「記者体験プログラム」遅めの振り返り〜「分かっている」と「できる」の差異

 8月6日から8日までの2泊3日、東京・代々木のオリンピック記念青少年総合センターで行われたスイッチオン・プロジェクト「記者体験プログラム」に、参加学生・大学院生の模擬取材をサポートするデスク役として参加しました。日がたってしまいましたが、参加して感じたことなどを書き留めておきます。
 プログラムは、8月6日午前にスタート。参加学生には取材や記事の書き方のワークショップがあり、6日夜、わたしたちデスク役が合流しました。参加学生は50人余。2〜3人ずつ22班に分かれ、各班にデスク役1人がつきました。デスク陣の顔触れは、全国紙・ブロック紙・地方紙・通信社の新聞分野が過半数を占めましたが、ほかにも専門紙、広告、出版、研究者と多彩で、実務経験10年以内の若手や女性も目立ちました。初日夜は各班で顔合わせと翌日の模擬取材に備えて打ち合わせ。翌7日は午前9時〜正午まで模擬取材。昼食を挟んで再取材、記事構成、3日午前に各班発表と進みました。

 模擬取材は、会場のオリンピックセンターを架空の「代々木県折船(おりせん)村」に見立て、学生たちが村人役のアクター10人を取材していく、という設定でした。学生たちは某全国紙の代々木県の支局の新人記者、わたしたちはその支局のデスクという想定です。各班に事前に知らされていたのは、1本の前触れ記事のみ。折船村の青年部が、町おこしのために村に伝わる「落ち武者伝説」をモチーフにつくった創作舞踊を夏祭りで披露する、という内容で、支局の先輩記者が1カ月前に出稿。学生たちはその夏祭り前日に折船村に取材に来た、という設定でした。村で何が起きているのかを探り、どんな記事に仕立てるか、が各班の課題です。
 アクターに取材するのは学生だけで、わたしたちデスク役は現場に顔を出してはいけないルール。村人は村役場の地域振興課長や青年部の部長、婦人会の会長、スナックのママ、怪しい記事満載のタウン・ペーパー発行人、就職内定先が倒産し東京から戻った村出身の女性、コンサルティング業者、地域開発に詳しい大学教授などなど。村人それぞれの方がどんな考えを持っていて、どんな行動を取っているのか、デスクは学生の取材を通じてしか分からない仕組みになっていました。
 模擬取材の現場で何が起きていたかについては、プログラムディレクターの藤代裕之さんが自身のブログ「ガ島通信」に書いているエントリーを紹介します。わたしも「へえ、そうだったのか」と思う内容ばかりですが、藤代さん自身も「ここで紹介したもの起きていることの一部、私が切り取ったものに過ぎません」と書いています。アクターの皆さんには、初期設定を崩さない範囲で自由意思で動く裁量がありました。アクター10人の間で何が起きているのか、だれも全容は分からない仕組みでした。

※ガ島通信「記者体験プログラム2010『模擬取材で起きたメディアスクラム、決め付け…』」
 http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20100810/1281374698

 わたしの班では前夜の打ち合わせで、取材で得た情報から次に取材すべき人を決めることを指示していました。「人」から「人」へ情報をつないでいき、何が起きているのかを探っていく、そういう取材を多少なりとも体験させてあげたいとの考えからでしたが、実際にはそううまくは進みませんでした。
 取材は村役場の地域振興課長からスタートし、次は居場所が分かった青年部長へ、というところまでは事前の予測通りでしたが、青年部長から思うように話が聞けなかった辺りから早くも取材は迷走気味。途中、デスクと学生の相談や指示は電話で行うか、学生をいったん呼び戻して行うルールでしたが、取材を進めながら方針を確認していく余裕もなく、予定の3時間はあっという間に終わりました。学生たちと合流して昼食を取りながら、取材した内容を皆で確認して「このままでは記事は難しいなあ」とため息交じり。結局、午後の再取材で、東京からUターンした女性が著名アーチストを村に呼ぶ文化イベントを開く(実は後で分かるのですが、女性はイベントを開こうとはしていたのですが、予算その他で実現性はかなり厳しいとのことでした)、との話を記事化することにしました。

