紙(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日経新聞、産経新聞、東京新聞)の紙面の概要を記録として書きとめておきます。1面、総合面、社会面の主な記事の見出しは後掲します。

 全体としては、新天皇の即位と令和時代の始まりに対して祝賀ムードに包まれた紙面、報道だと感じました。各紙とも社会面は、各地の人々の表情を切り取って並べる構成が主流です。1日午前0時に「平成」から「令和」に変わるその瞬間を取り上げた記事についた「カウントダウン」の見出しは、朝日、毎日、読売、日経の4紙に見えます。天皇の代替わりと改元が、さながら大みそかから新年へのイベントのように、一般の人たちに受け止められていることの反映と言えるのかもしれません。

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 社説・論説は読売新聞が「平成から令和へ 平和と安定へ努力重ねたい」との見出しで1面に掲載したのが目を引きました。産経新聞は通常は「主張」が載っている位置に「令和のはじめに 新時代にふさわしい国家戦略を」との乾正人・論説委員長の署名の論考が掲載されています。前日の4月30日付朝刊では、産経新聞社会長の署名の論考が同じ位置に掲載されていました。
 社説・論説の中で重要な指摘だと感じたのは、毎日新聞の社説「令和時代に入る日本 変化にしなやかな適応を」の中の一節です。一部を引用して書きとめておきます。

 急速なグローバル化の反作用として世界各国で社会の分断が懸念されている。日本が相対的に安定を保っているのは、象徴天皇制による絆があるからだとも言われる。
 国家はその領域にいる人びとの共同体だ。皇室への敬愛は、成員がまとまる力になるのは確かだろう。
 ただし、これからの日本は国内で暮らす人が必ずしも国民とは限らない時代に入っていく。
 日本の在留外国人はすでに人口の2%、273万人に上る。4月には外国人労働者受け入れ拡大の新制度が始まった。母語も習慣も違う隣人との共生がますます必要になる。
 外務省は外国政府向けに令和の趣旨を「beautiful harmony(麗しい調和)」と説明した。令を命令の意の「order」と訳する海外メディアがあったためだという。
 もし令和の精神が「調和」であるのなら、同質者の集合ではなく、でこぼこの個性を互いに認め合える多様性の尊重でなければならない。それがグローバル化する日本の姿を考える上でのしなやかさだろう。

 在日コリアンの人たちの存在とヘイトスピーチの問題はもう随分と前から日本社会の克服すべき課題としてわたしたちの目の前に表れているとは思いますが、それでもこの毎日新聞の論説が触れている定住外国人と日本社会の多様性の視点は、天皇制を考える上でも重要だと気付かされました。

 天皇制や元号を巡る報道について、もう一つ書きとめておきたいのは、この社会には天皇制を肯定的にとらえている人ばかりではないはずだ、ということです。今回の代替わりと改元は、昭和から平成への時のような自粛ムードがないことから自由に天皇制や元号を語れるのなら、報道も肯定意見ばかりではなく、異論も取り上げる機会であっていいと思います。実際に、そういう意見の表明なり、デモなりの出来事もあったようですが、報道はわずかです。目に止まった限りですが、その報道のわずかさぶりも、記録として以下に書きとめておきます。
 ▼朝日新聞「代替わり儀式『憲法に違反』/キリスト教団体」(第2社会面下:見出し1段27行)
 ▼毎日新聞「新宿駅前が騒然」(天皇制反対集会:社会面下・見出し横1段相当・12行)
 ▼産経新聞「機動隊員に暴行容疑/右翼幹部の2人逮捕」(都内版・見出し1段 ※天皇制反対デモの警備に当たっていた機動隊員に暴行した容疑。デモがあったことが分かります)
 ▼東京新聞「代替わり儀式『違憲』 宗教4団体が抗議」(第2社会面下・見出し1段27行、写真)/「『天皇制廃止を』 新宿で反対集会」(第2社会面下・見出し1段28行)

 以下に、各紙の主な記事の見出しを書きとめておきます。1面、総合面(2~3面)、社会面と社説・論説が対象です。社説・論説はサイト上で読めるものはリンクを張っておきます。

◎2019(令和元)年5月1日付朝刊
【朝日新聞】
・1面
トップ「令和 新天皇即位/陛下退位『支えてくれた国民に感謝』」
「言葉の力を信じ 語って」福島申二・編集委員
新天皇・皇后 両陛下の横顔
・2面
「退位の儀式 憲法に配慮/即位と分離『譲位色』排す」/「恒久制度化 議論は不可避」
・3面
「前天皇と新天皇 併存/『二重権威』の回避課題」
考/論「社会の統合 皇室頼みに危うさ」原武史・放送大学教授
「退位礼正殿の儀 天皇陛下 おことば(全文)」「安倍晋三首相の国民代表の辞(全文)」
「各国から感謝の意」米国、韓国、ロシア
・社会面(34、35面)
見開き見出し「令和へ継ぐ」「平成の願い」
「渋谷の交差点 集う心」
「『平和を』美智子さまと手を携え」
「喜びのカウントダウン」/「0時に誓いのキス」/「新時代行きの列車」/「機上で感傷に」/「踊って『元気な時代に』」/「花壇も『改元』」/「東京タワー『御朱印』」/「平成駅入場券に行列」
■社説「即位の日に 等身大で探る明日の皇室」/国民とともに考える/身構えず自然体で/先送りできない課題
https://www.asahi.com/articles/DA3S13998717.html?iref=editorial_backnumber
※別刷り特集8ページ「林真理子さん寄稿」「今後の皇室日程」「天皇の一日」「代替わり ゆかりの地」「世界とのつながり」

【毎日新聞】
・1面
トップ「新天皇陛下 即位/令和時代 幕開け」
「前天皇は上皇に/『国民に心から感謝』/退位儀式でおことば」
・2面
「代替わりにお国事情」カット・検証 ※英国、ベルギー、タイなど
「3権の長 退位に寄せて」
・3面
CUクローズアップ「平和希求の『旅』成る/2分間200字かみしめ」
「退位まで感謝の交流」
「天皇像『鎮魂と感謝』」内田樹・神戸女学院大名誉教授
・社会面(26、27面)
見開き見出し「平成から令和へ」「笑顔バトンタッチ」
「カウントダウン新時代祝う」/「『令和元年』番付求め列」/「仙台・平成地区『災害ない時代に』/「高2『改元、不思議な感じ』」/「赤ちゃんに目細め」/「結婚式『令和も仲良く』」
(第2社会面)
「多文化社会 包む柔らかさ」社会部皇室担当・大久保和夫記者
「新両陛下 被災地の励み」
「『新婚のようなご夫妻』/昨年来訪 滋賀の博物館長」
■社説「令和時代に入る日本 変化にしなやかな適応を」/途切れない歴史の流れ/「国民の総意」の奥深さ
https://mainichi.jp/articles/20190501/ddm/005/070/064000c
※別刷り特集8ページ「皇室 新たな時代に」「新天皇陛下エピソード」「新天皇、皇后両陛下の歩み」「皇位安定継承なお課題」「『考・皇室』企画振り返る」「上皇ご夫妻の歩み」

【読売新聞】
・1面
トップ「新天皇陛下即位/令和元年/平成の陛下 上皇に/秋篠宮さま 皇嗣」「雅子さま 新皇后」「『国民に心から感謝』」
■社説「平成から令和へ 平和と安定へ努力重ねたい」/「守成」の困難に直面/中間層が支える日本/政治社会の分断防げ
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190501-OYT1T50033/
・2面
「即位 儀式の1年/10月 正殿の議/今月4日一般参賀」/「高齢即位 歴代2番目/59歳2カ月 光仁天皇60歳に次ぎ/8世紀以降」
・3面
スキャナー「退位 憲法に配慮」「政府、整合性の工夫」「象徴天皇 国政の権限なし/退位、典範の『例外』」
「『天翔』一時再有力案/元号選定 企業名あり断念」
※「編集手帳」(ふだんは1面)
・社会面(32、33面)
見開き見出し「令和の門出 祝う」「平成に別れ 感謝」
「カウントダウン 各地で」「本紙号外115万部」
「0時に挙式『忘れない日』」「婚姻届 続々」
(第2社会面)
「お言葉 感慨にじむ」
「『最後の日』つなぐ思い」
「被災地、沖縄 心を重ね」
※別刷り特集12ページ「令和へ 祈り継ぐ」「新天皇、皇后両陛下の歩み」「皇室これからの1年」「新天皇ご一家の暮らし」「元号248 壮観絵巻」

【日経新聞】
・1面
トップ「新天皇陛下 即位/『令和』幕開け/退位礼、皇居で厳かに」
「『支えてくれた国民に感謝』」最後のお言葉全文
「『新しい日本』を創ろう」井口哲也・編集局長
・2面
「代替わり粛々」「上皇ご夫妻、活動範囲探る/全ての公務引き継ぐ」「『二重権威』回避に配慮」「10月にパレード・饗宴/祝賀行事、年内続く」
・3面
「象徴の務めに幕」「退位13分 滞りなく」「お言葉一言一言かみ締め」
「政教分離を徹底/退位、首相が宣言/儀式 憲法との整合性配慮」
・社会面(30、31面)
見開き見出し「令和 暖かな時代に」「平成の30年に万感」
「山に情熱 交流大切に」「息の合うご夫婦・動物に愛情深く」(祝福の声)
「記念押印『31.4.30』に行列」「みんなでカウントダウン」
(第2社会面)
「『逆境に咲く花』復興へ前向けた」東北被災地/「被爆者を思い続ける優しさに感謝」広島・長崎/「ハンセン病への偏見から救われた」沖縄
■社説「令和のニッポン 社会の多様性によりそう皇室に」/平成流をみちしるべに/女性・女系含め議論を

【産経新聞】
・1面
トップ「新天皇 ご即位/令和 幕開け/きょう剣璽等承継の儀」
「『国民に心から感謝します』/退位の礼 上皇さまに」/最後のお言葉全文
「麗しき大和の国柄を守れ」令和に寄せて:櫻井よしこ・国家基本問題研究所理事長
・2面
「『平成』万感胸に」「伝統と憲法 整合性に心砕き/『お言葉』閣議決定」
「令和のはじめに 新時代にふさわしい国家戦略を」/敗北責任は昭和世代に/国会で大議論始めよう:乾正人・論説委員長
・3面
「『令和』新たな架け橋」「喜び悲しみ 国民と共感する天皇像」企画「象徴 次代へ 継承のかたち」1
「ご即位『晴れの儀式』勲章着用」「元年から多忙なご公務/米大統領来日、祝賀御列の儀…」
・社会面(26、27面)
見開き見出し「平和託すバトン」「深い慈愛に感慨」
「ご即位から30年『幸せでした』」
譲位に寄せて「上皇さまのお言葉 大きな支え」YOSHIKIさん(X JAPAN)/「上皇后さまの御歌に励まされ」拉致被害者家族 横田早紀江さん
(第2社会面)
「被災者『生きる勇気もらった』」
「『令和も 戦争なし』『平穏な時 流れて』/惜別と歓迎の声」
「厳戒渋谷『令和』の大歓声」/「道の駅『平成』ありがとう」

