ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

何を報じていないか〜週刊金曜日「ウェブ時代のメディアリテラシー」


 発売中の週刊金曜日(1月14日号)が特集「煮詰まるマスコミ 見えない社会 ウェブ時代のメディアリテラシー」を掲載しています。佐藤卓己氏、西垣通氏のそれぞれの長文談話記事とともに、直接、マスメディアやジャーナリズムに関係するものとして、三橋順子氏と弁護士の日隅一雄氏の対談(タイトルは「政権交代でも変えられなかったメディア 世論をミスリードする報道」)と、OurPlanet-TV代表の白石草氏の談話記事(タイトルは「市民こそが社会を変える いま一番必要なメディアリテラシーとは」)を所収しています。
 三橋、日隅両氏の対談は、「報道されないことで存在を見えなくさせられているものはあると思います」と日隅氏が切り出し、テレビが性同一性障がいの人やトランスジェンダーの人を扱う際のダブルスタンダードや、新聞記者の出身層に偏りがあること、報道の一極集中など、マスメディアの問題点をいくつも指摘しています。特に冒頭の「報道しない」ことは、わたしも実務の中で常に「何を報じたか」とともに、場合によってはそれ以上に「何を報じていないか」に留意するよう心がけてきたつもりではありましたが、三橋氏が性差別について「存在しないことにされるのは、とりあげられて差別されるよりももっと根深い差別だと思います」と指摘している点は、胸を衝かれるようでした。何を報じていないかを、常に自問するようあらためて胸に刻み付けておきたいと思います。
 白石氏の記事では「記者クラブの弊害は二つある」との指摘が重要だと感じました。一つはクラブ所属のメディアが情報を独占し、当局などと癒着が生じること。もう一つは、クラブがあるところ以外の取材が薄くなることです。特に後者の指摘は、「何を報じていないか」の問題と密接に関連します。記者クラブのないところに新聞・テレビの記者はおらず、したがって記者クラブのないところから記事は出ない(本当は「ニュース」はあるのに)、というわけです。これはわたしたちマスメディアの内側にいる人間は見過ごしがちな問題かもしれません。記事の主要な評価軸の一つが、他社との比較(いかに他社に先駆けて報じるか)だからです。前回のエントリーでも触れましたが、やはり記者クラブを含めた既存マスメディアの「縦割り」の問題です。
 一方で白石氏はこれまで「JANJAN」や「オーマイニュース」などの市民メディアが成功しなかったことに関連して「出版社とか新聞社にいた人たちが古いメディアの感覚でやっていたからでしょう」と明快に指摘しています。「そもそも大きく打ち出して大きく成功しようと思っていること自体が市民メディアとかオルタナティブメディアとしては間違っている」「インターネット時代の市民メディアは、普段の活動の延長線状に自分たちのメディアをつくるということでなければ」「当事者が一番問題を知っているので、現場に近い人が自分の周辺で起きていることを記事に書いたりビデオに撮ったりして問題を社会化していくことがもっとしっかりできれば」等々の指摘は、同時に、社会の情報流通が多層化、多様化していく中で、マスメディアのジャーナリズムがどんな役割を果たし得るのかを考える上で、非常に参考になると感じました。
※参考過去エントリー
▽「『消耗戦』の中の『思考停止』」2011年1月15日
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110115/1295074751
▽「紙面、取材組織、記者クラブの『三位一体』的な縦割り〜ネット以前と同じ新聞メディア」2010年4月30日
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100430/1272560053