ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

東京を離れて大阪に行きます

 報告です。勤務先の人事異動があり、2月下旬に東京から大阪に転居します。
 勤務先の通信社に「記者職」として入社したのは1983年でした。最初の任地の青森には4年、次の埼玉には3年でした。東京の本社社会部に8年半在籍した後は、横浜支局デスク、社会部デスク(労働組合専従で2度休職)、整理部門、社会部管理職、再び整理部門と歩みました。大阪での勤務も居住も初めてですし、首都圏を含めて“東京”を離れるのは、初任地の青森以来20数年ぶりになります。
 大阪での職場も整理部門です。実務面では、近畿地方や中国、四国地方の記者やデスクたちが提稿してくる記事の最終チェックや、ニュースバリューの最終判断などが主な内容です。それぞれの地域にはそれぞれの地域に密着した地方紙があり、東京勤務に比べれば地方紙の現場にも心理的な面でも近くなると思います。
 また日本の新聞は全国紙であっても地域色があり、東京本社や大阪本社、西部本社では日々の紙面の構成はそれぞれ独自に決めます。各本社間で記事は共有しますが、同じ事件であっても東京本社と大阪本社の紙面上の扱いが同じとは限りません。大阪の新聞づくりは東京に比べて事件報道の比重が高い、言い方を換えれば人の生き死にを大きく報じる、ということをよく耳にします。それは「人を描く」ことに貪欲ということなのかもしれないと想像したりもしています。
 大阪で働き、生活しながら、自分自身が何を学び、何に気付くのか、楽しみです。社会の情報流通が多層化・複雑化する中でマスメディアの記者の働き方がこれからどうなるのか、ジャーナリズムの面からも、雇用・労働の面からも考えていく上でも有意義なものになるだろうと思います。
 初めての土地で戸惑うことも少なくないと思います。本ブログの更新頻度も減りそうですが、引き続きご訪問いただければうれしいです。