「はやぶさ」青森へ〜駆け出し時代の思い出

 JR東日本が11日、東北新幹線の八戸〜新青森間の開業日をことし12月4日とし、来春、新型車両E5系で東京〜新青森にデビューする新型特急の愛称を「はやぶさ」とすることを発表しました。将来的に「はやぶさ」は最高時速320キロで走り、東京〜新青森の所要時間は最短で3時間5分となります。

「八戸―新青森、12月4日開業 新型車両愛称『はやぶさ』」(47news=共同通信
http://www.47news.jp/CN/201005/CN2010051101000486.html

 青森はわたしにとって、駆け出し記者時代を過ごした思い出の多い地です。赴任したのは東京の本社での研修を終えた後の1983年5月。前年に東北新幹線は盛岡まで開業していましたが、埼玉県内の用地買収の遅れから大宮駅を始発にする暫定営業でした。記憶では大宮〜盛岡が3時間10〜20分。盛岡で在来線の特急「はつかり」に乗り換え2時間40〜50分ほどだったでしょうか。上野〜青森では計7時間近くかかっていたように思います。先輩たちが赴任した当時は、上野〜青森を直通で走っていた「はつかり」は9時間かかっていました。
 青森では、最初は来る日も来る日も、カメラや筆記用具をバッグに入れて警察を回る生活でした。携帯電話はなく、ポケットベルが鳴ると慌てて公衆電話に走って支局に電話を入れていました。ポケベルも液晶表示はおろかライトの点滅もなく「ピー、ピー」という音のみ。少し騒々しい場所にいると、聞き漏らしてしまいました。記事は原稿用紙に手書き。ファクスは支局に送信用と受信用が別々になったバカでかい箱が2台ありましたが、コンパクトな機種が一般に出回るのはもう少し後。現場から原稿を送る際には、公衆電話から読み込んでいました。電話回線越しでは数字の「1(いち)」と「7(しち)」は混同しかねません。「7」を「なな」と読むクセがつき、今もそのままです。
 公衆電話も10円玉だけの赤電話の時代で、いつも30〜40枚くらいは10円玉を持ち歩いていました。写真のフィルムの空ケースが10円玉を入れるのにぴったりでした。写真はと言えば、モノクロフィルムをいつもカメラに詰め、支局の簡易な暗室で自分で現像していました。
 パソコンもなく、少し経ってワープロが出回り始めました。インターネットはもちろんなく、テレビもチャンネルはNHK総合と教育、民放2つの4つだけ。そんな中で、毎日社会の隅々まで行き届く新聞は、大量速報メディアだったのだと思います。新聞が元気な時代でした。
 パソコンに携帯電話、デジタルカメラにICレコーダーと、現在の記者の持ち物は様変わりです。スマートフォンなど携帯端末の技術革新が進めば、さらに変わっていくのでしょう。変わらないのは、情報を求めて人から人へ会いに行く、人に会って話を聞き出すことでしょうか。
 青森は鉄道の町でした。東北本線奥羽本線の終着の青森駅には遠距離列車が発着。ホームの端は陸奥湾に面した青函連絡船の桟橋でした。職場から歩いて10分足らずの岸壁に行き、連絡船の出港、入港を眺めるのも好きでした。青森で4年間を過ごし、次の任地の埼玉に転勤するころ、国鉄もJRに変わりました。

 「はやぶさ」の愛称は、もとは東京〜西鹿児島を走っていた寝台特急ブルートレインについていました。わたしが生まれ育った福岡県北九州市を「はやぶさ」や「あさかぜ」「さくら」など東京と九州各地を結ぶブルートレインが走っていました。その姿を目にするたび、まだ見たことのない東京の街を想像し、子ども心をはやらせていました。今はすべて廃止された憧れの列車名のひとつが、思い出深い地へ向けて復活します。いずれ「はやぶさ」に乗って、青森を再訪しようと思います。