 各班の記事構成作業に入る前に、アクターとして協力していただいた方から感想などの話があり、わたしたちデスクも聞くことができました。その中で、「駒東大学山口教授」こと駒沢大学グローバル・メディア・スタディーズ学部准教授の山口浩さんが、取材中にメモを取らない学生が目立つこと、質問に返って来た答えを聞いてその中から次の質問をすることができていないこと、などを指摘されました。わたしの班では、その後の記事構成作業の中で取材メモに残したやり取りのQ&Aをポストイットに書き出す作業をしましたが、学生たちには「こういう内容のことを話していた」との記憶があるのに、だれのメモにも残っていない、ということがありました。答えを聞いて次の質問をする、ということについても、他班の学生たちが入り混じっての取材が多かったこともあるのだと思いますが、やり取りを追うのに必死で、次の質問を考える余裕はなかなかなかったようです。

 前夜の打ち合わせでは、目の前にいる取材相手が話す内容には、その人が実際に体験したこと、人から伝聞として聞いたこと、根拠のあいまいなただの憶測が入り混じっており、それらをその都度、峻別しながら取材を進めることが大事だと話していました。取材に際して仮説を持つことは大事だが、それにとらわれないことも大事だとも話していました。学生たちが、仮に今回のプログラムに参加した成果として「分かっている」ことと「できる」ことの違いの大きさを身をもって実感し、そのことを今も意識できているのだとすれば、デスク役としてはささやかな喜びです。

 デスク役としては、何が何だか分からないままに時間が過ぎていました。わたしはリアルの仕事でも8年のデスク実務経験があり、支局デスクも経験しました。記者が現場に出ているとき、デスクは基本的には待っているしかありません。限られた特定の現場に何社ものマスメディアの取材が集中する、そういう取材の経験もあり、どこの記者も似たような取材をしていたはずなのに、翌日の紙面では他紙に大きな差をつけられた、という切ない経験もありました。デスクはある意味、孤独な役どころなのですが、この模擬取材のデスク役という役割は、その孤独さがうんとデフォルメされていたように思います。

 今回の模擬取材では圧迫的な取材、決め付け取材もあったと、アクターの方からお話がありました。この点については、なぜそういう事態が起きたのか、デスク役の皆さんの間でもメーリングリストでその後もいろいろな意見がありました。現場に立ち会っていたわけではないので基本的に推測に過ぎないのですが、わたしは、人間としての「素」の表れではないかと考えています。22ものチームが入り乱れての、もしかしたら「勝った負けた」のゲーム感覚もあったかもしれない中での模擬取材でした。知らず知らずのうちに、頭が熱くなり、前のめりになったのかもしれません。
 だからこそ、なのですが、ジャーナリストの社会的職能の確立の必要性を感じています。この「素」は現役の新聞記者にもだれしも(わたしにも)あるでしょう。それをどう自制するか、自制できるかはプロフェッショナルとしてのスキルの一つのはずですし、そのスキルを身に着けるにはトレーニングが必要です。メディア・スクラムも最近ではマスメディアの側の対応が進んではいますが、問題として終わっているわけではありません。現状では、日本の新聞記者は新聞社の社員教育の中で育ちます。取材現場での激しい競争状態が、記者の企業への帰属意識を過剰に表出させてしまう恐れは、現に今も残っているのではないかと思います。メディア・スクラムに限った話でもなく、記者会見の開放や記者クラブ改革の問題などにも要因としては共通しているでしょう。ここでも「分かっている」ことと「できる」ことの差異が問われるのだと思います。それを乗り越えるには、所属組織・分野の違いを越えて、ジャーナリストとしてのありようを普遍的に考え、論じ、実践する場が必要です。わたし自身がスイッチオン・プロジェクトに期待していることの一つは、ジャーナリストのスキル面での、まさにその「場」としての機能です。

 前述の駒沢大の山口先生が「駒東大学の山口教授」について、自身のブログに書かれています。ここまで準備して臨んでいただいていたのかと、本当に頭が下がる思いです。当日は皆さんに十分にごあいさつもできませんでしたが、山口先生をはじめ、時間を割いて参加していただいたアクターの皆さんには、あらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
※H-Yamaguchi.net「『駒東大学山口教授』が伝えたかったこと」
 http://www.h-yamaguchi.net/2010/08/post-d54a.html

【追記】2010年8月31日午前2時
 アクターで参加いただいた、くりおねさんも、ご自身のブログに書かれています。トラックバックもいただきました。ありがとうございます。
※くりおね あくえりあむ「スイッチオンプロジェクト『記者体験プログラム』に取材を受ける村人役として参加した」
 http://clione.cocolog-nifty.com/clione/2010/08/switch-on-2010.html