ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

新しく仲間に加わった皆さんへ〜隣人の「生」に思いをはせるために

 4月になりました。あちこちの職場に新しい顔ぶれが加わったことと思います。3月11日の大震災で一体どれだけの方が亡くなったのか、いまだ被害は確定せず、福島第一原発の事故もまた収束にはほど遠い状況です。多くの大学が卒業式を取りやめ、企業の中にも入社式を取りやめたり規模を縮小したところもあって、新社会人の皆さんは重苦しい気分を抱えての門出かもしれません。しかし、未曽有の厄災に直面し続けながらも、わたしたちの社会にはまだまだ希望が残っている、と感じます。被災地から遠く離れながらも、マスメディアの一角に身を置き震災の報道の端くれに連なって思うのは、いかに世の中の多くの人が「自分にできることは何だろうか」と考えているか、ということです。他者を思いやり、自分の立場でできることを探るこの「善意」がある限り、この社会はそれほど悪いことばかりではないと思います。

 わたしたちマスメディアの世界も新しい仲間を迎えました。先輩の一人として皆さんを歓迎します。
 今、宮城県岩手県福島県などの被災地では大勢の先輩たちが取材を続けています。肉体的につらいだけでなく、精神的にも過酷な取材です。遺族に対する取材には批判も根強く、そうした点も含めて取材者に大変なストレスがかかる取材であろうことは、皆さんにも容易に想像がつくでしょう。そんなにつらい思いをしてまで、なぜ取材するのか。何をどう伝えるのか。わたしには皆さんにお話しできるほどの大災害の取材経験がありません。代わりに、新聞労連日本新聞労働組合連合)の現委員長で毎日新聞記者の東海林智さんが、阪神大震災の折、遺体安置所の取材を担当した際の経験をもとに書かれた小文「苦しみを共に分かち合おう」(3月25日発行「週刊金曜日」840号のP60所収=先週号ということになります)を奨めます。仮に今回の震災の犠牲者が3万人に上るとして、3万人というひとかたまりの大きな死ととらえるのではなく、死んでいった一人一人にそれぞれの生の物語があるということに思いをはせることができるかどうか。それができるなら、生きているわたしたちが連帯し力を合わせ、この未曽有の厄災を必ず乗り越えていくことができるでしょう。と言うより、この厄災を乗り越えるためには、犠牲になった一人一人に家族がおり、仕事があり、喜怒哀楽とともに日々の生活があったこと、そのことにこの社会の隣人、仲間、同僚として思いをはせ、そうすることで連帯を強めていくことが必要なのだと思います。皆さんが仕事として選んだ報道は、その連帯に資するためにこそあります。東海林さんの文章は、そのことをよく伝えてくれます。
 新人の皆さんだけでなく、実際に現場取材に加わった方も、ぜひ読んでみてください。

週刊金曜日 2011年 3/25号 [雑誌]

週刊金曜日 2011年 3/25号 [雑誌]

※参考過去エントリー
「現場取材の皆さんへ〜声を掛け合おう」
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110316/1300207816
 新聞労連が、筑波大学の松井豊教授ら「報道人ストレス研究会」がまとめたメッセージを紹介し、惨事ストレスへの注意を呼び掛けています。松井教授らのサイトには、ジャーナリストやボランティア、災害派遣組織など、それぞれに向けたマニュアルもダウンロードできます。
http://www.human.tsukuba.ac.jp/~ymatsui/index.html