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沖縄返還密約で画期的判決〜今なお「マスメディアは当事者」の自覚必要

 1972年の沖縄返還の費用の肩代わりをめぐって日米両政府が結んでいた密約をめぐり、元毎日新聞記者の西山太吉さんらが関連文書の開示を求めた訴訟で、東京地裁民事38部の杉原則彦裁判長は9日、損害賠償請求を含めて原告側の全面勝訴となる判決を言い渡しました。判決全文がNPJにアップされています。
※NPJ(News for the People of Japan) http://www.news-pj.net/
 今さらわたしがあれこれと論評するまでもない画期的な判決です。判決自体について1点だけ、印象に残ったことを書き止めておくとすると、該当の文書が現存しないとする外務省、財務省の主張に対して、判決の中に次のような裁判所の判断が示されていることです。

 なお、一般論としては、密約の存在を国民に対して秘匿している政府の下では、密約文書は、その秘匿の必要性の高さゆえに、秘匿状態を絶対的なものにする意図の下、既に廃棄されているのではないかという疑念が生じ得ないではない。しかしながら、当裁判所としては、被告が本件各文書1の廃棄についての十分な調査を行わず、具体的な主張をあえてしないのに、外務省においてそのような廃棄がされたと推論して、被告勝訴の結論を導くことはすべきではないと考えるものである。(判決全文52ページ。大蔵省、財務省に対しても同じ判断が58ページに示されています)

 一国の政府に比べて、個々の個人は微々たる存在です。今回の判決の意義の大きさは、個人の情報開示請求権をたてに、しばしば政府の専権事項のように言われる外交・安全保障の分野で、「密約」という分厚い壁に、大きな穴を開けた点にあります。その判断の真骨頂が、上記の引用部分だとわたしは思います。杉原裁判長、品田幸男裁判官、角谷昌毅裁判官の合議体ではなく、別の裁判官たちだったら、密約の存在と関連文書の作成までは認めながら、上記で「一般論」として挙げられているまさにその理屈を援用して、国を勝たせることもあったでしょう。以前のエントリーでも触れましたが、杉原裁判長は昨年6月16日の第1回口頭弁論の時から、国に積極的な反証を求める異例と言ってもいい訴訟指揮ぶりを見せていました。「民の権利」を重視する裁判官らしい結論の導き方だと思います。
※参考過去エントリー
 「異例の訴訟指揮を報じなかった大手紙〜『沖縄密約』はマスメディアも当事者」2009年6月21日
  http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090621/1245513946

 この沖縄返還に伴う経費肩代わりの密約の問題は、核持ち込みなどほかの日米間の密約とともに、昨年の政権交代後に政治主導で調査が進み、3月に有識者委員会の見解とともに公表されました。しかし、マスメディア、とりわけ新聞にとっては、これで一区切りではないはずの問題です。
 1971年当時に政治部記者として、この沖縄返還密約の証拠を入手した西山さんが情報源とともに逮捕、訴追され、結果的にはその取材手法の正当性、妥当性ばかりが論議を呼び、政府が民をだましているのではないかという本質は社会の中で埋没していきました。そうなったことについて、当時のマスメディアのありよう、あるいは責任についてもまた、マスメディアの中で論議はないように思われます。1審は無罪だった西山さんは2審で逆転有罪となり、その有罪を確定させた最高裁判決は、取材活動や取材方法の正当性を問いました。この判例は今日、マスメディアの取材活動を実態として拘束しています。
 国家のウソが別の問題にすり替えられる、同じことが今日繰り返されるおそれはないのか。マスメディアが「表現の自由」と「知る権利」に奉仕することを今後も標榜し続けるのならば、同時にこの沖縄返還密約をなお自らの問題として問い続けなければならないと思います。