「この憲法を尊び、この崇高な理想を達成するために絶えざる努力を続ける」〜吉田茂首相が残した言葉

 昨年の衆院選の結果、憲法改変や自主憲法制定を掲げる自民党日本維新の会など、現憲法にネガティブな評価を持つ政党が圧倒多数の議席を占めました。選挙戦で主要争点になったとは言い難く、論戦も深まらなかったのに、あたかも「白紙委任」を受けたかのように改憲が政治日程に上りかねない、そんな危惧をわたしは抱いています。憲法を考え、論じることが重要になってきています。前文や一つ一つの条文にどんな意味があるのか。どのような歴史的経緯を踏まえているのか。そして今日なお意義はあるのか、あるいは意義は失われているのか―。「何となく改憲」ではなく、まずは多様な情報と多様な価値観、ものの見方が社会に広がることが必要だと思います。


 ここでは1947(昭和22)年5月3日、現憲法が施行された日に、東京・皇居前広場で開かれた記念式典で当時の吉田茂首相が残した祝辞を引用、紹介します。

 国民の自由な意志によって確定し、昨年十一月三日に公布された日本国憲法が、いよいよ本日から施行される。新憲法は世界に誇るべき、まことに立派な憲法だ。しかし、いかに立派な憲法でも、国民が本当にその精神を理解し、その理想の実現に努力していかなければ、国家再建は期待できない。
 私たちは、この愛する我が国を民主主義に基づく平和国家、文化国家として再建する重大な責務を持っている。新憲法が施行されるに当たり、私たちは昨年十一月三日にこの場所で国家再建のために努力しようと誓い合ったことを改めて思い出し、この憲法を尊び、この崇高な理想を達成するために絶えざる努力を続けることを今日、この場所で再び誓いたい。
 そして私たちが国家生活の末端まで新憲法の精神をしみとおらせ、徹底するならば、必ず我が国は日ならずして自由と平和を愛する幸福な国家として復興し、世界人類の進歩に大いに貢献すると信じて疑わない。

 「昨年十一月三日にこの場所で国家再建のために努力しようと誓い合ったこと」とは、前年1946年11月3日に、現憲法が公布された日の記念祝賀大会のことを指しています。
 この吉田の祝辞を私が知ったのは7年前、2006年のことです。当時は新聞労連(日本新聞労働組合)の委員長。職場を休職しての労組専従役員で、2年の任期の2年目でした。
 任期1年目に迎えた2005年は、日本の敗戦から60年でした。新聞労連として何か後の世に残る取り組みをと、当時の執行部メンバーや全国の加盟労組と協議して、「しんけん平和新聞」の創刊号を発行しました。アジア諸国にもおびただしい犠牲を強いた戦争が終わったことを、今日の視点でわたしたちが報じたらこんな紙面になる―。1面トップに「日本が無条件降伏」「ポツダム宣言受諾」「15年戦争 2000万人犠牲」の見出しを並べた再現新聞でした。「しんけん」とは、新聞の労働組合活動の大きなテーマの一つである「新聞研究=新研」と「真剣に平和を考える」の思いとを掛けました。

 翌06年、しんけん平和新聞の第2号を発行することとし、迷うことなく選んだテーマが「憲法」でした。先述の通り、現憲法は1946年11月3日に公布され、翌47年5月3日に施行されました。1面トップ記事の見出しは「戦力不保持を明記」「世界平和を希求」「新生日本『国民が主権者』」。解説記事も載せ「『表現の自由』保障」の見出しを取りました。冒頭に紹介した吉田茂の祝辞は当時の報道から探し、1面に載せました。
 2〜3面には、この憲法を日本中の人々がどう受け止めたのか、当時の新聞報道をもとに全国の加盟組合がまとめた再現記事を収録。4〜5面には、全国紙と地方紙計9紙の当時の社説をそのまま再録しました。
 「民主主義の門出祝う 京都」「平和の象徴 ハト放つ 徳島」「札幌『明るい世界を約束』」。各地の記念行事を伝えた当時の報道からは、この憲法が民衆に喜びと期待とともに迎え入れられた様子が伝わってきました。各紙の社説は「新憲法民主化の創造」(秋田魁新報)「新憲法を生かすもの」(新潟日報)「義務の増大にめざめよ」(徳島新聞)などの見出しを掲げ、新しい時代の始まりを祝う一方で、この憲法を生かすのは為政者ではなく国民自身であることを訴えています。
 沖縄をめぐる記事も掲載しました。米国の占領継続の方針が明らかになったのは47年6月で、日本国憲法の公布、施行の時期は、沖縄は「忘れられた島」と言われた時代だったことを、わたしも初めて知りました。今日もなお、過剰な基地負担とそれによる矛盾が続く沖縄の戦後の原点です。
 このしんけん平和新聞第2号の編集作業を通じて、わたしは日本国憲法が公布、施行された当時、戦争の惨禍を身をもって経験した日本社会の人たちにこの憲法が大歓迎されたことを知りました。この憲法に対して改憲を主張する根拠の一つとして「押しつけ論」が挙げられることがありますが、その内容の先進性と、何よりも国民に歓迎を受けた事実は変わりませんし、吉田茂首相が語ったように「国民の自由な意志によって確定」した憲法だったと言うべきでしょう。

 
 公布から今年で67年、施行から66年と相当な時間が過ぎ、当時の記憶も社会から薄れています。現憲法が出来上がっていった経緯が広く知られることに、新たな今日的な意味が出てきているのではないかと思います。


▼参考過去エントリー
「『戦争放棄』『男女の平等』をともに掲げた先進性〜追悼 ベアテ・シロタ・ゴードンさん」2013年1月1日 
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20130101/1356997554
「9条改正『反対』が過半数改憲ハードルが高いことの意味」2013年12月31日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20121231/1356882070
 ※改憲手続きを定めた憲法96条をめぐり、なぜハードルが高くなっているのかについて触れた上記の昨年末の記事が、アップから1週間たった今も、よく読んでもらえているようです。
 96条を以下に引用しておきます。

 第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 2  憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。