【東京新聞】
・1面
トップ「令和始まる/皇太子さま新天皇即位」
「天皇陛下が退位/国民に心から感謝」お言葉全文
「人と平和を守る世に」臼田信行・編集局長
・2面
核心「安定継承への議論鈍く/首相慎重 世論と乖離/女系天皇容認 女性宮家創設…/皇室制度見直しは」
「後世に問題 決断を」古川貞二郎元官房副長官に聞く
・3面
「新天皇陛下 家族と共に/『絆のありがたさ実感』」
「4日に一般参賀 即位祝う」「代替わり 住まい交換/新天皇 当面は赤坂御所から公務へ」
・特報面(24、25面)
「引き継がれた『負の遺産』/平成から令和へ 改元後も難題山積み」/「経済問題・豊かさの中の貧困」/「労働問題・非正規雇用 格差広がる」/「原発事故・脱原発を願う世論とずれ」/「安保法制・矛盾 形骸化した専守防衛」/「戦争責任・被害者団体の理解を得よ」/「沖縄基地・『ノー』民意踏みにじる政権」
・社会面(26、27面)
見開き見出し「平成から令和へ」「それぞれの願い」 カット・ドキュメント改元
「3、2、1、おめでとう」渋谷の若者/「故郷 奪われたまんま」福島第一原発避難/「平和続いてほしい」東名SA 運転手/「ご飯必要な人いる」山谷 炊き出し
(第2社会面)
「世代を背負う責任」「復興の歩み着実に」※学習院大、大阪、被災地・岩手・北海道、皇居前
「『最後の日』から いざ『最初の日』」「平和照らす花火 宮城・気仙沼」/「徹夜踊りで万歳!! 岐阜・郡上」
「『国威発揚の危うさ』令和『幸福を願う思い』/元号 専門家から異論も」
「最後のお言葉 目ぬぐう参加者」
■社説「共に生き平和を愛す 令和のはじめに」/働けども貧しいとは/軍拡より緊張の低減/歴史の歯車を動かす
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019050102000128.html

天皇の公的行為「象徴天皇制維持に不可欠か検証が必要」(信濃毎日新聞)、「天皇の役割の範囲曖昧にしかねず」(京都新聞)~地方紙・ブロック紙の社説・論説

 一つ前の記事の続きになります。平成最後の日、4月30日付の地方紙・ブロック紙の社説・論説をネット上で読んでみました。天皇の代替わり、改元を扱った内容がやはり数多くありました。内容は大まかに二つに分かれるように感じました。一つは、平成の30年余りを通じて天皇個人が象徴天皇制のありようを追求し続けたことへの敬意や賛意、共感、あるいは感謝の意を表した内容です。もう一つは、退位する天皇個人や天皇制には直接触れずに、「平成」の30年余を振り返り将来を展望する内容です。ただ、この日だけでなく、天皇の代替わりと改元を社説・論説で複数回取り上げている新聞もあります。
 そうした中で目を引いたのは、信濃毎日新聞と京都新聞が、天皇の「公的行為」が増えることの問題点を指摘していることです。公的行為とは、憲法で規定されている天皇の「国事行為」以外の幅広い行為を指します。
 以下に両紙の社説の一部を引用して紹介します。

・信濃毎日新聞「陛下きょう退位 象徴の姿を求め続けて」/対話を欠かさず/歴史に向き合って/課された宿題重く
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190430/KP190429ETI090013000.php

 公的行為の拡大は今後の天皇が活動できる範囲を憲法の枠外に広げ、同時に政治利用の余地も拡大させた。象徴天皇制を維持するために憲法に規定されていない公的行為が不可欠なのか、改めて検証する必要もある。
 渡辺治・一橋大名誉教授は「陛下が取り組んだ戦争責任などの問題を、国民が主権者として真正面から考え、解決していくことが必要。そして象徴のあるべき姿を議論しなければならない」と話す。
 象徴天皇のあり方を模索し、歴史を教訓に生かす営みをこれまで陛下に任せきりにしてきたのではないか。私たち一人一人がこの重い宿題に向き合っていきたい。

・京都新聞「天皇陛下退位  模索し続けた『象徴』の理想」/昭和の「遺産」見つめ/公的行為に曖昧さも/憲法への信頼を基に
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190430_3.html

 注意が必要なのは、こうした被災地訪問や国民とのふれ合いが憲法に定める国事行為ではないということだ。宮内庁の分類では「公的行為」とされている。
 陛下の誠実な思いが背景にあるとはいえ、こうした公的行為が増加していくことは天皇の役割の範囲を曖昧にしかねない。
 沖縄や被災地、社会的弱者などに手を差し伸べるのは本来、政治の責任であるということは押さえておくべきだ。
 代替わりで皇室への関心が高まっている。それだけに、政治的権能を持たない天皇の活動によって政治の課題が見えにくくなってしまう恐れがあることは冷静に認識しておきたい。

 今回の退位と新天皇の即位には、昭和から平成に変わった当時のような自粛ムードもなく、自由に天皇制を論じることができる機会でしょう。マスメディアのジャーナリズムからは多様な論点が提示されて然るべきだろうと思います。

 以下に地方紙、ブロック紙各紙の社説・論説の見出しと、印象に残った内容のものはその一部を引用して書きとめておきます。5月1日以降もサイト上で読めそうなものは、リンクも張っておきます。

・北海道新聞「天皇陛下30日退位 『象徴』の姿を追い求めた」/「憲法を守る」と表明/被災地での「平成流」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/301248?rct=c_editorial

・河北新報「きょう退位/感動広がった被災地ご訪問」
 https://www.kahoku.co.jp/editorial/20190430_01.html

・東奥日報「新天皇の模索が始まる/『平成流』に幕」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/185576

・山形新聞「平成の終わりに 陛下に感謝ささげたい」
・岩手日報「<平成考>女性の生き方 私らしく歩いていこう」
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/4/30/53940
 ※4月26日付から「平成考」シリーズ

・福島民報「【平成最後の日】歩みを令和に伝える」
 https://www.minpo.jp/news/moredetail/2019043062807

 平成二十三(二〇一一)年三月に起きた東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が、最大の出来事だった。福島民報社と福島テレビが共同で実施した県民世論調査で、回答の68・5%が最も記憶に残った事柄として挙げた。復興は九年目に入り、着実に進む一方で、いまだに約四万人が県内外で避難生活を強いられ古里に戻れずにいる。県産農産物に対する風評も完全に拭い切れていない。

・福島民友「平成とふくしま/より良い時代へ歩み確かに」
 http://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20190430-373521.php

 震災と原発事故は平成を忘れられない時代にした。発生から8年余が過ぎ、帰還困難区域の一部を除いて避難指示が解除されるなど復興は進んでいるが、原発の廃炉はこれからであり、事故による風評も根強い。新しい時代は始まるが、震災の記憶が風化するようなことがあってはならない。

・茨城新聞「平成の終わりに さらなる豊かな茨城を」
・神奈川新聞「令和へ 天皇退位 体現された『象徴』の姿」
・山梨日日新聞「【天皇陛下退位へ】国民に寄り添う象徴 次代に」
・新潟日報「平成が終わる 両陛下の思いを胸に刻む」/象徴の姿模索続ける/平和を願い重ねた旅/被災地で県民励ます
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190430466354.html

・中日新聞・東京新聞「『当たり前』をかみしめて 平成のおわりに」/原発に制御されている/何でもないことの平安/「戦後」を脱却させない
 https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019043002000090.html

 ここで「平成時代にあったこと」から「平成時代になかったこと」に話を転ずるなら、まず挙げるべきは、戦争だと思います。
 近代以後、明治にも大正にも昭和にもあったが、平成の時代にだけは、それがなかった。
 考えてみれば、戦争ほど、人々の営みの「当たり前」を奪い去るものはありません。過去の戦争では、どれほどの「行ってきます」が「ただいま」に帰り着けず、どれほどの「お帰りなさい」が重くのみ込まれたまま沈黙の淵(ふち)へと沈んだか。食べるものがある、住む所や働く所、学ぶ所がある。そうした無数の「当たり前」を戦争は燃やし、壊しました。
 昭和がその後半、どうにか守った「戦後」を平成は引き継ぎ、守り抜いた。そのことは無論、素晴らしい。ですが、このごろ、どうにもきなくさいのです。
 (中略)
 どうあっても「戦後」は続けなければなりません。無論、明日から始まる新たな時代も、ずっと。

・北日本新聞「天皇退位/追い求めた『象徴の姿』」
・北國新聞「きょう退位 国民の幸せ願う祈りに感謝」
・神戸新聞「『平成』の終わり/停滞と模索の時代の次に」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201904/0012288061.shtml

 社会の高齢化と人口減少はこれから速度を速める。平成が停滞と模索の時代だったとすれば、令和は未来の針路を見いだす前進と再生の時代としたい。
 その基礎になるのは、やはり平和の維持である。
 エネルギーの9割強、食料の6割強を海外に依存する日本は国際対立や紛争などの影響を他国以上に受けやすい。自衛隊の活動を海外に広げても、抜本的な解決策にはならない。

・山陽新聞「幕下ろす『平成』 『不戦』の歩みを次代へ」
 https://www.sanyonews.jp/article/894654?rct=shasetsu

 平成の時代が幕を下ろす。平成が始まった1989年、世界では東西ドイツを隔てたベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国で民主化革命が起きるなど変化を告げる出来事が相次いだ。大国がにらみ合う構図は、米ソ冷戦に代わって米中間の「新冷戦」が顕在化し、世界に影を落としている。
 国内を見れば、明治より後で初めて戦争を体験することなく終えた時代となった。昭和の戦争で惨禍を味わった国民の平和への思いが具現化した歳月といえよう。とはいえ、戦争をじかに知る世代は減り、記憶は薄れる一方だ。風化を食い止め、不戦への思いを継承していく作業はこれまで以上に重みを増そう。

・中国新聞「令和の課題・象徴天皇 国民もともに歩んでこそ」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=529291&comment_sub_id=0&category_id=142

・山陰中央新報「『平成流』に幕/新天皇の模索が始まる」
 http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1556590567068/index.html

・愛媛新聞「愛媛の平成回顧 災害の時代に共助が欠かせない」

 愛媛は近い将来、南海トラフ巨大地震に見舞われる恐れがあり、記録的大雨は今後も頻発する可能性がある。インフラ機能の一時喪失を想定しなければならず、マンパワーが衰える中、県民一人一人が助け合うことが欠かせない。「災害の時代」に根付いたボランティアや、共助の仕組みを次代に引き継ぎ、さらに高めていきたい。

・徳島新聞「陛下きょう退位 『象徴』を体現した30年」
 https://www.topics.or.jp/articles/-/195867

・高知新聞「【陛下の退位】『象徴』を国民が考えよう」
 https://www.kochinews.co.jp/article/273408/

 歴史に残る退位にもかかわらず、「令和」の公表では政治が権威主義的な前例踏襲型を繰り返し、国民は祝賀ムードに染まった。
 代替わりは、天皇制や「象徴」の在り方を議論するいい機会だ。思考停止に陥ることなく、憲法や民主主義について考えを深めたい。それこそが象徴天皇制を支える、主権者たる国民の役目だ。

・西日本新聞「平成から令和へ 『縮小社会』への軟着陸を」/立ちすくんだ30年/減り続ける働き手
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/506784/

 視点を国内に戻せば、平成はかつて経験したことのない社会への入り口だったことに気付く。
 日本の人口は2008(平成20)年をピークに減り続けている。「縮小社会」の到来である。人口増加と経済成長を前提とした国家の枠組みが根底から崩れた。
(中略)
 光明がないわけではない。例えば、訪日外国人が大幅に増えた観光政策と外国人労働者の受け入れに踏み込んだ、二つの「開国」だ。外の力を国の活力にどう結び付けるか、これからが正念場だ。
 拡大社会から縮小社会への軟着陸はいや応なしである。女性が出産や育児と仕事を両立できる環境を整え、元気な高齢者の力も借りなければなるまい。私たちの暮らし方や働き方、社会の在り方そのものを大きく変える時だ。

・大分合同新聞「平和を願った平成 次の時代も希求し行動を」
・宮崎日日新聞「天皇陛下きょう退位 新天皇『新たな象徴』模索へ」/共感を呼んだ平成流/公務が膨れ負担増す
 http://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_38433.html

・熊本日日新聞「天皇陛下退位 記憶したい『象徴』の歩み」/平和と非戦の願い/弱者へのまなざし/共感呼んだ平成流
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/996686/

・南日本新聞「[平成最後の日に] 不戦の世を受け継ごう」/象徴としての務め/焦土の風景が原点
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=104950

