3・10から3・11へ、「大本営発表」の教訓

 3月11日は東日本大震災から1年。警察庁のまとめによると、9日現在で死者は15854人、なお3167人もの方々が行方不明です。あらためて、犠牲になった方々のご冥福をお祈りいたします。東京電力福島第一原発事故は、いまだ収束を実感できる状況ではなく、福島県によると、震災や原発事故を受けた県外避難者数は2月23日時点で6万2674人に上ると伝えられています。被災地の復興と避難生活の解消が実現する日まで、同じ社会に生きる一人として、自分にできる支援は何かを考えながら、少しずつでも実行していこうと思います。
 昨年までは、わたしにとっては3月11日はさして意味のある日ではありませんでした。その前日の3月10日は、日本の敗戦の年の1945年に、一夜で10万人以上が犠牲になった東京大空襲があった日です。新聞労連の専従委員長だった当時にこの東京大空襲を調べていて、当時の新聞紙面で「大本営発表」の実物を初めて知り、その発表をもとに書かれた「大本営発表報道」の記事を初めて読みました。以来、戦争とマスメディアと表現の自由について考える日として、3月10日は私にとって忘れてはならない日の一つになっています。この数年、毎年このブログでも3月10日はこの「大本営発表報道」に触れてきました。今年も、その「大本営発表」の全文を引用しておきます。

大本営発表」(昭和二十年三月十日十二時)本三月十日零時過より二時四十分の間B29約百三十機主力を以て帝都に来襲市街地を盲爆せり
右盲爆により都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮は二時三十五分其の他は八時頃迄に鎮火せり
現在迄に判明せる戦果次の如し
 撃墜 十五機 損害を与へたるもの 約五十機

 私が目にしたのは1945年3月11日付の朝日新聞です。その紙面には、この発表文に続いて、以下のような記事が掲載されていました。

単機各所から低空侵入
 敵機の夜間来襲が激化しつつあったことは敵の企図する帝都の夜間大空襲の前兆として既に予期されていたことであったが、敵はついに主力をもって帝都を、一部をもって千葉、宮城、福島、岩手の各県に本格的夜間大空襲を敢行し来たった。
 まず房総東方海上に出現した敵先導機は本土に近接するや、少数機を極めて多角的に使用しつつわが電波探知を妨害して単機ごとに各所より最も低いのは千メートル、大体三千メートル乃至四千メートルをもって帝都に侵入し来たり帝都市街を盲爆する一方、各十機内外は千葉県をはじめ宮城、福島、岩手県下に焼夷弾攻撃を行った。
 帝都各所に火災発生したが、軍官民は不適な敵の盲爆に一体となって対処したため、帝都上空を焦がした火災も朝の八時ごろまでにはほとんど鎮火させた。また右各県では盛岡、平に若干の被害があったのみで他はほとんど被害はなかった。
 この敵の夜間大空襲を邀(よう)撃してわが空地制空部隊は帝都上空および周辺上空において壮烈な邀撃戦を敢行して大規模な初の夜間戦闘において撃墜十五機、損害五十機の赫々たる戦果を収めた。
 現下の防御態勢においてかくのごとき敵空襲は避けがたく敵は本土決戦に備えて全国土を要塞化しつつあるわが戦力の破壊を企図して来襲し来ったものと見られる、しかし、わが本土決戦への戦力蓄積はかかる敵の空襲によって阻止せられるものではなく、かえって敵のこの攻撃に対し邀撃の戦意はいよいよ激しく爆煙のうちから盛り上がるであろう。

 3月10日の夜明けとともに、空襲を受けた東京の下町地区に入ってみれば、一体何があったのかは一目瞭然だったことでしょう。しかし、大本営発表には具体的な人的被害は一切なく、それに続く記事も同様です。記事は「敵のこの攻撃に対し邀撃の戦意はいよいよ激しく爆煙のうちから盛り上がるであろう」と結んでいます。この「大本営発表報道」は一日にしてそうなったのではなく、日本の社会が戦時色を深めていく中で、少しずつ少しずつモノを言いにくくなり、やがて言論統制の法制度が整備されていく、その積み重ねの中で出来上がっていったのだと思います。そして少なくとも1945年の3月当時、新聞の報道はそうするよりほかに選択肢はなかったのだと思います。この歴史を、マスメディアに身を置く者として、あらためて思い起こしておきたいと思います。
 今日、福島第一原発事故のマスメディアの報道について、「大本営発表報道」との批判をしばしば目にします。公権力や電力会社などの発表を裏付けも取らずに垂れ流すこと、との意味で使われていると理解しています。しかし、今日はまだ表現の自由はあり、マスメディアの取材・報道も基本的には自由にできる状況があります。公権力からの発表を伝えつつ、それだけではないマスメディアによる独自の検証取材は可能ですし、その取り組みも各メディアで進んでいます。マスメディアの報道に批判があることは重く受け止めていますが、しかしまだかつてのような「大本営発表報道」に陥っているわけでもありません。今ある「自由」を最大限に使い、取材を掘り下げ、社会に深みのある情報を発信していき、そうすることで同時にその「自由」を守っていくことが必要なのだと思います。それが67年前の「大本営発表報道」からマスメディアがくみ取るべき教訓だと考えています。
 表現の自由と取材・報道の自由はマスメディアに限ったものではありません。インターネットの普及によって、ジャーナリズムの担い手は多様化しています。そうした担い手の「自由」もまた守られなければならないのは当然です。
※「大本営発表」参考過去エントリー
東京大空襲大本営発表はツイート1回分」=2011年3月10日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110310/1299688088
「日米密約と東京大空襲に共通するもの(再録・大本営発表報道)」=2010年3月11日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100311/1268241655
「あらためて東京大空襲の『大本営発表』報道」=2009年3月10日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090310/1236694754
東京大空襲の『大本営発表』報道」=2008年4月25日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20080425/1262048340
東京大空襲と『大本営発表報道』」=2006年3月10日:旧ブログ「ニュース・ワーカー」
 http://newsworker.exblog.jp/3637903

【追記】2012年3月11日午前7時35分
 報道によると、警察庁集計では、3月10日現在で東日本大震災による死者数は1万5854人、行方不明者は3155人でした。あらためて、犠牲になった方々のご冥福をお祈りいたします。