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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「検証 福島原発事故・記者会見」(日隅一雄 木野龍逸 岩波書店)

検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか

検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか

※岩波書店サイトの紹介ページ
 http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0246690/top.html
 共著者の日隅一雄さんから贈っていただきました。ありがとうございました。
 本書は、昨年3月11日の東日本大震災とともに起きた東京電力福島第一原発事故で、東電本店で連日開かれた記者会見へ出席を続けた日隅さんとフリーランスのライター兼カメラマン木野龍逸さんによる記録と検証です。新聞や放送などのマスメディアの所属ではない2人による本書には、まさにマスメディア所属ではないゆえの大きな価値があります。マスメディアの一員であるわたしにとっての価値は、この原発事故を報じたマスメディアの取材を、そこに同席した2人の目を通して、第三者的な視点で眺める機会を得られたことです。疑似的なものかもしれませんが、本書を読むという行為は、わたしにとってはそういう意味がありました。
 この未曽有の原発事故はいまだ収束と呼ぶには程遠い状況です。いったい何が起きたのかについても、今後も解明と検証が続くでしょうし、事故発生以降のこの1年間のマスメディアの報道も検証を受けることになるでしょう。その意味では、実は本書の価値はこれから時間が経つにつれ、5年後、10年後にいよいよ真価を発揮するのではないかと思います。本書から何を感じ取り、それをマスメディアの在りようにどう生かすのか。今も、これからも、マスメディアの内側にいる者はみな自問を深め、自答を繰り返していかなければならないと思います。同じマスメディアに身を置く者という広い意味で、わたしの同僚たちにぜひ手に取ってほしい一冊です。
 日隅さんは産経新聞記者から弁護士に転じた方で、インターネット上のニュースサイト「News for the People in Japan(NPJ)」の編集長、ブログ「情報流通促進計画」の運営というアプローチでジャーナリズムの実践も手掛けています。
 ※NPJ http://www.news-pj.net/
 ※情報流通促進計画 http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005

 日隅さんには、わたしが新聞労連の専従役員だった当時に面識をいただきました。折に触れ、マスメディアの在りようなどについて大きな刺激をいただいてきたことは、日隅さんの別の著書を紹介した際のエントリーに少し書きました。こちらも参照いただければ幸いです。
 ※自らのありようを客観化して確認する1冊〜日隅一雄弁護士「マスコミはなぜ 『マスゴミ』 と呼ばれるのか」補訂版=2012年1月21日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20120121/1327107354

 過去エントリーでも触れましたが、日隅さんは闘病中で、自身のブログに冷静な筆致で闘病記も書いています。病を押しての精力的な社会活動に、心から敬意を表し、ネット上のサイト「憲法メディアフォーラム」編集委員同人の一人が寄せた短文を紹介します。
 ※サイト「憲法メディアフォーラム」今週のひと言(2012年2月10日)
  『体をはって市民のために』
 http://www.kenpou-media.jp/modules/column/index.php/2012/20120210.html

体をはって市民のために
 「きょうが、静かな革命のための一歩となってほしい」
 都内のホテルで開催された、海渡雄一弁護士との合同出版記念パーティーであいさつに立った日隅一雄弁護士は、かすれがちになる声で、400人近くの参加者を前に語った。日本は、市民が知るべき情報が知らされず、そのために声を上げにくい、上げても声が届かないことが大きな問題だとして訴え続けてきた日隅さんは、報道被害の訴訟で新聞・テレビを相手にたたかう弁護士として、メディアからは疎んじられてきた存在かもしれない。しかし、政府・東京電力の統合会見に通い続け、鋭い質問を連発して少しでも情報公開の扉をこじ開けようとしていた姿は、並みいる記者たちにも一目置かれていただろう。パーティーには大手新聞社の記者やテレビ局のディレクターも多数駆け付けたが、会場で目立ったのはやはり市民メディア。小型のビデオカメラが日隅さんを取り囲む姿は、新しいヒーローの誕生を想わせた。
 その日隅さんは、末期がんを宣告されたことを自らのブログで告白し、詳細な闘病日記をつづっている。何もそこまで情報公開しなくても、という気もするが、日隅さんは「自分と同じ病気で苦しんでいる人に参考にしてもらえたら」と、淡々としている。
 文字どおり、体をはって、市民のための努力を惜しまない人が、ここにいる。