ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

問われていたのは「団結の価値」〜新聞労連結成60周年


 22日の夜、東京都内で開かれた新聞労連(日本新聞労働組合連合)の「結成60周年記念の集い」に参加しました。新聞労連は1950年6月30日の結成から1期1年で執行部をつなぎ、わたしが委員長に在籍した2004、05年度は55期、56期ということになります。年に一度の定期大会にあわせて開かれた「記念の集い」は、全国の加盟組合の大会代議員のほか、歴代執行部の役員OBや他産業の労組からの来賓らで盛況。時間がたつのをとても早く感じました。
 ※新聞労連ホームページ http://www.shinbunroren.or.jp/
 60周年の記念事業の一つとして記念誌「明日へ 証言・新聞労働運動史1990〜2010」の発行があり、歴代の専従役員経験者にも執筆依頼がありました。わたしも「問われていたのは『団結の価値』」とのタイトルで小文を寄稿しました。在任2年間を振り返って思うことですが、労働組合が何のためにあるのか、何をなしえていて、何をなしえていないのかをいつも考えていました。一人一人のままでは圧倒的に弱い立場にある働く者が、団結することで地位の向上と待遇の改善を目指す労働組合は、団結それ自体が「団結権」として憲法や労働法でも保証されている権利です。その権利は既にある労働組合の専有ではなく、働く者があまねく手にすることができてこそ、価値が高まる権利のはずだと考えていました。しかし日本の社会の現実はそうなっておらず、既存の労働組合は既得権益にしがみつく「抵抗勢力」としてしばしば批判を浴びる状況は、わたしの在任当時も今も基本的には変わっていません。まさに、「団結の価値」が問われ続けているのだと、寄稿した小文にはそんな思いも込めました。
 新聞労連委員長在任の2年間では、いくつか労働組合の結成に立ち会い、お手伝いをすることができました。このブログでも紹介した沖縄県・宮古島の宮古毎日新聞労組は、結成当初から正社員も契約社員も組合員でした。経営者から切り崩しに遭いながらも、労働委員会を舞台にした争議に勝利して奮闘を続けています。所属する企業に加入できる組合がない人たちが個人で加入できる個人加盟労組「新聞通信合同ユニオン」も発足から6年目になり、外資系メディア企業の解雇案件などに取り組んでいます。「記念の集い」では、これらの組合の方々とも久しぶりにお会いすることができました。今は個人として支援する立場ですが、団結の権利の拡大がさらに進んでいくことを切に願っています。
 ※参考過去エントリー
 「先進性が色あせない宮古毎日新聞労組〜アエラ『珊瑚礁の島の労組つぶし』掲載」2009年7月20日
  http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090720/1248028676
 「宮古毎日新聞労組が全面勝利〜契約社員の雇い止め撤回(追記:動画あり)」2009年10月7日
  http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20091007/1254849559
 「明暗2つのニュース〜内外タイムス社破産と宮古毎日新聞社の不当労働行為認定」2009年12月2日
  http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20091202/1259687887
 「記念の集い」の会場では、ほかにもたくさんの懐かしい方々にお会いすることができました。お一人お一人と様々に話が弾むうちに、時間はあっという間に過ぎていきました。本来ならきちんとごあいさつを申し上げなければならないのに、声をお掛けすることもなく礼を欠いたままになってしまった方もいらっしゃいました。このブログを読んでいただいているようでしたら、まずはこの場でお詫び申し上げます。

 「記念の集い」では、新聞労連が戦後60年を記念して2005年8月に創刊した「しんけん平和新聞」の最新号を含めた全6号をいただきました。2005年の創刊号は、日本とアジア太平洋地域におびただしい住民の犠牲を強いた挙句に日本の敗戦で終わったあの戦争を、今日のわたしたちが報じるとしたらどんな記事になるだろうか、という観点から制作したいわば「再現報道」でした。ヒントになったのは広島の中国新聞労組が戦後50年に制作した「ヒロシマ新聞」と、沖縄の琉球新報が前年の2004年から連載を始めていた「沖縄戦新聞」でした。1面に「日本が無条件降伏」「15年戦争 2000万人犠牲」「アジア各地 独立機運」などの見出しを並べた創刊号の最終面に、当時委員長だったわたしは次のように書いています。

 「平和と民主主義の危機が続く限り、平和憲法の危機が続く限り、この新聞の発行を続けていく」。今回を「創刊号」としたのは、そんな決意からです。戦争は最大の人権蹂躙(じゅうりん)です。戦争がいかに悲惨な愚行であるかを歴史に学びながら、「新聞」の仕事に携わるわたしたち自身が「今」と「未来」を考え、行動するために「しんけん平和新聞」の発行を続けていきます。
 この新聞が、職場で、家庭で、地域で、一人でも多くの方の手に取っていただけるよう願って止みません。そして皆さんとわたしたちが、平和と民主主義を守る決意を共有し、ともに声を挙げていくための「絆」の役割を果たすことができるとすれば、これほど嬉しいことはありません。(「『しんけん平和新聞』創刊にあたって」から)


 毎年1回の発行を重ねてことし7月22日付の第6号は1面に「沖縄『屈辱の日』」の見出しを掲げ、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が発効した1952年4月28日を「再現」しています。沖縄が日本から切り離され、米国の施政権下に置かれて軍事要塞化に進むことを強いられた日でもありました。新聞労連・新聞研究部長の犬飼直幸さん(毎日新聞労組)は編集の狙いを「第6号となる今号では、より戦後に比重を移し、今を生きる私たちにとって引き付けやすいよう工夫しました。戦後日本が意識的・無意識に排除した痛みを描く意味で、テーマを『日本が切り捨てたもの〜排除と忘却〜』にしました」と書き、昨年来の沖縄の米軍普天間飛行場移設問題をめぐって、本土の新聞が沖縄の「切り捨て」に加担してこなかったか、自ら振り返る必要があることも指摘しています。
 従軍記者経験を持ち、敗戦直後に自らの戦争責任を取るために朝日新聞社を退社した95歳のむのたけじさんのインタビューや、米軍占領下の沖縄の言論状況についての門奈直樹・京都産業大教授のインタビュー、取材・報道の現場に身を置く3人の記者(中国新聞・林淳一郎さん、沖縄タイムス・謝花直美さん、共同通信・太田昌克さん)の座談会も掲載しています。この新聞が一人でも多くの方の手に取ってもらえるよう、わたしも願っています。

 新聞労連での活動のこと、労働組合運動に専従活動家として身を置きながら考えたことは旧ブログ「ニュース・ワーカー」に様々に書きつづりました。委員長退任から既に4年がたち、当時とは必ずしも同じ考えではなくなっていることもないわけではありません。それも含めて一人の個人の歩みとして、旧ブログの記述はそのままに残しています。
 ※旧ブログ「ニュース・ワーカー」http://newsworker.exblog.jp/