ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

マスメディアも「見られて」いる自覚が必要〜ウィニー事件のNHK記者取材問題の報じられ方

 ファイル交換ソフトウィニー」の開発者の元東大助手金子勇さんが著作権法違反のほう助罪に問われた事件で、大阪高裁が8日に逆転無罪の判決を言い渡しました。その金子さんに対して京都地裁で第1審の審理が続いていた2005年、NHK京都放送局に当時勤務していた記者が取材申し込みの手紙の中で「無罪主張は悪あがき」などと書いていたことが明らかになり、9日付朝刊以降、新聞各紙も報じました。この出来事にわたしは2つの視点で大きな関心を持っています。一つはもちろんNHK記者の行動自体ですが、もう一つは新聞各紙の記事掲載の経緯です。そして2点とも詰まるところは同じで、これだけインターネットが普及した社会では、既存のマスメディアやそこで働く記者は「自分たちはニュースを社会に送り出していればそれでよし」と考えるのではなく、自分たちもまた社会から「見られている」ことを自覚したほうがいい、ということだと考えています。

 ことのてん末の発覚は、Winny弁護団事務局長の壇俊光弁護士が運営しているブログ「Attorney-at-law アターニーアットロー〜博士と私」に、大阪高裁判決の2日前の10月6日にアップされた以下のエントリーが発端になっているのは間違いがないと思います。NHK記者の行動についての、1・5次当事者ともいうべき立場の方からの告発であり証言です。
「ブログとメディアと」
http://danblog.cocolog-nifty.com/attorneyatlaw/2009/10/post-785f.html

 8日の午前中に大阪高裁の逆転無罪判決が大きな話題になったことから、2日前のエントリーながらもネット上でぐんぐん注目されたのでしょう。はてなブックマークも急増し、8日午後にははてなのサイトのトップページの「最新人気記事」にも入っていました。ネット上のニュースサイトは早い反応を見せていました。ガジェット通信は午後3時30分に関連記事をアップ。Jcastニュースも午後6時47分に関連記事をアップしました。
 ガジェット通信「NHK記者が暴走か! Winny金子氏に『デスノート』的手紙を送る」
 http://getnews.jp/archives/32934
 Jcastニュース「ウィニー裁判で記者が『弁護妨害』 NHK弁護団に謝罪」
 http://www.j-cast.com/2009/10/08051318.html

 両者とも壇弁護士のブログに触れています。特にJcastはリードで以下のように「弁護団メンバーのブログで明らかになった」と書いています。また記事本文の後段では、NHK広報への取材結果も書いています。NHKへの取材に時間を取られた分、アップまでに時間がかかったのかもしれません。

 ファイル交換ソフトウィニー」を開発し、著作権法違反幇助の罪に問われていた元東京大学大学院助手の金子勇被告(39)の控訴審判決で、1審の有罪判決が覆り、無罪判決が下った。金子被告側は、1審の段階から一貫して無罪を主張しており、やっとこれが認められた形だ。ところが、1審の段階で、NHKの記者が金子被告に対して「無罪を主張する限り、減刑の余地はない」などとして、同局のインタビューで、無罪主張を覆した上で犯行動機を明らかにするように求めていたことが、弁護団メンバーのブログで明らかになった。弁護側は「露骨な弁護妨害」と憤っており、NHK弁護団に謝罪した。取材する側の倫理が、改めて問われることになりそうだ。

