内心の営みにかかわるからこそ処分は慎重に〜日の丸・君が代判決で最高裁が説いていること

 公立学校の行事での教職員に対する日の丸・君が代の起立斉唱の強制をめぐって1月17日、最高裁が「戒告を超える減給以上の処分の選択には慎重な考慮が必要」との判断を示しました。起立斉唱の職務命令自体については既に昨年5月、最高裁が思想および良心の自由を保障する憲法19条に違反しないとの判断を示しています。今回は、その職務命令に違反した場合の懲戒処分をめぐっての判断となりました。大阪府では既に教職員に日の丸・君が代の起立斉唱を義務付けた条例があり、さらには橋下徹大阪市長大阪維新の会が、起立斉唱の職務命令に従わない教職員は最終的に免職できる条例の整備に熱心な姿勢を見せています。少し日がたってしまいましたが、判決への感想、わたしなりの受け止め方などを書き留めておきます。
 訴訟では、東京の公立学校で日の丸・君が代の起立斉唱の職務命令を拒否して懲戒処分を受けた現・元の教職員ら約170人が、処分の取り消しを求めていました。既に各マスメディアが大きく報じていますが、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は、停職の2人のうち1人と、減給の1人については「裁量権の乱用で違法」として処分を取り消す一方で、停職の別の1人と残る原告の戒告は妥当と判断しました。
 判決理由は新聞各紙も要旨を掲載しており、コンパクトにまとまっています。全文を読むなら、裁判所のサイトからPDFファイルでダウンロードできます。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=81893&hanreiKbn=02
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=81892&hanreiKbn=02
 最高裁が示した判断(5人の裁判官のうちの4人の多数意見)は、起立斉唱の強制という問題をどう考えるか、そのスタンスの違い次第で、受け止め方も異なるだろうと思います。強制を違憲とし、一切の処分を不当と考えるなら、最高裁が停職1人、減給1人の処分を取り消したことを評価しつつ、ほかの処分を容認したことはやはり納得できないでしょう。逆に処分は当然とする立場からは、処分の手順を最高裁が具体的に示した、と受け止めることができるのではないでしょうか。
 留意すべきは、判決が職務命令に従わない教職員の行為をどうとらえているかだと思います。多数意見は、不起立などの行為が「学校の儀式的行事としての式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう作用をもたらすものであって、それにより式典に参列する生徒への影響も伴うことは否定し難い」としています。しかし一方で、教職員個人の歴史観や世界観に由来する君が代や日の丸に対する否定的な評価から、職務命令で求められる行為と自らの歴史観ないし世界観に由来する外部的行動とが相反してしまうとして、「個人の歴史観ないし世界観等に起因するもの」と認めています。さらに、不起立などの行為は積極的な妨害ではなく、物理的に式次第の遂行を妨げるものではないこと、当該式典の進行に具体的にどの程度の支障や混乱をもたらしたかは客観的な評価が困難なことも指摘しています。言葉を換えれば、個人の歴史観や世界観とは無縁のほかの非行や命令違反とは分けて考えるべきであり、個人の内心の営みにかかわる事項だからこそ、教職員としての働き方に重大な影響を及ぼす減給や停職などの処分には慎重であるべきだと、この多数意見は説いているのだと、わたしは受け止めています。
 桜井龍子裁判官の補足意見はさらに踏み込んで、東京都のように1回目は戒告処分とし、2回目以降からは加重処分を行うこととして2回目で減給1か月、3回目で減給6か月、4回目以降は停職処分にするような処分を機械的に行うことは、「行為と不利益との権衡を欠き、社会観念上妥当とはいい難いものというべきである」と、明瞭に論じています。そして、ある意味ではこれが日の丸・君が代問題のもっとも重要な論点かもしれないと思いますが、桜井裁判官は補足意見の最後で以下のように論じています。

 今後いたずらに不起立と懲戒処分の繰り返しが行われていく事態が教育の現場の在り方として容認されるものではないことを強調しておかなければならない。教育の現場においてこのような紛争が繰り返される状態を一日も早く解消し、これまでにも増して自由で闊達な教育が実施されていくことが切に望まれるところであり、全ての関係者によってそのための具体的な方策と努力が真摯かつ速やかに尽くされていく必要があるものというべきである。

 本来は司法に持ち込む問題ではない、ということを暗に強調しているようにわたしには思えました。
 判決には、5人の裁判官のうち弁護士出身の宮川光治裁判官の反対意見も記載されています。職務命令が憲法19条に違反しないなどの点には同意できない、との内容です。わたしなりに要約すると(1)日の丸・君が代に対する不起立、不斉唱は信念に基づくもので、ほかの非行や違反行為とは次元が異なる(2)教職員は生徒に直接教える場を離れた場面では、自らの思想・良心に反する行為を求められることはない―などの内容です。教職員であると同時に、一人の個人であることを最大限に尊重し、個人としての思想、良心の自由を憲法に基づいて尊重しようとする発想だと受け止めました。
 最高裁は、結論としての多数意見とともに、少数意見としての反対意見も判決に盛り込みます。少数意見を尊重する具体的な民主主義の手続きでしょう。

 さて、橋下・大阪市長大阪維新の会の今後の動向が注目されます。これまでは、同じ職務命令への違反を3回繰り返せば免職を可能にする規定を教育基本条例案に盛り込んでいました。同条例案は現在、府議会に提案されており、大阪市議会ではいったんは否決されましたが、橋下市長が再提出に意欲を見せています。最高裁判決を受けて、条例案修正の動きも報道されてはいますが、橋下市長は免職へのこだわりは変わりがないようです。日の丸・君が代の起立斉唱問題についての橋下市長の持論は「思想の問題ではなくて規律の問題」ということのようですが、これは今回の最高裁の多数意見とも相容れない部分があるようにわたしには思えます。
 最高裁は「歴史観」「世界観」という用語を使っていますが、まさに人間の精神の営みにかかわる問題だからこそ、処分に慎重さを求めています。仮に職務命令自体は合憲だとしても、処分のありようはやはり別の問題でしょう。最終的に、橋下市長と維新の会がどのような条例案を用意するのか。議会でどのような議論があるのか。そして、在阪の各マスメディアはそれをどう伝えるのか。マスメディアの憲法感覚が問われるテーマでもあるのだと思います。

※参考過去エントリー
 このブログでは、これまでも日の丸・君が代の起立斉唱問題や大阪の条例について書いてきました。過去記事も参照いただければうれしいです。

 ▽「『公務員』『教育』と『政治主導』〜論議呼ぶ大阪維新の会の条例案」(2011年8月28日)
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110828/1314501786
 ▽「君が代も定数削減も押し切った大阪維新の会〜橋下氏『新しい地方議会』」(2011年6月5日)
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110605/1307280545
 ▽「日の丸・君が代、起立斉唱の職務命令に『合憲』判断は出たが」(2011年6月2日)
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110602/1306968234
 ▽「『大阪維新の会君が代起立条例の報道に差」
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110529/1306642945(2011年5月29日)