 この30年の間に漠とした不安が社会を覆い始めている気がしてならない。「戦前の空気」を感じ取っている戦争体験者は少なくない。
 特定秘密保護法や、集団的自衛権の行使容認など盛り込んだ安全保障関連法、「共謀罪」法が施行された。いずれも安倍政権が数の力で押し切り、成立させた。
 施行4年目に入った安保関連法に基づく自衛隊の任務は広がり、これまでの活動内容の詳細は明らかにされていない。専守防衛の逸脱が懸念される動きも見られる。
 安倍晋三首相をはじめ、政治家のほとんどが戦後生まれになったことも無関係とは言えまい。歯止めが利かなくなれば、日本はこれからどんな道を歩んでいくのか。
 過ぎゆく時代を顧みながら、一人一人がその問いに向き合っていかなければならない。

・沖縄タイムス「[天皇陛下きょう退位]沖縄の苦難に寄り添う」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/415064

 沖縄タイムス社と琉球放送が27、28の両日、実施した県民意識調査によると、天皇の印象について「好感が持てる」と答えたのは87・7%に達した。
 沖縄の人々のわだかまりが溶けつつあるともいえる。
 両陛下の「国民に寄り添う姿勢」は、沖縄においても好感を持って受け入れられている。
 被災地を訪ね、ひざをついて被災者を励ます姿は、悲しみや憂いを共有する思いがにじみ出ていて、忘れがたい印象を残した。
 「好感が持てる」と答えた人が9割近くもいたということは、こうした行動の全体が評価されているとみるべきだろう。
 依然として戦後が清算されず、民意に反して辺野古埋め立てが進み、基地被害が絶えないからこそ、沖縄にとって、寄り添う姿勢が身にしみる-という側面もあるのではないか。
 (中略)
 沖縄戦の際、学徒隊として動員された女性の中には、両陛下のひたむきな姿勢を評価する人が少なくない。だが、そのことをもって「沖縄の戦後は終わった」と判断するのは早計だ。
 状況の悪化を肌で感じていることと、天皇評価の好転とは、別の問題である。

・琉球新報「平成の沖縄 基地問題に苦悩し続けた」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-911254.html

米軍基地の前に人権や自治権は踏みにじられ、それが今も続いている。
 事件は後を絶たない。2016年に元海兵隊員の軍属の男がうるま市で女性を暴行し殺害した。そして今月も北谷町で米海軍兵が女性を殺害している。
 事故も相次ぐ。04年に宜野湾市の沖縄国際大学に米海兵隊のCH53D大型輸送ヘリが墜落した。垂直離着陸輸送機MV22オスプレイは、反対の声を押し切って強行配備され、16年12月に名護市安部に墜落した。
 元号が平成から令和に変わっても沖縄が置かれる厳しい現実に変わりはない。
 それでも基地から目を転じれば希望と期待の萌芽(ほうが)もあちこちに見られた平成だった。景気の浮き沈みはあったものの、観光は好調で、18年度は1千万人近い人々が来訪した。
 (中略)
 令和の時代には、県民の望む方向で基地問題を解決させ、子どもたちが健やかに育ち、その才能を開花させる沖縄を築かなければならない。

 

「平成」最後の在京紙紙面の記録~朝日はネット企業広告でラッピング

 4月30日は元号「平成」の最後の日。5月1日に新天皇が即位し「令和」になります。東京発行の新聞各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)はいずれも30日付朝刊でこの話題を1面トップに据え、総合面や社会面にも関連記事を展開しています。これも一つの歴史の記録と思い、各紙がどのような構成にしたか、主な記事の見出しを後掲します。対象は1面、総合面の長めの読み物、社会面、社説・論説です。すべての記事を網羅しているわけではありません。
 各紙の紙面に目を通しての感想を少し書きとめておきます。

 いろいろな意味で朝日新聞は独自色が目立つように思いました。
 1面トップは「元号案 首相指示で追加/『令和』3月下旬に提出/6原案 皇太子さまに事前説明」の見出しで、新元号の決定過程を巡る独自取材記事を掲載しました。他紙が「天皇陛下きょう退位」(毎日新聞)、「陛下きょう退位」(読売新聞)などの見出しをそろって掲げている中で、「元号、天皇制と政治」という問題に焦点を当てた点が際立っています。社説でも安倍晋三政権による天皇代替わりの政治利用という論点に触れており、やはり他紙と一線を画しているように感じました。
 もう一つ、朝日新聞の独自色は、新聞本紙を広告が大きなスペースを占める別紙でそっくり包み込むラッピング紙面にしたことです。広告主はネット企業の「NETFLIX」。社会の情報流通の今後を様々に考えさせられるように感じます。思い出したのは、昭和から平成に変わったころのこと。東京で発行されていた日刊の一般新聞は、現在の6紙に加えもう1紙、朝刊単独紙の「東京タイムズ」がありました。ウイキペディアを見たところ、1992(平成4)年7月に廃刊となっています。今後、紙の新聞はどう推移し、マスメディアの組織ジャーナリズムはどう変わっていくのか(あるいは変わらないのか)。そんなことも考えさせられます。
 社説・論説を掲載したのは朝日、毎日、読売、日経、東京(中日新聞と同一)の5紙。退位する現天皇と象徴天皇制を論じる内容と、平成という時代の振り返りと今後の社会の課題を展望する内容とに、大きく二分されるように感じました。産経新聞はふだん論説の「主張」が掲載されている2面に、「陛下、ありがとうございました」との熊坂隆光・産経新聞社会長の署名記事が掲載されています。
 以下に、各紙の主な記事の見出しを書きとめておきます。社説・論説はサイト上で読めるものはリンクを張っておきます。

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◎2019(平成31)年4月30日付朝刊
【朝日新聞】
・1面
トップ「元号案 首相指示で追加/『令和』3月下旬に提出/6原案 皇太子さまに事前説明」
「天皇陛下、きょう退位」カット・平成最後の日
・2面
時時刻刻「新元号 濃い政治色」「首相『他も検討しよう』/万葉集 政策重ね好感」「事前説明 違憲の指摘も/保守派に配慮 交換条件」
・社会面(31面)
「30年の思い 次代へ」カット・平成最後の日/「子どもを守る備えを」東日本大震災/「はるか、私お母さんになったよ」阪神大震災 ※ほかに「ボランティア」「サリン被害者」「沖縄少女暴行」「バリアフリー」
・第2社会面(32面)
「思考停止 変える力を」作家・高村薫さん寄稿
■社説「退位の日に 『象徴』『統合』模索は続く」/支持された30年の旅/判断するのは主権者/政治が機能してこそ
https://www.asahi.com/articles/DA3S13996599.html?iref=editorial_backnumber
※ラッピング(NETFLIX)

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【毎日新聞】
・1面
トップ「天皇陛下きょう退位/202年ぶり 憲政史上初」
「継がれ吹く 新たな風」玉木研二・客員編集委員
・3面
CUクローズアップ「特例退位 国民が共感/異なる天皇像の間で」
・社会面(23面)
「平成 歩みに感謝」「被災者『勇気もらった』/ゆかりの人ら感慨」※ほかに「被爆地」「沖縄慰霊」
・第2社会面(22面)
「退位後も心寄せ」「両陛下交流絶やさず/仮住まい後『仙洞御所へ』」
■社説「天皇陛下きょう退位 国民と共にあった長い旅」/象徴であり続けるため/戦争の記憶風化を懸念
https://mainichi.jp/articles/20190430/ddm/005/070/088000c

【読売新聞】
・1面
トップ「陛下きょう退位/平成終幕へ/夕刻 儀式で最後のお言葉」
「被災地訪問37回」
・3面
スキャナー「退位後の活動範囲 模索」「『二重権威』回避に配慮」「高輪に仮住まい後 赤坂へ」
・社会面(29面)
「陛下へ感謝尽きず/苦難の日々『励まされた』」※「戦没者慰霊」「拉致問題」「国際貢献」
・第2社会面(28面)
「平成 名残惜しむ/『最後の饅頭』・顔出しパネル」
「象徴の旅路 重責と笑顔」沖村豪・編集委員
■社説「天皇陛下退位 国民と歩み象徴像を体現した/健やかに過ごされることを願う」/一人ひとりと目合わせ/安定的な継承が課題
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190429-OYT1T50219/
※13~20面:抜き取り特集「平成グランドフィナーレ<下>」「両陛下の歩み」「識者座談会」など

【日経新聞】
・1面
トップ「天皇陛下 きょう退位/平成、30年余りで幕/一代限り、特例法で実現」
・3面
「平成終幕 最後のお言葉は/政府 憲法と伝統 両立に配慮/天皇陛下きょう退位」
・社会面(27面)
「令和へ準備万全に/警視庁 皇居周辺を捜索/宮内庁 儀式の予行練習」
・第2社会面(26面)
「平成の天皇、皇后と国民」井上亮・編集委員
■社説「未完の成熟国家だった平成の日本」/人口減という試練/日本の強み次の時代へ

【産経新聞】
・1面
トップ「天皇陛下きょう譲位/退位の例で最後のお言葉」
「譲位 祝賀ムードに包まれ」
「真直なる天皇の大きなる道」平成の終わりに:平川祐弘・東京大学名誉教授
・2面
「陛下、ありがとうございました」/果てしない道歩まれた/ご長寿こそ国民の願い:熊坂隆光・産経新聞社会長
・社会面(27面)
「陛下『国民と一体』望まれる/『象徴』ご活動意義 元側近語る」※元宮内庁参与、元宮内庁長官、元侍従長
・第2社会面(26面)
「非正規雇用や過労死/進む『ひずみ』の修正」平成その先へ「働」
※「主張」なし、3面に連載企画「象徴 次代へ 両陛下の願い」(下)

【東京新聞】
・1面
トップ「天皇陛下 きょう退位/終わる平成 30年4カ月」
「終身在位からの大転換」吉原康和・編集委員
・2面
核心「政治劣化・停滞の30年」「小選挙区で勝つことに目を奪われ、日本の進路を示せなくなった。」「激動の平成 田中秀征さんに聞く」
・社会面(27面)
「家族のきずなに包まれ」私の平成のことば ※「極楽って今のこと」「ユズリハのように」など
・第2社会面(26面)
「過労死、格差 残った課題」 ※「社員悪くありません」「聖域なき構造改革」など
■社説「『当たり前』をかみしめて 平成のおわりに」/原発に制御されている/何でもないことの平安/「戦後」を脱却させない
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019043002000112.html

首相会見に「違和感」「筋違い」の指摘も~新元号「令和」 地方紙・ブロック紙の社説・論説の記録

 5月からの新元号「令和」について、地方紙・ブロック紙も社説・論説で取り上げています。
 総じて、新元号のもとで平成の次の時代が、平和で豊かな日々になるように、との期待を表明する内容のものが目立ちました。一方で、選考の過程が詳しく明らかにされていないことへの批判は少なくなく、「こうした権威主義的な手法が、国民主権を掲げる憲法と整合性を保てるだろうか」(高知新聞)、「『国民主権』」の観点から見ると、今回の新元号決定に至るまでの経緯は、違和感が拭えないものだった」(熊本日日新聞)などと、現憲法に照らしての疑問を明示する社説・論説もあります。
 新元号の発表直後に安倍晋三首相が記者会見したことに対しては、北海道新聞は「特に違和感を禁じ得なかった発言がある」とし「政権の看板政策をアピールする場にすり替わってしまった」と指摘しています。さらに信濃毎日新聞は「だれの思いなのか。元号は首相の私物ではあるまい。『令和』を自らの国民へのメッセージとするのなら筋違いではないか」「首相の会見も『政治利用』との批判が出るのではないか」と踏み込んでいます。

 特にわたしの印象に残ったのは、沖縄タイムス、琉球新報の2紙の社説です。
 沖縄タイムスは、琉球王国は公文書に中国の年号を使用していたこと、琉球併合の際、日本政府は「明治」年号を奉じ、中国との関係断絶を迫ったこと、第2次大戦後は米国民政府の布令・布告、琉球政府の公文書も原則として西暦で表記されたことなどを挙げ「大きな世替わりを経験するたびに、中国の年号を使用したり、明治の元号を使ったり、西暦を採用したり、目まぐるしく変わった」と沖縄固有の歴史と事情を指摘しています。
 琉球新報は、第2次大戦末期の沖縄戦で12万2千人余りの県民が犠牲になったことから、「戦争責任が天皇制に根差すものであるとの見方から、複雑な県民感情があり、元号法制化に対しても反発があった」と指摘。元号法案を審議した1979年当時、大平正芳首相が「46都道府県、千を超える市町村が法制化の決議を行い、その速やかな法制化を望んでいる」と述べたが、沖縄県議会だけは同趣旨の議決をしていないことを紹介しています。

