ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

自衛隊イラク派遣の違憲判断が確定

※エキサイト版「ニュース・ワーカー2」から転記です。http://newswork2.exblog.jp/7819314/
 自衛隊イラク派遣をめぐり、航空自衛隊の物資空輸活動に違憲判断を示した4月17日の名古屋高裁判決が5月2日午前零時をもって確定しました。「違憲」「違法(イラク復興支援特別措置法にも違反する)」との判断が確定したのに、航空自衛隊の制服トップである航空幕僚長が記者会見で「そんなの関係ねえ」と発言したことに何ら、文民である防衛大臣からも、自衛隊の最高指揮官である首相からもおとがめはなく、自衛隊の派遣部隊の活動も昨日と同じように続いていく。そのことへのわたしの個人的な意見はさておいても、現状自体は、海外から見た時には異常に見えるのではないかと思えてなりません。
 今回の訴訟は、結論が請求の却下、棄却だとしても、「今回の原告」たちの請求が認められなかった、ということであり、別の立場の原告が提訴していれば、イラクでの航空自衛隊の活動が「違憲」「違法」だという判断を前提に、派遣の差し止めをめぐって突っ込んだ判断に移ったであろうと考えることに、さほど論理の飛躍はないと思います。だから、訴えを認容するかどうか、結論を下す前提として、自衛隊の活動が合憲、適法かどうかの判断は、原告の訴えに真摯に向き合おうとするならば、名古屋高裁の裁判官たちにとっては避けては通れない判断だったのだろうとわたしは考えています。
 今回の判決に寄せられている「傍論」「蛇足判決」「不当判決」などの批判について、わたしは同意はできなくてもその発想自体は理解できなくもありません。そんな中で、5月1日の朝日新聞朝刊に掲載された元判事で弁護士の福島重雄さんの「司法は堂々と憲法判断を」と題した文章に目が釘付けになりました。詳しくは朝日新聞の紙面(ネットでは見当たらないようです)を手に取って読んでほしいのですが、ここでは訴訟の原告でもあった天木直人さんのブログの記述を引用します。

長沼ナイキ訴訟で違憲判決を下した元判事の朝日新聞投稿

 福島重雄という元判事が、先般の名古屋高裁自衛隊イラク派兵訴訟の違憲判決について、5月1日の朝日新聞に投稿していた。
 最初は気づかなかったが、読み始めてすぐにわかった。「・・・9条をめぐる裁判での違憲判断は、私が札幌地裁の裁判長時代に言い渡した『長沼ナイキ基地訴訟』の自衛隊違憲判決以来、実に35年ぶりのことだ・・・」というくだりを読んだ時に、この人があの福島裁判長だったのか、とピント来た。
 彼は、その投稿の中で、福田首相が今回の違憲判断に対して「傍論、脇の論ね」とそっけなくつっぱねた事や、「主文に影響しない違憲判断は蛇足だ」という一部批判に言及した上で、
 事実認定をまず確定した上で、その事実に基づいて、原告に訴訟するだけの権利、利益があるのかどうかを判断した手法は、裁判のあり方としては常道であり、なんら問題はない、と断じている。
 それどころか、航空自衛隊トップの「そんなの関係ねえ」発言をはじめ、政府関係者の指摘の多くは、判決のインパクトを弱めようとする意図が感じられる、と書いている。
 私もまったく同感である。
(中略)
 しかし、私がこの福島元判事の投稿の中で最も注目した箇所は、国防など高度に政治性のある国家行為について「司法は判断権を有しない」とする、いわゆる「統治行為論」をとることなく、裁判所は堂々と憲法判断をすべきである、と次のように断じている部分である。
 「私は(長沼ナイキ訴訟の)判決でこれを採用しなかった。なぜなら憲法81条は最高裁判所は、一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する最終裁判所であると規定しており、このような憲法の下で、司法の審査に服さない国の行為の存在を考える余地はない・・・三権分立の中で、司法が一定の分野について判断を避けるという姿勢は、政治に追従、譲歩することに他ならず、日本が法治国家を(放棄することになるからである)・・・私はこうした考えから、自衛隊憲法9条を、(司法)判断の対象にすることに、なんら迷いはなかった・・・」
(中略)
 この投稿文の全体に貫かれている主張は、名古屋地裁(引用者注・「高裁」の誤りか)の勇気ある判決を、我々国民はもっと重く受け止め、国民の力で、この国のゆがんだ政治とそれに追随する官僚支配を、正していかねばならない、とするほとばしる叫びであることがわかる。

