「労を惜しんではいけない記者会見の開放」〜Journalism1月号に寄稿

 朝日新聞社のジャーナリスト学校が編集している月刊誌「Journalism」1月号のメディア・リポートに「労を惜しんではいけない記者会見の開放」と題した小文を寄稿しました。12日発売です。
※Journalism1月号 特集「テレビはどこに向かうのか」
 http://www.asahi.com/shimbun/jschool/report/1001.html

 メディア・リポートだけは、asahi.com上で読むことができます。
※メディア・リポート【新聞】労を惜しんではいけない記者会見の開放
 http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201001080300.html

 記者会見の開放の問題については、一つ前のエントリー「なぜ記者クラブが会見を主催するのか〜総務省と外務省の開放に差」でも触れていますが、本来ならば先に「Journalism」の原稿、次いで一つ前のエントリーという順番で読んでいただけば、わたしの考えをよく理解していただけるかもしれません。

 わたしは個人的には、記者クラブはないよりはあったほうがいいと考えています。何にせよ公権力にとって、足元を記者たちがウロウロしているのは、本来は緊張感を生み出す効果があると考えるからです。ただ、あった方がいいとは言っても、今のありようのままの記者クラブではありません。「本来は」と書いたのはそういう意味です。変わらなければならないことは、記者会見の開放もそうでしょうし、その先には、開かれた場としての記者クラブをどうやって実現するかの問題があります。
 Journalismに寄せた小文は(前回のエントリーもですが)、所属企業を問わず「企業内記者」という働き方の意味でわたしにとっては同僚である、記者クラブの内側にいる記者たちに、いちばん読んでほしいと願っています。言いたかったことは、わたしたちが思っている以上に、わたしたちは社会から見られている、ということです。そして、ささやかでもいいからとにかく一歩を踏み出すこと。記者クラブのありうべき姿と実態のかい離を、少しずつでもいいからそこで記者として働いている自分たち自身が埋めていこう、ということです。

 海外には例を見ないとして批判を浴びる記者クラブですが、最近よく考えるのは、日本と海外を比べると日本には記者クラブはあってもジャーナリスト・ユニオンがない、ということです。
 新聞労連の委員長だった当時、そんなに機会は多くはなかったのですが、海外のジャーナリスト・ユニオンとの交流も経験しました。国によっても異なるようですので多分に理念的な説明ですが、海外では新聞記者は新聞社の社員である前にジャーナリスト・ユニオンのメンバーシップを持っています。ユニオンが発行する記者証もあります。ユニオンがあることによって、ジャーナリストという職能が社会的に認知されている、と言ってもいいでしょう。新聞社の社員の身分を離れても、ジャーナリストであることには変わりありません。仮定の話ですが、仮にそうした社会に記者クラブがあったとしたら、一人一人が自律したジャーナリストをメンバーとして、公権力などに一致して情報開示を迫る組織になりうるだろうと思います。現実には記者クラブはないわけですが、表現の自由報道の自由をめぐってジャーナリスト・ユニオンが社会的に発言しています。
 しかし日本では、新聞記者は新聞社の社員が企業内の職種として「記者」の肩書きを持っているだけです。新聞社の社員という身分を離れれば、記者であることを保証するものは何もありません。言い方を換えれば、新聞記者であるということがただちにジャーナリストであることを意味するのかどうか。そうであると言うことに、わたしは抵抗があります。
 記者クラブはそこに所属する記者個々人の自主的な運営に委ねられている組織ですが、実はその個々の記者は、新聞社の社員であることによって記者である、という存在です。記者クラブの変わらなければならない課題が以前から明らかであり、そのことに気づいている記者も少なからずいて、それでもなかなか変わらずにきたとすれば、その要因の一端は日本の新聞社や放送局の企業内記者のありようにもあると思います。
 記者クラブに所属している記者は完全な自らの意思ではなく、所属しているメディア企業の意思によってそこにいます。その振る舞いはメディア企業の振る舞いとして一体化します。メディア企業が求める成果のために取材を行い、成果に応じてメディア企業の評価を受ける。日々、忙しくそういう働き方をしていれば、悪意や意識的なサボタージュでなくても、記者クラブをどうするかなど気も回らなければ、手も回りません。それがこれまでの記者クラブの内側にいる記者たちの実態でしたし、今も基本的にはそう大きく変わっていないと思います。
 それでも今回、総務省記者クラブは改革の一歩を歩み出しました。そこにいる記者たちが主体的に議論し、判断して改革に乗り出した記者クラブはほかにもあります。メディア企業に所属していることはそれとして、一人の自律的な記者として立ち振る舞うことができるか否か。記者クラブ問題を通じて企業内記者が問われているのは、そういうことでもあるとわたしは考えています。

 Journalismの小文に添付したプロフィルには、わたしの所属する企業名と役職名も記載されていますが、書いた内容は個人的見解です。