 このブログの以前の記事でも触れましたが、今回は天皇の死による代替わりに伴う改元ではないため、明るい雰囲気の中で元号について自由に語り、次の元号の予測も盛んに行われた、との肯定的な評価を目にします。改元についてのマスメディアの報道も祝賀ムードばかりが目立ちます。自由に元号を語るせっかくの機会なのであれば、例えば沖縄の事情などももっと全国で知られていいと思いますし、元号不要論や廃止論も含めて語られていいだろうとあらためて感じます。

 以下に、ネット上の各紙のサイトでチェックした社説・論説について、見出しのほか、一部の社説・論説については、重要な指摘だとわたしが感じた部分を引用して書きとめておきます。日付の記載が特にないものは、すべて4月2日付です。見出しだけで本文は会員しか読めないサイトもありました。北海道新聞は2日付、3日付の2日連続の掲載です。この記事を作成した7日夜の時点で、無料で読めるものはリンクを張っています。 

▼北海道新聞「新元号に『令和』 国民本位で情報開示を」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/292417?rct=c_editorial

 元号制を巡っては、いまもさまざまな意見がある。
 改元を一つの区切りととらえ、新しい時代に期待を込める人も少なくなかろう。
 それを踏まえれば、新元号の決定に、国民が関わる余地がなく、一貫して政府主導で進められたことには疑問が残る。選考過程にも、不透明な部分が目立った。
 元号法は、皇位継承があった場合に改元するとのみ規定し、手続きの詳細は内閣に委ねている。
 それだけに、政府による丁寧な情報開示が不可欠だ。
 政府は新元号の考案者などを明らかにせず、有識者懇談会や衆参両院正副議長からの意見聴取の具体的な内容も公表していない。
 元号を「密室」で決め、情報を管理する態度は、権力者による「時の支配」という元号の古いイメージを想起させかねない。

※4月3日付「首相の改元会見 謙虚さに欠けてないか」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/292748?rct=c_editorial

 首相の会見で、特に違和感を禁じ得なかった発言がある。
 平成時代に行われた政治、行政などのさまざまな「改革」は大きな議論を巻き起こしたが、「現在の若い世代は変わることをもっと柔軟に前向きに捉えている」。
 そんな認識を示し、一例として働き方改革を挙げた。さらに「1億総活躍社会をつくりあげることができれば日本の未来は明るいと確信している」と述べた。
 「次の時代の国造り」を問う記者からの質問に答えた形だったとはいえ、新元号の趣旨を説明する会見が政権の看板政策をアピールする場にすり替わってしまった。
 宗教評論家の大角修氏は「元号は純粋に儀礼的なもので、本来は選定や発表に関わる人は己を無にして臨まねばならない。そこに私的な思いを持ち込むから不純な印象を受ける」と会見を批判した。
 うなずける指摘だろう。

▼河北新報「新元号は『令和』/平穏で豊かな時代の到来を」
https://www.kahoku.co.jp/editorial/20190402_01.html
▼東奥日報「改元で社会に新たな力を/新元号『令和』」
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/173326
▼デーリー東北:4月3日付(「時評」)
https://www.daily-tohoku.news/archives/11906

▼秋田魁新報「新元号は『令和』 希望にあふれた時代に」
https://www.sakigake.jp/news/article/20190402AK0009/
▼山形新聞「国書由来の新元号 融和と活性化の契機に」
http://yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20190402.inc
▼岩手日報「新元号決定 『時代の節目』思い新た」
https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/4/2/51178
▼福島民報「【新元号は令和】希望を胸に時代を築く」
https://www.minpo.jp/news/moredetail/2019040261895
▼福島民友新聞「新元号『令和』/力合わせ『良い和』の時代に」
http://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20190402-365060.php
▼茨城新聞「新元号『令和』 改元を新たな力に」
▼神奈川新聞「新元号『令和』 未知の時代に思い重ね」
▼山梨日日新聞「【新元号に『令和』】真に心を寄せ合う新時代に」
▼信濃毎日新聞「新元号の決定 国民の存在はどこにある」/懇談会は形だけ/首相の私物か?/伝統重視の保守派
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190402/KP190401ETI090006000.php

 前回の選考過程を記した公文書は現在も非公開のままで、検証もできない。主権者である国民を脇に置いた選考といわざるを得ないだろう。
 安倍晋三首相は前例踏襲といいながら記者会見した。「一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込めた」と述べている。
 だれの思いなのか。元号は首相の私物ではあるまい。「令和」を自らの国民へのメッセージとするのなら筋違いではないか。
 (中略)
 過去の権力者は統治の安定のために天皇の権威を利用してきた。保守派に配慮して秘密主義で進めた元号選考には、政府への求心力を高める思惑もうかがえる。
 首相の会見も「政治利用」との批判が出るのではないか。

▼新潟日報「新元号『令和』 平和守り良い時代築こう」/「初めて」の歴史刻む/「国書」強調に違和感/平成の重み見据える
https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190402460667.html

 首相の言う通り、次の令和時代が希望に満ちたものになってもらいたい。ただ、談話には気がかりなところもあった。
 首相は、日本礼賛的アピールに力が入っていないか。そんな印象を受けたからだ。
 (中略)
 歴史的に見れば、日本は他国の文化や文物を積極的に吸収することで、自国の文化的な幅を広げてきた。漢字など中国文化の影響も強く受けている。
 国境を越えた人々の交流が、万葉集など日本文化のベースとなったことは間違いあるまい。国際交流や友好親善は、平和の基礎ともなるものだ。
 平和な日々への感謝や新たな時代について語るなら、それらの事柄への言及があってもよかったのではないか。
 首相の支持層である保守派は、新元号の事前公表に否定的な考えを示していた。そうした経緯や保守派への配慮が、国書からの出典や日本の伝統文化を強調した談話につながっていないかどうか。

▼中日新聞(東京新聞)「新元号は『令和』 希望のもてる時代に」/中国古典はずしは初/決定過程の公開を早く/国民生活の基層文化だ
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019040202000163.html

 日本の元号は七世紀の「大化」から数えて二百四十八ある。出典が判明しているものは、すべて中国古典である。だから、今回の「国書」を典拠とした改元は初だ。長い日本の元号の伝統からはまさに異例といえる。
 ナショナリズムの反映とも受け止められる。
 もともと日本の伝統への誇りを口にしていた安倍首相が、改元案を作成する段階で、日本古典を由来とするものを含めるよう指示していたからである。
 政権を支える保守派層から、国書に典拠を求める期待があったためであろう。元号の考案を委嘱したのは漢文学や東洋史学のほかに、国文学や日本史学の学識者が加わっていた。
 問題はその元号選定の考え方が国民にどう受け止められるかである。中国古典は近代に至るまで知識人が身に付ける素養の一つだった。「論語」など四書五経の暗記が勉強でもあった。江戸時代の知識人も、明治の夏目漱石も森鴎外も中国古典で育った。
 これまで漢籍から採った元号を受け入れてきたのは、中国古典の素地で日本の教養が培われてきた歴史を誰もが知っているからである。国書もいいが、ことさらこの伝統を排したなら狭量すぎる。 

▼北日本新聞「新元号『令和』/価値観問い直す機会に」
▼北國新聞「新元号に『令和』 心機一転のとき迎える幸せ」
▼福井新聞「新元号『令和』 国民への説明十分なのか」
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/827533

 首相は「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と述べた。出典を精査しない限り、そう読み解くのは難しい。政府はそのためにも選考過程を分かりやすく説明する必要がある。世界で唯一、元号制度が残る国だからこそ、意義を捉え直すきっかけにもしなければならない。
 しかし、政府は昭和から平成に改めた経緯さえ、情報公開請求に応じていない。国立公文書館へ記録を移すことなく、保存期間を5年間延長した。これでは闇の中も同然だ。古代中国が発祥である元号は「皇帝が時をも支配する」との考えに基づく。日本でも長年、天皇が定め、その権威を高めてきた歴史がある。政府がそうした視点をいまだに持ち続けているとしたら問題だろう。
 平成への改元は天皇の逝去に伴うものだったが、今回は生前退位であり、「密室」での選定ではなく、たとえば有識者からの案を政府が公開し、広く国民の意向を反映させるといった方式を考えても相応だったのではないか。

▼京都新聞「新元号決まる  良い時代を和やかに築こう」/議論なき「前例踏襲」/ずれ込んだ公表時期/西暦併記の自治体も
https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190402_3.html

 新元号制定は、平成になった時と同様、元号法に基づく。同法は元号を「政令で定める」としている。政令を出す政府がその責任を負っている。
 きのうの決定手続きも、形式的には有識者懇談会や衆参両院議長からの意見聴取、閣議などを経た。国会に代表を送っている国民も間接的に関わっている形だ。
 ただ、現実には、国民から遠いところで決められたような印象を受ける。今回は皇位継承が事前に分かっており、改元のあり方についても時間をかけて議論できる良い機会だったはずだ。しかし政府は、平成改元時の決定手続きを踏襲すると決めてしまった。
 有識者懇談会では、新元号の候補名が初めて示され、わずか40分で終了した。十分な意見交換ができたのかは疑わしい。国民代表の「お墨付き」を得るのが目的ととられても仕方ない。
 新元号が「広く国民に受け入れられ、生活の中に深く根ざしていく」(安倍晋三首相)ことを求めるのなら、選考のプロセスに国民が実質的に関わる機会があっても良かったのではないか。

▼神戸新聞「新元号『令和』/穏やかな時代精神を育みたい」/国民主権の下で/みんなで考える
https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201904/0012203135.shtml

 ただ、元号はどれほど国民のものとなったのか。
 元号法は「元号は、政令で定める」と規定する。今回、政府は国文学や日本史学などの専門家に原案の考案を依頼し、候補を六つに絞って有識者懇談会や衆参の正副議長に諮り、閣議決定した。現行憲法下で初めて行われた昭和から平成への改元を踏襲した形である。
 国民は何も知らされず、待たされ続けた。私たちもつい「元号は上が決めるもの」と思いがちだ。それでは政府の決定を国民は押し頂くだけになる。
 もともとは元号は天皇の「御代(みよ)(治世)」を表す。だがその考え方は憲法の理念である国民主権にそぐわない。国民が自分たちのものと思えるような元号の決め方、在り方を模索する必要があるだろう。

▼山陽新聞「新元号『令和』 平和と安定の時代を願う」
https://www.sanyonews.jp/article/885757?rct=shasetsu
▼中国新聞「『令和』の時代 『共生』を土台に考える」
https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=518534&comment_sub_id=0&category_id=142
▼山陰中央新報「新元号『令和』/改元を新たな力に」
http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1554170648238/index.html
▼愛媛新聞「新元号『令和』 『戦争のない時代』の継続が責務」
▼徳島新聞「新元号は『令和』 戦争のない時代を未来に」
https://www.topics.or.jp/articles/-/183352
▼高知新聞「【新元号「令和」】皇位継承にあいた風穴」
https://www.kochinews.co.jp/article/266183/

 万葉集を出典とするなど、目新しい点もある「令和」だが、選定の手続きはほとんど変わっていない。政府が「平成」改元時の手続きを踏襲すると事前に決めたからだ。
 新元号を公表した後も考案者は明かさない。決定に先立ち各界の代表者を集めた有識者懇談会を開き、原案への意見を求めるが、本格的な議論は行わず、実質は原案を追認する形だ。密室で決めたという批判をかわす狙いだろう。
 これでは選定状況は厚いベールに包まれたままだ。元号選定という歴史的な作業は国民から遠ざけられ、検証することもできない。
 こうした権威主義的な手法が、国民主権を掲げる憲法と整合性を保てるだろうか。まして憲政史上初めての皇位継承前の新元号公表だ。首相は決定過程に関する公文書を非公開とする期間を30年で検討するというが、なぜそんなに長く伏せるのか。

