「『一人ではない』と実感できたから頑張れた」〜「派遣」の先駆的な争議だった一橋出版争議(追記あり)

 新聞労連の委員長当時に支援に加わっていた労働争議に、「一橋出版=マイスタッフ争議」と呼んでいた争議があります。当事者は東京・荻窪に本社を置いていた教科書出版社「一橋出版」で派遣社員として働き、2003年5月に「雇い止め」に遭った加藤園子さん。名目上は派遣社員でしたが実態は一橋出版の直接雇用であり、雇い止めは不当解雇に等しいとして職場復帰を求めた争議です。ことし9月、一橋出版と実態として一体的な関係にあった派遣元の「マイスタッフ」が解決金を支払うことで和解。ことし5月に突然自己破産を申請した一橋出版とも破産管財人との間で係争が続いていましたが、東京都労働委員会への申し立てを取り下げ、争議は終結しました。雇い止めから6年余りにわたる長い闘いでした。2日夜、都内で開かれた解決報告集会にわたしも参加しました。支援に加わった200人以上を前に、加藤さんが「この6年余り『自分は一人ではない』と実感できた。だから頑張れた」と話したことがとても印象的でした。
 ※写真は争議支援共闘会議のスタッフを背にあいさつする加藤さん

 争議は雇い止めから半年後の03年11月、東京地裁への提訴でスタートしました。経過は、支援共闘会議のサイトに詳しく出ています。わたしは日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)議長だった2004年10月から06年10月までの2年間、支援共闘会議の議長を務めました。
 ※サイト「一橋出版=マイスタッフ争議」(10月いっぱいで閉鎖とのことです・10月8日追記)
 http://tomo2031.web.infoseek.co.jp/
 なぜ派遣元ではなく派遣先の一橋出版に雇用責任の確認を求めたのか、そのポイントを列挙すると(1)マイスタッフは一橋出版のオーナーが最大株主で、このオーナーが両社を支配し、一橋出版で働く派遣社員はマイスタッフから「もっぱら」派遣を受けていた(2)加藤さんの採用に際しては一橋出版の会議室に呼び出して面接を行い、マイスタッフだけでなく一橋出版の社長や編集部長らも立ち会う(派遣先による面接は当時は禁止行為でした)など、一橋出版は事実上使用者として振舞っていた(3)一橋出版での2年間、加藤さんは正社員編集者と同等に、時にはそれ以上に教材製作の仕事をこなし、出張や残業なども含めた労務管理一橋出版が行っていた―などです。
 派遣労働者が派遣先を相手に雇用責任を追求したこの争議は、いくつもの点で先駆的な取り組みでした。

  • 昨年秋の世界同時不況で製造業の「派遣切り」が大きな社会問題になり、年末から年明けにかけての「年越し派遣村」が注目を集めたように、今でこそ派遣社員の身分の不安定さ、正社員との格差などは広く知られるようになっていますが、03年当時はそうではありませんでした。派遣社員が自ら声を上げた争議としては、屈指の早さでした。
  • 「多様な働き方の一つ」のイメージをまとっていた「派遣社員」ですが、実態は今日に至っても異なったままです。契約期間の満了を理由にいつでもクビにできる、という意味で経営者にとって使い勝手がよく、何よりも正社員を雇用するのに比べて人件費が安く上がる労働力です。正社員が当然に担うべき業務を、人件費削減を最大の目的にして派遣社員に行わせているケースは広くみられます。しかし、当事者は「おかしい」と思ってもなかなか声を上げることができません。そんなことをすれば、ただちに仕事を失うことになるからです。そうした実状に当事者が公然と異議を唱えたケースでもありました。
  • 上記の通り、「ただちに仕事を失う」ために、派遣社員の人たちの労働組合の組織化は進んでいません。また、正社員から派遣社員への置き換えは、一見すると残った正社員の待遇を維持できるようにも見えるため(実際に経営者はしばしば正社員に対してそういう説明をします)、同じ職場で働きながら正社員で構成する企業内労組はなかなか派遣社員の権利擁護に動きません。加藤さんの場合は、企業内組合である一橋出版労働組合がすぐに動きました。上部団体である出版労連に話をつなぎ、加藤さんは出版産業で働く人たちの個人加盟労組である「出版情報関連ユニオン」に加盟。以後も一橋出版労組は一貫して争議支援をリードしました。正社員と派遣社員契約社員らの非正規雇用労働者の関係は「労労対立」とも呼ばれるほどに、時に鋭く対立します。この争議で一橋出版労組が果たした役割は労働運動として極めて先駆的でした。

 しかし、先駆的だったがために、争議は困難な道のりを強いられました。
 05年7月に東京地裁で敗訴の判決。翌06年6月に東京高裁が控訴棄却。ただちに上告の手続きを取りましたが最高裁は06年11月にこれを退けて、司法の場では敗訴が確定しました。07年5月になって一橋出版は、編集体制整備のためとしてマイスタッフからの派遣社員3人を正社員にします。これは加藤さんに対する差別的な扱いであり、07年11月に東京都労働委員会に不当労働行為の救済を申し立て。以後は都労委で協議が続きました。
 以下に、わたしが争議の報告集に寄せた文章を引用します。先駆的だったことがなぜ道のりを困難にしたのか、例えば裁判官もまた「自己責任」の呪縛から自由ではなかったとのわたしなりの受け止め方を読み取ってもらえるのではないかと思います。

