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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

昭和天皇の「戦後責任」~「拝謁記」 沖縄の新聞の視点

 戦後、初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が昭和天皇とのやり取りを書き記していた「拝謁記」をNHKが遺族から入手し、その内容を8月16日に放送しました。NHKは同19日に「拝謁記」のうち自局で放送済みの部分を公開。これを元に新聞各紙も19日夕刊から20日付朝刊にかけて大きく報じました。NHKも新聞各紙も総じて報道は、昭和天皇が戦争を後悔し、敗戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に反省の気持ちを表明したいと強く希望しながら、当時の吉田茂首相の反対でかなわなかったことや、戦前のような軍隊の復活は否定しつつ、憲法改正と再軍備を口にしていたことが中心でした。
 そうした中で、これは注目されるべきだろうと思ったのは、沖縄の琉球新報、沖縄タイムス両紙の視点です。琉球新報は20日付の記事で、昭和天皇が1953年当時、全国各地で反米軍基地闘争が起きる中で、基地の存在が国全体のためにいいのなら一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことを大きく報じました。沖縄タイムスも翌21日付の記事で、この部分をクローズアップしています。
 両紙とも21日付の社説でも取り上げ、「昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3度切り捨てられている。根底にあるのは全体のためには一部の犠牲はやむを得ないという思考法だ」「こうした考え方は現在の沖縄の基地問題にも通じる」(琉球新報)、「米軍の駐留について『私ハむしろ 自国の防衛でない事ニ当る米軍ニハ 矢張り感謝し酬(むく)ゆる処なけれバならぬ位ニ思ふ』(53年6月)と語ったとの記録もあり、今につながる米国とのいびつな関係性を想起させる」(沖縄タイムス)と指摘しています。琉球新報の社説が「戦後責任も検証が必要だ」と掲げているように、昭和天皇を巡っては「戦争責任」だけではなく、「戦後責任」の問題もあるはずだと問うています。
 沖縄の両紙のような視点がなければ、昭和天皇の戦後の発言は歴史のひとコマとしての位置付けしかなされず、今日的な問題とのつながりを意識できないかもしれません。以下に両紙の報道の一部を書きとめておきます。

■琉球新報
「一部の犠牲やむを得ぬ 昭和天皇、米軍基地で言及 53年宮内庁長官『拝謁記』」=2019年8月20日
 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-974423.html

 【東京】初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりを詳細に記録した「拝謁(はいえつ)記」が19日、公開された。全国各地で反米軍基地闘争が起きる中、昭和天皇は1953年の拝謁で、基地の存在が国全体のためにいいとなれば一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことが分かった。
 専門家は、共産主義の脅威に対する防波堤として、米国による琉球諸島の軍事占領を望んだ47年の「天皇メッセージと同じ路線だ」と指摘。沖縄戦の戦争責任や沖縄の米国統治について「反省していたかは疑問だ」と述べた。
 (中略)
 昭和天皇は「基地の問題でもそれぞれの立場上より論ずれば一應尤(いちおうもっとも)と思ふ理由もあらうが全体の為ニ之がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ一部の犠牲となる人ニハ全体から補償するといふ事にしなければ国として存立して行く以上やりやうない話」だとした。戦力の不保持などをうたった日本国憲法を巡っては「憲法の美しい文句ニ捕ハれて何もせずに全体が駄目ニなれば一部も駄目ニなつて了(しま)ふ」との見方も示していた。
 同年6月1日の拝謁では「平和をいふなら一葦帯水(いちいたいすい)の千島や樺太から侵略の脅威となるものを先(ま)づ去つて貰ふ運動からして貰ひたい 現実を忘れた理想論ハ困る」と述べた。旧ソ連など共産主義への警戒感を強め、米軍基地反対運動に批判的な見解を示していた。

【社説】「昭和天皇『拝謁記』 戦後責任も検証が必要だ」=2019年8月21日
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-975015.html

 沖縄を巡り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある。歴史を正しく継承していく上で、これらの検証は欠かせない。
 45年2月、近衛文麿元首相が国体護持の観点から「敗戦は必至」として早期和平を進言した。昭和天皇は、もう一度戦果を挙げなければ難しい―との見方を示す。米軍に多大な損害を与えることで講和に際し少しでも立場を有利にする意向だった。
 さらに、45年7月に和平工作のため天皇の特使として近衛元首相をソ連に送ろうとした際には沖縄放棄の方針が作成された。ソ連が特使の派遣を拒み、実現を見なかった。
 そして47年9月の「天皇メッセージ」である。琉球諸島の軍事占領の継続を米国に希望し、占領は日本に主権を残したまま「25年から50年、あるいはそれ以上」貸与するという擬制(フィクション)に基づくべきだ―としている。宮内府御用掛だった故寺崎英成氏を通じてシーボルトGHQ外交局長に伝えられた。
 既に新憲法が施行され「象徴」になっていたが、戦前の意識が残っていたのだろう。
 これまで見てきたように、昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3度切り捨てられている。根底にあるのは全体のためには一部の犠牲はやむを得ないという思考法だ。
 こうした考え方は現在の沖縄の基地問題にも通じる。
 日本の独立回復を祝う52年の式典で昭和天皇が戦争への後悔と反省を表明しようとしたところ、当時の吉田茂首相が反対し「お言葉」から削除されたという。だからといって昭和天皇の責任が薄れるものではない。
 戦争の責任は軍部だけに押し付けていい話ではない。天皇がもっと早く終戦を決意し、行動を起こしていれば、沖縄戦の多大な犠牲も、広島、長崎の原爆投下も、あるいは避けられたかもしれない。

■沖縄タイムス
「『一部の犠牲 やむを得ぬ』 昭和天皇、米軍駐留巡り 1953年記録 沖縄を切り離す『天皇メッセージ』と通底」=2019年8月21日
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460393

 【東京】初代宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇との詳細なやりとりを記録した資料「拝謁(はいえつ)記」の中で、1950年代に日本国内で基地反対闘争が激化しているさなか、昭和天皇が53年11月24日の拝謁で「一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬ」との認識を示していたことが20日までに分かった。拝謁記の中で昭和天皇は国防は米軍に頼らざるを得ないとの考えを度々言及している。識者は「戦後にロシアの共産主義の脅威を恐れ、米国が琉球諸島を軍事占領することを求めた47年9月の『天皇メッセージ』を踏まえたもの」と指摘する。

【社説】「[ 昭和天皇『拝謁記』] 今に続く『捨て石』発想」=2019年8月21日
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460401

 昭和天皇との対話を詳細に記録した貴重な資料の中で目を引くのが、基地問題に触れた記述だ。
 「全体の為ニ之がいゝと分れば 一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ 一部の犠牲となる人ニハ 全体から補償するといふ事ニしなければ 国として存立して行く以上 やりやうない話」(53年11月)とある。
 53年といえば、米軍統治下にあった沖縄では、米国民政府の「土地収用令」が公布され、「銃剣とブルドーザー」による土地の強制接収が始まったころだ。
 本土でも米軍基地反対闘争が起こっていた。反基地感情が高まり、本土の米海兵隊の多くが沖縄に移転した。
 「一部の犠牲」が沖縄に負わされる形で、今も、国土面積の0・6%にすぎない沖縄県に米軍専用施設の約70%が固定化されている。
 国の安全保障を沖縄が過重に担う現在につながる源流ともいえる言葉だ。
 戦時中、沖縄は本土防衛のための「捨て石」にされた。
 47年9月、昭和天皇が米側に伝えた「天皇メッセージ」では、「アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の-25年から50年ないしそれ以上の-貸与(リース)をする」と、昭和天皇自らが、沖縄を米国に差し出した。
 今回明らかになった「一部の犠牲はやむなし」の思考はこれらに通底するものだ。
 米軍の駐留について「私ハむしろ 自国の防衛でない事ニ当る米軍ニハ 矢張り感謝し酬(むく)ゆる処なけれバならぬ位ニ思ふ」(53年6月)と語ったとの記録もあり、今につながる米国とのいびつな関係性を想起させる。


 東京発行の新聞各紙についいても、8月20日付朝刊で「拝謁記」をどう報じたか、事実関係を中心にした本記の扱いと見出しを以下に書きとめておきます。

▽朝日新聞
1面準トップ「昭和天皇 終戦後の『言葉』/戦争『反省といふ字、入れねば』/改憲『軍備の点だけ公明正大に』/記録文書見つかる」

▽毎日新聞
1面トップ「昭和天皇 戦争への悔恨/『反省といふ字どうしても入れねば』/拝謁記 表明実現せず/再軍備言及『禁句です』」

▽読売新聞
1面「再軍備、憲法改正 言及/昭和天皇の会話記録公開」

▽日経新聞
第2社会面「昭和天皇、戦争『反省』望む/宮内庁初代長官が会話記録/52年式典お言葉 首相反対で削除」

▽産経新聞
1面「昭和天皇の発言明らかに/改憲は『公明正大に』/再軍備『やむをえず』/初代宮内庁長官『拝謁記』」

▽東京新聞
1面準トップ「昭和天皇の声 克明/戦争『反省』退位言及/再軍備を主張/初代宮内庁長官 拝謁記」

事実を歴史としてどう継承するのか~敗戦から74年の課題 付記・ブロック紙、地方紙の社説から

 日本の敗戦で第2次世界大戦が終結して74年。ことしの8月15日は、重苦しい気持ちで迎えました。
 一つは日本と韓国の政府間関係の悪化です。大きな要因は、元徴用工への賠償という歴史問題です。「日韓基本条約で解決済み」という主張があるにしても、日本はかつて朝鮮半島を植民地として支配した加害の側です。主張が対立するとしても、被害側に対して加害側は抑制的に振る舞い、粘り強く解決を目指すべきだろうと思うのですが、現時点で展望は見えません。
 韓国では8月15日は、植民地支配から解放され独立を回復した日として「光復節」と呼んでいます。政府式典での演説で文在寅大統領は「日本が対話と協力の道へ向かうなら、われわれは喜んで手を結ぶ」と述べ、日本に対話を呼び掛けたと報じられています(共同通信)。安倍晋三政権はどう答えるのでしょうか。
 歴史問題は、「あいちトリエンナーレ2019」の中の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった出来事でも影を落としています。韓国の彫刻家が制作した慰安婦を象徴した「平和の少女像」に対し、河村たかし・名古屋市長が「日本国民の心を踏みにじる行為」などと抗議。大阪市の松井一郎市長は慰安婦について「軍が関与して強制連行したということはなかった。朝日新聞が謝罪している」「デマの象徴である慰安婦像を行政が主催する展示会で展示すべきではない」と、記者団の囲み取材で話しました。「デマの象徴である慰安婦像」とは、慰安婦の存在そのものを否定したものではないのかもしれませんが、乱暴な表現です。強制連行があったかなかったかを離れても、慰安婦問題が問い掛ける今日的な意味は、戦争には必ずと言っていいほど性暴力が伴うという普遍的な問題であるとわたしは理解しています。しかし、企画展に抗議が殺到し中止に追い込まれた背景には、「日本国民の心」「デマの象徴」といった感情的な言辞が社会の中で少なくない支持を得る状況があるのでしょう。歴史的事実を社会で共有することが難しくなっているように感じます。
 例えですが、足を踏んだ側はそのことを忘れてしまうが、踏まれた側は覚えている、と言われます(殴った側、殴られた側の例えでも構いません)。加害側と被害側の意識の乖離が、日本の敗戦から74年たって今、日本社会の表層に噴き出しているように思えてなりません。例年この時期は、戦争体験の継承をマスメディアもテーマにしてきました。実際にはそれでは済まず、事実が事実として受け継がれない、歴史の歪曲を危惧しなければならない事態のように思います。事実に対してどういう意見を持つかは自由かもしれませんが、事実が社会で共有されない、あるいは事実が曲げられるなら、歴史から何も学ばない、学べないことになります。過去の事実を歴史としてどう共有し、受け継いでいくのかが、わたしたちの社会の課題であるように思います。

 そんなことを考えながら15日付の新聞各紙の社説、論説のうち、ネット上で読めるものに目を通してみました。特に地方紙、ブロック紙でいくつか印象に残るものがありました。一部を引用して書きとめておきます。

▼北海道新聞「きょう終戦の日 対話こそ平和紡ぐすべだ」/報復の連鎖に危うさ/改憲の時期ではない/多様な見方を重ねて
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/334901?rct=c_editorial

 戦後70年以上が経過しても消えない歴史問題は、東アジアの安定を損ねる火種と言える。
 ただ、その対処について一つのヒントがある。
 米コロンビア大のキャロル・グラック教授(歴史学)は歴史問題での対立を、「(過去の戦争に関する)国民の物語同士の衝突」と分析する。
 戦争の歴史をどう見るかは立ち位置によって変わる。国民の物語は自国側からの視点だけで、記憶は単純化されやすいため、相通ずることはなかなか難しいという。
 対立を和らげるには、相手の記憶を尊重しつつ、自らの記憶に多様な見方を加えていくことが重要になると教授は指摘する。
 そのために必要なのは、市民や学生も含めたさまざまなレベルでの対話や交流だ。
 日韓の対立が深まる中、両国の市民が友好のメッセージを交わす動きが見られた。政治的利害を超えて、相互理解を図る試みとして注目したい。
 まずは冷静になり、話す環境をつくり、胸襟を開く。それが平和を継続的に紡いでいくことにつながるに違いない。

▼信濃毎日新聞「終戦の日に 情動の正体を見極める」/安吾の見た大空襲/抜け落ちた事実は/考えて自らつかむ
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190815/KP190814ETI090008000.php

 東京圏で活動する市民団体「history for peace(ヒストリー・フォー・ピース)」代表の福島宏希さん(37)と、メンバーの桐山愛音さん(19)に話を聞いた。
 2年前に発足したばかりの団体で、福島さんを除く5人のメンバーは10代、20代だ。少数ながら戦争体験者から話を聞き、戦跡を巡る継承活動に力を入れる。空襲に遭った民間人への補償問題の勉強会も開いてきた。
 侵略戦争を肯定するような主張に福島さんは違和感を抱き、自分で戦史をたどり、ウェブサイトで発信していた。続けるうちに、実際に体験者に会い視野を広げたいと思うようになったという。
 「世の中に出回る情報は事実がそぎ落とされている。体験者から重い現実を聞くごとに、自分の中の戦争像がはっきりするようになった」と福島さんは話す。
 時々見る戦争映画には「日本の被害を描いた作品が多い。映像にはない面、日本は他国に何をしたのか。社会全体に掘り下げる動きがない」とも。
 いま世界を覆いつつある風潮にも通じる大切な指摘だ。
 (中略)
 桐山さんは高校2年の時に広島の平和記念公園を訪ね、原爆ドームで若いガイドの話を聞いた。「過去、現在、未来…。当たり前のつながりを初めて実感した。強烈な感情が刻まれて、歴史を学ぼうと思った」と言う。
 「history」に入ると、戦争孤児となった人を取材して記録をまとめた。今月開いた戦争体験者7人の話を聞く会では、運営の中心役を担っている。
 刻まれた強烈な感情とは何かを尋ねると、桐山さんは「うまく言葉にできない」と答えた。体験者と話をする前と後で、戦争との距離感が変わったのを桐山さんは感じている。史実を調べ、考え続けることで「刻まれた感情」は輪郭を帯びてくるのだろう。