▼西日本新聞「新元号 令和 平和への『祈り』次世代に」/歴史が紡ぐ天皇の役割/「開かれた皇室」さらに
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/499151/

 間違いなく言えることは、時の為政者が例外なく天皇を存続させてきたことである。そうでなければ自身を絶対化するために朝廷を滅ぼしても不思議ではなかった。戦後の連合国軍総司令部(GHQ)も天皇制を残した。歴史の中で紡がれた日本人と天皇の結びつきに意義を見いだしたと言えよう。
 とはいえ元号は戦後、法的根拠を失った。敗戦に伴い、旧皇室典範が廃止されたことによる。
 法的根拠を求める機運が高まったのは昭和天皇が在位50年を迎えられた頃だ。元号法はその4年後に制定され、元号は皇位継承があった場合に政令で定めるとした。
 保革が対立する政治情勢の下、法制化は「戦前回帰だ」との批判があった。一方、世論調査では元号賛成派は8割近くを占め、多くが「時代の区切り」をその理由に挙げた経緯がある。私たちは今、そうした選択の延長線上にいることを確認したい。

▼大分合同新聞「新元号『令和』 改元で平和と融和を」
▼宮崎日日新聞「新元号『令和』 平和で新たな力湧く時代に」/日本古典の採用は初/選考過程は完全密室
http://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_37932.html
▼佐賀新聞「新元号『令和』 改元を新たな力に」※共同通信のクレジット
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/357022
▼熊本日日新聞「新元号『令和』 多様性ある時代の象徴に」
https://kumanichi.com/column/syasetsu/936630/

 元号は古代中国が発祥で「皇帝が時をも支配する」との考えに基づく。中国とは別に独自のものとして継承されてきた日本の元号も長年天皇が定め、その権威を高めてきた面は否めない。
 だが戦後、日本は新憲法の下で主権在民の国家となった。憲法が、天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基づく」とうたうように、天皇制とともにある元号制度も、日本国民の意思に基づいた時代の区切りであるべきだろう。その意味では元号をどう受け入れ、使用していくかは、あくまで国民に委ねられたものであることを改めて強調しておきたい。
 そうした「国民主権」の観点から見ると、今回の新元号決定に至るまでの経緯は、違和感が拭えないものだった。

▼南日本新聞「[新元号「令和」] 豊かな社会を築く力に」/極秘選定に違和感/混乱防止に努めよ
https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=103880
▼沖縄タイムス「[新元号は『令和』多様性尊重する社会を」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/404053

 日本の古典に由来する元号は、確認できる限りでは初めてである。なぜ、今、国書なのか。
 古典中の古典といえる万葉集を典拠としたことは、多くの国民に好意的に受け止められそうだが、台頭する中国を意識した対応だという見方も根強い。
 安倍晋三首相は新元号発表後の記者会見で「国柄」ということばを強調した。「国柄」を強調するあまり、他国の文化への敬意を欠いた偏狭なナショナリズムを育てるようなことがあってはならない。
 (中略)
 元号は「皇帝が時間を支配する」という中国の古い思想を取り入れたものである。
 沖縄は元号使用という点でも、本土と異なる歴史を歩んできた。
 中国と冊封関係を維持していた琉球王国は、各種の公文書に中国年号を用いていた。 琉球併合の際、明治政府は、明治年号を奉じ、年中儀礼はすべて布告を順守するよう申し渡し、中国との関係断絶を迫った。
 戦後は、米国民政府の布令・布告だけでなく、琉球政府の公文書も原則として西暦で表記された。
 大きな世替わりを経験するたびに、中国の年号を使用したり、明治の元号を使ったり、西暦を採用したり、目まぐるしく変わった。
 西暦と元号のどちらになじんできたかは、世代によって異なる。それだけでなく、一人の人物の中でも、西暦時代と元号時代をあわせもっているのが現実だ。

▼琉球新報「新元号『令和』発表 公文書の西暦併記推進を」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-897399.html 

 天皇一代に一元号という形が始まったのは明治時代からだ。戦後、法的根拠を失っていたが、1979年に元号法が制定され、政令で定めること、皇位の継承があった場合に限り改めることを明記した。当時、一世一元制は国民主権の憲法理念に反するといった批判があった。
 沖縄は去る大戦で日本で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられ、12万2千人余の県民が犠牲になっている。
 本土防衛の時間稼ぎに利用されたからだ。戦争責任が天皇制に根差すものであるとの見方から、複雑な県民感情があり、元号法制化に対しても反発があった。
 元号法案を審議した79年の衆院本会議で当時の大平正芳首相は「46都道府県、千を超える市町村が法制化の決議を行い、その速やかな法制化を望んでいる」と述べたが、沖縄県議会だけは同趣旨の議決をしていない。
 元号は国民に強制するものではなく、使用するかどうかは個々人の自由だ。公文書についても、年表記を元号にしなければならないといったルールはない。

 

「自然な使い分けが定着」(朝日) 「元号は一つの『文化』」(毎日) 「本質的に『天皇の元号』」(産経)~新元号「令和」 在京紙の社説・論説の記録

 ことし5月1日に施行される新元号が「令和」に決まったことに対して、東京発行の新聞各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)はそろって4月2日付の社説・論説で論評しました。見出しと本文の一部を引用して書きとめておきます。4月3日朝の時点で、各紙のサイトで全文読めるものは、リンクを張っておきます。
 各紙の社説・論説を通じて、国民主権の現憲法下の改元手続きについて、「昭和」から「平成」への改元の際のものも含め、記録を早期に公開するよう求める論調が目立ちます。ただ、このブログの前回の記事でも触れたことですが、元号が社会でどのように受け止められているのかについては「国民の間には、西暦との自然な使い分けが定着しているようにみえる」(朝日新聞)とか「象徴天皇制の現代においては、元号は一つの『文化』であろう 」(毎日新聞)などと、とらえ方が漠然としていると感じるものもあります。日経新聞は世論調査の結果を紹介しています。
 そうした中で産経新聞(「主張」)が「元号法の規定に基づき、内閣が政令で決める現代でも、御代替わりに限って改まる元号は、本質的に『天皇の元号』である」「将来は制度を改め、閣議決定した元号を新天皇が詔書で公布されるようにしてもらいたい」としていることは、論点の明確な適示という意味で印象に残ります。

・朝日新聞「平成から令和 一人一人が時代を創る」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13960809.html?iref=editorial_backnumber

 皇位継承前の元号発表は、憲政史上初となる。昭和天皇の病状悪化を受け、水面下で極秘に準備された30年前の平成改元と異なり、選定の日程や手続きは事前に公表された。
 世の中が自粛ムードに覆われることもなく、元号予想があちこちで行われた。入社式で新入社員全員が、自分の「新元号」を披露した企業もあった。人々は思い思いに、この日を受け止めたのではないか。
 中国に起源を持つ元号は、「皇帝による時の支配」という考えに基づく。明治以降に制度化された、天皇一代にひとつの元号という「一世一元」は維持されているものの、国民主権の現憲法の下、国民の間には、西暦との自然な使い分けが定着しているようにみえる。
 (中略)
 政府は今回、すべての案の考案者の記録を保存する方針だという。有識者懇談会の内容を含め、選考過程を丁寧に記録し、しかるべき段階で公開して、歴史の検証に付すべきだ。まずは、平成改元時の資料をできるだけ早く公開してほしい。
この機会に改めて、公的機関の文書に元号と西暦の併記を義務づけることも求めたい。日常生活での西暦使用が広がり、公的サービスを利用する外国人はますます増える。時代の変化に合わせて、使い方を改めていくのは当然だろう。
 (中略)
 もとより改元で社会のありようがただちに変わるものではない。社会をつくり歴史を刻んでいくのは、いまを生きる一人ひとりである。

・毎日新聞「新しい元号は『令和』 ページをめくるのは国民」/選定過程を詳細に記せ/時代共有する「文化」に
 https://mainichi.jp/articles/20190402/ddm/005/070/094000c

 憲政史上、天皇の退位に伴う初の改元だった。内閣は主権者の委託を受けて、元号に責任を負う。このため決定までの過程は国民も共有できるものでなければならない。
 (中略)
 今回は退位日と即位日が確定していたため、時間的な余裕があり、相当の時間をかけて議論ができる状況だった。懇談会の時間は前回より約20分伸び、閣議などを含めた全体で約40分長くなったものの、発表時間はあらかじめ決められていた。
 政府は懇談会のメンバーを知名度の高い作家や学者らに委嘱し、国民に開かれた選定だと印象づけようとしたとみられるが、結論ありきの印象を残した。
 選定過程について後に国民が検証できるようにするためには、経過が正確に記録され、一定期間後に公開されなければならない。
 (中略)
 今回は、どんな元号になるのかインターネット上などで自由に予想が飛び交ったのが特徴だ。
 昭和の終わりには昭和天皇の病状悪化が日々伝えられ、社会は自粛ムードに包まれた。当時のような抑圧的な空気から解放されたことは、国民生活にとって望ましい。
 こうした明るい雰囲気は、陛下の退位を大半の国民が支持したことも影響しているだろう。
 かつての元号は権力者が時間を支配する意味を持っていた。しかし象徴天皇制の現代においては、元号は一つの「文化」であろう。

・読売新聞「元号は令和 新時代を実感できるように システム改修に万全の準備を」/初めて日本の古典から/人心一新図った歴史/一連の儀式つつがなく
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190401-OYT1T50244/

 元号は、日本人に共通の時代意識を生み出してきた。明治以降、天皇一代に一つの元号となり、代替わりと合わせて、人心の一新が図られた歴史がある。
 新天皇の即位と新元号の施行は、国民の心の持ちように一定の影響を及ぼすに違いない。
 グローバル化が進み、西暦の利用が増大しているとはいえ、日本の伝統である元号を様々な場面で活用する方途を探りたい。
 政府は、平成改元に関する1989年当時の公文書を3月末に公開する予定だったが、5年間先送りすることを決めた。今回の改元への影響を避ける狙いがある。
 元号選定に関する資料は、国民が元号の歴史や意義を考える上で貴重な手がかりとなる。
 今回の選定過程について、政府は元号の原案や考案者、有識者懇談会などの議事内容を公文書として残す方向だ。将来的に公開し、後世の人々が検証できるようにしてもらいたい。

・日経新聞「新しい元号『令和』がひらく未来は」/時代を映してきた元号/柔軟な対応と透明性を

 では、今後、この元号は国民に定着していくであろうか。
 この1年ほど、退位による改元という事情を背景に、さまざまな行事に「平成最後の」という冠がつけられることが続いた。
 自粛ムードが漂った昭和から平成への代替わりでは見られなかった現象である。自らの人生の一部となってきた元号を惜しむ気持ちの表れとも言える。
 ところが世論調査によっては、日常生活で元号を「よく使う」「使いたい」と答えたのは60歳以上の年齢の高い層が多く、30歳より下の層では西暦を使う傾向が進んでいるとの結果が出ている。
 今後、元号は年を示す実用的な側面としてより、新たに即位する天皇のもと、同じ時代を生きる国民の連帯感を表す記号のような存在になって、社会になじんでいく可能性もあろう。
 とすれば、官公庁や自治体も柔軟な対応を求められる。現在、公文書に元号や西暦の記載を義務付ける法令はない。慣例で元号が使われている場合が多い。
 (中略)
 企業活動のグローバル化や日本で暮らす外国人の増加にともない、西暦表記を先にしたりする配慮も必要になってくるだろう。
 情報公開も重要だ。政府は「元号は国民のもの」と位置づけている。ならば、その決定に関する文書も一定の保存期限後には経緯をつまびらかにすべきだ。