 新聞各紙ですが、9日付朝刊に記事を掲載した朝日、読売は、サイト上に記事をアップした時間として朝日は「10月9日午前3時8分」の記載がありますが読売は「10月9日」とあるだけです。新聞社サイトでは、特に競合他紙が知らない特ダネと判断した場合はサイト上へのアップを、新聞の紙面組みを締め切って印刷工程に回す「降判」以降にすることがままあるため、記事の作成からアップまでは相当な時間差があることは珍しくありません。朝日、読売の両紙がいつの時点で、どういう経緯で壇弁護士のブログに気付いたかはよく分かりません。
 ただ今回のケースの新聞の記事の表記には、9日付夕刊以降に朝日、読売両紙を追いかける形になった他紙も含めて、ネットのニュースサイトとの大きな違いがあります。それは、ことのてん末がどうして分かったのかの経緯、具体的には壇弁護士のブログにまったく触れずに、ただ単に、NHK記者がこういう行動をしていたことが「分かった」と書いていることです。記事を読んでいくと、弁護団にも取材していることが明記され、記事の信頼性には問題がないことは分かるのですが、弁護団に取材したきっかけは何だったのかは分かりません。
 だれの証言で分かったのか、どういういきさつで分かったのかを省いて単に「分かった」としか書かないこの記法は、天上からすべての出来事を見渡しているとでも言うかのような、という意味で「神の視点」と呼ばれることもある(そう呼んでいるのはわたしの周囲だけかもしれませんが)日本のマスメディア独特の記法のようです。
 わたしは、こうした記法がいちがいに不当だとは考えていません。情報源を秘匿する必要性が高い場合などがあるからです。また、海外ニュースでは「ワシントンポスト紙が報じた」とか「現地の報道によると」とかの形で他メディアの引用であることを明記することはままありますが、国内ニュースでライバル関係にある他紙の特ダネを追いかける場合、「○○新聞の報道で分かった」とは書きません。これも、肝心なのは何があったかを正確に報じること、という観点から、個人的には許容範囲と考えています。
 しかし、今回のケースはちょっと違うのではないかと考えています。ネット社会の新聞、既存メディアを考える上で見過ごせない問題があると思います。
 NHK記者の行為が社会に知られていった経緯を整理すると以下の通りです。

  • 6日 壇弁護士がブログにエントリーをアップ
  • 8日午前 大阪高裁で逆転無罪判決
  • 8日午後 ネットのニュースサイトが記事をアップ
  • 9日未明 新聞社サイトに記事アップ
  • 9日早朝 朝日、読売両紙の紙面配達
  • 9日午前 新聞他紙、通信社が追いかけ記事をサイトにアップ

 新聞が書いたときには既にネット上で大きな話題になっています。少し言い方を換えると、新聞が書かなくても社会の多くので大勢の人が知っていることがある、ということです。今回の一件はその一例に過ぎないのではないかと思います。それを前提としてさらに言えば、そういう人たちに従来通りの作法を変えようとしない新聞はどんな風に思われるだろうか、ということになりますし、もっと言えば、新聞が書いていないことをネットで知っている人が「新聞が書かない」ということをどう考えるだろうか、そういう人たちが新聞を手に取ってくれるだろうかということに、もっと新聞の側は思いを致すべきなのではないかと考えています。「新聞」を「放送」を含む「既存マスメディア」と置き換えても同じです。
 以上が、冒頭に書いたように「既存のマスメディアやそこで働く記者は『自分たちはニュースを社会に送り出していればそれでよし』と考えるのではなく、自分たちもまた社会から『見られている』ことを自覚したほうがいい」と考えている理由の一つです。
 新聞関係者の中に「ネットで流れている一次情報は新聞社が提供している」ことをことさらに強調する人を今も時折見かけますが、もうそんな時期はとうに過ぎていることが、今回の一件だけからでもよく分かるのではないでしょうか。新聞と新聞社もまた社会から「見られている」ことを自覚し、それを前提としてどんな情報発信をしていくのか、そのことにどうやって新しい価値を持たせ信頼につなげていくのか。試行錯誤しかないのかもしれませんが、わたし自身の課題としても模索を続けていきたいと思います。
 NHK記者の行為それ自体に対しての考えは、あらためて書きます。

【追記】2009年10月11日午後3時10分
 単に「分かった」としか書かない「神の視点」記法は、ネットに接していない読者に対しても問題があります。今回のNHK記者の取材は2005年当時のことです。なぜ4年も前の話が今「分かった」のか、読者には大きな疑問が残るのではないでしょうか。