「あと1日」を許さなかった8月14日の大阪大空襲

 66年前、1945年の8月14日午後、大阪は米軍B29爆撃機140機余による空襲を受けました。標的は大阪城周辺に広がっていた陸軍の工廠でしたが、近くの国鉄京橋駅(今のJR大阪環状線京橋駅)にも直撃弾がありました。大勢の乗客らが犠牲になったことから、大阪では「京橋駅空襲」ないしは「京橋空襲」と呼ばれています。在阪の新聞各紙は数日来、この空襲に遭遇した方の経験談を載せ、14日に恒例の慰霊祭が京橋駅で行われることを伝えていました。終戦の前日のことです。あと1日を生き延びることができていたら、と考える時、戦争の渦中に取り込まれた個人の運命は、個人の力ではどうしようもできないことにあらためて思い至ります。
 この大空襲に遭遇した一人が、作家の故小田実さんでした。わたしは新聞労連委員長当時の2006年5月、朝日新聞労組主催の集会で、小田さんの8月14日の空襲の経験談を聞く機会がありました。当時、わたしが運営していたブログ「ニュース・ワーカー」のエントリーから、小田さんの発言を記録した関連部分を引用します。

▽戦争体験を継承するためには、あの戦争をもっと調べる必要がある。わたしは1945年8月14日の大阪大空襲を体験した。200メートル先に1トン爆弾が落ちた。米軍は日本語のビラも撒いた。それには「戦争は終わった」と書かれていた。翌日、本当に戦争は終わった。終戦について通説はこうだ。8月6日広島、8月9日長崎に原爆が投下され、ソ連も参戦した。ようやく日本はポツダム宣言受諾の用意に乗り出す。一点だけ「国体護持」の条件をつけたが、連合国から返事はない。最後に聖断がくだった、と、通説になっている。しかし真っ赤なウソだ。米国へ行って調べたら、米国では8月11日の新聞に「戦争は終わった」と出ている。「天皇制は維持されるだろう」と書いてある。翌日の新聞では「維持する」となっている。新聞報道はスイス経由で日本に届く。米国は日本に通告していたのだ。しかし、日本政府は(終戦に)腰を上げず、業を煮やして米国は8月14日に空襲を再開した。政府がグズグズしている間に、死ぬのはわれわれだったのだ。戦争の真実はまだ隠されている。ヤマとある。

※ブログ「ニュース・ワーカー」2006年5月4日:「小田実さんは『憲法9条は今こそ旬』と繰り返し指摘した〜朝日新聞労組『5・3集会』より」
http://newsworker.exblog.jp/3865011
 大阪での少年時の空襲体験をもとに、戦争の悲惨さ、愚かしさの本質を突いた小田さんの指摘でした。66年前に日本の敗戦で終結した戦争は、アジア各地におびただしい犠牲を強いた上、沖縄の地上戦、広島、長崎への原爆投下のほか、日本中の主だった都市が空襲を受けて多くの住民が犠牲になりました。それぞれの地に、それぞれに戦争の記録と記憶があります。その体験が継承されていくことで、戦争を認めるわけにはいかないとの不変の意思も受け継がれていくのだと、小田さんの言葉を今読み返して思います。


 大阪に来て間もなく、たまたま書店で「写真で見る大阪空襲」という冊子を見かけ、購入しました。発行は財団法人大阪国際平和センター(ピースおおさか)http://www.peace-osaka.or.jp/第2次大戦末期の大阪の空襲被害を記録した写真を集め、基礎的な資料も掲載しています。
 その資料編によると、大阪への空襲は1944年12月から始まりました。当初はB29が単機で来襲していましたが、1945年3月13日深夜から14日未明にかけて、一気に274機ものB29が来襲。焼夷弾1733トンを大阪市浪速区や西区、南区など中央部に投下しました。死者3987人、不明678人、重軽傷8500人。一夜で10万人以上が犠牲になったとされる3月10日の東京大空襲の直後のことでした。それからしばらくは空襲は散発的でしたが、6月になると激化し、繰り返し400機以上のB29が来襲。そして最後の大空襲が8月14日でした。空襲は計58回としています。
 資料編は被害について、大阪府警察局「大阪府空襲被害状況」(1945年10月)を引用し、死者計12620人、行方不明計2173人、重軽傷計31088人、被災家屋計34万4240戸、被災者計122万4533人の数字を紹介していますが、同時に空襲の回数、被害地域と被害状況を精査する必要があると指摘しています。ちなみに8月14日の京橋空襲の被害は、死者359人、不明79人としています。
 写真からは、大阪の街が文字通り廃墟、焼け野が原にされた様子が分かります。それは東京をはじめ、全国各地で見られたとのと同じ光景だったのでしょう。8月14日の空襲の写真には、黒煙を上げる陸軍の工廠の建物の向こうに、1931(昭和6)年に再建された大阪城天守閣が写っています。今後は、戦火をくぐり抜けた天守閣を見るたび、現に自分が働き生活している地でも、戦争によるおびただしい住民被害があったことを思い起こすようにしようと思います。

 あの戦争当時、社会には「個の尊重」はありませんでした。今は、互いが互いを認め合い、助け合っていくことができる社会です。3月に東日本大震災があり、今の日本社会は66年前と同じように「復興」が課題です。大震災で犠牲になった方々もまた、運命を自らの力ではどうしようもできなかったのだと思います。福島第一原発事故では、住み慣れた土地からの避難を強いられている被災者、放射性物質の拡散によって農業や畜産に影響を受けている被害者の方々がいます。この事故がなぜ引き起こされたのか、止めることはできなかったのか、引き続き検証が必要です。
 きょうと明日15日の終戦の日、戦争の犠牲者と大震災で犠牲になった方々のご冥福を祈りつつ、社会の大きな課題に対してわたし自身、あるいはわたしが身を置くマスメディアに何ができるか、何をなすべきかを考えながら過ごします。

参考:ウイキペディア「大阪大空襲」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2#.E4.BA.AC.E6.A9.8B.E9.A7.85.E7.A9.BA.E8.A5.B2.EF.BC.8D8.E6.9C.8814.E6.97.A5