・産経新聞(「主張」)「新元号に『令和』 花咲かす日本を目指そう 万葉集からの採用を歓迎する」/未来へ繋ぐ伝統文化だ/将来は「詔書」で公布を
 https://www.sankei.com/column/news/190402/clm1904020001-n1.html

 元号法の規定に基づき、内閣が政令で決める現代でも、御代替わりに限って改まる元号は、本質的に「天皇の元号」である。
 天皇と国民が相携えて歴史を紡いできたのが日本である。だからこそ憲法は、第1条で天皇を「日本国民統合の象徴」と位置付けている。国民が一体感を持つための元号であり、憲法の精神に沿った存在といえる。
 国民は、元号によって、時代や国民的体験を振り返ることができる。「明治維新」や「文永の役、弘安の役」「天保の改革」「昭和の大戦」などだ。
 元号と西暦の換算をしなければならないとして、利便性の観点だけを尺度に西暦への一本化を求めることは、豊かな日本の歴史や文化をかえりみない浅見だろう。
漢籍は今回、元号の典拠とならなかったが中国のみならず東洋、ひいては世界の文化財だ。国書と並ぶ日本文化の礎であり、どちらがどうという関係にはない。
 御代替わりよりも先に新元号が公表されたのは初めてだ。コンピューター化が進んだ今、円滑な国民生活のための措置といえる。
 ただし正式な手続きは、新天皇の下でとるべきだった。政府が新元号を内定の形で発表し、改元の政令には、これからの時代を担われる新しい天皇が署名、押印されるのが自然である。
 将来は制度を改め、閣議決定した元号を新天皇が詔書で公布されるようにしてもらいたい。

・東京新聞(中日新聞)「新元号は『令和』 希望のもてる時代に」/中国古典はずしは初/決定過程の公開を早く/国民生活の基層文化だ
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019040202000163.html

 本の元号は七世紀の「大化」から数えて二百四十八ある。出典が判明しているものは、すべて中国古典である。だから、今回の「国書」を典拠とした改元は初だ。長い日本の元号の伝統からはまさに異例といえる。
 ナショナリズムの反映とも受け止められる。
 もともと日本の伝統への誇りを口にしていた安倍首相が、改元案を作成する段階で、日本古典を由来とするものを含めるよう指示していたからである。
 政権を支える保守派層から、国書に典拠を求める期待があったためであろう。元号の考案を委嘱したのは漢文学や東洋史学のほかに、国文学や日本史学の学識者が加わっていた。
 問題はその元号選定の考え方が国民にどう受け止められるかである。中国古典は近代に至るまで知識人が身に付ける素養の一つだった。「論語」など四書五経の暗記が勉強でもあった。江戸時代の知識人も、明治の夏目漱石も森鴎外も中国古典で育った。
 これまで漢籍から採った元号を受け入れてきたのは、中国古典の素地で日本の教養が培われてきた歴史を誰もが知っているからである。国書もいいが、ことさらこの伝統を排したなら狭量すぎる。
 改元という大きな出来事だっただけに、どのようなプロセスを経て新元号が決まったかは、速やかに明らかにしてほしい。だが、「平成」と決めた公文書すら、三十年を経てもまだ閲覧できない。この秘密主義は捨てるべきだ。
 (中略)
 元号はすっかり根付いた日本の文化である。時代を思い出すとき、「昭和は…」「平成は…」と、それぞれの年代の事象と重ね合わせたりする。
 本家の中国では既に消滅した元号だが、日本では国民生活の基層をなす文化として尊重したい。

 

新元号「令和」発表 東京発行新聞各紙の記録

 現天皇が4月30日をもって退位し、皇太子が5月1日に新天皇に即位するのを前に4月1日、政府が新元号「令和(れいわ)」を発表しました。東京発行の新聞各紙は発表直後に号外を印刷して街頭で配布したほか、1日夕刊、2日付朝刊ではそれぞれ1面トップに「令和」の巨大な見出しを掲げた紙面を作りました。
 色々な意味で歴史的な出来事であり、歴史的な報道であることは間違いがないと思います。取り急ぎ、東京発行の各紙2日付朝刊1面の主な記事の見出しを書きとめておきます。
▼朝日新聞
・「令和」「新元号 万葉集から/5月1日施行」
・「『英弘(えいこう)』『広至(こうじ)』『万和(ばんな)』『万保(ばんほ)』など候補」
・「皇太子さま・陛下へ 閣議決定後に伝達」
・「初の国書 首相のこだわり」連載・平成から令和へ 退位改元1

▼毎日新聞
・「新元号 令和(れいわ)」「初の国書典拠 首相主導/万葉集 中西氏考案か/来月1日施行」
・「漢文で記した『和風』」
・「『特定問題担当』極秘の30年/職員 昨年5月死去」

▼読売新聞
・「『令和』次代へ」「5月1日 平成から改元/万葉集出典 初の国書/中西氏考案か 古典研究」「読み『れいわ』」
・「初春令月 気淑風和/梅の和歌序文」

▼日経新聞
・「令和(れいわ)」「新元号公布 来月1日施行/出典『万葉集』、初の国書」
・「変わる世界に挑む国に」原田亮介・論説委員長

▼産経新聞
・「新元号『令和(れいわ)』」「出典は万葉集 日本古典から初/来月1日施行」
・「日本人の誇り 次世代へ」
・「首相『元号は時代の薫り伝わる』/本紙単独インタビュー」

▼東京新聞
・「令和(れいわ)」「来月1日から新元号/観梅の宴題材 平和な文化象徴/原案6案」
・「初の国書 万葉集出典/中国古典踏まえ」

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 概括的な感想ということになりますが、テレビも含めてこれらの報道に感じたことを少し書きとめておきます。
 報道は圧倒的に祝賀ムードです。新元号を歓迎する人たちの表情を伝えるのは、それはそれでいいのですが、社会にはそうした意見だけではないはずです。
 元号は1945(昭和20)年の日本の敗戦後、法的根拠がなくなりましたが、1979(昭和54)年の元号法によって再び法的根拠が生まれました。1979年当時、わたしは大学1年生でしたが、元号法制化に反対する立て看板がキャンパスに立っていたことを覚えています。当時の元号「昭和」は戦争の記憶と分かちがたく結びついていました。明治以降の「一世一元」を踏襲する形で法制化することが、戦後の国民主権国家のありようとしてどうなのか、学生たちもキャンパスで議論していました。それから40年の今日、元号への消極論、不要論は社会に皆無かと言えば、そんなことはないはずですし、また元号は不要という意見にも、その理由は様々あるはずです。
 今回の改元で社会的に話題になったことの一つに新元号の事前予想があり、新聞各紙も取り上げていました。その中の記事の一つで、「昭和から平成になったときは自粛ムードの中だった。今回は明るい雰囲気の中で元号を自由に語ることができて良かった」との趣旨の声が紹介されているのを目にしました。元号を自由に語るせっかくの機会であるのなら、報道も新元号への歓迎ムードだけでなく、元号不要論、廃止論の声をも紹介してよいのではないかと思います。もちろん、そうした記事が皆無というわけではありませんが、祝賀ムードの中に埋没している観がぬぐえません。
 さらには、元号が社会でどのように受け止められているのかについて、マスメディアのとらえ方は情緒的になっているのではないかと、気になっています。例えば朝日新聞や毎日新聞の2日付の社説を見ても、「国民主権の現憲法の下、国民の間には、西暦との自然な使い分けが定着しているようにみえる」(朝日)とか「象徴天皇制の現代においては、元号は一つの『文化』であろう 」(毎日)と書くだけで、そうとらえる根拠となるデータは示されていません。
 元号への積極的、肯定的な評価が社会にあるのは事実ですし、そうした声を報じていくのもマスメディアとしては当然ですが、あまりに祝賀ムード一色に流れると、異論を口にするのがはばかられる、といった空気を生み出しかねないのではないでしょうか。

※朝日新聞・4月2日付社説
「平成から令和 一人一人が時代を創る」
https://www.asahi.com/articles/DA3S13960809.html?iref=editorial_backnumber

※毎日新聞・4月2日付社説
「新しい元号は『令和』 ページをめくるのは国民」/選定過程を詳細に記せ/時代共有する「文化」に
https://mainichi.jp/articles/20190402/ddm/005/070/094000c

※写真(下)は東京発行各紙の4月1日夕刊

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「辺野古埋め立てに賛成だが、自分の住む地域への基地移設は反対」が12%(毎日新聞調査)~3月の世論調査結果から

 3月にマスメディア各社が実施した世論調査の結果の備忘です。
 内閣支持率は以下の通りです。読売新聞の調査で不支持率が前回比で5ポイント減っているほかは、支持率、不支持率とも増減の幅は3ポイント以内です。大きな変動はなかったと言えそうです。

【内閣支持率】 ※カッコ内は前月比、Pはポイント
・読売新聞 3月22~24日
 「支持」50%(1P増) 「不支持」35%(5P減)
・朝日新聞 3月16、17日
 「支持」41%(±0) 「不支持」37%(1P減)
・毎日新聞 3月16、17日
 「支持」39%(1P増) 「不支持」41%(2P増) 「関心がない」19%(3P減)
・産経新聞・FNN 3月16、17日
 「支持」42・7%(1・2P減) 「不支持」42・8%(0・1P減)
・共同通信 3月9、10日
 「支持」43・3%(2・3P減) 「不支持」40・9%(0・2P減)
・NHK 3月8~10日
 「支持」42%(2P減) 「不支持」36%(1P減)

 

 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設先として、日米両政府が合意した同じ沖縄県内の名護市辺野古で進む海域の埋め立てへの賛否を問うた2月24日の沖縄県民投票では、有効投票総数の72・15%が辺野古の埋め立てに「反対」でした。この投票結果に関連しては、朝日新聞、毎日新聞、共同通信、NHKが質問を用意しました。
 このうち毎日新聞の質問と回答状況の分析が興味深かったので、書きとめておきます。

・毎日新聞
◆沖縄の県民投票で、米軍普天間飛行場の移設に向けた名護市辺野古の沿岸部の埋め立てに「反対」する意見が7割を超えました。しかし、政府は埋め立て工事を続けています。埋め立ての続行に賛成ですか、反対ですか。
 「賛成」29% 「反対」52%
◆沖縄の米軍基地が、あなたのお住まいの地域に移設されるとしたら、賛成ですか、反対ですか。
 「賛成」21% 「反対」62%

 毎日新聞の記事によると、この二つの質問の回答結果のクロス集計は以下の通りとのことです。一部を引用します。

 辺野古沿岸部の埋め立て続行に反対と答えた層では、自分の住む地域への米軍基地移設にも「反対」が84%と多数を占め、「賛成」は10%。埋め立て続行に賛成と答えた層では、「賛成」52%、「反対」42%だった。

 それぞれを掛け合わせると、以下のようになります。数値は調査対象全体の中の割合です。
▽辺野古埋め立てに反対であり、自分の住む地域への移設にも反対 43・7%
▽辺野古埋め立てに賛成であり、自分の住む地域への移設にも賛成 15・1%
▽辺野古埋め立てに賛成だが、自分の住む地域への移設には反対 12・2%
▽辺野古埋め立てに反対だが、自分の住む地域への移設には賛成 5・2%

 この結果をどう読み解くかを軽々に語ることは控えたいと思いますが、県民投票の結果を沖縄県外、つまり日本本土の住民がわが事として受け止めるための社会的な議論の出発点としては、沖縄の人たちが反対している基地を自分が住む地域で受け入れることができるかどうか、という問いは分かりやすいのではないかと思います。
 県民投票で示されたのは、地域のことは地域で決める自己決定権を求める沖縄の人たちの意思でした。上記の4類型の中で、「辺野古埋め立てに賛成だが、自分の住む地域への移設には反対」との回答は、ごく大雑把に言えば、現状のまま基地の負担は沖縄に引き受けてもらうのがよい、あるいはそれしかない、という姿勢であり、沖縄の人たちの自己決定権は認めなくていい、あるいは認められないのはやむを得ないとの考え方(意識しているかどうかにかかわらず)だと言えるかもしれません。その割合が12%余というのは、やはり少なくないと感じます。