▼新潟日報「終戦の日 歴史と向き合い平和守る」/記憶を風化させない/複眼的視点を持とう/若い世代に語り継ぐ
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190815488835.html

 上越市直江津には先の大戦で捕虜となった兵士の収容所があった。オーストラリア人捕虜約300人が暮らしたが、過酷な労働や劣悪な環境下で60人が死亡した。そこで働いていた日本人職員8人は戦後、戦犯として処刑された。
 上越日豪協会は1996年、収容所跡地の平和記念公園に平和友好像を建てた市民グループが母体となって発足した。毎年8月に公園で平和の集いを主催し、ことしも10日に開催した。
 元捕虜や遺族らとの交流や、子どもたちに平和の大切さを語り継ぐ活動も行っている。
 会は2年前、設立20周年の記念誌を作成した。オーストラリア人作家が捕虜を取材し、上越市で講演した内容が掲載されている。
 講演の中で、捕虜が当時書いていた日記が紹介されている。「収容所では下痢がまん延しており、非常に重症な患者もいる。ある者はひどく殴られた。おそらく今までで一番ひどい殴られ方だ」などと生々しい描写が続く。
 前会長の近藤芳一さんによると、相手側の視点に立った話は、日本人遺族らへの配慮もあり、会員の中には記念誌に掲載することに異論もあったという。
 近藤さんは「日本、オーストラリアそれぞれの視点を共有、統合した上で歴史を語ることが大切です。内向きな姿勢ではなく、互いの立場を理解することから、信頼関係が生まれてくる」と話す。
 「自国第一」を掲げる大国のリーダーに象徴されるように、相手の言い分や立場を軽んじる排外的な考え方が日本を含め各国で広がっているように見える。
 そうした中で、上越日豪協会の取り組みは、歴史を複眼的に見る大切さを教えてくれる。つらい過去を見つめ、反省すべき点を伝えていくことを忘れてはならない。

▼京都新聞「終戦の日に 『継承』の意味を問い直す時」/遺品が語る原爆被害/耳傾ける「同伴者」に/記憶が薄らぐ危うさ
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190815_3.html

 京滋を含めた各地で、戦争体験を記録したり、語り伝えたりする活動が行われている。戦禍を直接体験した人が減っていく中で、戦争の記憶が風化してしまうことを懸念する人は少なくない。
 ただ、すでに膨大な数の証言が書籍や映像などの形で蓄積されている。こうした記録は、体験者の「伝えたい」という思いだけでは完成しなかっただろう。その体験を「聴きたい、知らなければ」と考えた聞き手がいたからこそ、後世に伝わった面もあるはずだ。
 広島の被爆者が残した体験記や絵を詳細に分析した直野章子・広島市立大教授は、被爆体験の伝承は、証言に耳を傾ける「同伴者」なくして成立しない、と語る。
 聞き手は話をじっくり聴くことであらためて被害を認識し、原爆への疑念を強める。被爆者も体験を語ることで「再び被爆者をつくらない」との信念を形成する。
 直野さんは著書「原爆体験と戦後日本」で、継承されるべき被爆体験は「被爆者と被爆者でない者との共同作業の果実」であり、その継承の意味を「被爆者が同伴者とともに築いてきた理念を次世代に引き継ぐこと」と説く。
 戦争の直接体験者がいなくなった後に何を語り継いでいくべきかについての、新たな視点といえるだろう。体験者と同伴者の共同作業で生まれた証言や記録に触れることで、私たちも新たな同伴者として記憶をつないでいく役割を担うことができるかもしれない。

▼西日本新聞「終戦の日 歴史に学び『不戦』後世へ」/高齢者も戦争知らず/終わっていない悲劇/決して筆を曲げずに
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/535270/

 インターネット上では今、歴史資料を含めて膨大な情報が流れています。ところが日本人の視野はむしろ狭くなっている、と歴史家らは指摘します。自分の関心事だけを追い、全体像をつかんだり他者の立場を考えたりする想像力は低下している。その結果、「あの戦争は正しかった」といった言説を信じ、それを否定する人を「反日」呼ばわりする-。そうした風潮が目立つからです。
 今、米国をはじめ大国の「一国主義」が世界を席巻しています。国際協調の歩みは後退して排他主義が横行、テロや核開発の動きも拡散しています。日本の外交・安全保障政策は米国追従のままでよいのか。本来の役割を見失っていないか。記憶の風化が進む今こそ歴史から謙虚に学び、平和の尊さを見据える想像力が必要です。
 報道機関がかつて国家権力に屈し、軍国主義に加担した史実も消えることはありません。その反省に立てば、報道の最大の使命は「権力を監視し、日本に二度と戦争をさせないこと」に尽きます。
 時代がどう変わろうと、筆を曲げてはならない。そのことも私たちの誓いとして肝に銘じます。

▼沖縄タイムス「[「終戦の日」に]日韓共通の利益を探れ」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/458260

 あらためて思い起こしたいことがある。8月15日は終戦の日であると同時に大日本帝国が米国などの連合国に敗れ、崩壊した日だという点だ。
 日本の敗戦は、日本の植民地支配下にあった朝鮮の人々にとっては「解放」の日と位置付けられ、日本と戦った中国では抗日戦争勝利の日とされている。
 日本の敗戦によってアジアの人々はどのような戦後を迎えることになったのか。
 敗戦の暮れ、衆院議員選挙法の改正で、かつて「帝国臣民」だった在日朝鮮人や台湾人ら旧植民地出身者と、沖縄県民の選挙権が停止された。
 サンフランシスコ講和条約発効の際、旧植民地出身者は、国籍選択権を認められないまま日本国籍を失った。
 冷戦の顕在化によって朝鮮半島は南北に分断され、沖縄は復帰までの27年間、米軍統治下に置かれた。沖縄や韓国、台湾が反共軍事拠点として冷戦の最前線に置かれたことを忘れてはならない。
 終戦の日は、先の大戦の犠牲者を追悼し平和を祈念する日であるが、戦後、アジアの人々がたどった歴史体験にも目を向けたい。
 気がかりなのは、国交正常化以降、最悪ともいわれる日韓関係である。
 (中略)
 両国で「嫌韓」「反日」の感情が沸騰する現実は異常であり、若者の交流などを通して両国の国民感情を和らげていく努力が必要だ。

 15日は政府主催の全国戦没者追悼式が開かれ、5月に即位した現天皇が「深い反省」を口にしたと報じられています。東京発行の新聞各紙夕刊(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日経新聞、東京新聞)はそろって1面トップ。主見出しは、朝日、毎日、読売、東京は「平和」ないし「不戦」、「誓い」、「令和」でそろいました。昭和の戦争の体験を、平成に次いで令和の時代でも継いでいく、という意味を込めてのことでしょう。

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 わたしは、元号の「令和」を過度に強調しない方がいいと考えています。理由の一つは、知らずのうちに「戦争」を内向きに、つまり被害の側面ばかりを意識することにならないか、と思うからです。アジア各地での日本の加害を考えるのに、日本社会の時間の区切り方は関係がありません。
 もう一つは、天皇制と抜きがたく結びついている元号を所与の前提のように扱うことは、戦争と天皇制の問題、さらに言えば天皇の戦争責任の問題を見えづらくさせるのではないか、と考えるからです。

「展示再開」も論点に~「表現の不自由展」中止 新聞各紙の社説・論説の記録 ※追記:実行委対応にも疑問提示 追記2:読売新聞「主催する側にも甘さがあった」

 「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった問題に対して、いくつかの新聞が社説・論説で取り上げています。ネット上のサイトで確認できたものを記録しておきます。
 企画展の中止が発表されたのは8月3日でした。わたしが確認した限りですが、もっとも早い社説は5日付の京都新聞、沖縄タイムス、琉球新報の地方紙3紙でした。うち2紙が沖縄の新聞だったことは特筆されていいように思います。京都新聞の社説は、「表現の自由」が侵害されたことで、対になる「知る権利」も奪われたと明瞭に指摘しています。
 次いで6日付で全国紙の朝日、毎日両紙と信濃毎日新聞が掲載。いずれも展示の中止を求めた河村たかし名古屋市長らの政治介入を批判しています。その一方で表現に違いはありますが、展示内容を考えれば抗議は予想できたのに主催者側の備えは十分だったのか、との疑問も提示している点も共通しています。
 7日付では確認できた範囲で9紙が掲載しました。このうち佐賀新聞は共同通信が配信した論説を署名入りで掲載。東奥日報、茨城新聞も同内容です(ほか6紙は産経新聞、北海道新聞、山梨日日=見出しのみ確認、新潟日報、中日新聞・東京新聞、高知新聞)。
 ここにきて「実行委は中止の判断に至る経緯を検証した上で、企画展を再開する道を探ってもらいたい」(北海道新聞)、「今回の件で表現活動を萎縮させないため、再展示も含め何ができるか考えてみる必要がある」(東奥日報、茨城新聞、佐賀新聞)と展示再開に言及した社説・論説が出てきました。このブログの一つ前の記事でも触れましたが、どうやったら展示を再開できるのか、という議論は、具体的に表現の自由をどう守るのか、という意味では核心的といってもいい論点だとわたしは考えています。
 おおむね各紙とも、展示作品の内容の是非には触れていません。その中で、産経新聞は一線を画しました。「企画展の在り方には大きな問題があった。『日本国の象徴であり日本国民の統合』である天皇や日本人へのヘイト行為としかいえない展示が多くあった」「今回の展示のようなヘイト行為が『表現の自由』の範囲内に収まるとは、到底、理解しがたい」と、展示と企画展への批判を前面に出し、そもそも「表現の自由」として保護される対象ではないと言い切っているのが目を引きます。

 以下に、各紙の社説・論説の一部を引用して書きとめておきます。一定期間、ネット上の各紙のサイトで全文を読むことができるものはリンクも張りました。

【8月5日付】
▼京都新聞「少女像展示中止  悪い前例にならないか」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190805_4.html

 実際に会場に足を運んでみると、入場制限が行われるほど観客が訪れていた。少女像には賛否両論あるが、展示が多くの人の関心を集めたのは事実だ。
 それだけに、暴力を示唆する抗議で中止に追い込まれたのは極めて残念だ。悪い前例になりかねない。強く懸念する。
 (中略)
 観客やスタッフを危険にさらさない、という判断は理解できる。しかし電話をした人の中に、会場で展示を見た人がどれほどいたのだろうか。ネットを通じて不正確で断片的な情報が広がったのが、実際ではないか。
 展示を見ていない人の声で、これから見学しようという人たちの知る権利や学ぶ権利が奪われた、ともいえる。
 河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官の対応にも疑問が残る。
 河村氏は「行政の立場を超えた展示」として中止を大村知事に求めた。菅氏は補助金交付を慎重にする考えを示した。
 両氏に従えば、憲法が禁じる検閲になりかねない。そもそも、政府や行政のトップは憲法を守る立場から脅迫的な抗議に苦言を呈すべきではなかったか。
 京都アニメーション放火殺人事件を示唆するファクスなどは、極めて不謹慎な脅迫だ。警察は厳しく取り締まってほしい。

▼沖縄タイムス「[愛知芸術祭 企画展中止]脅迫こそ批判すべきだ」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/454271

 自由な表現活動を抗議や脅迫から守るのが本来の行政や政治家の責務である。
 逆に会長代行の河村たかし名古屋市長は企画展の視察後、大村知事に抗議文を出し、少女像などの展示中止を求めた。政治的圧力である。
 芸術祭は文化庁の補助事業で、菅義偉官房長官は慎重に判断する考えを示した。憲法の「検閲は、これをしてはならない」に反しかねない。菅氏はテロ予告や抗議に対してこそ強く批判すべきである。
 (中略)
 「表現の不自由展・その後」は15年に東京で開かれた小規模な展覧会「表現の不自由展」が原形である。日本の「言論と表現の自由」が脅かされているのではないか、との危機感から始まった。
 今回の企画展は、その続編の位置付けだ。中止になったことで不自由展がまた一つ重ねられ、日本における表現の自由の後退が国際社会に示されたと言わざるを得ない。
 主義主張は違っても、作品によって喚起される問題を自由闊達(かったつ)に議論すること。これこそが健全で民主的な社会だ。表現の自由を萎縮(いしゅく)させ、奪う社会は極めて危険だ。

▼琉球新報「愛知芸術祭展示中止 『表現の自由』守る努力を」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-966044.html

 指摘しなければならないのは、政治家たちの振る舞いだ。実行委会長代行でもある河村たかし名古屋市長は「行政の立場を超えた展示が行われている」として大村知事に抗議文を出し少女像などの展示中止を求めた。松井一郎大阪市長(日本維新の会代表)は、事前に展示は問題だと河村氏に伝えていた。芸術祭は文化庁の補助事業だが、菅義偉官房長官は補助金交付を慎重に判断する考えを示した。
 自由な創作や表現活動を守るべき立場にある行政の責任者らのこうした言動は理解に苦しむ。日本ペンクラブは「政治的圧力そのもので、憲法21条2項が禁じる『検閲』にもつながる」と指摘している。
 日本は戦後、言論・表現の自由が封殺され道を誤った戦前の反省に立ち民主主義の歩みを続けてきたが、その基盤は決して強固ではない。展示中止の経緯を検証し、議論を深めなければならない。

【8月6日付】
▼朝日新聞「あいち企画展 中止招いた社会の病理」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S14128795.html?iref=editorial_backnumber

