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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

他人事ではないから「年越し派遣村」を報じる意味は大きい

 ひとつ前のエントリーでも書きましたが、昨年12月31日に東京・日比谷公園で始まった「年越し派遣村」は1月2日になって入村者が収容能力を大幅に超え、実行委員会の申し入れを受けた厚生労働省が省内の講堂を5日朝まで開放。年明け早々の大きなニュースになっています。3日夜には実行委員会が厚生労働省に対し、5日以降の衣食住の確保、生活・労働・住宅・借金等の包括的な相談窓口の設置など6項目の要請を行いました。
 参考:「年越し派遣村」ブログ1月3日エントリー「厚生労働省に要望書を提出しました」
 上記ブログによると、要請書提出に対し「応対した社会擁護局総務課長、地域福祉課長からは、『災害と同等のものだという気持ちです。衣食住を確保しないまま講堂から退去させることがないよう、関係部局と調整してやっていきます』との発言が」あったとのことです。
 企業の一方的な都合で職を奪われる。その職は、これもまた企業の都合で寮に住み込みの期間雇用や派遣労働で、職を失うと同時に「住」も失い、住所地が定まらないために生活保護などのセーフティネットの適用も困難になる。重要なのは、そうした状況にあるのが、いずれも働く意欲を持った人たちだという点です。
 厚労省課長らの「災害と同等のもの」との発言の真意は必ずしも明らかではありませんが、個人の責任に帰するものではない、という点では、まさに「災害と同等」ではないかと思います。「年越し派遣村」実行委の要請書が第6項で「そもそも今回の事態は、企業に安易な『派遣切り』などを許してしまう労働法制・労働者派遣法の制度上の不備にある」と指摘しているように、とりわけ製造業派遣の場合は、ひとたび企業が生産調整に乗り出せばこうした今日の事態が現出することは明らかでした。派遣労働の拡大が先行しセーフティネットの拡充が立ち遅れていたのだとすれば、社会的な人災とすら言えるのかもしれません。
 公園内に立ち並ぶテント、労組や市民団体、ボランティアによる食事や生活相談などの支援、厚労省との交渉など「年越し派遣村」でこの数日間に見られた光景は、わたしたちの社会の実相を映し出していると感じます。他の地域での同じような光景も報道されています(例えば共同通信の記事によると「例年、野宿者の支援活動が行われている横浜市中区の寿町にも前年の1・5倍の人が集まり、今年は30−40代が激増している。これまでは60代が中心だったという」)。先行きの見えない不況で、さらなる「派遣切り」にとどまらずいずれは正社員の人員調整も始まることが指摘されています。今日は仕事を持ち住む家もある人が、明日にもわが身のこととして同じような状況に直面するかもしれない、そういう貧困と隣り合わせの危うさを抱えているのが今のわたしたちの社会なのだと感じています。
 この数日間、「年越し派遣村」をマスメディアはおおむね丹念に報道したと言っていいと思います。「他人事ではない」と感じる人が一人でも増えることが重要ですし、そのためにこそマスメディアの存在意義もあります。5日からは年末年始の休みも明けて、社会全体が日常の活動を再開します。マスメディアは「年越し派遣村」のその後を追うだけではなく、「ではわたしたちの社会はどうすればいいのか」の選択肢の提示につながるような持続的で幅の広い報道が必要だと感じています。

※追記 2009年1月4日午前10時45分
 ボランティアに参加した方の報告を紹介します。ネットで検索しました。
 とね日記
 「年越し派遣村でお手伝い
 「今日も派遣村でお手伝い
 マスメディアが伝えていない、伝えきれないリポートで、一気に読みました。「メディアは菅さんや反貧困ネットワークの湯浅さんなど有名人の撮影がメインだ。もっと村民や「委員」、ボランティアの状況をレポートすればよいのにと思った」との指摘を忘れないようにしたいと思います。