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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

被災した放送人の体験を記録〜放送レポート別冊「大震災・原発事故とメディア」


 東日本大震災は発生から4カ月半になります。死亡が確認された方は1万5616人、行方不明の方は4949人(7月23日現在、警察庁集計)に上り、被害の全容は今もなお確定していません。東京電力福島第一原発事故の収束は遠く、それどころか最近では原発から遠く離れた宮城県の稲わらで放射性セシウムの濃度が高まり、えさとして肉牛の体内に取り込まれるなど、予想しえなかった被害が拡大しています。わたしたちの社会は3月11日を境に、まったく違う別の世界に移ってしまったかのような観があります。
 そんな中で、わたしも会員になっているメディア総合研究所が、「放送レポート」(年6回発行)の別冊として「大震災・原発事故とメディア」を発行しました。
※メディア総合研究所 http://www.mediasoken.org/
 この大震災では、被災地の新聞社、放送局などのマスメディア企業も被災し、そこで働く人たちも被災者となりました。放送レポート編集委員会による本書の「序にかえて」は、本書の刊行の目的について以下のように記しています。
 「放送局も、その歴史が始まって以来の大惨事に直面しました。これだけの広範囲にわたって、同時に複数の放送局が被災したのは初めてのことです。大規模停電に見舞われ、放送の継続そのものが危ぶまれる中で、各民間放送局は収入源であるCMを飛ばして、局の従業員も関連で働く人々も、不眠不休で特別番組を制作・放送し、地震津波の被害や安否情報、ライフライン情報などを発信し続けました。そのような努力の跡を少しでも記録に残したいと考え、1972年の本誌創刊以来、初めて『別冊』を出版することを急きょ決定し、被災した各放送局の現場で働く皆さんなどに寄稿をお願いしました」。
 本書では、岩手、宮城、福島各県の民放産業で働く方々を中心に、民放労連などを通じて集まった12人の放送人の被災と情報発信の体験記が収録されています。さほど大きなボリュームではありませんが、企業横断的な生の声の集録と言う点で、その価値は小さくありません。強く印象に残ったレポートを一人だけ紹介します。ミヤギテレビ労組の伊藤拓さんは「『頑張ろう!』の意味」とのタイトルで、秒単位のテレビの世界で被災者に贈るメッセージのベストのフレーズが短い「頑張ろう」であるのは間違いないとしつつ、もう十分すぎるほどに頑張り、疲れ果てている被災者に「頑張ろう!」という言葉を贈っていいものか、と自問しています。取材を重ねる中から自分なりに出した答えとして、「頑張ろう!」という言葉に具体性を持たせること、自分が被災者に接するときには「頑張ろう!」以外の表現を使うことを挙げています。
 この大震災と原発事故の未曽有の惨状を前にして、広い意味でマスメディアで働く同僚の一人として、12人の方々の体験記はいずれも胸に染むものでした。わたし自身は大震災直前の3月1日付で、勤務先の人事異動に伴い東京から大阪に移り住み、3月11日以降の日々を大阪で過ごしてきました。被災地からも、政治の中心の東京からも離れた、いわば後衛に立っている一人として、3月11日以降のことをどう考えていけばいいのか、いまだにわたし自身の言葉で語ることができません。しかし、どんな分野であれ、後衛に位置する人間にはそれなりの役割があるでしょうし、できることは少なくないだろうと考えています。12人の方々の体験記も一助に、その答えを見出す試みを続けていこうと思います。
 本書にはこのほか、4月30日にメディア総研が「開かれたNHKをめざす全国連絡会」と共催したシンポジウム「原発事故とメディア」(広川隆一さん講演「チェルノブイリからフクシマへ」など)や、民放労連全国ラジオ会議で開かれたパネルディスカッション「ラジオに何ができたのか」を採録。放送レポート146号から「原子力PA方策の考え方」を再録しています。
 発売元は大月書店、定価1365円。
 ※大月書店のサイト http://www.otsukishoten.co.jp/book/b90600.html