 市長が独自の考えに基づいて作品の是非を判断し、圧力を加える。それは権力の乱用に他ならない。憲法が表現の自由を保障している趣旨を理解しない行いで、到底正当化できない。
 菅官房長官や柴山昌彦文部科学相も、芸術祭への助成の見直しを示唆する発言をした。共通するのは「公的施設を使い、公金を受け取るのであれば、行政の意に沿わぬ表現をするべきではない」という発想である。
 明らかな間違いだ。税金は今の政治や社会のあり方に疑問を抱いている人も納める。そうした層も含む様々なニーズをくみ取り、社会の土台を整備・運営するために使われるものだ。
 まして問題とされたのは、多数決で当否を論じることのできない表現活動である。行政には、選任した芸術監督の裁量に判断を委ね、多様性を保障することに最大限の配慮をすることが求められる。その逆をゆく市長らの言動は、萎縮を招き、社会の活力を失わせるだけだ。
 主催者側にも顧みるべき点があるだろう。予想される抗議活動への備えは十分だったか。中止に至るまでの経緯や関係者への説明に不備はなかったか。丁寧に検証して、今後への教訓とすることが欠かせない。

▼毎日新聞「『表現の不自由展』中止 許されない暴力的脅しだ」
 https://mainichi.jp/articles/20190806/ddm/005/070/088000c

 自分たちと意見を異にする言論や表現を、テロまがいの暴力で排除しようというのは許されない行為だ。こういった風潮が社会にはびこっていることに強い危機感を覚える。
 政治家の対応にも問題がある。少女像を視察した河村たかし・名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる行為」などとして、展示の中止を求めた。
 また、菅義偉官房長官は、文化庁の補助金交付の是非について検討する考えを示した。
 暴力によって中止に追い込もうとした側が、政治家の発言を受けて勢いづいた可能性がある。
 作品の経緯からして、反発の声が上がることは十分予測できた。悪化する日韓関係も原因の一つと考えられる。
 津田さんは「想定が甘かったという批判は甘んじて受ける」と語る。万が一のリスクを回避しなければならないという考え方は理解できる。
 一方で、脅せば気に入らない催しをやめさせることができるという前例になったとすれば、残した禍根は小さくない。

▼信濃毎日新聞「表現の不自由展 自粛を広げないために」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190806/KT190805ETI090004000.php

 加えて見過ごせないのは、政治の介入だ。河村たかし名古屋市長は慰安婦問題が「事実でなかった可能性がある」として展示中止を要求していた。菅義偉官房長官は文化庁の補助金交付を慎重に判断する考えを示した。
 憲法が保障する表現の自由への理解を欠いている。政治家が国民の対立をあおるような振る舞いをしたという点でも問題だ。
 (中略)
 津田氏自身「抗議の殺到で中止せざるを得なくなることも予想していた」とする。日韓関係が悪化した時期に重なった事情はあるにせよ、事前の検討は十分になされたのか。展示が憎悪の感情をあおり、結果的に政治の介入を招いたとすれば責任は重い。
 今回の一件が表現活動を萎縮させたり、展示の自粛につながったりすることは避けなくてはならない。表現の自由について議論する格好の機会でもある。中止に至るまでの経緯と問題点を検証し、公表するよう実行委に求めたい。

【8月7日付】
▼産経新聞「愛知の企画展中止 ヘイトは『表現の自由』か」
 https://www.sankei.com/column/news/190807/clm1908070002-n1.html

 暴力や脅迫が決して許されないのは当然である。
 一方で、企画展の在り方には大きな問題があった。「日本国の象徴であり日本国民の統合」である天皇や日本人へのヘイト行為としかいえない展示が多くあった。
 バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像を展示した。昭和天皇とみられる人物の顔が剥落した銅版画の題は「焼かれるべき絵」で、作品解説には「戦争責任を天皇という特定の人物だけでなく、日本人一般に広げる意味合いが生まれる」とあった。
 「慰安婦像」として知られる少女像も展示され、作品説明の英文に「Sexual Slavery」(性奴隷制)とあった。史実をねじ曲げた表現である。
 (中略)
 憲法第12条は国民に「表現の自由」などの憲法上の権利を濫用してはならないとし、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と記している。今回の展示のようなヘイト行為が「表現の自由」の範囲内に収まるとは、到底、理解しがたい。大村氏は開催を反省し、謝罪すべきだろう。県や名古屋市、文化庁の公金支出は論外である。
 芸術祭の津田大介芸術監督は表現の自由を議論する場としたかったと語ったが、世間を騒がせ、対立をあおる「炎上商法」のようにしかみえない。
 左右どちらの陣営であれ、ヘイト行為は「表現の自由」に含まれず、許されない。当然の常識を弁(わきま)えるべきである。

▼北海道新聞「芸術祭展示中止 憲法違反の疑いが強い」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/332702?rct=c_editorial

 表現の自由は、憲法が最大限に保障する民主主義の根幹である。想定を超えた事態とはいえ、圧力に屈する形になったのは残念だ。
 さらに問題なのは、企画展に対する政治家の介入だ。憲法の禁じる検閲にあたる疑いが強い。
 実行委は中止の判断に至る経緯を検証した上で、企画展を再開する道を探ってもらいたい。
 (中略)
 大村氏としても、警備を強化するなど、展示続行の努力がもっとあってもよかったのではないか。
 憲法は同時に、自由権の乱用を禁じている。企画展は特定の人々を傷つける意図はなく、作品撤去の事実を示したにすぎない。乱用には当たらないと考える。
 芸術祭は文化庁の補助事業だ。菅義偉官房長官は補助金交付の是非を検討するとしたが、表現の自由の擁護に努めてほしい。
 気になるのは、芸術監督の津田大介氏が「表現の自由が後退する前例を作った責任を重く受け止めている」と述べたことだ。
 これを前例にしてはならない。芸術祭の出品作家やさまざまな文化団体から、政治家の介入や展示中止への抗議が相次いでいる。
 憲法に基づき、作品に対する自由な意見交換の場をつくるべく、環境を整えて出直すのが筋だ。

▼東奥日報「表現の自由確保に努力を/慰安婦少女像の展示中止」※共同通信
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/230067
▼茨城新聞「少女像展示中止 表現の自由が傷ついた」※共同通信

▼山梨日日新聞「[少女像の展示中止]表現の不自由 前例にするな」

▼新潟日報「表現の不自由展 中止が招く萎縮を憂える」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190807487437.html

 大村知事は5日の会見で公権力こそ表現の自由を守るべきだとし、「公権力を行使する人が内容にいい悪いと言うことは憲法が禁じる検閲ととられても仕方ない」と述べた。
 これに対し、河村市長は「最低限の規制は必要」「(少女像は)日本人の心を踏みにじるものだ」などと反論した。
 自らの信条に基づくような一方的な物言いには、表現の自由の本質を理解しているのか疑問を抱かざるを得ない。
 菅義偉官房長官も芸術祭開幕翌日の2日の記者会見で、補助金交付を慎重に判断する考えを示していた。
 旧憲法の下では政府による検閲や言論弾圧が横行し、戦争に反対できない風潮を生んだ。その反省から、現憲法には表現の自由を保障し、検閲を禁じる21条が盛り込まれた。
 自らの主張を自由に唱える一方で、他者の考えもきちんと尊重する。こうした態度こそ、私たちが享受する表現の自由の基礎となるものだ。
 芸術祭の芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介氏は会見で「表現の自由を後退させてしまった」と語ったが、これまでも表現の自由は安泰だったわけではない。
 今回の中止を、表現の自由を守るためにこれからどう生かすのか。そこを考えることが、課せられた責任だろう。

▼中日新聞・東京新聞「『不自由展』中止 社会の自由への脅迫だ」
 https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019080702000121.html

 参加した芸術家から「作品を見る機会を人々から奪う」などとして、中止を批判する声があるのはもっともだ。だが、スタッフや来場者の安全を考えた上での苦渋の決断だったろう。この上は速やかで徹底的な捜査を求めたい。
 芸術監督のジャーナリスト・津田大介さんは「表現の自由が後退する事例をつくってしまった」と悔やむ。しかしこの国の表現の自由を巡る現状や「意に沿わない意見や活動は圧殺する」という風潮を白日の下にさらしただけでも、開催の意義はあったといえよう。
 河村たかし名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる」として少女像などの撤去を要請。菅義偉官房長官も、国の補助金交付について慎重に検討する考えを示した。これは、日本ペンクラブが声明で「憲法が禁じる『検閲』にもつながる」と厳しく批判したように、明らかな政治による圧力だ。
 政治や行政のトップは多様な意見や表現を尊び、暴力的行為を戒める立場にある。美術家の活動よりもテロ予告をこそ強く非難するべきだろう。
 国の内外を問わず、政治家による排他的な発言が「お墨付き」となり、ヘイト犯罪など昨今の極端な言動の下地になっているとすれば、憂慮すべき事態だ。
 現代のアートは、単に花鳥風月をめでるものではない。世界に存在する対立や危機、圧政や苦難を見る者の反発も覚悟で広く伝え、対話や解決の糸口を生んでいる。
 それを理解せずに「美術展を政治プロパガンダの場にするな」などと非難しても筋違いだろう。芸術家や美術館の関係者は、決して萎縮してはならない。

▼高知新聞「【表現の不自由展】中止は社会のゆがみ映す」
 https://www.kochinews.co.jp/article/298982/

 行政が主体の実行委が早々に圧力に屈したことも衝撃だ。防犯面などで関係機関との連携はできなかったのか。中止という最終手段しかなかったのだろうか。
 不自由展の実施団体は、実行委から一方的に中止を通告されたと非難している。事実であれば、これも禍根を残しかねない対応だ。
 実行委の会長代行である名古屋市の河村たかし市長の対応にも疑問を呈したい。河村市長は少女像などの撤去を求める抗議文を実行委会長の大村秀章県知事に出した。
 展示が「日本人の心を踏みにじるものだ」と指摘。県市、国の資金が活用されていることから「展示すべきではない」とも述べた。
 大村知事は、市長が「内容にいい悪いと言うことは憲法が禁じる検閲ととられても仕方ない」と強く批判している。当然だ。
 河村市長は従軍慰安婦問題が「事実でなかった可能性がある」との歴史認識に立つ。個人的にどのような見解を持とうが自由だが、市長として中止を求めれば、表現への弾圧ととられても仕方があるまい。
 まして税金は政治家や行政のものではなく国民のものだ。価値観が合わない人には使わせないという発想は許されない。

▼佐賀新聞「少女像展示中止 表現の自由が傷ついた」※共同通信
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/410410 

展示内容から実行委も一定の反発は想定していたが、それを超える抗議が押し寄せた。「ガソリン携行缶を持って美術館に行く」と京都アニメーション放火殺人事件を連想させる内容のファクスまであった。ただ、それ以上に想定外だったのは河村氏の抗議だろう。
 中止発表後に改めて記者会見した大村氏は河村氏が展示中止を求めたことを「表現の自由を保障した憲法21条に違反する疑いが極めて濃厚ではないか」と批判。「検閲ととられても仕方ない」とした。これに対し、河村氏は「検閲ではない」と強調。少女像展示を巡り「数十万人に強制したという韓国側の主張を認めたことになる」「事実でなかった可能性がある」などと反論している。
 河村氏はかつて「南京大虐殺」はなかったのではないかと発言、南京市と名古屋市の交流停止に発展したことがある。今回の発言も不用意というほかない。行政が展示内容に口を挟むことが、どのような影響をもたらすかということには全く考えが及ばないようだ。
 今回の件で表現活動を萎縮させないため、再展示も含め何ができるか考えてみる必要がある。

 

※追記 2019年8月8日21時15分

 8月8日付新聞にも関連の社説、論説が掲載されました。ネット上で確認できたところでは8紙です。「実行委側に事前対応をはじめ準備不足や不備があったのは否めない」(中国新聞)、「事務局の対応も検証する必要がある。一定の反発を予測し人員を確保していたというが、結果的に足りなかった」(徳島新聞)、「警察との事前打ち合わせや、展示意図を丁寧に伝える姿勢は十分だったか。実行委に検証を求めたい」(西日本新聞)などと、実行委側の対応にも疑問を投げ掛ける内容が目立ちます。

【8月8日付】
▼神戸新聞「表現の不自由展/中止をあしき前例とせず」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201908/0012588447.shtml

 脅迫は犯罪である。違法行為は厳しく罪に問う。賠償も課する。それが法治国家の姿だ。
 愛知県はきのう被害届を出したが、警察はその前に「一線を越えれば取り締まる」と強い姿勢を示すべきだった。会場警備を厳重にする責任もあった。
 実際は事務局が過激な抗議の矢面に立ち、職員らが追い詰められたという。苦渋の選択だが、脅迫に屈した形になった。
 (中略)
 河村たかし名古屋市長が少女像の撤去を求めるなど、政治家の発言も問題を複雑にした。
 内容への賛否はあるだろう。だが「気に入らない」と首長や閣僚、議員らが口を挟むようでは戦前のような検閲国家になりかねない。見る機会を保障した上で議論を深めるのが筋だ。
 河村市長の要請に対し、大村知事は「表現の自由を保障した憲法21条に違反する疑いが濃厚」と指摘した。公費で補助する場合も、行政の規制は施設管理などにとどめるべきである。

▼中国新聞「「表現の不自由展」中止 卑劣な脅し、許されない」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=560323&comment_sub_id=0&category_id=142

 一方で、実行委側に事前対応をはじめ準備不足や不備があったのは否めない。折しも日韓関係が悪化し、「嫌韓」の世論が高まるタイミングでもあった。
 表現の自由について議論が深まることを企図しながら、脅迫行為に表現の自由が屈する―という前例をつくってしまったことが悔やまれる。
 しかも国際芸術祭が舞台である。日本では、表現の自由に対し、暴力的な言葉や行為が横行していることを海外に広める結果になった。それも公権力が介入しているのだから、イメージの悪化は避けられまい。
 今回の一件で、この国の内実が浮き彫りになった。根深い分断が存在する社会であり、暴力をちらつかせて相手の考えをつぶそうとする不寛容の風潮である。
 意見を異にする相手でもその考えに耳を傾け、話し合い、互いに尊重し合う―。それが多様性を認める寛容な社会の姿だ。だからこそ表現の自由が封じられた今回の件を深く憂慮する。脅迫や暴力の支配を許さぬために、この国の現状を見つめ直し議論すべきときである。

▼山陰中央新報「少女像展示中止/表現の自由が傷ついた」
 http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1565232128235/index.html

