二度と「検閲容認」の轍を踏んではならない〜自衛隊イラク派遣の終結に思うこと

 既に報道されているように、航空自衛隊イラク派遣部隊のC130輸送機3機が帰国し、24日に愛知県の小牧基地で隊旗返還式がありました。これで2004年に始まった自衛隊イラク派遣は終了したことになります。17日に3機目が活動拠点のクウェート空軍基地を飛び立ち日本に向かう際には、以下のような情景があったと伝えられています。共同通信の記事を一部引用します。

 【クウェート17日共同】イラクでの空輸活動を終え、撤収中の航空自衛隊派遣部隊のC130輸送機3機のうち最後の1機が17日午後(日本時間同)、活動拠点のクウェートのアリ・アルサレム空軍基地を離陸し、帰国の途に就いた。
(中略)
 17日は、3機目のC130出発に先立ち基地内で式典が行われ、米空軍部隊のポール・フェザー副司令が「自衛隊の活動がイラクの治安安定に貢献した」とするペトレアス米中央軍司令官の言葉を紹介し、謝辞を述べた。イラク政府関係者の姿はなかったが、最後に隊員らは命を落としたイラク市民に黙とうした。
 空自派遣部隊司令の北村靖二・1等空佐は会見で「日米同盟の礎を築くことができた。ただ、われわれができないことを米側から求められることはなかった」と述べた。

 おそらくは本音であろう「日米同盟の基礎を築くことができた」との現地指揮官の述懐、あるいは「イラクの治安安定」に貢献したとする米軍司令官のコメントに、5年におよんだ自衛隊イラク派遣の本質が凝縮されているようにわたしには思えます。日本国内の世論を二分し、小泉純一郎首相(当時)が「自衛隊が活動するところが非戦闘地域」と言い放ち派遣が決まった当時、大義名分は「イラクの復興支援」のはずでした。小泉元首相は憲法前文のうち「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて」の部分をつまみ食いするかのように引用し、自衛隊派遣は国際協調、国際貢献であるとも強調していました。しかし、前文のこの部分の前後は以下のような文章です。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 イラク戦争の大義とされた「サダム・フセイン政権の大量破壊兵器所持疑惑」が事実無根であったことが確定している今では、「自国のことのみに専念して他国を無視」したのはどこの国かと言いたくもなります。
 自衛隊派遣が始まった年の2004年には、イラクで日本人が身柄を拘束されたり、日本人ジャーナリストと旅行者の日本人青年が惨殺される出来事もあり、日本国内では自己責任論が異様とも言える高まりを見せました。ことし4月には、名古屋高裁が空自によるバグダッドへの多国籍軍の武装兵空輸活動を違憲と判断したことは記憶に新しいところです。自衛隊イラク派遣とは何だったのか、今後の日本社会と世界にどのような影を落としていくのか、憲法上の疑義や手続きの問題にとどまらず、多角的な検証が必要でしょうし、検証のためにマスメディアが果たさなければならない責任も大きいだろうと考えています。
 一方で、自衛隊イラク派遣はマスメディア自身の自己検証こそ必要な課題だろうとも考えています。
 マスメディアで働く一人として、今も心にトゲが刺さったままの思いでいる出来事があります。旧ブログ「ニュース・ワーカー」でも書き明治学院大での非常勤講師の講義の中でも紹介したことですが、イラク現地で陸上自衛隊が活動を開始して間もなくの2004年3月11日、新聞各社が加盟する日本新聞協会と民放各社が加盟する日本民間放送連盟防衛庁(当時)と、現地取材をめぐる「申し合わせ」を確認しました。
 12月27日現在、防衛省のホームページから以下の3通の文書がPDFファイルでダウンロードできます。記録の意味で、あえて直リンクではなく手順を記します。
 まず防衛省サイトのトップhttp://www.mod.go.jp/にアクセスします。次にメニューバーの「防衛省自衛隊について」をクリック。http://www.mod.go.jp/menu/about.htmlで「自衛隊の活動」をクリックし、http://www.mod.go.jp/menu/katsudo.htmlから「イラク人道復興支援関連」をクリックすると、http://www.mod.go.jp/j/iraq/index.htmlに行き着きます。いくつも並んでいるファイルをスクロールすると、下から11番目当たりから、以下の3つのファイルが並んでいます。