 発足間もない支援共闘会議の議長を引き継いだのは、2004年秋でした。この年の初め、自衛隊イラクに行き、イラクで何が起きているのか知りたいと現地を訪ねた日本の若者ら3人が拘束される事件が起きました。彼らに投げ付けられたのは「自己責任」という言葉でした。
 社会の至る所にこの言葉は蔓延しました。時には正社員以上に働きながら「派遣社員である」というだけで、雇用の継続が保証されず待遇にも格差がある理不尽さ。それを「でも本人が選び取った働き方でしょ」と「自己責任」が覆い隠していました。
 振り返れば、加藤さんの闘いは先駆的だったが故に、実は「自己責任」を疑おうとしない社会の風潮こそが、最も手ごわい相手だったのだと思います。
 第一審の終盤でした。弁護団の小林先生が「立証は尽くした。この後に必要なのは、裁判官が普通に考えて普通に勝訴判決を出せる社会的な環境だ」と指摘されたことが強く印象に残っています。判決の結果は先生が危惧された通りでした。
 労組専従から報道の職場に戻った今、社会の雰囲気があの当時から大きく変わったことを実感しています。その変化のうねりの最先端に、加藤さんの闘いがあり、皆さんの支援がありました。それは大きな意義を備えた社会運動だったのだと思います。
 この運動の到達点を出発点とし、一層の社会変革へとつなげていくこと。それがわたしや皆さんの次の課題です。苦しいときには、決して妥協しなかった加藤さんの姿を思い起こしながら、ともにがんばりましょう。


 加藤さんの争議はマスメディアにはほとんど取り上げられることがありませんでした。それもまた先駆的だったがためのことではないかと思います。
 東京高裁で負け、最高裁で敗訴が確定した06年当時、NHKの「ワーキングプア」や朝日新聞の「偽装請負キャンペーン」などによって「格差社会」というキーワードは社会に定着しつつありました。しかし、その根底にある「働き方、働かされ方」の問題に対しては、マスメディアの記者たちの関心はまだまだ浅かったのかもしれません。いまだ「自己責任」の呪縛から記者たちの一人ひとりが完全には解き放たれていなかったと言ってもいいと思います。わたし自身、労組専従として加藤さんの争議支援に加わるまではそうでした。
 わたしの仕事であるマスメディアのジャーナリズムとの関わりで考えたとき、加藤さんの争議は「社会運動」として社会に紹介するにたる大きな意義があったことを、記者たちは今は理解してくれると思います。しかし、当時は必ずしもそうではありませんでした。裁判で勝てば分かりやすいニュースです。しかし、仮に裁判で連敗していても、運動としての意義が低下するわけではないのに、そうしたことを当時のわたし自身、マスメディアの同僚たちに理解してもらうだけの言葉を持つことができていませんでした。今もじくじたる思いがあります。
 個人が置かれている苦境、その理不尽を解消するために運動に取り組んでいる人たちがいる。その運動を社会に紹介していくのもジャーナリズムの役割です。そうすることで、同じ境遇にある人たちがつながることができる期待が生まれます。社会のより良い変革は、人と人とのつながりが生み出すものでしょう。そこにジャーナリズムの存在意義も、マスメディアの存在意義もあります。そうした意味で、加藤さんの争議支援に加わった経験とそこから学んだ教訓は、今後もわたし自身が自分の仕事と向き合う際の大きな道しるべの一つであり続けます。加藤さんが口にした「この6年余り『自分は一人ではない』と実感できた。だから頑張れた」との言葉を決して忘れないようにしたいと思います。 

 最後に、一橋出版労組の委員長だった故五十嵐潤さんのことをここに書いておきたいと思います。雇い止めに遭った加藤さんを最初に出版労連につないだ方でした。病と闘いながら、争議の終結を見届けるようにして9月7日、52歳で永眠されました。支援共闘会議の会合などで何度もご一緒しましたが、明るく、話し好きながら理屈っぽいことは言わない方でした。大言壮語もありませんでした。「論より行動」だったのでしょう。もっと色々とお話ししたい、教えていただきたい方でした。あらためて、ご冥福をお祈りします。


【追記】2009年10月9日午前11時
 企業内労組の一橋出版労組は、社内の正社員の過半数を組織するには至っていない、いわゆる「少数組合」でした。大企業などの企業内組合では、「社員として雇用するのは組合員に限る」とするいわゆる「ユニオンショップ」協定を組合が会社と結び、正社員は入社と同時にほぼ全員が組合員となるような例が典型ですが、出版を含めて中小企業が圧倒的に多い産業ではそうではありません。
 少数組合に加入するにはまず本人の意志が必要です。組合が会社と対立しても揺らがない、労使の対立のために個人として会社からにらまれることがあったとしても決して引かない強い意志です。
 また、一橋出版では従業員の過半を非正規労働者が占めていました。正社員が「自分たちの権利が守られていればとりあえずはそれでいい」と仮に考えたとしても、非正規労働者への理不尽な仕打ちを見過ごしていれば、矛先はいずれは自分たちにも向かってくるでしょう。そういう意味では、一橋出版の異常とも言える雇用状況は、どこの会社、職場にも将来、明日にでも起こりうることです。その中で、正社員の企業内組合である一橋出版労組が非正規労働者の権利擁護に取り組んだことには、やはり大きな意義があったと思います。