「なぜ沖縄」の疑問に応えていく報道を〜ヤマトメディアに起きた無自覚の変化

 昨年の政権交代後、鳩山由紀夫首相が「国外」「最低でも沖縄県外」を掲げていた沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設問題は28日、大きな節目を迎えました。移設先をあらためて沖縄県名護市辺野古地区の米海兵隊キャンプ・シュワブと隣接水域とすることで日米両政府が共同声明を出し、これを受けて鳩山内閣は「辺野古」を明記した対処方針を閣議決定。「県外移設」を党是とする社民党党首の福島瑞穂・消費者担当相は署名を拒否する姿勢を貫き、罷免されました。東京都内発行の新聞各紙も28日夕刊と29日付朝刊でこの慌しかった1日の動きを詳しく報じました。各紙に共通しているのは、激しい首相批判です。
 29日付朝刊では各紙ともそろって首相の責任論を社説で取り上げ、朝日、毎日、読売は政治部長の署名評論記事も掲載しました。見出しだけを拾っても以下の通りです。

【朝日】社説「政権の態勢から立て直せ」▽渡辺勉・政治エディター「見識なき政治主導の危うさ」
【毎日】社説「この首相に託せるのか毎日」▽小菅洋人・政治部長「安保もてあそんだ罪」
【読売】社説「混乱の責任は鳩山首相にある」▽村岡彰敏・政治部長「責任感欠如が迷走招いた」
【日経】社説「取り返しつかぬ鳩山首相普天間失政」
【産経】社説「国益損なう首相は退陣を」
【東京】社説「福島氏罷免は筋が違う」

 社会面でも「期待は幻 沖縄怒る」(朝日)、「沖縄『今日また屈辱の日』」(東京)などの見出しで、鳩山首相に対して沖縄の人々が激しい怒りを示した、と伝えています。東京新聞の記事(共同通信配信)によると、名護市役所中庭で開かれた緊急市民集会には雨の中、1200人(主催者発表)が集まり、稲嶺進市長は「今日、私たちは屈辱の日を迎えた。沖縄はまた切り捨てられた」と話しました。記事には黄色い紙に赤い文字で「怒→怨」と書かれたプラカードを持つ参加者の写真が添えられています。
 年明け以降、この問題をめぐって新聞、放送のマスメディアは鳩山首相に対して「迷走」「指導力が欠けている」などと批判を強めてきました。鳩山首相は5月4日、首相就任後初めて沖縄を訪ね、「負担をお願いせざるを得ない」と初めて公式に「県外移設の断念」を口にしました。23日に再訪した際には、沖縄の行く先々で住民から非難の言葉を浴びました。それらの様子が大きく報道され、そのことがまた首相に対する批判を増大させてきた観があります。沖縄の人々にしてみれば、いったんは「県外移設」の期待を持ち、それがほかならぬ首相によって否定されたことで怒りが倍加するのは当然かもしれません。
 今年1月の名護市長選で辺野古移設容認の現職が敗れた直後に、わたしはこのブログで普天間飛行場の移設先は日本本土でなければならないとの個人的意見を書きました。その考えに今も変わりはなく、再び「ポスト辺野古辺野古」となったことに日本国の有権者の一人として恥じ入る思いです。沖縄の歴史に鑑みて、日本本土をあえて「ヤマト」と呼ぶなら、ヤマトのマスメディアが伝えている沖縄の人たちの激しい怒りは、直接的には鳩山首相に向けられているのだとしても、最終的にはヤマトに住むわたしにも向かっているものとして受け止めています。首相の責任問題を論じることばかりに熱心なヤマトのマスメディアの現状にも、じくじたる思いがあります。
 ※参考過去エントリー
 「普天間移設先はヤマトを前提にすべきだ」2010年1月25日
  http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100125/1264348824
 日本の国家政策として、普天間飛行場の移設先は三たび辺野古と決まりました。しかし、これが日米間の合意通りに実現するかどうか、先行きは不透明であることも伝えられています。仮に海面を埋め立てようとするなら、県知事の許可手続きが必要になります。沖縄の民意が昨年までとは大きく変わっている中で、今後の手続きがすんなり進むはずもないでしょう。
 今後、この問題がどのように展開していくのか、その際にマスメディアは何をどう伝えていくのかを考える上で、わたしは昨年秋以降のマスメディアの取材と報道を今一度、検証しておくことが必要だと考えています。この8カ月の報道は、米軍再編をめぐる日米両政府間の協議で辺野古移転の当初案が決まっていった2005〜06年当時に比べて、外形的には明らかな変化が生じたと思うからです。
 05〜06年当時、新聞はと言えば、一面や総合面に連日、「普天間」や「辺野古」の大きな見出しが踊っていましたが、沖縄タイムス琉球新報の2紙を除いて概ねは、協議の結論がどうなるかという「落とし所」報道に終始していました。ヤマトの新聞が沖縄の人たちの声を紹介する記事を掲載するのはわずかでした。大手紙の論説では、日米同盟の重要性に鑑みて日米合意案を一刻も早く進めるべし、という論調が目立ち、沖縄への言及はあったとしても「申し訳ないが我慢を」という程度でした。以後の数年間、普天間飛行場の移設問題がヤマトで大きく報道されることはなく、したがって社会で広く注目されることもありませんでした。
 この数カ月、特に4月以降の1カ月余は、鳩山首相への批判が強まるにつれて、ヤマトの新聞もテレビも頻繁に沖縄の人たちの声を取り上げるようになりました。仮に、それが鳩山首相に対して批判が強まっていることを強調するのが目的であったとしても、結果として、報道を通じて「なぜ沖縄なのか」という問いがヤマトでも広く意識されることになったのなら、その意味は小さくないと思います。社論として日米軍事同盟の強化を説き、憲法九条の改定と軍隊保持も掲げる読売新聞や産経新聞であっても、紙面に「怒」と書かれた黄色いプラカードの写真が載る、そのような報道情況は05〜06年当時にはありませんでした。
 05〜06年当時、わたしは新聞労連委員長でした。新聞労連の新聞研究活動で06年2月に辺野古を訪ね、普天間飛行場の移設計画への反対活動に取り組んでいる方々の話を聞く機会がありました。名護市在住の作家目取真俊さんに受けた「かつてそれでもヤマトのマスコミには沖縄への負い目があった。それすら消えた」との指摘を今、あらためてかみしめています。当時、運営していた旧ブログ「ニュース・ワーカー」の一部を引用します。