▼徳島新聞「不自由展中止 表現の自由への攻撃だ」
 https://www.topics.or.jp/articles/-/240730

 テロ予告や脅迫は犯罪であり、断じて許してはならない。警察は発信元を特定し、厳重に対処すべきだ。
 事務局の対応も検証する必要がある。一定の反発を予測し人員を確保していたというが、結果的に足りなかった。
 芸術祭の芸術監督を担うジャーナリストの津田大介氏は「展示を拒否された作品を見てもらい、表現の自由について考えてもらう趣旨だった」と語っている。
 作品の受け止め方は人それぞれ違って当然であり、意見を交わすことで理解が深まる。そうした議論自体を許容しない「表現の不自由」の現状を可視化しようとした試みは、意義があったと言える。
 実行委は開催意図の丁寧な説明や市民の安全確保など、中止を決める前にやるべきことがあったのではないか。

▼西日本新聞「少女像展示中止 『表現の自由』は守らねば」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/533693/

 企画展の狙いは、美術館などで展示不許可となった作品の鑑賞を通じ、表現の自由を巡る議論を促すことだった。反発が予想されたが実行委は「議論を起こすことに意義がある」と開催に踏み切った。趣旨と決断は是とするが脅迫に屈した「悪(あ)しき前例」となった事実は重い。こうした事態を想定した警察との事前打ち合わせや、展示意図を丁寧に伝える姿勢は十分だったか。実行委に検証を求めたい。
 表現の自由について議論を促すための美術展が暴力的な圧力でつぶされ、政治家もそれに関わった。前代未聞の出来事を、表現の自由や公権力との関係について、深く考える契機としなければならない。

▼熊本日日新聞「『不自由展』中止 『表現の場』脅かす事態だ」
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/1145132/

 企画展が中止になったことを受け、出品作家を含む約70人のアーティストが抗議声明を発表。芸術祭の目的は「個々の意見や立場の違いを尊重し、すべての人びとに開かれた議論を実現するため」とし、中止によって作品を理解、読解するための議論も閉ざされてしまう、と指摘した。
 中止を決定する前に、多様な意見を交わす場を設ける試みがあっても良かったのではないか。今回の中止決定は「表現の自由」を萎縮させ、「表現の不自由」が現実にあることを図らずも印象づけてしまった。
 異なる意見を認めず、気に入らない表現活動を暴力的圧力でやめさせるような行為がまかり通ってはならない。あしき前例としないよう経緯を検証し教訓として残す努力が関係者には求められよう。

▼宮崎日日新聞「少女像展示中止 行政が表現を萎縮させるな」
 http://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_40318.html

▼南日本新聞「[少女像展示中止] 表現の自由を守らねば」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=108813

 

※追記2 2019年8月9日22時15分
◇主催側の落ち度だけを取り上げる読売新聞
 これまで他紙に比べて扱いの小ささが目立っていた読売新聞が、9日付朝刊になって社説を掲載しました。見出しの通り、主催者側に落ち度があったとして批判する内容ですが、政治介入には言及がなく、政治介入が度を超えた抗議行動や脅迫行為を助長した疑いにも触れていません。主催者側の事前の備えは論点の一つですが、それのみを取り上げて批判する論調は、他紙と比べて特異だと感じます。一部を引用して書きとめておきます。

【8月9日付】
▼読売新聞「愛知企画展中止 主催する側にも甘さがあった」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190808-OYT1T50312/

 芸術祭は県や名古屋市が運営に関与し、予算も支出している。企画展には、少女像のほか、昭和天皇の肖像を用いた作品を燃やす映像もあった。特定の政治的メッセージを感じさせる作品だった。
 芸術作品における表現の自由は最大限、尊重されなければならない。ただ、行政が展覧会の運営に関わる以上、展示する作品やその方法について一定の責任を負うことも確かだろう。
 不特定多数の鑑賞者が想定される展覧会で、政治性の強い作品を、それを批判する側の視点を示さずに、一方的に展示すれば、行政が是認している印象を与えかねない。作品を不快に感じる人たちの反発をあおる可能性もある。
 (中略)
 大村氏は「とんがった芸術祭に」と要望し、芸術監督を務める津田大介氏に企画を委ねた。展示作品が物議を醸すことが予想されたのに、反発を感じる人への配慮や作品の見せ方の工夫について、検討が尽くされたとは言い難い。
 河村たかし名古屋市長は開幕後に少女像の展示などを批判したが、自らも実行委員会会長代行の立場にあったのではないか。
 主催者側の想定の甘さと不十分な準備が、結果的に、脅迫を受けて展覧会を中止する前例を作ったとも言える。その事実は重く受け止めなければならない。

 

「表現の不自由展・その後」中止、情報量に開き~続・在京紙の報道の記録

 一つ前の記事の続きです。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった問題です。
 トリエンナーレの実行委員会会長である大村秀章・愛知県知事は8月5日の記者会見で、あらためて「表現の不自由展・その後」の中止について説明しました。報道によると、大村知事は、慰安婦を象徴した「平和の少女像」について「日本人の心をふみにじる」として展示中止を求めた河村たかし・名古屋市長を、「表現の自由を保障した憲法21条に違反する疑いが極めて濃厚ではないか」と批判したとのことです。これに対し河村市長は5日の会見で「最低限の規制は必要」などと反論したと報じられています。
 愛知県知事と名古屋市長という地域の自治を代表する首長2人の見解が真っ向から食い違う、それも「表現の自由」を巡ってです。双方の主張に対して、社会にはさまざまな意見や考え方があるはずですし、仮に大村知事の説明を是としても、では本当に企画展の中止しか選択肢はなかったのか、という点についても、さまざまに意見、考え方があるはずです。
 「表現の不自由展・その後」の出展作品は会場から撤去されたわけではなく、展示スペースを封鎖した状態のようです。そうならば、展示を再開するという選択肢もあるはずで、どうやったら再開できるのか、という議論もあるでしょう。この点は、具体的に表現の自由をどう守るのか、という意味では核心的といってもいい論点だと思うのですが、マスメディアの報道でも決して焦点にはなっていません。
 表現行為は、その表現を享受することが可能であってこそ意味があるわけで、「表現の自由」は「知る権利」と対をなします。企画展の中止は「表現の自由」の侵害であり、同時に「知る権利」の侵害でもあって、表現者だけの問題にとどまりません。
 総じて言えば、この「表現の不自由展・その後」の中止は、いまだ終わっておらず現在進行の問題であるはずです。

 以上のような観点から、東京発行の新聞各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の6紙)が8月6日付朝刊で、この問題の続報をどのように扱ったかの記録として、関連記事の見出しを書きとめておきます。前日の5日付と同じく、新聞によって扱いは分かれました。朝日、毎日、日経、東京が複数の記事を展開しているのに対し、読売、産経は知事や市長の会見を中心にした記事のみ。前日の紙面と合わせて見れば、朝日と読売では情報量にはかなりの差があります。

【朝日新聞】
▽24面(文化文芸)
・「抗議殺到で中止 悪しき前例/芸術祭 異なる背景知る機会/『表現の不自由展』」
▽社会面(27面)
・トップ「憲法21条違反か 応酬/表現の不自由展 政治家中止要請/大村知事と河村市長」
・「『政府万歳しか出せなくなる』/永田町からも危惧する声」
▽第2社会面(26面)
・「展示中止 どう考える/『嫌いでも尊重』が表現の自由/意見伝え 作者の意図も聞く」
・「韓国報道官『遺憾』」/「日本美術会が声明」
▽社説「あいち企画展 中止招いた社会の病理」

【毎日新聞】
▽3面
・クローズアップ「表現の自由 萎縮も/愛知芸術祭『少女像』展示中止/知事と名古屋市長 非難の応酬」/「問題提起こそ現代美術」/「撤去作品厚集め」異論の契機に
▽社説「『表現の不自由展』中止 許されない暴力的脅しだ」

【読売新聞】
▽第3社会面(27面)
・「『少女像』問題で愛知知事が反論 名古屋市長に」※見出し1段

【日経新聞】
▽第2社会面(36面)
・「表現の自由巡り波紋/愛知の芸術祭 少女像の展示中止/知事・名古屋市長が応酬」
・識者の見方「不寛容さ考える契機に」福田充・日本大教授(危機管理学)/「政治家発言は職権乱用」毛利嘉孝・東京芸術大教授(社会学)

【産経新聞】
▽第3社会面(20面)
・「愛知知事『憲法違反』/展示中止要請 河村市長『規制は必要』」※見出し2段

【東京新聞】
▽特報面(22、23面)
・「『表現の不自由展』中止の衝撃/脅迫に屈する『悪しき前例』/市長や政権 攻撃あおる/芸術監督・津田大介氏『文化に対する暴力テロ事件』」/「抗議殺到『リスク想定甘かった』/気に入らねば撤去 正当化/政治家 露骨な介入で脅し/実行委員『再開の道探れ』/『一線越えた』識者危機感」
▽社会面(25面)
・「不自由展中止 映画監督ら抗議/検閲につながりかねない」/「補助金発言の影響 菅長官『全くない』」

 6日付の各紙の記事の中で目を引いたのは、東京新聞の特報面です。抗議や脅迫が愛知県に相次ぐに至った経緯を整理して明らかにしています。一部を引用します。

 いったいこの中止事件、どんな顛末だったのか。
 まず七月三十一日、作家の百田尚樹氏らが、ツイッターで「なんで芸術祭に慰安婦少女像が? あ、芸術監督が津田大介氏か…。こいつ、ほんまに売国運動に必死やな」(百田氏)などと攻撃を開始。翌八月一日には、松井一郎大阪市長が、一般人のツイートに反応する形で、「にわかに信じがたい!河村市長に確かめてみよう」とツイートした。松井氏と河村たかし名古屋市長は政治的に近い。
 その河村氏は二日、「表現の不自由展」を視察した後、「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ。税金を使っているから、あたかも日本国全体がこれを認めたようにみえる」と述べ、大村秀章愛知県知事に即時中止を公文書で要請。菅義偉官房長官もこの日、「補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と述べた。
 こうした首長や政権幹部からの「問題視」に反応したのか、一日の開幕以降、県には抗議の電話やメールが殺到。電話は二日間で約四百件も。二日朝には「ガソリン携行缶を持って行く」などと、京都アニメーション放火事件を思わせる匿名のファクスも届いた。結果、三日夕になって大村知事は緊急記者会見し、「テロ予告、脅迫ととれる電話、メールが相次ぎ安全に運営されることが危惧される」などとして、同日限りでの中止を発表した。

 会場で実際に作品を見た人たちから抗議が相次ぐ、といった状況にはなかったことも合わせて考えれば、殺到した抗議や脅迫は、実際には作品を見ていない人たちが中心だったのではないかと感じます。

扱いが分かれた「表現の不自由展・その後」の中止~在京紙の報道の記録 付記・MIC声明「『表現の不自由展』が続けられる社会を取り戻そう」

 名古屋市など愛知県で8月1日に始まった芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の中の企画展「表現の不自由展・その後」の中止が3日、発表されました。この企画展には韓国の彫刻家が制作した慰安婦を象徴した「平和の少女像」が出展されており、2日に視察した河村たかし・名古屋市長が「日本国民の心を踏みにじる行為」などとして、展示の中止を求める抗議文を、トリエンナーレの実行委員会会長である大村秀章・愛知県知事に提出していました。
 大村知事は3日、記者会見し、中止の理由について「テロや脅迫とも取れる抗議があり、安全な運営が危ぶまれる状況だ」(共同通信の記事より)と説明し、津田大介・芸術監督も会見で「想定を超えた抗議があった。表現の自由を後退させてしまった」(同)と述べたと報じられています。これに対し「表現の不自由展・その後」の実行委員会は、中止の決定が一方的だったなどとして、反対と抗議の声明を発表しました。「少女像」の制作者キム・ウンソンさんは「日本が自ら『表現の不自由』を宣言したようなものだ」と話したと、韓国の聯合通信が伝えています。一方の河村市長は3日、記者団の取材に「やめれば済む問題ではない」と述べ、展示を決めた関係者に謝罪を求めたとのことです。
 ※47news=共同通信
 「日本が表現の不自由宣言 韓国の少女像制作者が反発」
  https://this.kiji.is/530378431171593313?c
 「名古屋市長、関係者に謝罪要求 少女像展示で」
  https://this.kiji.is/530378433990181985?c

 「あいちトリエンナーレ2019」の公式サイトには、「表現の不自由展・その後」の紹介(「作品解説」「作家解説」)が掲載されています。記録の意味も兼ねて、スクリーンショットの画像をここに保存しておきます。
 https://aichitriennale.jp/artwork/A23.html

f:id:news-worker:20190804222226j:plain

 この企画展の中止は、わたしたちの社会の「表現の自由」がどういう状況にあるのかを問い掛ける大きな出来事です。いくつかの質が異なる問題をはらんでおり、それぞれをていねいに見た上で、全体を見渡すことが必要ではないかと感じています。したがって、まず何が起きたのかが広く知られることが必要です。マスメディアがこの出来事をどう報じたか、その報じ方の意味は小さくありませんし、「表現の自由」はマスメディアにとっても他人事ではないのです。
 そうした観点から、東京発行の新聞各紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の6紙)が8月4日付朝刊でどう報じたか、扱いと記事の見出しを書きとめておきます。
 扱いは各紙それぞれに分かれました。1面トップで扱ったのは朝日新聞で、総合面、社会面にも記事を展開し、情報量も他紙と比べてそれだけ豊富です。ほかに1面に入れたのは東京新聞で、残りの4紙は社会面でした。毎日新聞は社会面トップ、識者談話も掲載しています。日経新聞、産経新聞は社会面準トップ。読売新聞は第2社会面でした。朝日新聞と読売新聞では、ニュースバリューの判断も情報量も相当の開きがあります。なお、各紙とも愛知県など東海地方では、東京とは違った紙面づくりになっている可能性があります。

【朝日新聞】
▽1面
・トップ「表現の不自由展 中止/テロ予告・脅迫相次ぐ/津田芸術監督『断腸の思い』」
・視点「許されない脅迫 考える場奪った」
▽2面
・時時刻刻「抗議・脅迫エスカレート/回線パンク『ガソリン缶餅お邪魔』ファクス/職員増強でも『もう無理』」/「『公金投入』理由に政治家が批判」
・「政治家の中止要求、検閲的行為」上智大学元教授の田島泰彦氏(メディア法)/「混乱を理由 反対派の思うつぼ」早稲田大学名誉教授の戸波江二氏(憲法学)
・会見やりとり「大村氏 卑劣で非人道的なメール・電話/津田氏 河村・菅氏発言、関係ない」
▽社会面(31面)
・準トップ「少女像に怒声・『終了』に落胆/表現の不自由展 多くは静かに鑑賞」
・「出展者『闘い続ける』」
・「『自由の気風萎縮させる』ペンクラブ声明」
・「#トリエンナーレを支持 継続望む声も」