 ちなみに沖縄県民投票を巡る朝日新聞、共同通信、NHKの質問と回答状況は以下の通りでした。

・朝日新聞
◆沖縄県にあるアメリカ軍普天間飛行場の移設をめぐり、名護市辺野古への埋め立ての是非を問う県民投票が実施され、埋め立て「反対」が7割を超えました。安倍政権は、普天間飛行場の名護市辺野古への移設を見直すべきだと思いますか。
 「見直すべきだ」55%
 「見直す必要はない」30%

・共同通信
◆沖縄県の玉城デニー知事は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対していますが、政府は移設を進める考えです。あなたは、移設を進める政府の姿勢を支持しますか、支持しませんか。             
 「支持する」 37・2%
 「支持しない」48・9%
◆2月24日の沖縄県民投票では、辺野古沿岸部の埋め立てへの反対が72%を占めました。あなたは、政府はこの結果を尊重すべきだと思いますか。      
 「尊重すべきだ」   68・7%
 「尊重する必要はない」19・4%

・NHK
◆沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画に伴う名護市辺野古沖の埋め立てへの賛否を問う県民投票で、「反対」の票が多数を占めました。県民投票に法的拘束力はなく、政府は、普天間基地の返還を実現するため、予定通り、移設を進める方針です。あなたは、政府の方針を評価しますか。評価しませんか。それともどちらともいえませんか。
 「評価する」24・2%
 「評価しない」34・2%
 「どちらともいえない」33・8%

 このほか、各調査の質問の中で、元号について尋ねたものとその回答状況を書きとめておきます。

・読売新聞
◆あなたは、ふだんの生活や仕事で、元号と西暦では、元号を多く使っていますか、西暦を多く使っていますか、それとも、どちらも同じくらいですか。
 「元号」41%
 「西暦」25%
 「どちらも同じくらい」33%

・朝日新聞
◆平成の元号が4月で終わり、5月から新しい元号になります。日常生活でおもに使いたいと思うのは、新しい元号の方ですか。西暦の方ですか。
 「新しい元号」40%
 「西暦」50%
◆新天皇の即位と新しい元号で、世の中の雰囲気が変わると思いますか。
 「世の中の雰囲気が変わる」37%
 「そうは思わない」57%

・産経新聞・FNN
 天皇陛下の譲位と皇太子さまの即位に伴い、5月1日に新しい元号となる
◆平成の時代は良い時代だったか
 「良い時代だった」60・1%
 「良いとはいえない時代だった」25・4%
◆新しい時代は平成よりも良い時代になると期待しているか
 「期待している」66・7%
 「期待していない」26・1%
◆新元号について、日本の古典や文学と中国の古典のどちらから採用してほしいか
 「日本の古典や文学」63・5%
 「中国の古典」3・7%
 「こだわりはない」31・8%

 

官邸前で記者と市民が抗議/「記者会と協力」政権が強調~記者会見の質問制限5

 菅義偉官房長官の記者会見をめぐる東京新聞記者の質問制限問題で、最近の二つの動きを書きとめておきます。

▼首相官邸前の抗議集会に600人超
 新聞労連や民放労連、出版労連などマスメディアや文化情報産業関連の9産業別労組でつくる日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)が3月14日夜、首相官邸前で抗議集会を開きました。主催者発表で600人以上が参加したとのことです。後掲しますが、ネット上で参加者のスピーチを聞くことができます。
 問題の発端は昨年12月28日に、首相官邸側が報道室長名で記者クラブ「内閣記者会」に対し、東京新聞の望月衣塑子記者を事実上名指しして、菅官房長官の記者会見での質問を「事実誤認」「度重なる問題行為」として、「官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念」「このような問題意識の共有をお願い申し上げる」と文書で申し入れたことです。朝日新聞の報道によると、これに対して内閣記者会は「記者の質問を制限することはできない」と伝えたとのことですが、それ以上の抗議などは現在に至るまで行っておらず、内閣記者会としてはこの問題に沈黙を続けている形です。
 MIC主催の抗議集会はそうした中で開かれました。抗議集会を報じた共同通信の記事によると、新聞労連の南彰委員長(MIC議長)は「不当な記者弾圧、質問制限が繰り返されている。悩んでいる官邸記者クラブの仲間たちが立ち上がれるよう勇気づけよう」と呼び掛けたとのことです。「悩んでいる仲間たち」という表現は、「○○新聞社○○部」などの所属の違いを超えて、同じ「記者」の職能を持つ個人という意味で重要です。
 集会には労組員ではない一般の方の参加もあったとのことです。記者たちが市民と一緒に「知る権利」を守ろうと声を上げたことの意味は小さくありません。官邸側の質問妨害は特定の記者、特定の新聞社との間の限定的な問題ではなく、広く社会全体の「知る権利」にかかわる問題であることが、より分かりやすくなったのではないかと感じます。

※47news=共同通信「『官邸は質問制限するな』と抗議 マスコミ労組」2019年3月14日
 https://this.kiji.is/478897589263909985?c

 毎日新聞は自社サイトに動画もアップしています。
※毎日新聞「『知る権利守ろう』首相官邸前で抗議集会」2019年3月14日
 https://mainichi.jp/articles/20190314/k00/00m/040/305000c

 主催団体のMICのサイトには長時間の動画がアップされています。東京新聞・望月記者も集会に参加して発言しています。1時間30分50秒ごろからです。

youtu.be

※日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
 http://www.union-net.or.jp/mic/
 3月14日の集会アピール(PDFファイル)
 http://www.union-net.or.jp/mic/pdf/2019_03_14-MIC%E3%83%BCkanteikougi-appeal.pdf

 

▼「記者会と協力」と政権が強調することの危うさ
 抗議集会の翌日の15日、安倍晋三政権から看過できない見解の表明が2件ありました。一つは官房長官の記者会見の主催は内閣記者会なのに、司会を官邸報道室長が務めていることについてです。安倍政権は15日の閣議で、「今後とも報道室長が司会を行うことが適切だ」との答弁書を決定しました。
※47news=共同通信「政府、報道室長の司会『適切』 長官会見で答弁書」2019年3月15日 

https://this.kiji.is/479117043058787425?c
 以下は一部の引用です。

 答弁書は報道室長が司会をする理由を「官房長官の会見後の業務に支障が生じないようにする観点から行っている。報道室長は記者会と協力しながら会見の円滑な運営に努めている」と説明した。

 もう一つは菅官房長官の15日の記者会見での発言です。
※47news=共同通信「菅氏『会見で誤認質問許されず』 東京新聞の記者に」2019年3月15日
 https://this.kiji.is/479232209501127777?c

 菅義偉官房長官は15日の記者会見で、東京新聞の特定の記者が「記者の質問の自由」に関する政府の認識を尋ねたのに対し「事実に基づかない質問を平気で言い放つことは絶対に許されない」と述べた。「記者による個人的意見、主張が繰り返された場合、官房長官会見の本来の趣旨が損なわれる」と説明した。

 産経新聞の報道によると、菅官房長官は「会見が国民の知る権利に資するものとなるよう、今後とも内閣記者会と協力しながら適切に対応していく」とも話したとのことです。
※産経新聞「事実に基づかない質問『許されない』 菅長官、東京新聞記者に」2019年3月15日
 https://www.sankei.com/politics/news/190315/plt1903150033-n1.html

 記者の質問が事実誤認に基づいているのなら、答える側がそう指摘すればいいことです。むしろ「事実ではない」という政府の主張それ自体が一つの見解にすぎない、という場合だって少なくないのではないかとも思います。「事実に基づかない質問を平気で言い放つことは絶対に許されない」とは、その文言だけを見ればその通りかもしれませんが、では記者会見の場で「事実に基づかない」とだれがどう判定するのでしょうか。政府がそう言えばそうなのだ、ということならば、記者会見は成り立ちません。答える側が答えたい質問だけを選ぶことが可能になります。政府広報と変わるところはありません。
 より一層、問題だと感じるのは、記者会見の司会役である報道室長は記者の質問中に「質問簡潔に」などと妨害しているのに、答弁書で「報道室長は記者会と協力しながら会見の円滑な運営に努めている」と、記者会を持ち出して正当性を強調していることです。菅官房長官も「今後とも内閣記者会と協力しながら適切に対応していく」と触れています。内閣記者会が表立った抗議をしていないのをいいことに、自らに都合のいいように「協力」関係を強調しているように見えます。しかし、記者クラブは公権力と協力するための組織ではありません。
 以下は日本新聞協会の「記者クラブ見解」とその「解説」の一部です。
 ※日本新聞協会「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」
 2002年(平成14年)1月17日第610回編集委員会
 2006年(平成18年)3月9日第656回編集委員会一部改定
 https://www.pressnet.or.jp/statement/report/060309_15.html

 取材・報道のための組織
 記者クラブは、公的機関などを継続的に取材するジャーナリストたちによって構成される「取材・報道のための自主的な組織」です。
 日本の報道界は、情報開示に消極的な公的機関に対して、記者クラブという形で結集して公開を迫ってきた歴史があります。記者クラブは、言論・報道の自由を求め日本の報道界が一世紀以上かけて培ってきた組織・制度なのです。国民の「知る権利」と密接にかかわる記者クラブの目的は、現代においても変わりはありません。
 インターネットの急速な普及・発展により、公的機関をはじめ、既存の報道機関以外が自在に情報を発信することがいまや常態化しており、記者クラブに対し、既存のメディア以外からの入会申請や、会見への出席希望が寄せられるようになりました。
 記者クラブは、その構成員や記者会見出席者が、クラブの活動目的など本見解とクラブの実情に照らして適正かどうか、判断しなくてはなりません。
 また、情報が氾濫(はんらん)する現代では、公的機関が自らのホームページで直接、情報を発信するケースも増え、情報の選定が公的機関側の一方的判断に委ねられかねない時代とも言えます。報道倫理に基づく取材に裏付けられた確かな情報こそがますます求められる時代にあって、記者クラブは、公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務を負っています。クラブ構成員や記者会見出席者は、こうした重要な役割を果たすよう求められます。
 (後略)

 

解説
1 目的と役割
 (中略)
 重ねて強調しておきたいのは、記者クラブは公権力に情報公開を迫る組織として誕生した歴史があるということである。インターネットの普及が著しい現在、公的機関のホームページ上での広報が増え、これに対して電子メールなどを通じた質疑・取材が多用されるようになり、公的機関内に常駐する機会が少なくなることも今後は予想される。だがその結果、記者やメディアが分断され、共同して当局に情報公開を迫るなどの力がそがれる危険性もある。そうした意味でも記者クラブの今日的な意義は依然大きいものがある。
 記者クラブは、記者の個人としての活動を前提としながら「記者たちの共同した力」を発揮するべき組織である。個々の活動をクラブが縛ることはあってはならない。

 記者クラブは公権力に情報公開を迫るための組織です。公権力が記者の質問を妨害していると批判されているのに、その批判への反論に際して「記者クラブとの協力」が公権力によって強調されています。記者の間に分断をもたらすものであって、看過できません。

東京大空襲から74年 殉職した電話局職員31人の記録~「一顧の歴史と 寸時の祈念とを惜しませ給うな」(吉川英治の碑文) ※追記 吉川英治記念館のこと

 第2次世界大戦の末期、1945(昭和20)年の3月10日未明、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の大編隊の空襲を受け、一夜にして住民10万人以上が犠牲になりました。その「東京大空襲」からことしは74年です。わたしなりに戦争を、中でも生活の場が戦場になり、おびただしい住民が犠牲になったこの東京大空襲の歴史を追体験するために、近年は多くの犠牲者が出た地へ慰霊碑を訪ねたりしています。
 ※東京大空襲に言及したこのブログの過去記事はカテゴリー「東京大空襲」をご参照ください

