24年前の1本の記事〜東北新幹線全線開業までに38年(追記あり)

 1986年11月1日、当時青森で勤務していたわたしが書いた1本の記事を紹介します。

 【青森】東北新幹線盛岡以北(盛岡―青森)の本格着工が凍結状態の中、同新幹線と奥羽線が接続する新青森駅青森市石江高間)が一日、国鉄ダイヤ改正に合わせて一足早く開業した。
 新青森駅は、東北新幹線盛岡以北の建設遅れで地元住民の不満がこうじているため、これを解消する狙いもあって、関連事業の一環として昨年十二月に先行着工した。
 青森県など沿線自治体は同駅開業を「本格着工に向けた第一歩」と受け止めているが、肝心の橋本運輸相は「今は国鉄改革で手いっぱい」と、着工には依然慎重な構えを見せている。
 新青森駅は、奥羽線青森―津軽新城間の青森駅から三・八キロの地点。長さ百四十メートルのホーム、待合室、渡線橋を備えた無人駅で、一日に上り十二本、下り十三本の普通列車が停車する。
 建設費の二億円は、六十年度の新幹線建設予算を流用した。
 この日午前十時二十分から、三塚・前運輸相、北村正哉青森県知事らが出席して開業式が行われた。
 ※筆者注:橋本運輸相=橋本龍太郎氏、三塚・前運輸相=三塚博

 この日から24年と1カ月のきょう12月4日、東北新幹線は八戸〜新青森間が開業し、全通しました。青森県の地元紙、東奥日報は電子号外を発行し「盛岡以北の基本計画決定から38年を経て、本県と首都圏を結ぶ高速交通の大動脈がようやくつながった」と報じています。1983年5月から87年3月までの4年間、新人記者時代を青森で過ごしたわたしにとっても、まさに「ようやく」の思い。「長かったなあ」というのが実感です。
 東奥日報はきょう早朝の新青森駅の一番列車「はやて12号」の出発、東京からの一番列車の到着などをUStreamで中継する試みもしました。早朝の出発式は寝過ごしてしまいましたが、東京からの一番列車到着は中継を見ました。単線ホーム1本だけの無人駅で出発した新青森駅に、東京発の「はやて」が入線してくるさまに深い感慨を覚えました。
東奥日報の電子号外は同社サイトからPDFファイルで見ることができます。
http://www.toonippo.co.jp/

 新幹線のような巨大プロジェクトが地域振興の起爆剤足り得るのかについては、今やさまざまな議論、肯定的とばかりは言えない議論があるようです。今回の新青森開業をめぐっても、青森県にとっては人やモノを呼び込む効果よりも、人やモノが東京に流出する「ストロー効果」の方が大きいのでは、との指摘もあるようです。それはその通りなのでしょう。ただ、一方で思うのは国家と地域の関係です。
 1983年にわたしが青森に赴任した前年の82年、東北新幹線は大宮―盛岡間が開業していました。青森に向かうにはいったん盛岡で新幹線を降り、在来線の特急に乗り換えてさらに3時間弱かかっていました。盛岡以北は計画はありながら着工すらされていない状況でした。冒頭に紹介した記事の通りです。「今や『みちのく』とは盛岡の先を指す」と、そんなことさえ言われていました。
 地元紙を含めた先輩たちや地元の人たちから聞かされていたのは、当初は青森まで一気に建設する予定だったのに、青森の停車駅を現駅に併設するか、新駅にするかで青森市青森県の意見が食い違ってまとまらず盛岡暫定開業で基本計画が策定され着工した、という話でした。ようやく青森は新駅とすることでまとまり、遅れて基本計画が策定されたが、折あしくオイルショックに見舞われ着工は凍結されてしまった―と。1970年代のことです。東奥日報の号外が「盛岡以北の基本計画決定から38年を経て」と書いているのはこの経緯のことでしょう。北のターミナルとなった盛岡に企業の支店進出が相次ぎ、にぎやかさが増すにつれて、青森では新幹線の話題になると焦りのような感情にとらわれる、そんな雰囲気がありました。青森市が現駅併設にこだわったのは、当時の市長が駅前商店街を地盤にしていたからだ、あれがなければ盛岡と同時に今ごろは青森にも新幹線が来ていた、そして当然のことながら終着駅である青森の方が栄えていたはずだと、そういう話をあちこちで聞きました。
 盛岡に遅れること実に28年。一方でこの間、青森県六ヶ所村核燃料サイクル基地を受け入れたり、その以前にも原子力船「むつ」(今やそんなプロジェクトが日本にあったこと自体が忘れ去られているかのようです)の母港受入れなど、「国策」には随分と協力してきました。新幹線と言えば、地元選出の国会議員が路線や駅の誘致に躍起になる「我田引鉄」の典型でもある国家的プロジェクトですが、他地域が受け入れに消極的だった国家プロジェクトをも進んで引き受けてきた青森県が、もっとも熱望していた新幹線だけはここまでも時間がかかってしまったことに、わたしは正直なところ割り切れなさを感じます。
 地域振興は確かにその地域の人々が主体的に担っていくべきものなのでしょう。しかし、地域がどう取り組んでもそれだけではいかんともしがたい前提条件もあります。地域が歩んできた固有の歴史も、国家との固有の関係性もあります。地域の振興は、そうしたことに目を配りつつ、全体とのバランスの中で考えていくべきなのでしょう。このことはジャーナリズムにもあてはまると思います。

※追記(2010年12月4日22時10分)
 青森市が現青森駅案を主張したのに対し、新駅案を主張したのは青森県ではなく国鉄だったとの指摘をいただきました。NHK仙台放送局が3日夜、東北地方で放送した「38年目の開業〜東北新幹線青森へ」で紹介されたそうです。わたしの記憶違いの可能性が高いようです。
※追記(2010年12月6日1時35分)
 青森市の現青森駅案の主張について、その後ハンドルネーム「宴会ていんめんと」さんから、地元紙「東奥日報」の過去記事を調べた興味深い内容のコメントをいただきました。内容も濃いので、新しいエントリーを立てて紹介させていただきました。宴会ていんめんとさん、ありがとうございました。
 「『通過駅』阻止を狙っていた幻の『新幹線青森駅』案〜新幹線その3」
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20101206/1291566372