 今回の名古屋高裁判決の確定で、わたしは三権分立の意味をあらためて考えています。

 もうひとつ、今回の判決をめぐる航空幕僚長の「関係ねえ」発言などに対して、社民党辻元清美衆院議員が提出した質問書に、政府が4月30日、答弁書を出しました。全文は辻本議員のブログに掲載されていますが、航空幕僚長発言についての部分を以下に引用します。

 田母神俊雄航空幕僚長は、四月一八日に行われた定例記者会見において、航空自衛隊イラクでの空輸活動をめぐり、活動の一部が憲法第九条第一項に違反するという判断を含んだ名古屋高等裁判所判決について、以下のように発言した。(四月一八日付・産経ニュース)
 「純真な隊員には心を傷つけられた人もいるかもしれないが、私が心境を代弁すれば大多数は『そんなの関係ねえ』という状況だ」(発言一)
 さらに町村信孝官房長官は会見で、以下のように発言した。(四月一八日付・asahi.com
バグダッド飛行場には商業用の飛行機が多数出入りしている。本当に戦闘地域で、俗な言葉で言うと、危険な飛行場であれば、民間機が飛ぶはずがない」(発言二)
 一般的に「そんなの関係ねえ」という「心境」は、当該判決に一定の正当性を認めながら、しかし自らの行動規範とする意思はない、と表明する態度と考えられる。航空自衛隊のトップが司法判断を揶揄したととられかねない発言をしたことは、海上自衛隊所属のイージス艦「あたご」衝突事件や情報漏えいなどが続く自衛隊シビリアンコントロールについて、重大な疑いをもたらすものである。
 従って、以下質問する。
一 《発言一》について
1 田母神航空幕僚長は、どのようにして「大多数」の自衛隊員の心境を把握したのか。本件について調査を行ったのか。それとも「大多数」の隊員から自発的に報告があがったのか。根拠を示されたい。
2 「大多数」の自衛隊員は、当該判決の内容を知っているか。知っているならば、それは、いつ、どのような手段・内容の告知によるものか。また、誰の判断で、なぜそのような告知を行ったのか。
3 田母神航空幕僚長が「大多数」の自衛隊員の心境を代弁するに足る根拠を保持していた場合、大多数の自衛隊員が司法判断に対し「関係ねえ」という心情を抱く「状況」にあることについて、法令順守の観点から適切な隊員教育が行われていると考えるか。不適切であると考えるならば、具体的にどのように改善すべきと考えるか。福田総理の認識を示されたい。
4 田母神航空幕僚長が「大多数」の自衛隊員の心境を代弁するに足る根拠を保持していなかった場合、シビリアンコントロールの観点から適切な幹部教育および人事が行われていると考えるか。不適切であると考えるならば、具体的にどのように改善すべきと考えるか。福田総理の認識を示されたい。
5 「航空自衛隊イラクでの空輸活動をめぐり、活動の一部が憲法第九条第一項に違反する」という判決について、田母神航空幕僚長自身も「そんなの関係ねえ」と考えるか。幕僚長の判断を示されたい。

