記者の取材も「見られて」いる〜ウィニー事件のNHK記者取材問題の教訓

 前回のエントリー「マスメディアも『見られて』いる自覚が必要〜ウィニー事件のNHK記者取材問題の報じられ方」の続きです。
 あらかじめ言ってしまえば、記者の取材という側面から考えてみても、やはり教訓は「マスメディアもそこで働く記者も『自分たちはニュースを社会に送り出していればそれでよし』と考えるのではなく、自分たちもまた社会から『見られている』ことを自覚したほうがいい」ということに尽きます。

 ファイル交換ソフトウィニー」の開発をめぐって著作権法違反のほう助罪に問われた元東大助手金子勇さんの弁護団事務局長である壇俊光弁護士のブログ「Attorney-at-law アターニーアットロー〜博士と私」で、NHK京都放送局の記者が金子さんにインタビューを申し込んだ手紙の中で「無罪主張は悪あがき」などと書いていたことを読んだとき、最初に思ったのは「この記者は、まさかこの手紙が公表されるとは夢にも思っていなかっただろうな」ということでした。
 ※壇弁護士のブログのエントリー「ブログとメディアと」
 http://danblog.cocolog-nifty.com/attorneyatlaw/2009/10/post-785f.html
 その後、ネット上のニュースサイトを後追いするようにこの問題を報じた新聞社の記事で知りましたが、この手紙の一件があったのは2005年2月とのことです。当時を思い起こしてみれば、ブログの登場と広がりが話題になりつつあり、個人による情報発信が社会を変えるのではないかとの議論も登場していました。わたし自身、新聞労連の専従役員として職場は休職中でしたが、話に聞くジャーナリズムの新しい可能性を体感してみたいと考え、この年の春に旧ブログ「ニュース・ワーカー」の運営を始めていました。
 しかし、マスメディアの内部ではちょっと違っていたように思います。新聞の場合、既に販売部数の伸び悩み、広告媒体としての相対的な地位低下は指摘されていましたが、ジャーナリズムという点では新聞社内ではネットを見下す風潮が支配的だったように思います。恐らく、放送ジャーナリズムでも事情は同じ、あるいはそれ以上だったのではないでしょうか。このNHK記者の取材申し込みはそういう時期のことで、よもや手紙の内容が社会に広く知れ渡るなどということは想像すらしていなかったのだろうと思います。
 この一件に対してNHKが組織として謝罪したのは、大阪高裁で金子さんに逆転無罪判決が出た今月8日と伝えられています。当時の時点で弁護団がNHKに抗議したのかどうかは明らかではありません。しかし「だからこの記者やNHKにも同情の余地がある」というふうに考えては、マスメディアに教訓は残らないでしょう。再三の繰り返しになりますが、マスメディアやそこで働く記者が「自分たちはニュースを社会に送り出していればそれでよし」と考えて済む社会ではなくなっていることに自覚を深めるべきです。どんな取材をしているのか、社会の側から記者が「見られて」いることを、はっきりと明らかにしたのが今回の一件でした。

 壇弁護士はエントリー「ブログとメディアと」に以下のような追記を書いています。

時間限定 追記
アターニーアットローは、直訳すると「法律の代理人」です。
この事件や金子さんを弁護人である私の目から伝えるのが目的です。
この記事は特定のメディアを糾弾することが目的ではありません。
当時のメディアの論調は、おおむね警察報道を鵜呑みにして、金子氏をマッドサイエンティストにしたてあげようとするものでした。
この記事は、そのような逆境の中で弁護活動をしてきたことを紹介する趣旨です。
特定のメディアや記者を糾弾するよりも、「大変でしたね」とねぎらってもらえると幸いです。
そして、過去の報道に問題があったのであれば、将来の報道で挽回してください。
それが私の願いです。
そして、皆さんのしらないWinny事件や博士の素顔。アターニーアットローはまだまだ続きます。よろしくご支援下さい。

 NHK記者の行動のどこがどう問題だったのかは、新聞であれ放送であれ、マスメディアにかかわる者それぞれが自らに引き寄せて考えるべきことだと思います。「将来の報道で挽回してください」との言葉を胸に刻みます。