ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

軍事が無原則に「表現の自由」「知る権利」に優先する危険〜読売新聞情報源の懲戒免職の意味

※エキサイト版「ニュース・ワーカー2」から転記です。http://newswork2.exblog.jp/8715232/
 以前のエントリ(近況:「軍事報道と表現の自由」の講義が終わりました)でも取り上げましたが、2005年5月に読売新聞が報じた中国潜水艦の事故の特ダネ記事をめぐり、読売新聞記者に情報を提供したとして、自衛隊の一等空佐が自衛隊法違反容疑で書類送検された問題に絡んで、大きな動きがありました。防衛省は10月2日、この1佐を懲戒免職処分としました。共同通信記事を引用します。

 南シナ海での中国潜水艦の事故をめぐる「防衛秘密」が防衛省から読売新聞記者に漏えいしたとされる事件で、同省は2日、自衛隊法(防衛秘密漏えい)違反容疑で書類送検された元情報本部課長の北住英樹1等空佐(50)=同本部総務部付=を、同日付で懲戒免職処分にしたと発表した。
 記者への情報提供を「漏えい」として、自衛官が懲戒免職となるのは初めて。書類送検を受けて捜査している東京地検が刑事処分を決める前に、同省が極めて厳しい処分に踏み切る異例の展開となった。背景には情報保全強化の流れがあり、取材を受ける公務員が萎縮(いしゅく)するなど「知る権利」「報道の自由」の制約につながる懸念がある。

 読売新聞東京本社は2日、編集主幹名で防衛省の処分を「遺憾」とする談話を発表しました。その中で今回の処分が「国民の知る権利にこたえる報道の役割を制約するおそれがある」と指摘する一方、読売新聞記者の取材は適正だったことも述べています。

 公権力が都合の悪いことを書かれたくなければ、方法は取材者への直接の弾圧に限りません。取材者の情報源、つまり情報の提供者を潰せば効果は同じです。「書かせない」だけではなく「書けない」状態に追い込めばいいのです。取材者に情報を内通すればどうなるか、見せしめを作れば、後に続く者はいなくなることが期待できます。
 情報提供者と取材者を同時に摘発すれば、「表現の自由」や「知る権利」への直接弾圧として激しい反発を受けるでしょう。しかし今回のように情報提供者だけを摘発した場合、処分を受けた情報提供者がその処分を受け入れてしまったら、処分が妥当かどうか、客観的な判断を仰ぐ場もありません。まさに今回の政府・防衛省の公式見解がそうなのですが「『表現の自由』や『知る権利』は尊重している。組織の規律の問題なのだ」との一見もっともらしい主張がまかり通ることになります。
 わたしが今回のケースでとりわけ問題だと考えるのは、軍事の分野での出来事である点です。

 日本の近海で中国潜水艦が事故を起こしたという情報は、本当に社会の目からは遠ざけておかなければならない情報なのでしょうか。仮に、社会に知られることで発生する軍事上の不利益があることを認めたとして、逆に社会が知ることで得られる公共の利益との比較で論じられるべきでしょう。なのに、何が軍事上の秘密で何がそうでないかを決める権限がすべて政府・防衛省の手中にあり、公共の利益との比較すら許そうとしない(読売新聞記者の情報源の職を奪うということは、そういう意味だとわたしは理解しています)ことは、民主主義社会としてまともなことでしょうか。まして背後には米国の意向があるということになれば、国家としての主権はどこに存在しているのかさえも疑わしくなってしまいます。
 軍事上の要請が無原則に「表現の自由」や「知る権利」に優先することは、社会にとって何を意味するでしょうか。既に日本の社会は有事法制が作られ、国民の保護を名目に放送メディアが戦争体制に組み込まれています。仮に有事法制が発動された際に、マスメディアに報道の自由はあるのか、米軍や自衛隊にとって必ずしも好ましくない情報をマスメディアが伝えることができるのか、懸念が残ります。
 1945年3月10日の東京大空襲では、一夜にして10万人以上の命が奪われました。しかし、当時の新聞は、具体的な被害は「皇居の馬屋が焼けた」としか報じることができませんでした。そんな「大本営発表報道」しかできない社会に戻ってしまいかねない―。今回の読売新聞問題で、わたしはそんな危惧を抱いています(大本営発表報道については過去エントリ「東京大空襲の「大本営発表」報道」もお読みください)。
 新聞をはじめマスメディアが「マス」を名乗る意義が何がしか残っているとすれば、それは「表現の自由」が担保される社会を守ることだとわたしは考えています。「表現の自由」を脅かす動きに対しては例外なく、敏感に繰り返し社会に報じていかなければなりません。情報の取捨選択と重要度のランク付けが新聞の持ち味だとすれば、こと「表現の自由」に関する情報には高い重要度が付けられてしかるべきだと思います。

 今回の防衛省の処分を在京大手紙がどのように報じたか、記録として以下に記しておきます(いずれも3日付け朝刊です)。
【朝日】本記・1面3段見出し
      「自衛官を懲戒免職処分」「記者に中国潜水艦情報」
    サイド記事・第2社会面3段見出し
      「自衛官処分、米意識か」「専門家、報道への影響懸念」
【毎日】本記・第2社会面4段見出し
      「1佐『漏えい』で懲戒免」「読売記者に中国軍情報」
    解説・第2社会面1段見出し
      「情報保全優先は信頼損なう行為」
【読売】本記・1面3段見出し
      「空自1佐を懲戒免職」「『防衛秘密漏えいの疑い』」「中国潜水艦事故報道」
     サイド記事・第2社会面3段見出し
      「処分詳細理由説明せず」「国の情報管理強化に危惧」
     識者談話・第2社会面2本
     社会部長署名論評・第2社会面3段見出し
      「二度とあってはならぬ」
     社説「知る権利に応える報道の使命」
【日経】本記・社会面トップ5段見出し
      「一等空佐を懲戒免職」「異例の刑事処分決定前」
      「防衛秘密記者に漏洩」「知る権利議論再燃も」
     サイド記事・社会面2段見出し
      「米国の不快感に配慮か」「公的機関すべてに影響」専門家の見方
【産経】本記・第2社会面3段見出し
      「1佐を懲戒免職処分」「防衛省 記者に機密情報提供」
【東京】本記・1面4段見出し
      「空自一佐を懲戒免」「防衛省 記者に漏えいで初」

 在京各紙で1面トップに据えた新聞はありませんが、ちなみに長野県の地方紙の信濃毎日新聞はいずれも共同通信の配信記事で本記は1面トップに4段見出し、その下に解説3段見出し「防衛省透ける『対米配慮』」を掲載。総合面にサイド記事、識者談話を掲載しています。