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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

沖縄の基地負担の実相はどこまで知られているだろうか

 きのう6月23日は沖縄の「慰霊の日」でした。沖縄戦で最後の激戦地となった糸満市摩文仁平和祈念公園で約4500人が参列し「沖縄全戦没者追悼式」が行われたことが報じられています。
恒久平和願い沖縄戦追悼式 知事、基地負担軽減訴え」(47news=共同通信
http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009062301000394.html
 敗戦から64年、日本復帰から37年がたっても、沖縄では米軍基地の負担は軽減されていません。追悼式に出席した仲井真・沖縄県知事は平和宣言で、日米両政府に早期の基地負担軽減と戦後処理を訴えたと報道は伝えています。しかし、あいさつに立った麻生太郎首相は「米軍施設の集中は県民の大きな負担になっており、地元の切実な声を聴きながら負担軽減に全力で取り組む」と述べるにとどまったようです。
 「首相あいさつ要旨 沖縄全戦没者追悼式」(47news=共同通信
http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009062301000417.html

 米軍施設があることによる沖縄の人々の負担、ということでここに書き残しておきたい記事があります。全てを調べたわけではないのですが、恐らく沖縄県外メディアではほとんど報じられなかったことだと思います。
「訓練移転後も騒音激化 嘉手納基地」
http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-05-27-M_1-001-1_001.html

【東京】在日米軍再編に伴い、2007〜08年度に嘉手納基地所属のF15戦闘機が航空自衛隊新田原基地(宮崎県)への訓練移転を行った10日間のうち、嘉手納基地周辺で1日当たりの70デシベル以上の騒音発生回数が、訓練実施前の06年度の1日平均109回を7日間上回っていたことが26日分かった。訓練日の大半で騒音が増えており、地元の負担軽減を目的に県外へ訓練移転するとした政府の説明との整合性を問われそうだ。
 赤嶺政賢衆院議員(共産)の質問主意書に対して、政府が同日、閣議決定した答弁書で明らかになった。

 この訓練移転とは、2006年5月に日米間で最終的に合意した在日米軍再編の一環で、沖縄・嘉手納基地で言えば嘉手納基地で行っていた米軍機の訓練を、新田原(宮崎県)、千歳(北海道)、三沢(青森県)、百里茨城県)、小松(石川県)、築城(福岡県)の各空自基地で実施するとの内容です。最終合意の前の05年10月、日米の外務相・防衛相協議で合意されていました。上記の沖縄タイムス記事にもあるように、当時日本政府は騒音問題など地元の負担軽減につながることを盛んにアピールしていました。しかし実際には負担軽減につながったと言えるかどうかは疑問であることを、日本政府自らが認めざるを得なくなっているわけです。
 ちなみに05年から06年にかけての米軍再編をめぐる日米両政府の合意内容は、防衛省のホームページで閲覧できます。
 「在日米軍などの兵力態勢の再編について」
 http://www.mod.go.jp/j/saihen/index.html

 そのうち05年10月のライス米国務長官ラムズフェルド米国防長官、町村外務大臣、大野防衛庁長官(いずれも当時)の4者連名による「日米同盟:未来のための変革と再編」(仮訳)では、訓練移転について次のように記述しています。

● 訓練の移転
 この報告で議論された二国間の相互運用性を向上させる必要性に従うとともに、訓練活動の影響を軽減するとの目標を念頭に、嘉手納飛行場を始めとして、三沢飛行場岩国飛行場といった米軍航空施設から他の軍用施設への訓練の分散を拡大することに改めて注意が払われる。

※「日米同盟:未来のための変革と再編」(仮訳)
 http://www.mod.go.jp/j/news/youjin/2005/10/1029_2plus2/29_03.htm
 地元の負担軽減は訓練移転の目的ではあるのですが、それだけではないことが読み取れます。「二国間の相互運用性を向上」とは、ふだんから米軍機が沖縄を離れて日本中の空で訓練しておくことでしょう。
 この間の日米協議は大きなニュースとして報道されましたが、例えば05年10月の「日米同盟:未来のための変革と再編」は報道上では「中間報告」という表現が多用されていました。内容を見れば明らかな通り、日米の軍事的関係の今後について、根本的な考え方として一体化を進める方向性を明確に決めています。しかし「中間報告」という用語の使い方から、そうした性格が読者や視聴者に正確に伝わるかは疑問です。むしろ、「中間」なのだから「最終報告」までに変更もありうるという誤ったニュアンスを帯びかねない、と当時から感じていました。

 沖縄の米軍基地問題は沖縄という地域に固有の問題ではありません。日本という国家が軍事をどうするのかの問題であり、突き詰めて言えば主権者である国民の一人一人がどうするのかという問題です。沖縄の米軍基地を考える上では、沖縄の米軍基地をめぐって何が起きているのかが知られなければなりません。とりわけ、沖縄県外に広く知られる必要があり、そこにマスメディアの責任もあるのだと思います。
 住民におびただしい犠牲を強いた64年前の沖縄戦の惨禍は風化させることなく社会に語り継いでいかなければなりません。同時に戦後の沖縄の歩みと現状も、沖縄固有の地域問題としてではなく、あまねく知られなければならない―。「負担軽減に向け、地元の切実な声を聴きながら全力を挙げて取り組む」とおざなりなことしか言わなかった麻生首相の沖縄入りを伝えるニュースに接しながら、そんなことを考えました。