ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

67年目の8月6日の新聞〜戦争と平和を考える特別な時間

 8月6日は広島に原爆が投下された日でした。ことしで67年になります。投下時刻の午前8時15分、NHKで平和記念式典の中継を見ながら黙とうしました。
 新聞労連の専従役員のころは、毎年8月6日は広島で、9日は長崎で迎えました。「戦争が起きた時、ジャーナリズムは一度敗北している」という言葉や、「戦争で最初に犠牲になるのは真実」という言葉を知り、戦争体験を社会でどう継承していけばいいのか、などと考えていました。そして、思い至ったことがあります。わたしが職業としているジャーナリズムの役割とは、突き詰めれば戦争を起こさせないこと、起きてしまった戦争を止めること、ということです。昨年の広島原爆の日に寄せたエントリーにも書きましたが、わたしにとって8月は、ふだんにもまして戦争と平和について、そしてジャーナリズムについて考える特別な時間になっています。
 ことしの8月は、マスメディアの報道とのかかわりで言えば、ロンドン五輪の真っただ中で迎えました。日本選手団が相次いでメダルを獲得していることもあって、連日、新聞各紙も熱のこもった大きな報道が続いています。8月6日の夕刊では、各紙が広島の原爆の日と五輪をどんな風に扱うか、個人的に注目していました。結果は、大阪市内発行の全国紙では、朝日、毎日、読売が広島の原爆の日が1面トップ、五輪が1面準トップでした。新聞が1面トップに据えるニュースは、とりわけ生ニュースの場合、その紙面に載せたニュースの中でいちばん重要と判断したものです。全国紙は各紙とも広島が大阪本社の管内にあることもあって、原爆の日を1面トップに置いた新聞が目立つ結果になったように思います。以下にことし8月6日の記録の一つとして、各紙の1面トップの記事と準トップの主な見出しを書き留めておきます。
▽朝日
トップ「核なき明日心一つ」「英仏大使 初の参加」「広島 被ばく67年」
準トップ「卓球女子 銀以上」
▽毎日
トップ「67年後 今と向き合う」「福島被災町長ら出席」「広島原爆の日」
準トップ「卓球女子『銀』以上」
▽読売
トップ「被爆者の思い継承」「核兵器廃絶へ『語り部』養成」「67回目広島原爆忌」
準トップ「卓球女子『銀』以上」
▽日経
トップ「企業の防災、金融で支援」
準トップ「谷垣氏、解散『決断の時』」
※広島原爆の日は1面3段「希望、被災地と共に」、五輪は1面囲み「ボルト連覇」
▽産経
トップ「卓球女子『銀』以上」
準トップ「広島 被災者とともに」「67回目 原爆の日『平和宣言』」

 広島市に本社を置く中国新聞は例年、平和記念式典のもようを中心に、夕刊より先に別刷り紙面を発行して広島市内で配布しています。同紙のサイトにその1面、2面、4面がPDFファイルでアップされました。1面の見出しは「命守るエネ政策を」「松井市長が平和宣言」でした。
 ※中国新聞「2012ヒロシマ
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/2012/News/index.html
 昨年3月11日に東日本大震災東京電力福島第一原発事故があり、「原子力発電=核の平和利用」をめぐる民意が割れる中で迎えた2回目の広島原爆の日でもありました。今年は関西電力大飯原発3、4号機の再稼働があり、その後、首相官邸や国会周辺でのデモの盛り上がりに象徴されるように、脱原発を求める民衆の意思表示が高まっています。ただ、広島市松井一実市長による平和宣言では、「核と人類は共存できない」との主張があることに触れながら、原発の是非は明確な方向性に踏み込まずに「日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください」としています。
 一方で、今年の式典には福島第一原発事故の被災地である福島県浪江町の馬場有町長が初めて参列。平和宣言も大震災と原発事故に触れて「今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります」と述べ「皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります」と語りかけました。
 新聞各紙の見出しを読み比べると、こうした今年の平和宣言や記念式典について、各紙なりの受け止め方の違いが感じ取れるのではないかと思います。
 ※参考 広島市平和宣言
 http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html

 もう一つ、個人的に考えていることがあります。欠陥機との指摘が出ている米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ12機が7月23日、地元の反対を押し切る形で、広島市にも近い山口県の米軍岩国基地に運び込まれました。一時的な駐機で、最終的には沖縄・普天間飛行場配備される計画です。核兵器の運用とは直接関係がない輸送機ですが、米軍の世界戦略の一端であり日米安保条約の運用とも密接にかかわっています。オスプレイが沖縄のみならず日本各地の上空で訓練を予定していることが明らかになって以降、日本中で配備反対の声が高まっています。にもかかわらず受け入れを拒否しない日本政府への疑問・不信もまた高まっています。オスプレイ配備問題は、同盟としての日米関係と米国の核戦略との問題に通底している部分があるように思えます。被爆地は繰り返し日本政府に対し、核廃絶へリーダーシップを取るように要請してきましたが、実現できているとは思えません。
 今や、原爆投下による広島・長崎の惨禍と、大震災と原発事故による被災地の苦境、さらにはオスプレイ配備先である沖縄の基地問題の三つは、それぞれ別の問題ながら、よく目をこらせば底流ではつながっていることが見えるようになってきたと感じています。そうした観点を意識できるかどうかは、マスメディア、とりわけ本土のマスメディアの課題でもあると思います。キーワードは「平和」であり「民意」でしょうか。民主主義にとって、社会のどんな民意をどのようにくみ取っていくのかが問われているようにも思えます。
 ちなみに沖縄では5日、オスプレイ配備に反対する県民大会が予定されていました。台風の影響で延期になりましたが、実施されていれば本土のマスメディアもそれなりに大きく報じていただろうと思います。新聞で言えば6日付の朝刊、きょうが広島の原爆の日であることを伝える同じ紙面に、オスプレイ配備が強行されようとしていることへの沖縄の人々の怒りを伝える記事も掲載した新聞もあったでしょう。つくりによっては、広島と沖縄、核と基地を同じ地平で想起させ得る紙面になっていたのではないかと思います。