【毎日新聞】
▽社会面(27面)
・トップ「少女像の展示中止/知事『脅迫受け安全考慮』/津田監督『表現の自由後退 自分の責任』/愛知芸術祭 わずか3日」/「企画実施団体が法的措置を検討」
・「日韓関係悪化 抗議想定超え」
・「事前の対策、必要だった」河本志朗・日本大教授(危機管理学)/「政治家の口出しに違和感」五十嵐太郎・東北大大学院教授(13年のあいちトリエンナーレ芸術監督)/「芸術の意義失う」ペンクラブ

【読売新聞】
▽第2社会面(34面)
・「『少女像』企画展 中止/愛知知事 脅迫受け『運営難しく』」
・「『自由が萎縮』ペンクラブ声明」

【日経新聞】
▽社会面(31面)
・準トップ「少女像の展示中止/慰安婦象徴『脅迫めいた抗議』/愛知の芸術祭」
・「展示続けるべき ペンクラブ声明」

【産経新聞】
▽社会面(25面)
・準トップ「慰安婦像展示を中止/抗議1400件『安全に支障』/愛知の芸術祭/企画『表現の不自由展』も」/「『中止決定一方的』実行委が抗議声明」
・「『やめて済む問題でない』名古屋市長 展示関係者に謝罪要求」
・「来場者『不快だった』『趣旨は賛同』」

【東京新聞】
▽1面
・「少女像展示の企画展 中止/津田氏『表現の自由後退』/愛知知事『安全のため』」※共同通信配信記事
・「政治的圧力 検閲につながる ペンクラブ声明」
▽社会面(27面)
・「『考える機会』脅かされた/展示中止 来場者『残念』『偏りも』」
・「『戦後最大の検閲』実行委が抗議声明」
・「『不寛容の表れ』『政治家の発言 危惧』識者の声」
・「少女像の制作者『不自由を宣言』」※ソウル共同

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 この「表現の不自由展・その後」の中止にわたしが感じることを少し書きとめておきます。
 一つは、中止とせざるを得ない緊急性、危険の切迫性です。その説明が十分ではないように思えます。例えば会場の警備についてトリエンナーレの実行委員会側は警察(愛知県警)とどういう折衝をしたのか。警察は、脅迫まがいの抗議に対する捜査などについてどういう姿勢なのか。仮に警察が警備や捜査に消極的だったとしたら、それはどうしてなのか。何か忖度のような力学が働いている可能性はないのか。マスメディアは警察のスタンスについても、突っ込んで取材し、報じていいと思います。
 もう一つは河村・名古屋市長の発言です。トリエンナーレの実行委員会会長代行とのことで、そうした立場で、警備上などの理由ではなく展示の内容を理由に中止を求める行為には、やはり大きな違和感があります。意図的なのかどうか、出展者側の出展意図と、展示中止を求める理由とはまったくかみ合っていません。何よりも違和感があるのは「日本国民」との用語を持ち出していることです。自治体の首長は自治体の行政に責任を持ちます。名古屋市にも日本国籍の市民ばかりでなく、永住外国人、在日コリアンの人たちも住んでいるはずですし、納税者であるはずです。市長が代表すべき人々とは、そうした人たちも含めてのことではないのでしょうか。

 「少女像」「慰安婦」は今回の出来事を象徴するキーワードです。折しも8月。74年前のこの季節に、アジア各地でおびただしい犠牲を出した末に日本の敗戦で第2次世界大戦が終わりました。「慰安婦」は、当時の「戦争をする国・日本」と分かちがたく結び付いています。8月2日には、日本政府が韓国を輸出優遇措置の対象国から除外することを閣議決定したニュースもありました。この外交面での日本と韓国の関係悪化も、もとをただせば日本の朝鮮半島の植民地支配の問題に行き着きます。「表現の自由」は「戦争と平和」の問題とも結びついており、企画展の中止や日韓の関係悪化は、わたしたちの社会が敗戦から74年たって大きな課題に直面していることを示しているようにも感じます。それは、歴史の教訓を社会でどう共有し継承していくのか、です。
 新聞など日本のマスメディアは時に「8月ジャーナリズム」と揶揄されながらも、この時期は戦争と平和を考える取り組みを続けてきました。ことしは、これらの現在進行のテーマにも果敢に取り組むべきだろうと思います。

 

 「表現の不自由展・その後」の中止に対して、日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)が4日、声明を発表しました。全文を載せておきます。 

「表現の不自由展」が続けられる社会を取り戻そう

2019年8月4日
日本マスコミ文化情報労組会議

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」がわずか3日間で展示中止に追い込まれました。展示中の慰安婦を表現した少女像などをめぐり、河村たかし・名古屋市長が展示中止を求める抗議文を大村秀章・愛知県知事(芸術祭実行委員会会長)に提出。日本政府も補助金交付決定にあたり内容を精査する考えを示すなか、主催者の事務局にテロ予告や脅迫・抗議の電話・メールなどが殺到した末の判断でした。
 行政が展覧会の内容に口を出し、意に沿わない表現を排除することになれば、事実上の「検閲」にあたります。メディア・文化・情報関連の労働組合で組織する私たちは、民主主義社会を支える「表現の自由」や「知る権利」を脅かす名古屋市長らの言動に抗議し、撤回を求めます。
 中止に追い込まれた企画展は、日本社会で近年、各地で表現の場を奪われた作品を集め、なぜそのようなことが起きたのかを一緒に考える展示でした。河村市長は、国際芸術祭の開催に税金が使われていることを理由に、「あたかも日本国全体がこれ(少女像)を認めたように見える」と述べていますが、行政は本来、「表現の自由」の多様性を担保する立場です。公権力が個々の表現内容の評価に踏み込んでいけば、社会から「表現の自由」や「言論の自由」は失われてしまいます。
 国際芸術祭の津田大介監督は開会前、「感情を揺さぶるのが芸術なのに、『誰かの感情を害する』という理由で、自由な表現が制限されるケースが増えている。政治的な主張をする企画展ではない。実物を見て、それぞれが判断する場を提供したい」と狙いを語っていました。日本社会の「表現の自由」の指標となる企画展が潰された事態を、私たちは非常に憂慮しています。また、民主主義社会をむしばむ卑劣なテロ予告や脅迫を非難しない政治家たちの姿勢も問題です。
 実物を見て、一人一人が主体的に判断できる環境をつくるのが筋だと考えます。
 私たちは企画展のメンバーや将来を担う表現者たちと連帯し、多様な表現・意見に寛容で、「表現の不自由展」を続けられる社会を取り戻すことを目指します。

 日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
(新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)

安倍首相演説にヤジの市民排除 警察に忖度はなかったか~新聞各紙の社説

 7月21日に投開票が行われた参院選では、札幌市で安倍晋三首相の街頭演説中に「安倍辞めろ」などと大きな声を上げた市民が警察官に強制的にその場から排除されたり、年金問題への疑問を書いたプラカードを掲げようとした市民がやはり警察官に阻止されたりした出来事がありました。以前の記事で書いたとおり、この参院選を通じてもっとも気になったことです。投票日前に北海道新聞、毎日新聞が社説で取り上げ、投票日を過ぎた後も、いくつかの地方紙がやはり社説で、警察の姿勢に「政権への忖度がなかったか」との趣旨の疑問を投げ掛けています。表現の自由を巡る重要な論点であり、私たちの社会が今、どういう状況にあるのかを考える上でも看過できない出来事だと思いますので、目に止まった社説からそれぞれ一部を引用して書きとめておきます。ネット上のサイトで読めるものはリンクを張っておきます(25日現在)。

▼北海道新聞:7月19日付「道警のヤジ排除 選挙ゆがめる過剰警備」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/326583?rct=c_editorial

 テレビなどの政見放送と違い、街頭演説は聴衆の生の反応を受けながら行われる。その中には支持だけでなく、批判の声があるのは当たり前だ。
 安倍首相は一昨年の東京都議選で、街頭のヤジに「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と反論した。そんなやりとりも有権者が投票する上で判断材料となる。
 自由な言論空間は最大限に確保されるべきであり、警察がむやみに介入するのは不適切である。
 道警は公選法違反の有無や、プラカード掲示制止の理由について調査中としている。市民が抱く疑念の重大性を認識し、早期に説明責任を果たしてほしい。
 警察の政治的中立の欠如は民主主義の根幹に関わる。真相究明は首相はじめ政治の責任でもある。

▼毎日新聞:7月20日付「北海道警のヤジ排除 政治的中立性が疑われる」
 https://mainichi.jp/articles/20190720/ddm/005/070/044000c

 2年前の東京都議選の最終日、東京・秋葉原での安倍首相の応援演説が思い出される。自身を批判する聴衆に対し、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と述べた。
 首相は批判に耳を傾けない、との指摘もある。首相は選挙運動を秋葉原の街頭演説で締めくくるのが恒例になっているが、規制線を張って批判する人を首相から遠ざけることが常態化している。
 仮に今回、北海道警が政権へのそんたくを理由に聴衆を排除したとすれば、警察の政治的中立性に疑問符がつくことになる。
 公共空間における警察の警備の重要性は言うまでもない。政治活動の現場でもそれは同じだ。ただし、警察が強権的に立ち回れば、参加する人たちが萎縮してしまう。警察はそうした事態を避けるよう抑制的な対応を心がけるべきだ。

▼神戸新聞:7月23日付「ヤジの強制排除/警察の姿勢に懸念が残る」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201907/0012539920.shtml

 街頭演説では聴衆から賛否の声が上がる。それがエスカレートすれば、公職選挙法の「選挙の自由妨害」として取り締まり対象となる。
 ただし判例では、大音声のスピーカーで演説を邪魔するなど悪質な場合に限られる。
 札幌市では、首相の周囲に大勢の支持者が詰めかけていた。応援の横断幕やプラカードが並ぶ中で何人かが肉声で抗議の声を上げたが、警察が介入するほどの異常な状況だったのか。
 むしろヤジなどへの行き過ぎた規制は憲法が保障する「表現の自由」を侵害しかねない。政治運動に関する対応は本来、できる限り抑制的であるべきだ。
 (中略)
 警察が忖度(そんたく)したと受け止める国民もいるだろう。この際、法を故意に逸脱すれば職権の乱用に当たるとの戒めを、組織全体で徹底してもらいたい。

▼京都新聞:7月24日付「首相演説とヤジ  警察の介入はおかしい」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190724_3.html

 気になるのは、警察が、異論に正面から向き合おうとしない傾向がある安倍政権に忖度(そんたく)したように見えることだ。
 選挙戦最終日に安倍氏が最後の演説をした東京・秋葉原では、警察が公道を鉄柵で囲い、動員された支持者以外を遠ざけた。
 安倍氏は2017年の東京都議選の応援演説で受けた「辞めろ」コールに、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」といきり立ち、批判を浴びた。その影響もあってだろう、今回の参院選で首相の街頭演説予定は、直前まで公表されなかった。
 警察が時の政権の意向を先取りして強権的に振る舞えば、逆に信用を失い、犯罪捜査などに支障が出かねない。法執行機関として、政治的中立が疑われる行為は、厳に慎んでもらいたい。

▼琉球新報:7月25日付「首相演説でやじ排除 警察は公平中正堅持せよ」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-959799.html 

公権力が、政権を批判する国民の口を封じ、目をふさぐ。独裁国家で起きているような光景ではないか。
 そもそも、どのような法的根拠に基づいて聴衆を排除したのか。道警は「トラブルや犯罪予防」とコメントするだけで、詳しい説明を避けている。不可解極まりない。根拠もなく権力を行使できるのなら、警察は何をやっても許されることになる。
 (中略)
 背景に「首相に不快な思いをさせるわけにはいかない」「官邸サイドの不興を買いたくない」といった思惑があったのではないか。政権への忖度(そんたく)が強く疑われる。
 今回のケースが不問に付されるのなら、全国で同様の事例が横行し、人権が脅かされる恐れがある。再発防止を強く求めたい。
 警察の権力は絶大である。治安維持の名の下に言論を弾圧した過去の反省を踏まえ、現在の警察組織は成り立っている。職権の乱用は絶対にあってはならない。

 

丁寧な政治 安倍政権に求める~沖縄2紙は新基地反対を強調 参院選 地方紙の社説・論説

 参院選の結果について、地方紙・ブロック紙の7月22日付の社説・論説をネット上の各紙サイトでチェックしてみました。やはり、与党の改選過半数獲得と、改憲勢力が参院の議席の3分の2を割り込んだことに言及した内容が目立ちます。改選過半数を獲得したとしても、有権者が安倍晋三政権に全面的に信任を与えたわけではないとの指摘もあり、丁寧な政治を求めている点がおおむね共通しています。
 沖縄選挙区では、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古での新基地建設への反対を前面に打ち出した無所属候補が、自民党公認候補を破りました。「安倍政権が民意を無視して強行する新基地建設に『ノー』の意思を繰り返し繰り返し示しているのである」(沖縄タイムス「新基地反対の民意再び」)、「今回の参院選は駄目押しとも言える結果だ。これ以上、民意を無視した埋め立てを続けることは許されない」(琉球新報「新基地反対は揺るぎない」)との主張は、日本本土でも広く知られていいと思います。日本本土にある安倍政権の「安定」評価とは、まったく異なった情景です。
 以下に、ネット上でチェックできた各紙の社説・論説の見出しを記録しておきます。一部は、重要と感じた部分を引用して書きとめました。23日夜現在、サイト上で読めるものはリンクも張っています。

【7月22日付】
▼北海道新聞「参院選改憲勢力後退 暮らしの不安解消が第一」/年金の将来像議論を/問題多い首相の狭量/野党は一体感足りぬ/
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/327456?rct=c_editorial

 安倍政権での改憲を国民が信任したとは言えまい。何よりも、幅広い国民合意が必要な改憲を一方的に押し通してはならない。
 首相が取り組むべきは老後資金2千万円問題に象徴される国民の将来不安に正面から向き合うことであり、山積する外交の難題に解決の道筋を付けることだ。
 (中略)
 狭量とも言うべき首相の政治姿勢にも苦言を呈しておきたい。
 首相は街頭で「あの民主党政権の時代に逆戻りするわけにはいかない」と野党批判を繰り返し、立憲民主党の枝野幸男代表について「民主党の枝野さん」と呼んだ。
 民主党政権の負の印象をすり込むのが有効な戦術とみたのだろう。公党をおとしめるような攻撃は宰相としての品格が問われる。
 自民党は政権に批判的な人たちのやじを警戒し、首相の遊説日程を事前に公表しなかった。
 指導者に必要なのは異なる意見に耳を傾けつつ、自身の考えに理解を求める対話の姿勢だ。にもかかわらず、街頭で語りかけるのは支持者だけで反対者は遠ざける。
 こうした態度の先に待ち受けるのは社会の分断と亀裂ではないか。そう憂慮せざるを得ない。

