- 作者: 山本一郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/11
- メディア: 新書
- 購入: 8人 クリック: 120回
- この商品を含むブログ (67件) を見る
新聞社は格安でポータルサイトに記事を提供し、結果としてネット空間では新聞社の記事は無料で読み放題です。これが紙の新聞が売れなくなった要因だ、と考えている人にすれば、本書の帯にある「ネットの無料文化は終わる」とのフレーズが目に留まり、目次を眺めて「よしよし、これだ」と思ってレジに行く、ということなのかもしれません。しかし、いざ手にとって読み始めると、耳に痛いことばかりが続きます。例えばこんな指摘です。
新聞業界がネットに購読者を奪われ、将来が危ぶまれているという言説は一見もっともに見えるのだが、実際には、新聞業界はあまりしっかりと読者の属性を押さえていないので、ネットへシフトしてそこで収益を確保しようにもできないだけの話にしかネット業界側からは見えない。
恐らくは、新聞社は読者の維持、確保は各販売店での営業活動に事実上頼っていて、どんな属性の読者がどのような記事を読み、何に金を払おうとしているのかいまだに分からないのだろう。だから、ネットでは情報のソースとして頼るべきブランドの確立ができず、そもそも新聞社が提供する記事がどのような経緯、過程でどういった人に強く支持され読まれているのかが分からない以上、宅配の新聞紙も増えないし、ネットでもお金を払ってくれる読者を獲得できないのだ、ということが言える。
新聞社や通信社の人々がネット業界に圧迫されて新聞社が潰れるという危機感を持って多くの書籍を出版しており、その多くがネットに読者を奪われるという恐怖について、もっぱらネットの特性と新聞がどう違うのかという観点から解説している。だが、すでに飽和し横ばいとなったネット業界からすると、新聞社の経営陣や記者が、自社の新聞を取っている人が誰なんだか分からないのに、読者を奪われた、販売部数が大きく減少したと嘆き悲しんでいる理由が分からない。そもそもどんな読者がどこでどんな顔して紙の新聞を開いているのか知らない状態で、ただ販売部数が減っていて、経営が苦しくなったからネットに流れているんだろう、としか思っていないのではないだろうか。
わたしも新聞産業で働く記者の1人として腹が立たないわけではありませんが、実情を言い当てているのだと思います。本書を通読してみれば、ネットの無料文化がバブルであるとの意味も「なるほど」と理解できるのですが、では仮にすべての新聞社が一斉に記事の無料公開を打ち切れば、ネット上で有料購読の仕組みをつくることが可能になるかと言えば、そんなに単純ではないことも、またよく分かります。
湯川鶴章さんの「次世代マーケティングプラットホーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの」の読後感にも通じるのですが、「マス」の中の一人ひとりの「個」を見て1対1の関係を意識する、そういう関係の集積としてのマスメディアへと自らを変革していかなければならないのだと思います。