BPO意見書が指摘するメディアの「内部的自由」の重要性

 NHKと日本民間放送連盟(民放連)がつくっている第三者機関として放送倫理・番組向上機構(BPO)という組織があります。「言論・表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理上の問題に対し、独立した第三者の立場から対応」することを掲げています。そのBPOに設けられている委員会の一つの放送倫理検証委員会が4月28日に「NHK教育テレビ『ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか』第2回『問われる戦時性暴力』に関する意見」をNHKに通知しました。従軍慰安婦を特集し2001年1月に放送されたNHK教育テレビのこの番組が放送直前に大幅に改編された問題をめぐって、同委員会はNHKの放送・制作部門の責任者が政治家に面会して内容を説明していたことや、国会担当局長らが直接改編を指示していたことに対し、国会対策部門と放送・制作部門の明確な任務分担などを求めています。新聞各紙も4月29日付朝刊で報じました。
※「NHK改編問題、自主自律に疑念 BPOが指摘」47NEWS(共同通信
 http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009042801000652.html
 この委員会決定の全文がBPOのホームページからPDFファイルでダウンロードできます。
 http://www.bpo.gr.jp/kensyo/decision/001-010/005_nhk.pdf
 この意見書の「おわりに―『閉じた態度』から踏み出すために」の中に、「内部的自由」の問題が指摘されています。マスメディアで働く記者や編集者、制作者が、自分の報道倫理と異なる報道や表現を所属組織から命じられた際に拒否できるかどうかの問題です。本筋からは離れた問題提起の色彩が強いためでしょうか、報道ではほとんど触れられていませんが、NHKだけにとどまらず、また政治との距離だけでもないマスメディア全体にとって非常に重要な指摘だと思います。
 意見書は、NHKが1999年の「放送倫理の確立に向けて」の中で、放送事業者の自律、取材・制作者の放送倫理、視聴者の信頼が三位一体であることの自覚が語られていることを指摘した上で、取材・制作者一人ひとりの放送倫理と業務命令との関係に疑問を提示し「放送倫理を根拠に、業務命令を拒否することができる、ということか。それとも、それとこれとは話が別、ということか」として次のように述べています。

 NHK内で、あるいは放送界やマスメディア全体でも、放送倫理と業務命令との関係をどう考えるか、という問題はまだ十分には議論されていない。通例、事業体の最終的な意志決定の権限は経営者や上司に属すとされているが、果たして言論・報道・表現活動に関わる組織において、それをそのまま当てはめることができるのか。
 私たちはここに、ひとつのアイロニーを見ないわけにはいかない。『ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか』が問題視したのは、まさにこのような問いであった。20世紀の戦争や紛争の世界を支配した命令の絶対性とそれへの服従が、世界各地で、無数の非人間的な行為を生んだ、21世紀はそれを克服するためにある、とシリーズ全体が説いていたのではなかったか。命令と倫理の関係はいまもアクチュアルな問題として、身近に存在しつづけている。
 委員会は、ここでは問題を提起するだけにとどめておくが、本意見書の末尾に、マスメディア内部の自由をめぐって、これまで内外で議論されてきたことの概略を添付しておくことにする。これは私たちが討議に際して参考にしたメモであるが、ここからさらに議論を深め、NHKと放送界の活動がより風通しよく、活発になることを期待したい。

 意見書の末尾の「資料2」は「業務命令と制作者の自由をめぐる論点の整理」と題して、編集権・業務命令・内部的自由をめぐる論点整理、1960年代から70年代にかけてのドイツの議論の紹介、日本でのこれまでの議論が紹介されています。
 意見書も指摘している通り、日本のマスメディアではこれまで内部的自由の議論は深まることがなかったとわたしも認識しています。多くのメディアでは、そうした論点があることの認識自体が希薄だとさえ言ってもいいと思います。こうした事情は、日本のマスメディアではそこで働く一人ひとりの働き方に至るまで「企業ジャーナリズム」が抜きがたく浸透していることと無縁ではないと考えています。以前のエントリー「Journalism4月号特集『ジャーナリスト教育を考える』」でも触れましたが、新聞記者(放送局も基本的には変わりがありませんが)は新聞社に採用後に社員としての研修を受け、取材現場に放り込まれ実務を通じたオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)で記者としてのスキルを身につけるよう求められます。仮に研修を強化したとしても、「社員教育」であることに変わりはありません。
 また「編集権」の考え方も、対外的な意味では顕在する問題はないと思いますが、対内的、つまりマスメディア企業内では編集権はもっぱら経営に専属しているとの考え方が支配的で、異論は目立ちません。意見書の「資料2」の中でも紹介されていますが、こうした現状の根っこに1948年の「日本新聞協会の編集権声明」があるのは明らかです。エントリー「Journalism4月号特集『ジャーナリスト教育を考える』」をはじめ、このブログでも何回か紹介してきましたが、新聞協会の編集権声明には以下のくだりがあります。

3 編集権の確保
 新聞の経営、編集管理者は常時編集権確保に必要な手段を講ずると共に個人たると、団体たると、外部たると、内部たるとを問わずあらゆるものに対し編集権を守る義務がある。外部からの侵害に対してはあくまでこれを拒否する。また内部においても故意に報道、評論の真実公正および公表方法の適正を害しあるいは定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する。編集内容を理由として印刷、配布を妨害する行為は編集権の侵害である。

※「日本新聞協会の編集権声明」(新聞協会ホームページ)
 http://www.pressnet.or.jp/info/seimei/shuzai/1201henshuken.htm

 仮に編集権が経営側の専権事項だとしても、現場の個々の記者、編集者、制作者にも「編集の自由」があるとの考え方もまた成り立つのではないでしょうか。そして、自らの「倫理」にもとると考えられる「命令」は強制されない、拒否しても処罰や不利益な扱いは受けない、それが「内部的自由」です。
 NHKの番組改編問題は、政治的圧力を受けた上層部によって改編が指示されたことを現場のデスクが内部告発するなど、マスメディアの内部的自由が鋭く問われた事例でしたが、内部的自由の問題自体は議論が深まらないまま推移しました。そのことをBPOの委員会メンバーが憂慮し、今回の問題提起につながったのだと思います。
 新聞協会の編集権声明が策定された1948年という時代背景を考えれば、声明が「定められた編集方針に従わ」ず「編集内容を理由として印刷、配布を妨害する」存在として想定したのは、第一に社内の労働組合だったのかもしれません。マスメディア労組内でも、今日では内部的自由の議論は不活発です。個々のメディア企業とその労組の事情はそれぞれでしょうが、仮に労組と企業の協調の度合いが過ぎ、必要以上に運命共同体的な存在になっていることが理由だとしたら、「企業内労組」という組織体のありようの限界を示しているのではないかと思います。
 企業の社員として採用され、企業の社員教育を受け、労働組合も企業内労組。これが日本のマスメディアの記者や編集者、制作者の働き方です。これまで日本のマスメディアで内部的自由の議論が不活発だったことと、こうした働き方の実態とは無関係ではないだろうと思います。あまりに「企業」が強調され、記者や編集者、制作者に服従が強いられれば、その上に支えられているジャーナリズムは容易に独善的な「わが社ジャーナリズム」になってしまうでしょう。
 BPOの委員会が指摘しているように、マスメディアの内部的自由をめぐる議論を深めていくことが必要だとわたしも思いますし、その際にもっとも重要なのは、その議論にマスメディアで働く者自身が参加していくことです。