希望はつながる〜1年の最後に

 本年はこのブログへのご訪問ありがとうございました。ことし最後のエントリーです。
 職場を休職して専従で新聞労連委員長を務めていた当時に運営していた旧ブログ「ニュース・ワーカー」の2005年の大晦日のエントリーを読み返してみました。「もはや戦前ではないか」とのタイトルをつけていたように、当時は憲法改正への危機感を非常に強く持っていました。自民党が、9条を変えて「自衛軍」を保持すると明記した「新憲法草案」を取りまとめたのがこの年の11月。「郵政解散」による9月の衆院選では、小泉純一郎首相の下で自民党が圧勝していました。その後の経緯と結果から言えば、憲法問題は小泉氏の後を継いだ安倍晋三首相が非常な熱意を見せたものの世論とのズレが目立つようになり、安倍氏、その後の福田康夫氏と2代続けての政権放り出しを経て、今はまったく政治日程には上っていません。憲法改正への当時のわたしの危機感は、こうなってみれば多少過剰だったように見えなくもないと思います。
 一方で、「格差社会」「階層社会」という言葉とともに、次のようなことも書いていました。

この10年で日本の社会経済状況は「格差社会」「階層社会」へと変わった。一例を挙げると、若年層の雇用面に非常にはっきりと出ている。学校を出て就職先を探そうとするが、なかなか希望の正社員の求人はない。決して望んでいるわけではないが、契約社員派遣社員などの非正規雇用で働くしかない。メディアでの報道でも、「フリーター」「ニート」は否定的なニュアンスで伝えられているが、決して望んでそうなったわけではない。

 この社会の変容は、当時の危機感をはるかにしのぐ規模で今日、深刻な広がりを見せていると感じています。年末の厚生労働省の集計で、いわゆる「派遣切り」にあった非正規雇用の労働者が8万5千人に上ることが明らかになりました。望んで非正規雇用で働くわけではないどころか、その仕事すらも企業の一方的な勝手で奪われる。それが今のわたしたちの社会です。3年前にも、このまま非正規雇用が拡大していけば何が起こるか、その結果は分かっているつもりでした。その中で労働組合は何をしなければならないか、課題を自覚し行動も提起したつもりでした。しかし、今起きているのは3年前当時のわたしの予測を遥かに越えた「貧困」の広がりです。労働運動に身を置いていた者の一人として「本当に自分は何をやっていたのだろうか」「もっとやることがあったのではないか」と、胸が苦しくなります。
 米国に端を発した今秋以降の世界的な経済危機は一過性のものではないようです。数年にわたって、世界の秩序の組み替えが続くような歴史的変動の時代に入っているのだとしたら、日本の社会もさらに大きく揺さぶられ続けるのでしょう。貧困は戦争と高い親和性があります。貧困を解消できない社会は、戦争をはねのけることが困難になることは、反貧困の運動の現場からも指摘されています(以前のエントリー、読書:「反貧困 『すべり台社会』からの脱出」(湯浅誠 岩波新書)を参照ください)。改憲がなくともわたしたちの社会は「戦争社会」へと進みつつある、との危惧も抱いています。
 1960年に生まれ、戦後の高度経済成長と共に成長したわたしの世代は、思えば幸せな年少時代を過ごすことができました。3年前のエントリーにはこう書きました。

子どものころを思い返せば、もの心がついたころには家にテレビがあり、小学校のころには、我が家にはなかったけれども大抵の家には自家用車もあり、飢えた経験もなかった。1970年は大阪万博が今も強烈に印象に残る。「70年安保」や「よど号ハイジャック事件」があって、世相も恐らくは激動していたのだろうが、「高度成長」に首までどっぷりつかっていた子どもたちには、漠然と「世の中は明るい」という気持ちしかなかったように思う。中学、高校と進んでも、自分の未来と「さて何になろうか」と自分の可能性を信じることができていた。ちなみに大学受験では、その後の「センター試験」となる「共通一次試験」の第一期生となった。

 今の子どもたちの目には、自分の将来はどんな風に見えているのでしょうか。大人の一人として、これもまた胸が痛みます。
 本当に重苦しい年末ですし、新年もなかなか明るい気分になれそうにありません。しかし、人と人とがつながり「わたしは一人ではない」「あなたは一人ではない」と思うことができれば、希望はつながります。わたしの立場なりに、人と人をつなげ希望をつなぐために、前へ前へと進んでいきたいと思います。
 新年もよろしくお願いいたします。