▼河北新報「参院選自公勝利/おごらず底流の声を聞こう」
 https://www.kahoku.co.jp/editorial/20190721_02.html

 選挙の焦点は全国に32ある1人区の行方だった。全体で自民が制したとはいえ、東北では6選挙区のうち岩手、宮城、秋田、山形で野党統一候補が勝利した。
 輸出産業がひしめき、円安の恩恵を受ける関東以西の工業地帯に比べ、東北の有権者は「地方にまで及んでいない」と中央偏重の政策に疑いの目を向けている。株高など与党が言うほどの実感はない。
 農業政策への不信も影を落とす。8月には米国との貿易交渉が再開され、農産物輸入を押し付けてくるとの見方は根強い。前回選挙で示された環太平洋連携協定(TPP)に対する反発が、今も底流で渦巻いているのは確かだ。
 出口調査によると、宮城では「支持なし層」の3分の2が野党候補に投票している。秋田では、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」問題が影響した。出直しを求めた意味は重い。
 3年に1度の参院選は「権力をチェックし、戒める機会」とされる。一連の問題発言など緊張感のなさへの怒り、東北からの厳しいシグナルを軽視してはならない。

▼秋田魁新報「参院選与党過半数 白紙委任とは言えない」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20190722AK0011/

▼山形新聞「参院選、与党過半数 政権はおごることなく」
 http://yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20190722.inc

▼岩手日報「<’19参院選>与党が改選過半数 『安定』を誇るのならば」
 https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/7/22/60418

 岩手選挙区は激戦の末、野党統一候補の新人・横沢高徳氏が自民現職の平野達男氏を破った。知名度不足を解消して27年ぶりの自民勝利を阻み、野党地盤の強さを改めて見せつけたと言える。
 野党は秋田、山形などでも自民候補を下し、東北では共闘により与党と渡り合えることを示した。だが、全国では現政権による政治の「安定」が選択されている。
 街頭で安倍晋三首相が唱えたのは、まさに「安定」だった。民主党政権時の「混乱」を批判し、政治の安定が経済の強さをもたらす-と叫ぶのを定番としていた。
 だが「安定」か「混乱」かに訴えを単純化し、対立軸がぼやけたことは否めない。選挙戦が盛り上がりを欠いた原因は、政策の争点化を政権が避けたことにある。

▼福島民報「【改憲3分の2割れ】丁寧な政権運営を望む」
 https://www.minpo.jp/news/moredetail/2019072265488

▼福島民友「参院選・与党改選過半数/信任におごらず政権運営を」
 http://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20190722-398728.php

▼茨城新聞「参院選 ゆがむ三権分立の修復を」
▼神奈川新聞「与党大勝 参院の検証機能発揮を」
▼山梨日日新聞「[参院選 与党が勝利]政権運営 謙虚な姿勢で臨め」

▼信濃毎日新聞「7.21参院選 与党が勝利 『安倍改憲』に民意ない」/政策すり替えるな/議論を避ける姿勢/国民代表の自覚を
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190722/KP190721ETI090002000.php

 安倍首相は街頭演説で9条に自衛隊を明記する必要性を何度も主張。改憲案を紹介する冊子も各地で配布した。
 首相は「憲法を議論する政党か、議論を拒否する政党か」と繰り返した。これに対し、野党は「結論ありきで、強引に議論を進めようとする自民党の姿勢に問題がある」などと反論した。選挙戦が抽象的な主張の応酬に終始する中で、改憲の必要性など本質的な論議は深まらなかった。
 有権者は改憲を支持したとはいえない。共同通信社が12、13日に実施した世論調査では、安倍政権下での改憲には半数超が反対し、賛成は3割強だった。6月下旬の調査より、むしろ反対の割合は増えている。
 本社が16日にまとめた参院選に関する世論調査でも、投票で重視する政策や課題(三つ以内)で、「憲法改正への姿勢」は6位で16%だった。一方で「景気・雇用などの経済対策」「医療・福祉・介護」がほぼ半数を占めている。有権者が求める政策をすり替えてはならない。
 改憲は国会が発議する。主権者である国民が求めていないのに、首相の信条に基づく改憲論議を進めることに無理がある。

▼新潟日報「与党改選過半数 全面的な信任とはいえぬ」/忖度発言に強い不信/批判に耳を傾けねば/改憲最優先ではない
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20190722484183.html

 新潟選挙区は全国屈指の激戦区となり、野党統一候補で無所属新人の打越さく良(ら)氏が、自民党現職の塚田一郎氏を小差で下した。
 県外で生まれ育ち、知名度でも劣る打越氏に現職の塚田氏が敗れた要因に、国土交通副大臣時代の道路整備を巡る「忖度(そんたく)」発言があったことは明らかだろう。
 失言は政治家としての資質を疑わせるとともに、安倍政権のおごり、緩みの象徴と受け止められたのではないか。
 首相や菅義偉官房長官がそれぞれ2回も本県入りするなど自民党はテコ入れを図ったが、有権者は厳しい判断を下した。不信が強かったことの表れだろう。
 選挙終盤には、週刊誌報道で新潟1区を地盤とする自民党の石崎徹衆院議員(比例北陸信越)の暴行疑惑も発覚した。「政治家の質」がより問われることになったに違いない。
 残念だったのは、「落下傘」「忖度」などの批判合戦が目に付き、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働問題など重要課題を巡る論戦が深まらなかったことだ。

▼北日本新聞「【19参院選】与党大勝/積極支持によるものか」

▼北國新聞「参院選で与党勝利 改憲の推進力にできるか」

 安倍首相はこれから自民党総裁任期の後半に向かう。参院選で得た政治基盤を生かして難局を乗り越え、日本の針路を定めていけるのか。とりわけ手腕が問われるのは自民党の公約に掲げた憲法改正であろう。参院選の結果を改憲の推進力にできるのかどうかは、選挙後の焦点となる。
 今回は「改憲勢力」の議席数が国会発議に必要な3分の2以上を維持するのかが注目された。憲法改正に前向き、もしくは反対しない勢力は3分の2を下回ったが、選挙後の国会は議論を避けて通ることはできない。
 安倍首相は公示前の党首討論会で、「国民民主党の中にも改憲に前向きな人がいる」と述べて、合意の形成に意欲を示した。改憲を目指す首相の決意が変わらなければ、選挙結果を受けた合意形成の働き掛けを通じて、与野党の改憲論議を促す可能性がある。
 ただし、憲法改正の議論を進めていくためには、与党が選挙戦で強調したように安定した政治基盤を保つ必要がある。そのためには、何より経済が好調であることが欠かせない。景気が失速し、目の前に暗雲が広がるような状態に陥れば、国会で腰を据えた議論を進めることも、国民の理解を深めていくことも難しくなる。

▼福井新聞「改憲勢力3分の2届かず 首相は前のめりを改めよ」/滝波氏、公約に注力を/国民投票議論が前提/長期政権の度量示せ
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/899525

 改憲勢力が3分の2に届かなかったことで、首相の軌道修正は必至だ。野党に秋波を送り多数派の形成を目指すことも想定される。一方で、改憲勢力の間でも具体的な改憲案で一致していない。自民党は9条と緊急事態対応、参院選の合区解消、教育充実の4項目を掲げている。
 特に首相は9条への自衛隊明記というレガシー(政治的遺産)づくりに前のめりだが、公明党は公約で「多くの国民は自衛隊を違憲の存在とは考えていない」と指摘、「慎重に議論されるべきだ」としている。各種世論調査でも国民が重視する項目の中で「改憲」の順位は低いのが実情だ。
 首相は「改憲を議論する政党を選ぶのか、審議を全くしない政党を選ぶかを決める選挙だ」と主張してきた。13年の選挙で大勝したため、議席維持のハードルは高かったこともあるが、そうした首相の居丈高な姿勢に国民が危うさを感じたのも一因だろう。
 立憲や国民など野党も議論自体は否定していない。とりわけ野党が指摘する国民投票法の問題点、CM規制の議論を進めるべきであり、改憲論議の前提として建設的な議論を求めたい。

▼京都新聞「参院選与党勝利  安倍政治は信任されたのか」/選挙の勝利が目的化/改憲への関心度低く/負担先送りは避けよ
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190722.html

 長期政権の継続は、行政を監視すべき国会との関係をいびつにしている。選挙での勝利による政権の維持が目的化し、国会での説明や議論より優先されていることが、今回の参院選で露骨に表れた。
 直前の通常国会で、政府・与党は3月に本年度予算が成立すると、国政チェックの主舞台である衆参の予算委員会開催を拒み続けた。老後に2千万円の蓄えが必要とする金融庁金融審議会の報告書も政府は受け取らず、なかったことにして与党も議論を封じた。
 とりわけ年金問題では、政府が給付水準を点検して過去6月に公表していた「財政検証」を選挙前に出さなかった。データの裏付けを欠いたことで、与党が訴える年金制度の持続性と野党の批判がかみあわず、有権者の抱く将来への不安に応える議論が深められなかったことは否めない。
 都合の悪い事実を隠し、説明責任を果たそうとしない政府を、与党の数の力で国会が下請けのように追認し、法案を通過させていく。立法府の存在意義が問われる事態の進行は民主主義を危うくしかねない。
 そこまで政権維持にこだわる安倍氏が見据えるのが、宿願の憲法改正であることは疑いない。
 安倍氏は、事前情勢で「与党堅調」とみるや訴えの柱の一つに改憲を押し出し、衆参両院の憲法審査会がほとんど開かれないことに「憲法を議論しない政党を選ぶのか」と野党に批判を浴びせた。
 改憲勢力の維持を目指しつつ、国民民主党にも協力の秋波を送っており、3分の2割れを受けて野党側の対応も注目されよう。

▼神戸新聞「自公改選過半数/本当に強い政権がなすべきこと」/混迷を抜け出したか/議論重ね合意形成を
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201907/0012537663.shtml

 この6年半、政府、与党が多弱野党の足元を見て丁寧な議論をしようとせず、数の力で法案成立を強行する国会運営が定着してしまった感がある。
 安倍首相は選挙戦で「議論する政党を選ぶのか、まったくしない政党を選ぶのか」と野党への挑発を繰り返した。憲法論議が進まないことを批判した発言だが、まず改めるべきは政権側の国会軽視の姿勢である。
 森友・加計(かけ)学園を巡る疑惑、統計不正問題などでは、野党が求める臨時国会召集や予算委員会開催をはねつけてきた。都合の悪い議論を避けてきたのはむしろ与党側である。
 世論調査では、安倍政権下での改憲への反対が賛成を上回る状況が続いている。首相は改憲論議に支持を得られたとの考えを示したが、数の力で強引に押し切る手法を国民が懸念していることを忘れてはならない。
 安倍政権が直面するのは、簡単に答えが出ない難問ばかりだ。さまざまな意見の対立が予想されるが、異なる意見を調整し、議論を尽くして合意を見いだすのが政治の役割である。
 本当の強さは、異論を敵視して排除するのでなく、批判勢力を含めた国民全体を包み込むものだ。自分の思いを遂げるためでなく、持続可能な未来へのビジョンを描き困難を打開するために生かしてもらいたい。

▼山陽新聞「改憲3分の2割れ 拙速な議論避けるべきだ」
 https://www.sanyonews.jp/article/921274?rct=shasetsu

▼中国新聞「与党改選過半数 『1強』信任とは言えぬ」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=554941&comment_sub_id=0&category_id=142

▼山陰中央新報「参院選でかすんだ地方創生/実効性ある具体的施策を」
 http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1563758827214/index.html

▼愛媛新聞「与党勝利 強引な政権運営改め課題対処を」

 だが、主な争点となった改憲や老後資金2千万円問題、消費税増税についての論戦では、有権者の疑問や不満に十分答えておらず、消化不良だった感は否めない。6年半にわたる安倍政権のおごりや緩みも顕著となっており、「白紙委任」でないことは明らかだ。政権与党は数の力を頼りに異論を封じ、強引に物事を進める従来の姿勢では国民の支持は遠のくと肝に銘じ、山積する課題に対応してもらいたい。
 安倍晋三首相は「憲法について議論をする政党を選ぶのか、責任を放棄して議論しない政党を選ぶか」などと野党への批判をむき出しにして主張を展開した。しかし、これまでさまざまな議論に背を向けてきたのは政権与党にほかならない。加計・森友学園問題の疑惑には正面から答えず、国論を二分するような法案で採決を強行してきた。先の通常国会では重要な論戦の場である予算委員会の開催要求を拒むなど、不誠実な国会運営を繰り返してきた。
 改憲に関しては、共同通信社の世論調査で安倍政権下での憲法改正に半数以上が「反対」だった。自民党は憲法9条への自衛隊明記を掲げるが、集団的自衛権の行使容認など、安倍政権が推し進めた安全保障政策への懸念は依然として根強い。選挙戦で公明党は改憲について争点化自体に疑問を呈すなど、与党でも認識が食い違っていた。選挙結果を受け、首相は改憲議論を加速させたい考えだが拙速は許されない。

▼徳島新聞「19参院選 合区で自民勝利 野党共闘は機能したか」
 https://www.topics.or.jp/articles/-/233166

 残念だったのは、徳島の投票率がまた低下したことだ。過去最低の38・59%に沈み、都道府県別では全国最下位となった。これほどの棄権は民主主義の危機と言える。
 高野、松本両氏とも地元が高知のため、県内の有権者になじみが薄かったのは確かだ。合区の弊害にほかならない。ただ、選挙が盛り上がらなかったのは、県内野党の低迷が大きく影響したのではないか。
 平成以降の県内の参院選を見ると、自民政権時に野党が勝利した際の投票率は、1989年が65・59%、98年は56・91%、2007年は58・47%と高い。
 これは無党派層が動いた結果だ。支持層の厚い自民候補を相手に、野党候補が勝機を見いだすには、浮動票を取り込む必要があることを示している。