 目取真さんの発言は、ひとつひとつがあらためて胸に突き刺さるものだった。沖縄に基地があるのは、沖縄の固有の事情ではない。沖縄に基地を強いているのは日本人であり、日本全体の問題であることをメディアは忘れてしまっている。メディアが伝えないから、日本人の多くも忘れてしまっている。ここでは目取真さんの一言だけ紹介する。
 「沖縄の人びとがヤマトの新聞にどれだけ絶望したか考えてほしい。10年前までは、それでもヤマトのマスコミには沖縄への負い目があった。この10年でそれすら消えてしまった」

 ※ニュース・ワーカー(旧ブログ)
 「沖縄で『在日米軍再編』報道を考えた」2006年2月13日
  http://newsworker.exblog.jp/3523538
 その年の5月にも、「復帰の日」に合わせて沖縄を訪ね、平和大行進に参加しました。当時のリポートです。
 ※ニュース・ワーカー
 「沖縄で歩き考えた『戦争と平和』」2006年5月16日
  http://newsworker.exblog.jp/3913147/
 政権交代というマスメディアにとっては未曾有の政治取材テーマがあり、その中から誕生した新首相が見識と指導力のなさをさらけ出しながら迷走を重ねた経緯があったがために、結果として普天間飛行場移設問題は大型の政治取材テーマになりました。「県外移転」を鳩山首相が言い続けたことに沖縄の民意の期待が高まった分、それがカラ約束に終わったことへの沖縄の怒りが大きいことは事実ですが、ヤマトのメディアの報道では、いわば鳩山首相への批判の裏返しとして、沖縄の声が大きく取り上げられるに至りました。もしも首相が鳩山氏ではなく、旧政権の日米合意を踏襲する発想の政治家であったなら、こうした展開をたどることはなかっただろうと思います。
 鳩山氏の功罪を論じたいのではありません。ヤマトのマスメディアの報道に変化は起きましたが、どこまで自覚的なものだったのか。その問い掛けをわたし自身、マスメディアに身を置く一人として忘れずにいながら、今後、沖縄と基地をめぐって何をどう伝えていくべきなのかを考えていこうと思います。

 ※06年2月、新聞労連辺野古での集会の翌日、那覇市でも集会を開きました。講師に来ていただいた沖縄出身の社会学者、広島修道大教授の野村浩也さんは、沖縄の米軍基地を日本本土に移転できないのならば、沖縄は日本の植民地と同じではないのか、と問い掛けました。正直に言って当時、この問い掛けを頭の中で消化することができませんでした。その年の8月にもう一度、野村さんのお話を聞く機会があり、また著書「無意識の植民地主義 日本人の米軍基地と沖縄人」を読むに至って、徐々にわたしの考えも変わりました。

無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人

無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人

 沖縄に基地はいらない、日本全国のどこにも基地はいらない。だから沖縄の人たちと連帯して闘おう―。こう考える人は多いと思いますし、わたし自身もそうでした。しかし、それも「無意識の植民地主義」だと野村さんは説きます。なぜなら、沖縄に基地を押し付けているのは日本の国家意思であり、その国家意思が選挙制度を通じて民主的に形成されている以上、ヤマトの日本人の一人である限りは責任を逃れられないからです。個人としてその国家意思に反対しているかどうかは問題になりません。沖縄がヤマトの植民地でないためには、47の都道府県の一つに見合った応分の負担にとどまるべきで、それは基地の沖縄以外の日本国内への移設によってしか実現できません。「国外移設」と「県外の国内移設」には実は質的な違いがあるのです。
 ただ、野村さんの考えは06年当時は沖縄でも少数派だったようです。那覇市の集会にもう一人、講師として来ていただいた嘉手納基地騒音訴訟などを手掛ける弁護士の新垣勉さんは「自分がいやなものを他人に『引き取れ』とは言えない」と、野村さんの主張に異論を唱えました。対して野村さんは「そうやって、自分たちの世代でなくすことができなかった基地が子どもや孫の世代に残ってしまう。それでいいのですか」と反論しました。そのやり取りを鮮明に覚えています。
 折りしも28日の“決着”を目前にした27日、鳩山首相の要請で開かれた全国知事会議は、沖縄にばかり過重な負担がかかっている現状には問題があるとの総論を確認しながら「地元でその負担を引き受けられるか」との各論では、積極姿勢を見せたのは大阪府橋下知事のみ、という状況でした。
 昨年来の普天間飛行場移設問題をめぐって「沖縄差別」という言葉は、ヤマトのマスメディアの報道にも登場するようになっています。江戸期の薩摩藩の武力侵攻、明治期の「琉球処分」、第2次大戦末期の地上戦と戦後の米軍支配、そして日本復帰からの38年。沖縄の歴史とともに、野村さんの問い掛けは今日広く知られていいと思います。