(引用者注・以下は答弁書の記載)
一について
 御指摘の名古屋高等裁判所の判決(以下「本件判決」という。)は、控訴人らから被控訴人である国に対する自衛隊イラク派遣等の違憲確認請求及び差止請求について不適法なものであるとして却下し、損害賠償請求について棄却した第一審判決に対する控訴を棄却する旨の国側勝訴の判決であり、本件判決の御指摘の部分は、判決の結論を導くのに必要のない傍論にすぎず、政府としてこれに従う、従わないという問題は生じないと考える。
 政府としては、航空自衛隊イラクでの活動は、憲法の範囲内でイラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(平成十五年法律第百三十七号。以下「イラク特措法」という。)に基づき適法に行われているものと認識している。
 田母神航空幕僚長は、政府と同様のこのような認識に立った上で、平成二十年四月十八日の記者会見において、部隊からの報告を踏まえ、本件判決後のイラク復興支援派遣輸送航空隊の雰囲気について、必ずしも正確な表現ではないが、自らの言葉で御指摘のような発言をしたものと承知している。
 また、防衛行政については、シビリアン・コントロールの下、法令に基づき、適切に行われている。

 この答弁書は政府の公式見解そのものであり、広く社会に知られることの意味は小さくないと思うのですが、わたしがチェックできた限りでは、この答弁書に関するマスメディアの報道は、毎日新聞の簡単な記事だけでした。
 航空幕僚長の発言については、わたしの以前のエントリーも参照いただければ幸いです。

*追記(5月2日午前8時半)
 早く目が覚めてしまいました。エントリーを読み返して、あまりに天木さんや辻元議員のブログの引用ばかりなのが恥ずかしくなりました。少し書き足しておきます。
 朝日新聞の福島重雄元判事の寄稿を今、あらためて読み返して思うのは、立憲主義の法治社会の中で果たすべきマスメディアの役割です。
 新聞、放送の各メディアはそれぞれに、行政、立法、司法の三権のウオッチに多くの記者が張り付き、日々、膨大な情報を発信しています。三権の権力が何をしているか、何をしようとしているか、権力を体現している首相、閣僚、議員、裁判官たち、さらには行政官たちが何を話したか、一つ一つが社会に伝えられるべき情報であり、組織ジャーナリズムを身上とするマスメディアは、この点に関してはよく機能しているのだと思います。
 加えて、マスメディアが果たすべき役割には「三権のすき間にはまり込んでいる声に光を当てること」もあると思います。三権のすき間にはまり込んだ声とは、政府の政策に反映されず、議会でも多数派の議席を占めることができず、司法にも請求を退けられる、そういう声です。社会の中の少数意見には、そのような声が数多くあります。民主主義の原則の中には「多数決」もありますが、同時に少数意見も尊重されなければなりません。なぜなら、人は自分と異なった考えや知らなかったことに触れたとき、考えが変わることがあるからです。「少数意見の尊重」の機能を具体的に担うこともマスメディアの役割ではないかと思います。
 名古屋高裁の今回の判決について言えば、マスメディアの反省として(むろん、わたし自身も含めてです)、いざ判決が出るまでこの裁判をどう見ていたか、という点があると思います。類似の訴訟は全国で提訴されましたが、憲法判断が一切示されないままに、次々と訴えが退けられていました。現に名古屋の裁判も、一審判決はその通りの結果でした。いつしか、「また負けだろう。大したニュースではない」と思ってはいなかったか。勝ち負けではなく、裁判を起こした人たちがいるという事実自体の重み、それをどう社会に伝え続けるか、その伝え方いかんでは、社会の議論に必要な情報を提供する役割を果たし、立憲主義のもとでの民主主義の発展に貢献できたのではないか。福島元判事の寄稿を読みながら、そんな反省をわたし自身は抱いています。
 判決をめぐっては、首相が「傍論」だと発言したこと、航空幕僚長が「関係ねえ」と発言し、さらにはこの発言は事実上不問に付されたこと、そして判決が派遣の差し止めは認めなかったために自衛隊派遣は判決が確定した今日現在も何ら見直されないこと、それらのことはよく報道されています。少数意見を尊重する、という観点に立てば、これで一件落着ではないことは自明でしょう。今後は「政府の方針が正しい」という「賛成意見」を社会に紹介するよりも(それは必要ない、と言うつもりはありません)、「それはおかしい」という「反対意見」も紹介することに、マスメディアはより配慮を払うべきだろうと考えています。