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 今回は、ことし1月半ばに訪ねた東京都墨田区の墨田電話局慰霊碑のことを書きます。
 JR総武線の両国駅、錦糸町駅からそれぞれ徒歩で20~30分程度でしょうか。蔵前橋通りと三つ目通りの交差点の少し北に「NTT石原ビル」(墨田区石原4丁目36-1)があります。
 大空襲の当夜、この地にあった墨田電話局では前夜から男性職員3人、女性交換手28人が勤務しており、最後まで職場にとどまって全員死亡しました。「由来」の説明プレートによると、最年少の交換手は15歳だったとのことです。通信インフラ網の維持は戦争遂行にとっても重要なことであり、早期に職場を離れて避難することなど、許されることではなかったのだろうと、容易に想像が付きます。若年労働力を根こそぎ動員せざるをえなかった、無謀な戦争の一面もあらためてよく分かると感じました。

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 慰霊碑のそばには、作家吉川英治による自筆の追悼の碑もありました。その詳しい由来がブログ「草思堂から 吉川英治記念館学芸員日誌」にありました。一部を引用して紹介します。

 ※「墨田電話局慰霊碑」=2016年12月17日
 http://yoshikawa.cocolog-nifty.com/soushido/2016/12/post-0a15.html

 吉川英治は、この東京大空襲で最初の妻・赤沢やすとの結婚時代に引き取った養女・園子を失っています。

 女子挺身隊として動員されていた園子は、やすと共に都心に残っていました。
 最後に確認されたのは、当時住んでいた浅草の自宅で、外出していたやすの帰宅を待つ姿でした。
 そのまま園子は行方不明となり、ついにその消息は分かりませんでした。
 吉川英治は、園子行方不明の連絡を受け、当時住んでいた吉野村(現吉川英治記念館)から連日上京して、園子の消息を訪ね歩きました。
 その時のことを、梶井剛元電電公社総裁との対談(『電信電話』昭和32年6月号)で触れています。
 園子を探し歩いてくたくたになった後、親交のあった秋山徳三の家に立ち寄ったところ、そこに来合わせた人物から墨田電話局の悲劇を聞かされたと言います。
 そして、こう語っています。
 
 それをききましてぼくは、ああ、そんなにまで純真なおとめたちがあったのに、ぼくの養女一人がみえなくなったからっていって、そう途方にくれたように幾日も探し歩いてもしようがない、たくさん、日本のいい娘たちが、そうして亡くなったんだから……と思って、ぼくもそこですっかりあきらめて、ついにその晩雪のなかを奥多摩へ帰ったことがありました。その話を、ぼくはいつまでも忘れかねるんですね。

 吉川英治は、この対談が縁となって、昭和33年(1958)3月10日に行われた慰霊碑の除幕式に招かれます。
 当時の吉川英治の秘書の日誌によると除幕式の3日後、電電公社の職員が来訪し、慰霊碑のそばに設置する由緒を記した碑文の撰文と揮毫を依頼します。
 この日誌からは、依頼を受けた吉川英治が、半月以上の時間をかけて、何度も書き直して碑文を完成させたことが窺えます。

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 その碑文には何が書かれているか、実物は見づらく、内容を正確に読み取るのは困難でした。上記のブログによるとこう書かれています。

 春秋の歩み文化の進展は その早さその恩恵に馴るゝ侭
つい吾人をして 過去の尊いものをも忘れしむる
こゝ百尺の浄地ハ 大正十二年九月一日関東大震災
殉職者二名と また過ぐる昭和二十年三月九日夜半
における大戦の大空襲下に 国を愛する清純と自
らの使命の為 ブレストも身に離たず 劫火のうち
に相擁して仆れた主事以下の男職員三名 ならびに
女子交換手二十八名が その崇高な殉職の死を 永遠と
なした跡である
当時の墨田分局 いま復興を一新して その竣工の慶を
茲に見るの日 想いをまた春草の下に垂れて かっての
可憐なる処女らや ほか諸霊にたいし 痛惜の
悼みを新にそゝがずにいられない
人々よ 日常機縁の間に ふとここに佇む折もあ
らば また何とぞ 一顧の歴史と 寸時の祈念
とを惜しませ給うな        吉川英治 謹選

 「一顧の歴史と 寸時の祈念とを惜しませ給うな」との言葉に従って、慰霊碑に手を合わせ、目を閉じて空襲当夜に思いをはせました。一帯は空襲によって一面の焼け野原になりましたが、今はビルやマンションが立ち並び、車がひっきりなしに行き交います。戦争の歴史を知らず、この現在の街並みに接するだけだったら、かつてこの場所で15歳の少女を含む31人もの方が、職務に殉じて空襲の犠牲になった、そのような出来事があったとはとても想像できないと思いました。

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 日本の敗戦から70年以上がたって、戦争を直接体験し、今に語ることができる方々がいなくなってしまう日も、それほど遠い先のことではありません。戦争の歴史を教訓として生かしていけるかは、まず第一に戦争体験を社会で継承していけるかにかかっています。戦争体験の継承の重要さをあらためて感じます。

 吉川英治記念館は東京都青梅市柚木町1-101-1に所在。かつての西多摩郡吉野村です。この地と吉川英治のかかわりについて、記念館のサイトは以下のように記しています。

 「宮本武蔵」「三国志」などの作品で国民的作家となった吉川英治は、昭和19年3月、都心の赤坂区(現港区)からこの地に移り住みます。
 形の上では戦時下の疎開のようですが、この3年前、太平洋戦争開戦以前に既に家を購入するなどの準備をした上での決意の移住でした。吉川英治はこの吉野村の家で昭和28年8月までの9年5ヶ月を過ごしますが、生涯で一番長く住んだのがこの家でした。

 記念館はことし2019年3月で閉館とのことです。

 NTT石原ビルから西に徒歩で5分ほどの「山田記念病院」玄関前には、旧日本海軍の駆逐艦「初霜」の錨が置かれていて、まじかで見学することができます。
 説明のプレートによると、病院の初代院長の山田正明さんは元海軍の軍医。かつて軍医長として乗り組んでいた初霜が戦後、解体された後に錨を引き取ったとのことです。
 ウイキペディア「初霜(初春型駆逐艦)」によると、初霜は1934年に就役。終戦直前の45年7月30日、京都府の宮津湾で米軍機と戦闘中に触雷して大破、擱座し、戦列を離れました。太平洋戦争を通じて第一線で活動し、45年4月の戦艦大和の海上特攻作戦にも参加していました。この錨を目にし、触れることで、そうした海の戦争も確かにあったのだと感じ取ることができたように思いました。

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 ※追記 2019年3月22日0時15分
 東京都青梅市の吉川英治記念館は3月20日をもって閉館しました。その前の休日、思い立って訪ねてみました。74年前の1945年、吉川英治は3月10日の東京大空襲で行方不明になった養女の園子を探しに都心に出て、しかし消息は分からないまま、ついにあきらめて、おそらくは傷心で青梅に戻ります。その日はこの時期とそう変わらなかったのではないかと思いました。
 吉川英治が戦後、元電電公社総裁との対談で語ったところでは、その晩は雪だったとのことです。わたしが訪ねた日は、吹く風にまだ冬の冷たさが残っているようでしたが、日差しを浴びて歩いていると、コートを着たままでは汗ばんでくるような、本格的な春の到来もまもなくだろうと感じる日でした。

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【写真】吉川英治が生活していた母屋

 都心からはJR中央線を立川駅で青梅線に乗り換え30分で青梅駅に着きます。それまで平野を走ってきた電車も、青梅から先は趣きが変わって山間部に入っていきます。記念館は青梅から二つ目の日向和田駅が最寄りですが、わたしは青梅駅からバスに乗り換えました。多摩川をさかのぼるように走ること15分ほどで、記念館に着きました。
記念館には吉川英治の最初の妻、赤沢やす、養女の園子と一緒に写った写真も展示されていました。生後間もなく引き取った園子を夫婦ともにかわいがって育てたようですが、「子はかすがい」とはならず夫婦は1937年に離婚。1945年当時は、吉川英治は再婚していました。それでも園子の消息不明を知って探しに行ったのは、それだけ園子への愛情が深かったということなのだろうな、と感じました。年譜を見ると、敗戦後2年間、断筆しています。対談で「ぼくはいつまでも忘れかねる」と語っていた園子のことを、この山あいの里でずっと考えていたのでしょうか。

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【写真】吉川英治の書斎

 記念館から徒歩で15分ほど。一帯は吉野梅郷と呼ばれる梅の名所でした。青梅市観光協会のサイトなどによると、最盛期は約120品種、1700本以上の梅樹がありましたが、ウメ輪紋ウィルス防除対策によりすべて2014年までに伐採したとのことです。その後植樹を進めており、わたしが訪ねた日は再開された梅まつりの期間中でしたが、かつてのにぎわいが戻ってくるには、まだ相当の時間がかかるのだろうと感じました。
 吉川英治が園子の生存をあきらめ、失意のまま吉野に戻った日も、梅は咲いていたのかもしれません。その花を見ても、きっと喪失感は埋められなかっただろうと思います。

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日本ペンクラブが声明~記者会見の質問制限4

 菅義偉官房長官の記者会見での東京新聞記者の質問制限問題で、日本ペンクラブが3月1日に声明を発表しました。 

日本ペンクラブ声明 「首相官邸記者会見の質問制限と回答拒否問題について」 – 日本ペンクラブ

※日本ペンクラブ http://japanpen.or.jp/

 直接は官房長官と首相官邸報道室の対応を批判する内容ですが、最後に「報道各社の記者がジャーナリストとしての役割と矜持に基づき、ともに連携し、粘り強い活動をつづけることを期待する」と書き添えています。「思想・信条の自由、言論・表現の自由の擁護」を基本理念の一つに掲げる日本ペンクラブからの指摘として、記者クラブのありようという観点からも軽視できないと感じますので、声明全文を転載しておきます。

 いったい何を大人げないことをやっているのか。内閣官房長官と首相官邸報道室のことである。両者は昨年末、内閣記者会に対し、東京新聞記者の質問が「事実誤認」「問題行為」であるとして「問題意識の共有」を申し入れたのを手始めに、2ヵ月が経ったいまも、同記者の質問に対し、「あなたに答える必要はない」と高飛車に応じている。
 官房長官の記者会見は、記者がさまざまな角度から政府の政策を問い質す場である。その背後に国民の「知る権利」があることは言うまでもない。質問に誤解や誤りがあれば、それを正し、説明を尽くすことが官房長官の仕事ではないか。「答える必要はない」とは、まるで有権者・納税者に対する問答無用の啖呵である。
 そもそもこの問題には最初から認識の混乱がある。官邸報道室長が内閣記者会に申し入れた文書(昨年12月28日付)には、会見はインターネットで配信されているため、「視聴者に誤った事実認識を拡散させることになりかねない」とあった。
 ちょっと待ってほしい。政府は国会答弁や首相会見から各種広報や白書の発行まで、政策を広める膨大なルートを持っている。問題の官房長官記者会見も「政府インターネットテレビ」が放送している。仮に「誤った事実認識」が散見されたとしても、政府には修正する方法がいくらでもあるではないか。それを「拡散」などとムキになること自体、大人げないというべきである。
 私たちは今回の一連の出来事に対する政府側の対応を、なかば呆れながら見守ってきた。この硬直した姿勢は、特定秘密保護法、安保法制審議、いわゆるモリカケ問題から、最近の毎月勤労統計不正、沖縄県民投票結果への対応までほぼ一貫し、政府の資質を疑わせるまでになっている。
 私たちが懸念するのは、これらに見られた異論や批判をはねつけ、はぐらかす姿勢が、ものごとをさまざまな角度から検討し、多様な見方を提示し、豊かな言葉や音楽や映像等で表現しようとする意欲を社会全体から奪っているのではないか、ということである。これは一記者会見のあり方を超え、社会や文化の活力を左右する問題でもある。
 私たちは官房長官と官邸報道室が、先の申し入れ書を撤回し、国民の知る権利を背負った記者の質問に意を尽くした説明をするよう求めるとともに、報道各社の記者がジャーナリストとしての役割と矜持に基づき、ともに連携し、粘り強い活動をつづけることを期待する。
 

2019年3月1日
一般社団法人日本ペンクラブ
会長 吉岡 忍