▼高知新聞「【参院選徳島・高知】合区解消の責任より重く」
 https://www.kochinews.co.jp/article/294850/

 今回とは逆に前回は高知が「地元候補不在」となり、投票率は全国最下位だった。合区で広がった選挙区を候補者はくまなく回ることができず、訴えを浸透させるのは難しい。今後も合区が続けば、選挙離れに拍車が掛かる恐れは強まろう。
 高野氏は「合区解消をうたうのは自民だけ」と胸を張る。しかし自民は前回参院選でも合区解消を前面に打ち出していた。それが2度続いた以上、「公約違反」と言われても仕方ない。
 確かに自民の憲法改正案には、参院選の選挙区で、改選ごとに各都道府県から1人以上選出できる規定がある。ただし、「投票価値の平等」を求める憲法14条を損なう懸念などが指摘されている。
 衆参両院で多数派が異なる「ねじれ国会」では、参院が国政を止めるほど強い権限を発揮したこともあった。たとえ投票価値の平等が損なわれても議員の選び方を変えるというのなら、参院の権限は今のままでいいのか。
 参院の選挙制度改革は、衆院と参院の役割分担にまで立ち返った抜本的な論議が要る。6年間の長い任期を持ち、解散の心配もない参院議員自身が本来、それを担わなければならない。にもかかわらず出てきたのは、合区や特定枠といった緊急避難的な弥縫(びほう)策ばかりだ。

▼西日本新聞「岐路の選択 『改憲』より『暮らし』こそ」/何のための「安定」か/国民的合意の道筋を
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/529016/

 自民党は「公明党を含む与党で改選議席の過半数」「非改選も含めて与党で過半数」など、あらかじめ勝敗ラインを低く設定していた。自公が圧勝した6年前の反動減を意識せざるを得なかったからだ。与党は「政治の安定を訴え、国民に信任された」と言うが、手放しで喜べる結果ではあるまい。
 そもそも「政治の安定」は何のために必要か。与野党で意見が鋭く対立し、世論も二分する憲法改正を短兵急に進めるためではない。「国民生活の安定」のためにこそ必要なのではないか。私たちが首相に問いたいのはここだ。
 「老後2千万円」の問題は、その象徴だろう。公的年金以外に2千万円の蓄えが必要-とした金融庁の審議会報告書である。国民の「老後資金」の将来に警鐘を鳴らす一方、報告書の受け取りを拒んだ政府や与党の姿勢がかえって年金不信を増幅してしまった。
 年金の問題は同時に少子高齢化と人口減少を考えることであり、社会保障と税の在り方を不断に検証することだ。それは大局的な観点と中長期の時間軸で、この国のかたちを論じることに通じる。
 厳しい現実や困難な予測を踏まえ、たとえ国民に痛みや負担が生じるとしても、逃げずに率直に訴えるのが政治本来の役割である。

▼大分合同新聞「参院選開票 もろ手挙げた信任ではない」

▼宮崎日日新聞「参院選 政治への信頼回復急ぎたい」/不祥事頻発し失望感/将来の安心が最優先
 http://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_39977.html

 近年、公文書の改ざんや公的データの不正などが頻発し、民主主義の土台を崩しかねない事態が続いた。忖度(そんたく)風土や組織的隠蔽(いんぺい)のまん延も、安倍晋三首相の1強体制によってあぶり出された問題点だ。
 その体質や政治手法に対する審判を下す選挙だったが、宮崎選挙区の投票率は41・79%で、過去最低となった。
 前回2016年の選挙区での自民、公明の与党の得票数は全有権者の25・3%。「1強」とは言うものの、低投票率が続く国政選挙で、全有権者の4分の1程度にとどまる得票で圧倒的多数の議席を占めているのが実態だ。今参院選でも同様で、これでは健全な民主主義の姿とは言えない。
 有権者の側も、意思を表明する貴重な機会を生かし切れなかった。不祥事の解明や信頼回復に積極的に動かず、逃げの姿勢ばかりが目立つ政治。その貧困さに有権者は「またか」と失望感を膨らませ、諦めの境地に至った人が多いのではないか。
 地方組織が弱体化し、候補者擁立に手間取った野党は受け皿になれなかった。負託を受けた新議員は現状を認識し、向き合っていかなければならない。

▼佐賀新聞「参院選 ゆがむ三権分立の修復を」(共同通信)
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/403594

▼熊本日日新聞
「2019参院選・県内 多様な声聞く『受け皿』に」
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/1124617/

 しかし、3年前の参院選と比べ、野党の足並みの乱れは明白だった。前回の選挙戦を主導した民進党は立憲民主党と国民民主党に分裂。その立民県連は阿部氏擁立を巡り内部対立し、国民県連も支援にとどめた。さらに、いったんは阿部氏推薦を出した連合熊本が後に取り消す事態も生じた。県内の非自民系の地方議員らが地域政党「くまもと民主連合」を設立して支援したが、野党共闘への疑問符は消えず、無党派層の取り込みも不発に終わった。
 その結果、投票率は47・23%にとどまり、過去最低だった前回の51・46%をさらに4・23ポイント下回った。有権者を投票に動かす選択肢を提供できない政党や政治家の責任は重い。

「2019参院選・全国 慢心戒め広く合意形成を」
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/1124613/

 選挙戦で、与野党は年金制度や消費税増税、憲法改正、安保政策などを争点に論戦を繰り広げた。いずれも日本の針路を左右する重要な課題だが、論議は深まらなかった。
 象徴的だったのが年金問題だ。政府与党は、年金財政の健全性をチェックする「財政検証」の公表を参院選後に先送りした。有権者は判断材料を奪われた形で、与野党の政策の違いを見極めることができなかったのではないか。
 そうした選挙戦への影響を回避する選挙戦術が功を奏し、結果として消去法での与党の支持に結び付いた印象も否めない。前回2016年参院選の54・70%を下回る低い投票率はその表れとも言える。有権者がもろ手を挙げて政権を信任したと判断するのは早計だろう。

▼南日本新聞「[2019参院選・与党過半数] 批判票の重み自覚せよ」/年金不安の解消を/緊張感を欠く政治
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=108181

 2012年12月の第2次安倍政権発足以来、6年半が過ぎた。この間、都市部を中心に雇用環境が改善し、株価も上昇するなど経済は上向いた。
 だが、地方は景気回復を実感できない。東京への一極集中が拡大、人口減少や人手不足は深刻で、明るい展望が開けないままである。
 比例代表や鹿児島など改選1人区で少なくない政権批判票が投じられた。その背景には、こうした地方の不満や、たびたび露呈した「安倍1強」体制といわれる長期政権のおごりがあるのではないか。
 論戦から逃げて、数の力で押し切る政治を国民は望んでいない。反対意見にも真正面から向き合い、議論を尽くすのが政権与党に課せられた使命である。

▼沖縄タイムス「[高良鉄美氏が初当選]新基地反対の民意再び」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/448319

 今回の参院選は第2次政権発足から6年半におよぶ「安倍政治」を総括する選挙である。2014年11月に翁長雄志前知事が新基地反対を掲げ、初当選した以降とほぼ重なる。
 全国では自民、公明両党が早々と改選過半数の議席を獲得し、安倍晋三首相は引き続き「1強体制」の政権基盤を手に入れた。ところが沖縄では全く逆である。
 沖縄ではこの間、知事選2回、衆院選2回、衆院3区補選、参院選2回が実施されている。自民党が獲得した選挙区の議席はわずか衆院4区だけである。
 新基地に反対する「オール沖縄」勢力が12勝1敗と圧勝。安倍政権が民意を無視して強行する新基地建設に「ノー」の意思を繰り返し繰り返し示しているのである。
 民主主義の根幹である選挙結果の意味は重い。

▼琉球新報「参院選高良氏当選 新基地反対は揺るぎない」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-957908.html 

昨年9月の県知事選で玉城デニー氏、今年4月の衆院3区補欠選挙で屋良朝博氏、そして参院選で高良氏と、新基地建設反対を掲げた候補者が立て続けに当選した。2月の県民投票では投票者の7割超が埋め立てに反対している。
 今回の参院選は駄目押しとも言える結果だ。これ以上、民意を無視した埋め立てを続けることは許されない。
 政府に求められるのは辺野古に固執する頑迷な姿勢を改めることだ。今度こそ、沖縄の声に真剣に耳を傾け、新基地建設断念へと大きくかじを切ってほしい。県内移設を伴わない普天間飛行場の返還を追求すべきだ。

 

「自公過半数」「改憲勢力2/3割れ」参院選結果、在京紙報道の記録~付記 軽視できない街頭演説からの市民強制排除

 第25回参院選は7月21日投開票が行われました。自公の与党が改選過半数を占めたほか、自民、公明に日本維新の会など改憲に前向きな「改憲勢力」は、改憲の発議に必要な参院全体の議席の3分の2を割り込みました。東京発行の新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)の22日付朝刊も、1面はいずれもこの二つの要素で大きな見出しを取っていますが、パターンが分かれています。
 朝日、毎日、日経の3紙はもっとも重要な横向きの主見出しに与党の過半数獲得、2番目に重要な縦見出しに改憲勢力の3分の2割れを据えました。これに対して産経、東京両紙は、主見出しに改憲勢力の動向を取り、与党の過半数は2番目でした。読売新聞は朝日、毎日、日経に近いのですが、「与党勝利」の見出しの大きさに比べると、改憲勢力の議席動向は、紙面を二つ折りにすると下半分になってしまう位置に「与党・改憲勢力2/3割れ」と控えめに置かれています(写真ではこの見出しは見えません)。
 選挙結果を大きく捉えるなら、確かにポイントは自公の改選過半数獲得と、改憲勢力の議席動向になるのだと思います。

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 ※紙面は最終議席が確定する前のものであり、同じ新聞、同じ東京都内でも、降版・印刷の時間帯によって見出しが異なっている可能性があります

 各紙ともそろって1面に政治部長の署名評論を載せたほか、社説でも選挙結果を取り上げています。以下に見出しを書きとめておきます。それぞれの主張の差が読み取れるのではないかと思います。特に憲法改正を巡っては、主張の差は大きいと感じます。

▼1面署名評論
・朝日新聞「多様な価値観 丁寧に論戦を」栗原健太郎・政治部長
・毎日新聞「分断から統合の政治を」高塚保・政治部長
・読売新聞「『6連勝』に待ち受ける道」伊藤俊行・政治部長
・日経新聞「自民・非自民争いの限界」丸谷浩史・政治部長
・産経新聞「改憲へ成否の1年 首相覚悟示せ」佐々木美恵・政治部長
・東京新聞「異論に耳傾ける政治を」清水孝幸・政治部長

▼社説
・朝日新聞「自公勝利という審判 『安定』の内実が問われる」/「緊張」求める民意も/改憲支持と言えるか/先送りのツケ一気に
・毎日新聞「19年参院選 自公が多数維持 課題解決への道筋見えず」/強引な憲法論議避けよ/半数棄権の危機的状況
・読売新聞「参院選19 与党改選過半数 安定基盤を政策遂行に生かせ 超党派で社会保障を論じたい」/長期政権の実績を信任/野党は流動化の可能性/憲法論議の活性化を
・日経新聞「大きな変化を望まなかった参院選」/安全運転だった与党/野党はあまりに無策
・産経新聞(「主張」)「参院選で与党勝利 『大きな政治』の前進図れ 有志連合への参加を試金石に」/憲法改正を説くときだ/社会保障の改革着手を
・東京新聞・中日新聞「改憲派3分の2割れ 政権運営は謙虚、丁寧に」/白紙委任状は与えない/改憲以外に課題が山積/三権分立を機能させよ

 社会面の中心的な見出しも書きとめておきます。各紙、横向きに第2社会面と合わせて見開きで大きな見出しを取り、この選挙の意義のようなものを大づかみに表現しようとしています。その中で、見開き見出しを取らない読売新聞の社会面づくりがやはり目を引きました。
▼社会面ヨコ見出し
・朝日新聞「6年半を評価 求めた安定」「未来変えたい 託した希望」(見開き)
・毎日新聞「なんとなく自民」「野党任せきれぬ」(見開き)
・読売新聞「自民祝勝ムード」
・日経新聞「『安定の自民』選択」「風なき野党 息切れ」(見開き)
・産経新聞「与党 新時代も勢い」「野党 明暗くっきり」(見開き)
・東京新聞「令和の風 女性躍進」「9条守る 決意の1票」(見開き)

 

 以下はわたしの雑多な感想です。今回の選挙では、いくつか気になる点があります。そのうちの一つは、「れいわ新選組」「NHKから国民を守る党」がそれぞれ2議席、1議席を獲得したことです。選挙前には政党要件を満たしていなかったために、新聞や放送のマスメディアの取り上げ方は、決して大きなものではありませんでした。それでも、れいわ新選組は、擁立した候補がそれぞれ社会の課題を体現していたとの感がわたしにもあり、SNSなどを通じて支持が広がったことは理解しやすいと思います。しかし、NHKから国民を守る党は、その主張が真に社会的課題なのかどうか、わたしには違和感があります。議席獲得が、今の日本社会の何をどう示しているととらえればいいのか。その点を解きほぐすことは、マスメディアの課題でもあると思います。

 実は今回の選挙を通じてもっとも気になったのは、安倍晋三首相の街頭演説中に、「安倍やめろ、帰れ」などと叫んだ市民が警察官に取り押さえられ、演説の現場から排除された、という出来事でした。わたしが報道で見ていた限りですが、最初に報じたのは朝日新聞でした。7月15日、札幌市でのことでした。次いで共同通信や毎日新聞なども報じました。
 北海道新聞は演説現場から排除された当事者にも取材して、詳細な記事にしています。一部を引用して書きとめておきます。

※北海道新聞「突然包囲、2時間見張られ… 首相へのヤジ排除『恐怖感じた』『異様』」=2019年7月20日
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/326197

 「なぜ自由を奪われたのか。日本でこんなことが起こるなんて」。大学4年の女性(24)は声を震わせた。JR札幌駅前での首相の演説中、聴衆の後方から「増税反対」と叫んだ。政権に不満や不安を伝えたくて、意を決して初めて上げた声だった。だが、すぐに警察官に囲まれ、両脇を抱えられるように隅に追われた。数えると8人いた。
 首相は次の会場の札幌三越前に移動したが、女性は警察官から「(あなたは)危害を加えるかもしれない」と言われ、行く手を遮られた。逃れたくて200メートル先のレンタルビデオ店に向かったが、店に着くまで女性警察官に腕を組まれたまま。中に入っても外に立っていた。
 警察官がそばから離れたのは約2時間後という。首相は既に演説を終え、札幌市中心部を後にしていた。「罪を犯したわけでもないのに…」。今もそのショックは消えない。

