ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

語り継ぐ責務〜朝日阪神支局事件から25年


 5月3日は憲法記念日であるとともに、1987年に兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が散弾銃を持った男に襲撃され、記者2人が殺傷された事件が起きた日です。ことしで25年。昨年に続き支局を訪ねて記帳、小尻知博記者(当時29歳)の遺影に焼香させていただき、支局3階の事件の資料室も見学してきました。「憲法記念日ペンを折られし息子の忌」。資料室の壁にかけられている小尻記者のお母様の句を1年ぶりに見て、小尻記者と同世代の記者の一人として、この事件を風化させず後続の世代へ語り継いでいくことは、わたしたちの世代の責務であるとあらためて胸に刻みました。
 今年は、資料室でパンフレットをいただきました。表紙は銃の散弾でつぶれたボールペンです。撃たれて重傷を負った犬飼兵衛記者が胸に差していたものです。資料室にはこのボールペンをはじめ、小尻さんらが座っていたソファー、体内の散弾を写し出したエックス線写真など、凶行を今に伝える数々の品が置かれています。若い記者、記者を志す若い人たちには、所属組織・企業の違いを越えてぜひ見てほしい資料です。同時に、若い記者を育てる立場の世代、さらにはその上の立場の人たちにも。
 事件発生当時、わたしは記者になって5年目の26歳で、初任地の青森での勤務を終え埼玉・浦和の支局に転勤して1カ月でした。自分が選び取った記者という仕事は、本当に命がけであることを迫られるのかと、身震いするような気持ちになりました。その気持ちは今も変わりません。わたしにとって5月3日は、憲法記念日として「表現の自由」の尊さに思いをはせる日であるのと同時に、朝日新聞阪神支局事件という言論テロを決して忘れてはならないと思い起こし、そして自らの覚悟を確かめる日にもなっています。新聞の仕事に携わる多くの人が、同じ思いだと思います。
※事件への思いは、初めて支局を訪ねた昨年のエントリーに書いています。参照いただければ幸いです。
 「『憲法記念日ペンを折られし息子の忌』〜朝日阪神支局事件から24年」=2011年5月4日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110504/1304439961
 事件から25年がたち、社会の情報流通のありようも大きく変わりました。インターネットの普及によってだれもが情報発信できるようになり、新聞を含めてマスメディアの取材も可視化されるようになって、しばしば「マスコミ」は「マスゴミ」と呼ばれています。分野ごとに、その道の専門家がマスメディアを介することなく専門的な知見を社会に発信し、多くの人たちがそうした情報に接して自ら判断するようになりました。マスメディアの自信は揺らいでいるように思えますし、社会の中での役割も根本的に問われていると感じています。
 ただ、組織ジャーナリズムの蓄積を持っているマスメディアだからこそできることも少なくないはずです。その一つは、社会に表現の自由が保たれている状況を守ることです。守るべきは、マスメディア自身の表現の自由に限りません。こと表現の自由に関する限り、体を張ってでも守り抜くのは、本来はマスメディアの組織ジャーナリズムの責務であると言ってもいいと思います。そのことを、憲法記念日である5月3日に起きた阪神支局襲撃事件は今に問うているのだと、わたしは受け止めています。
 来年も、大阪でこのマスメディアの仕事を続けている限りは、やはり5月3日は朝日新聞阪神支局を訪ねようと思います。

※追記(2012年5月4日午前11時30分)
 資料室の見学は、催し以外の時は阪神支局に予約が必要とのことです。