1 イラク人道復興支援活動現地における取材に関する申し合わせ
2 「イラク人道復興支援活動現地における取材に関する申し合わせに」基づく阿部雅美日本新聞協会編集委員会代表幹事および小櫃真佐己日本民間放送連盟報道小委員会小委員長代行と北原巌男防衛庁長官官房長との確認事項
3 イラク人道復興支援活動に係る現地取材について(イラク及びクウェートに所在する自衛隊部隊に係る立入制限区域への立入取材申請書)

 これらの文書について何が問題なのか、少し長い引用になりますが、旧ブログで書いたことをここでは再掲します。

 問題なのは3だ。宿営地など派遣部隊の管理地に立ち入って取材する場合に必要な許可証である「立入取材員証」の申請書だ。申請にあたって、あらかじめ順守すべき事項がA4判の用紙5枚にわたり列挙されている。「それらを守りますので、宿営地など自衛隊の管理区域での取材をさせてください」という形式だ。
 順守事項に「4 情報の取り扱いに関する事項」があり、その中に「下表右欄に例示する安全確保等に悪影響を与えるおそれのある情報については、防衛庁又は現地部隊による公表又は同意を得てから報道します(それまでの間は発信及び報道は行われません)」との文言がある。その後に、「下表」が続き、左欄に「報道しても支障のない情報の例」、右に「安全確保等に影響し得る情報の例」が並ぶ。この右側の項目が、メディアが「防衛庁又は現地部隊による公表又は同意を得てから報道します」と約束する検閲項目ということになる。
 では、それらは具体的にどんな項目だろうか。10項目にわたって22の情報が例示されている。例えば「部隊の勢力の減耗状況」や「部隊の人的被害の正確な数」が挙がっている。仮に自衛隊部隊が攻撃を受けた場合、同行取材していた記者が被害状況を速報しようとしても、それは、攻撃した側にどのくらいの効果があったかをただちに知らせることになるからダメ、というわけだ。
 「部隊の将来の活動の予定・計画その他の部隊に対する攻撃や活動の妨害の計画及び実施を容易にし得る情報」というのもある。つまり、いつ部隊が撤収するかなど、将来のことは何も報道できない。撤収がすべて終わるまで、報道が制限されるということだ。
 こうした検閲、報道統制にも等しい措置の大義名分は、派遣部隊と取材者自身の安全のためとされている。そのこと自体、今回の派遣が「非戦闘地域」への派遣ではなかったことを物語っているのだが、同時に、やはり純粋な軍事行動、軍事的発想は「知る権利」や「言論・表現の自由」とは相容れない、ということを強く感じる。この取り決めによって、「とにかく書くな」の無意味な報道統制だけが実績として残ることを危ぐする。

 2006年6月の記述ですが、今も問題意識は基本的に変わっていません。日本のマスメディアがこぞって防衛庁自衛隊の検閲を受け入れてしまった、少なくともそれを団結してはね返すことができなかった事例として記録に残る、むしろ記録に残さなければならない事例だと考えています。
 自衛隊イラク派遣を肯定的に見るか否定的に見るか、さらには自衛隊の海外派遣をどう評価するかをめぐっては、日本のマスメディア間には異なった論調があるのは確かで、そのこと自体は多様の言論の観点からは必ずしも否定はしません。しかし、仮に自衛隊の海外派遣を肯定的に評価するとしても、そのために報道のフリーハンドの束縛を自ら受け入れてしまうのだとしたら、マスメディアとしては自殺行為ではないかと思いますし、「いつか来た道」を歩むことになることを危ぐします。63年前に日本の敗戦で終わった戦争で、日本の新聞は大本営発表をもとにした報道しかしなかった、できなかったことを忘れてはならないと思います。
 自衛隊イラク派遣をめぐる政府や防衛省(庁)、自衛隊とマスメディアの間合いの取り方は、マスメディア内部でこそ自己検証が行われなければなりません。防衛省にとっては、上記の3通の文書はマスメディアを屈服させたに等しい実績であり、『戦果』として今後もサイトに残るのかもしれません。マスメディアは二度と同じ轍を踏んではなりません。 

大本営発表とそれに基づく報道については、1945年3月10日の東京大空襲を例に以前にも書きました。参照いただければ幸いです。
東京大空襲の『大本営発表』報道」(4月25日)