 この強制排除に対しては、法的な根拠を欠いているのではないか、との専門家の指摘も報じられています。仮に、最高権力者におもねるように、あるいは忖度して、警察が法的根拠を欠いて恣意的に動いたのだとしたら、まさに民主主義の危機であり、軽視できません。警察内部で組織的な指示があったのかどうかなど、マスメディアが継続して追うべき課題だろうと思います。
 この出来事については、東京新聞の清水孝幸政治部長が先に紹介した1面の署名評論記事「異論に耳傾ける政治を」の冒頭で触れています。一部を引用して、書きとめておきます。 

 今回の選挙で衝撃的な出来事があった。安倍晋三首相が札幌市で街頭演説していたとき、やじを飛ばした男性と女性が相次いで景観に取り囲まれ、体を押さえつけられて無理やり移動させられた。民主主義国家では考えられない光景だ。
 安倍政権の六年半を振り返ると、国会議事堂を市民が取り囲む中、法案の採決を強行したシーンがいくつも浮かぶ。特定秘密保護法、安保法、「共謀罪」法…。反対意見に耳を傾けず、時間をかけて議論する「熟議」を嫌い、「数の力」で押し通してきた。
 それどころか、首相は批判勢力や反対意見を強い口調で攻撃する。旧民主党政権を「悪夢」とこきおろす。異論を敵視し、唱える人間を排除する意識がにじむ。役人は排除を恐れて首相の意向の忖度に走り、森友・加計問題が起こった。ネット上でも政権批判をする人を攻撃する風潮が広がる。札幌市の出来事は延長線上にあるように映る。

 

「不偏不党」と「ペンか、パンか」~故原寿雄さんが問うた組織ジャーナリズムの命題

 一つ前の記事「『不偏不党』の由来と歴史を考える~読書:『戦後日本ジャーナリズムの思想』(根津朝彦 東京大学出版会)」を読み返しながら考えたことを書きとめておきます。組織ジャーナリズムと「ペンか、パンか」の命題のことです。
 「ペンは剣よりも強し」とのたとえがあります。しかし、組織ジャーナリズムの強さが本当に問われるのは、そこでの対応いかんによっては組織が存続できないかもしれない、というような事態のときではないのか。個々の記者やデスクをはじめとした従業員や家族の生活、すなわち「パン」の問題が掛かった時に、新聞社などのジャーナリズム組織はどう振る舞うのか、「パン」のためには「ペン」を曲げるのもやむを得ないのか、という問題です。
 日本の新聞が戦前、白虹事件を契機として、根津朝彦さんが指摘したように「新聞界では政府に刃を向けない姿勢を意味する『不偏不党』が浸透する」「新聞の戦争協力ということで、『満洲事変』以後を新聞の曲がり角と思う読者もいるかもしれないが、すでに白虹事件で『不偏不党』の名のもとに自主規制を積極的に内面化する、決定的な曲がり角を迎えていたのである」という状況にあったことは、この「ペンか、パンか」の問題としても意識しておく必要があるように思います。
 「ペンか、パンか」は元共同通信編集主幹の故原寿雄さん(2017年11月に92歳で死去)が繰り返し、問うていた命題でした。わたしも直接、原さんから聞いたこともあります。この問題についてここでは、2017年12月に書いたこのブログの記事を一部引用しておきます。なお、原寿雄さんについては、根津さんも「戦後日本ジャーナリズムの思想」で1章を割いて紹介しています(「第5章 企業内記者を内破する原寿雄のジャーナリスト観」)。

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▽「我が国ジャーナリズム」に陥るな~「ペンか、パンか」の問題
 二つ目は、ジャーナリズムは「我が国」とか「国益」などの意識から離れよ、ということです。偏狭なナショナリズムに陥るな、と言ってもいいと思います。そうした意識は排他的なものの考え方と結びつき、社会を戦争に駆り立てるものだからです。このことは原さんから何度もお聞きしましたし、著書やお書きになった文章でも必ずと言ってもいいほど触れていたのではないかと思います。原さんの考えの根底にあるのは、1931年の満州事変を境に、戦争に反対しなくなった戦前の新聞だと思います。「我が国ジャーナリズム」では戦争に反対できない、ということもおっしゃっていました。
 記事では「我が国」と書かずとも「日本」と書けば十分です。政治家の発言の直接引用などは別として、この点は私も実務の上で、先輩たちからそう教育を受け、また後輩たちにもそう指導してきました。「我が国ジャーナリズム」では戦争に反対できない、という意味づけはとてもクリアです。
 これに関連すると思うのですが、原さんは新聞が反戦ジャーナリズムを維持できるかどうかに関して「ペンか、パンか」の命題を重視していました。「パン」とは新聞社の従業員と家族の生活です。戦前の新聞が戦争に反対しなくなった歴史は、一面ではペンがパンに屈した歴史でした。しかも、必ずしも反戦の言論に対する直接的な弾圧はなくとも、新聞の側が忖度するように軍部批判を辞めていった歴史です。翻って今日、原さんは「結局は個人の覚悟から出発するほか、ペンの力がパンの圧力に勝つ反戦ジャーナリズムの道はないように思う」と、2009年刊行の岩波新書「ジャーナリズムの可能性」に書いています。そして「日本ではジャーナリストも企業内労組に属し、一般職を含む労組はパンを優先しがちである」として、労組が反戦を貫けるかどうか「正直言って覚束ない」とも。原さんはかつて、新聞労連の副委員長でした。はるかに下って、新聞労連の委員長を務めた私は、この指摘に忸怩たる思いですが、一方では原さんの危惧を共有してもいます。
 ジャーナリズムの究極の目的は戦争をなくすこと、始まってしまった戦争を終わらせることです。労働組合の目的の一つが、働く者の地位と生活の向上だとして、それは何のためかと言えば、貧困や社会不安の根を除き、戦争の芽を摘み取ることです。ジャーナリズムの労働組合運動にとっては、戦争反対は二重の意味で譲ってはならない目標のはずで、「ペンとパン」の問題はここにもあるのだと、今、この文章を書きながらあらためて思います。戦争については、原さんが「『良心的』ではだめだ。良心的な人が戦争に加担していた。良心を発動しなければならない」と常々おっしゃっていたことも強く印象に残ります。 

 ※参考過去記事

news-worker.hatenablog.com

「不偏不党」の由来と歴史を考える~読書:「戦後日本ジャーナリズムの思想」(根津朝彦 東京大学出版会)

 著者の根津朝彦さんは立命館大産業社会学部メディア社会専攻の准教授。戦後ジャーナリズム史の研究者であり、本書は学術専門書です。しかし、というか、であるからこそ、と言うべきか、新聞や放送のマスメディア企業の中に身を置く記者、デスク、編集幹部から経営幹部に至るまで、およそ組織ジャーナリズムに仕事としてかかわる人たちにこそ、一読すべき価値があると思います。それがわたしの読後感です。

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 新聞や放送のマスメディアの報道のあり方に対しては、アカデミズムからの研究者の論評・批評は少なくなく、マスメディア自身もしばしばそれ自体を報道として取り上げます。事件事故を巡る当事者を実名とするか、匿名とするかなどは、その典型的な事例だと言っていいと思います。そうした問題はマスメディアの内部でも、議論が交わされています。公権力とマスメディアとの関係や間合いについても、最近では、東京新聞記者に対する官房長官記者会見での質問妨害を、複数のマスメディアが報じている事例などがあります。
 ただ、その時々のマスメディアの報道にとどまらず、「戦後日本」という時間軸で、新聞や放送に加え総合雑誌など出版まで含めて、通史的にジャーナリズムをとらえるアプローチは、今まであまりなかったことのようです。少なくとも、新聞や放送のマスメディアの内側では、わたし自身の新聞労連などマスメディアの労働組合での経験を振り返っても、そうした議論が恒常的にあったとは言い難い状況です。
 その要因の一つには、ジャーナリズムとはその言葉が示す通り、日々の出来事を記録して伝えることであって、現場の記者やデスク、編集者にとっては、きょうの出来事、あす起きそうなこと、さらにはその先をどこまで見通すかが優先すべき事項である、という事情があるように思います。50年前、100年前のジャーナリズムを自らが振り返る機会は、特別な企画記事を連載する事例などのほかには、なかなかないのが実情です。
 だからこそ、アカデミズムによる研究者の「ジャーナリズム史」のアプローチは、とりわけ組織ジャーナリズムで働く者にとって、自らの仕事の過去を知り、そこから得られる教訓を踏まえて将来を考える上で意義があると感じます。

 本書から一つだけ具体例を挙げれば、第1章で著者の根津さんが指摘している「不偏不党」の由来の問題があります。辞書的な意味としては「偏らず、いずれの党派や主義にも与しないこと」といったことになるかと思います。「公正中立」とともに、マスメディアの報道にとっては、あまりにも基本的な、自明の原則のように思えます。
 例えば朝日新聞社は「朝日新聞綱領」の中の最初の一項で「不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す」と掲げています。
 ※会社概要 | 朝日新聞社インフォメーション

 ほかの新聞社、通信社も編集綱領などで表現は違っていても、同様の理念を掲げている例があります。
 放送となると、放送局が遵守しなければならない放送法は第1条で「この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする」とし、その一つに「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」と明記しています。
 そのような「不偏不党」について、著者の根津さんは「第1章 『不偏不党』の形成史」で、「不偏不党」が1918年の大阪朝日新聞白虹事件を契機に日本のジャーナリズムの規範として浸透し、「その規律が、独立したジャーナリズムの生成を歴史的に妨げてきた」と指摘します。
 ※大阪朝日新聞白虹事件は、ウイキペディア「白虹(はっこう)事件」に概要が記されています。

白虹事件 - Wikipedia

 それによると、大正デモクラシー当時、シベリア出兵や米騒動に関連して寺内正毅内閣を激しく批判していた大阪朝日新聞が、記事の中に内乱の兆候を示すとされる「白虹日を貫けり」の故事成語を引用していたことを理由に発行禁止の動きにさらされ、社長や編集幹部が退陣。「本社の本領宣明」を発表して「不偏不党」の方針を掲げたという出来事です。「大阪朝日新聞の国家権力への屈服を象徴しており、これ以降、大阪朝日新聞の論調の急進性は影をひそめていく」と記されています。

 根津さんは、白虹事件以後について「新聞界では政府に刃を向けない姿勢を意味する『不偏不党』が浸透する」と指摘し、「新聞の戦争協力ということで、『満洲事変』以後を新聞の曲がり角と思う読者もいるかもしれないが、すでに白虹事件で『不偏不党』の名のもとに自主規制を積極的に内面化する、決定的な曲がり角を迎えていたのである」と書いています。
 さらに根津さんは、1945年の敗戦後、今日にまで連なる問題の一つとして「言論の不自由と自主規制に結びつきやすい皇室報道」を挙げています。以下、いくつかの指摘を引用します。
 「今日のマスメディアでも、天皇制廃止や、天皇制批判の言説が大々的に取り上げられることは少ない。この天皇制に対する自由な議論を妨げている一つの要因が、皇室報道、とりわけ敬語報道である」
 「中奥宏が指摘するように『天皇』という表現自体すでに尊称なのである。天皇と表記しても『呼び捨て』ではなく、『天皇陛下』自体が過剰な表現であるのだ。象徴天皇制という呼称が盤石となった状況をどう見るかはさておき、天皇制は日本の加害責任・戦争責任の象徴としても私たち主権者に刻まれる必要があるのではないか。終章でも触れるように、天皇・皇族個々人への敬意と、制度・報道の議論は次元の違う問題である」
 「現実的には、明仁天皇から新天皇への代替わり以降に、敬称報道(※引用者注:『陛下』『殿下』『さま』の敬称を付ける報道)を見直すことも必要である。ジャーナリズムが物事の核心に迫る営為とするならば、自主規制を発動させやすい天皇制の問題を放置していいとは思わない。それが言論の自由を拘束してきた『不偏不党』の歴史に関わりがあることを鑑みれば、なおさらである」

 知識として白虹事件のことは知っていても、現在もマスメディアが掲げる「不偏不党」との絡みでは、恥ずかしながらわたし自身、ここまで深く考えてみたことはありませんでした。皇室報道と令和への改元についても、明仁天皇の生前退位で、1989年の平成への改元の時とは違って、自由に元号を論じることができたという声がありながら、実際には祝賀ムードに終始した印象の報道だったことは、全国紙を例にこのブログでも記録した通りですが、そのことを「不偏不党」と結びつけて考察していく視点の意味を、本書を読んであらためて考えています。

 「不偏不党」は本書が論じている問題の一例ですが、これ一つとっても、マスメディアの内部でその由来について、確固とした共通の認識があるとは言い難いように思います。もちろん、1945年の敗戦を挟んで、日本の新聞は再出発を期し、「不偏不党」についても現在は字義通りに「偏らず、いずれの党派や主義にも与しないこと」と受け止めていることと思います。それでもこの言葉の由来やたどった歴史を知っておくことは、組織ジャーナリズムが公権力との関係を厳しく問われるような事態に立ち至った時に、自らの立ち居振る舞いを考える際に意味を持ってくるだろうと思います。
 
 以下に、本書の主要目次を紹介しておきます。

序 章 戦後日本ジャーナリズム史の革新

第I部 日本近現代のジャーナリズム史の特質
第1章 「不偏不党」の形成史
第2章 1960年代という報道空間

第II部 ジャーナリズム論の到達点
第3章 ジャーナリズム論の先駆者・戸坂潤
第4章 荒瀬豊が果たした戦後のジャーナリズム論

第III部 ジャーナリストの戦後史
第5章 企業内記者を内破する原寿雄のジャーナリスト観
第6章 「戦中派」以降のジャーナリスト群像

第IV部 戦後ジャーナリズムの言論と責任
第7章 『世界』編集部と戦後知識人
第8章 清水幾太郎を通した竹内洋のメディア知識人論
第9章 8月15日付社説に見る加害責任の認識変容

終 章 日本社会のジャーナリズム文化の創出に向けて

付録 近現代を結ぶメディアのキーワード 

戦後日本ジャーナリズムの思想

戦後日本ジャーナリズムの思想

 

 

【追記】2019年7月9日0時

 筆者の根津朝彦さんの肩書の「立命館大産業社会学部社会専攻」に誤りがありました。正しくは「社会専攻」ではなく「メディア社会専攻」でした。本文を訂正しました。

 

【追記2】2019年7月15日8時30分

 組織ジャーナリズム(ペン)が従業員や家族の生活(パン)が掛かった事態に立ち至ったときにどう振る舞うのか。「ペンか、パンか」の問題について別記事を書きました。

news-worker.hatenablog.com