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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

読書:「新聞再生 コミュニティからの挑戦」(畑仲哲雄 平凡社新書)

新聞再生―コミュニティからの挑戦 (平凡社新書)

新聞再生―コミュニティからの挑戦 (平凡社新書)

 新聞産業内部の人が書いた新聞をめぐる新刊、中でもコンパクトなサイズと価格にまとめられた新書では、ここ数年は産業としての危機的状況や生き残り策に焦点を当てたものが目立ちます。朝日、日経、読売の3社連合「ANY」の登場をある意味、皮肉にも予言していた元毎日新聞社の河内孝さんの「新聞社 破綻したビジネスモデル」(新潮新書)などがその代表でしょう。経済誌も繰り返し「没落」とか「陥落」などの刺激的な見出しで新聞や放送業界を特集していますし、出版物に表れる「新聞」は今や崖っぷち、斜陽産業の代表の観があります。
 そうした中で本書は異なった趣の新聞本かもしれません。著者は共同通信社に勤務の傍ら東大大学院で研究活動をし、そこで執筆した論文を再構成したのが本書です。「はじめに」で著者は「内部告発や露悪的な批判の書でもなく、業界よりのご都合主義の本でもない。『大手』『一流』の新聞社もほとんど登場しない。新聞業界や新聞産業に関心のある読者には奇異に写るかもしれないが、通読していただければ、巷間語られる『新聞』という枠組みを超えた視座を得るため、あえて周縁の小さな新聞社や廃刊・倒産した新聞社の関係者を対象にした理由をおわかりいただけるはずだ」と、本書の狙いと性格を明らかにしています。
 本書が取り上げている具体的な事例は、2004年5月に廃刊した鹿児島新報OBたちのコミュニティ・メディア復活への取り組み、初めて住民と双方向の仕組みを取り入れた神奈川新聞のサイト「カナロコ」、県紙空白の滋賀県で2005年に創刊しながら間もなく休刊した「みんなの滋賀新聞」の3つ。事業として見れば、ひとまず成功を納めた例としては「カナロコ」しかないのですが、著者の一貫した視線は、挫折の例からも、コミュニティに根ざしコミュニティを構成する人々のコミュニケーションに寄与する新聞のあり方、新聞の再生に向けた手がかりを見出そうとしています。それが「巷間語られる『新聞』という枠組みを超えた視座」なのでしょう。最終章では米国の地方紙のパブリック・ジャーナリズム運動にも触れています。同義の「シビック・ジャーナリズム」という用語で報告した河北新報の寺島英弥さんの著作も紹介されています。
 新聞の実務に通じていながら、「周縁」を対象にしたアカデミズムのアプローチで「新聞の再生」を考察する著者の姿勢に触れて、わたし自身、新聞記者を志した初心を思い起こさずにはいられませんでした。とりわけ新聞の仕事に行き詰まりを感じ始めている若い世代の新聞人に手に取ってほしい一冊です。

 本書が取り上げている「みんなの滋賀新聞」のてん末には、わたしも少なからず思うところがあります。本書でも触れられていますが、創刊にあたって各地から新聞の経験者が集まりました。新聞発行と経営が軌道に乗る前に休刊に至り、会社も清算となって彼らは職を失いました。最後は労働争議でした。新聞発行が企業活動の形態を取っている以上、企業とそこで働く者、組織と個人の関係の問題が常にあります。さらに言えば、労働契約上の問題(雇用)だけではなく、新聞の紙面の中味にかかわってくる問題もあります(例えば日本新聞協会の編集権声明がはらむ問題点は過去エントリー「揺らぐマスの正当性とプロの正統性」で触れています)。企業と被雇用者、組織と個人の問題は、新聞やマスメディアの社会的機能を考える上で避けて通るわけにはいかないだろうとわたし自身は考えています。