【憲法メモ】5月23日〜6月3日:桂敬一さん「だれが牧伸二を死なせたか―時代を映し出せなくなったメディア」ほか

 憲法に関連した論考やニュースで目に留まったものをまとめた【憲法メモ】です。


桂敬一さん「だれが牧伸二を死なせたか―時代を映し出せなくなったメディア」(NPJ通信=2013年5月23日)
 http://www.news-pj.net/npj/katsura-keiichi/20130523.html
 ウクレレ漫談で知られる牧伸二さんが4月29日死去しました。報道では、多摩川に身を投げたと伝えられています。享年78。1960(昭和35)年生まれの私にとって、子どものころによくテレビで見かけた、その限りで親しみのある存在でしたが、この桂敬一さんの論考で、ニュースとしてのウクレレ漫談、メディアとしての「牧伸二」という見方に気付かされました。マスメディアの現状への疑問の提示であり、問題提起です。
 相当の長文ですが、読み応えがあります。

 司会の牧伸二自身が、ウクレレを爪弾きながら登場、例の 「やんなっちゃった節」 の新作を、鼻歌の乗りでいくつか紹介、番組の気分を盛りあげるのが慣わしだったが、その多くが政治や社会の出来事を風刺するもので、それはニュース性豊かなものだった。「ビルが建つよ、道路ができる/高速道路のその裏側で/スピードアップは汚職です/オーショク(汚職?)人種じゃ無理もない/ああ、ああ、やんなっちゃった/ああ、ああ、驚いた」。最初の4つの区切りがそれぞれ1行で、4行詩(ソネット)だ。それにどの作にも 「ああ、ああ、やんなっちゃった」 のリフレインがつく。高度成長で会社が大いに潤い、その余滴が社員にも回り、マイカー、マイホームにありつける人も増えていった。ところが、安月給のわが家は、高度成長の余恵とは無縁だった。「公約すぐに忘れちゃう/政治家やはり呆けてるか/いえいえ呆けていませんよ/上に 「と」 の字がついてるよ」。列島改造計画といっても、こちらにはピンと来ない。政治家の汚職の大型化ばかりが鮮烈に思い出される。牧伸二は、時代に流される国民大衆の軽佻浮薄にも、遠慮のない裸の眼を向けた。「フランク永井は低音の魅力/神戸一郎も低音の魅力/水原弘も低音の魅力/牧伸二は低能の魅力」。だが大衆を、ただ冷たく突っ放すのでなく、自分をも茶化す眼差しがそこにはあり、それが優しさを保証していた。後のたけしのようには、シニシズムに陥らなかった。
(中略)
 今、なぜ牧伸二亡きあとの 「牧伸二」 がいないのか。そのことを牧伸二本人が、一番口惜しく思っていたであろう。亡きがらは川面の上に浮かんだが、魂魄はまだ川底にあり、浮かばれないのではないか。彼の死後、自殺の原因は経済的な行き詰まりか、自分が会長を務める演芸人の会の預かり金の使い込みか、といった話題がメディアの続報では飛び交った。だが、これも情けない。そんな詮索より、エンタテインメント番組が全部、巨大プロダクションの仕切るものとなり、タレントは金太郎飴の顔ぶれ、いつも似たようなおちゃらけばかりといった、報道機関の息吹とは無縁な状態に陥ったところに、本当の原因を探るべきではないのか。明治民権運動の時代、民衆のなかで川上音二郎らは 「オッペケペー歌」 など、壮士演歌を創った。大正の初め、桂陸軍大将内閣が出現すると、憲政擁護運動の勢いが強まり、演歌師、添田唖蝉坊は 「マックロ節」 などで底辺大衆の怒りを表し、昭和の民衆に歌い継がれる演歌を定着させた。その流れのなかで戦後にもつづく石田一松の 「ノンキ節」 が生まれてラジオでも歌われ、さらにその遺伝子は、三木鶏郎によるNHK番組 「日曜娯楽版」 の数々の歌にも受け継がれていった。牧伸二も高度成長の中、そうした批評精神と風刺の技を、メディアのうえで発揮してきたのだ。メディアは、彼の冥福を祈ろうとするのなら、「3・11」 と安倍改憲政権出現という、かつてない大きい政変のただ中、この時代に相応しい批評性と、“悪役” の骨の髄まで突き通す鋭い風刺を、みずからの武器として取り戻す必要があるのではないか。

 あらためて牧伸二さんのご冥福をお祈りいたします。


沖縄タイムス「橋下氏の風俗業活用進言 謝罪・撤回で済まぬ」(2013年5月27日)
 http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-27_49737
 沖縄タイムスの平安名純代・米国特約記者の署名記事です。

 「まったくばかだと思うと私は何度も言ったんだ。車を借りるカネで女を得ることもできたのだから」
 1995年11月17日。同年9月に県北部で発生した3人の米兵による集団暴行事件について、クリントン大統領(当時)が予定していた謝罪会見のわずか数時間前、その問題発言は飛び出した。
 首都ワシントンで国防担当の記者団を前にした朝食記者会見も終わりに近づき、緊張から解放されたのだろう。リチャード・マッキー米太平洋軍司令官(当時)がポロッと本音を漏らしたのだ。
(中略)
 マッキー氏が辞任に追い込まれたのは、軍を統率する指導者としての資質が欠如していただけではない。明らかに人権を侵害し、犯罪であるレイプと、性欲を満たす買春とを同一線上で捉えた発言は、公的な立場に立つ人間として、謝罪や撤回で許されないレベルのものだったからだ。
 日本維新の会橋下徹共同代表(大阪市長)は25日、在沖米軍に風俗業の活用を進めた自身の発言について、「米軍や米国民」に謝罪し、発言を撤回する意向を表明した。
 橋下氏がまず謝罪すべきは、在沖米軍の性犯罪の被害者や沖縄県民だ。われわれを愚弄(ぐろう)し、尊厳を傷つけた人間が公的立場に居続けることは、人権侵害を誘発・助長する可能性をも容認することにもつながる。断じて許してはならない。

 わたしも、橋下氏の発言を従軍慰安婦と風俗業の活用とに分けて考えるべきではないと思います。2つの発言の根はつながっていると感じます。
 橋下氏の政治手法の特徴の一つは「民意を代表しているのは自分」とことあるごとに強調することです。であるからこそ、この記事は「政治家橋下徹」を生み出した大阪の有権者に読んでほしいと思います。


北海道新聞「自民OB改憲を危惧 『赤旗』に登場し批判 講演『右へ右へ心配』」(2013年6月2日)
 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/470720.html
 ほかにも同種の記事を見かけますが、ここでは北海道新聞の記事を紹介します。
 3年前の自民党から民主党への政権交代を実現させた衆院選の当時、大敗した自民党の、その中で当選して残った政治家の顔ぶれをみながら、戦後保守の穏健層の流れを汲む人たちが本当に少なくなったとの印象があり、自民党が極右化するのでは、との危惧を持っていました。実際には自民党を上回って日本維新の会が極右志向を強めていますが、あの当時抱いていた危惧は消えていません。
 戦争を知らない後続世代は戦争そのものを同じように実体験することはできませんが、先行世代の経験談に耳を傾け、イメージを頭の中に描いて追体験を試み、教訓を継承することはできるはずです。そのためにマスメディアができることも少なくないと思います。

 「憲法改悪は許さない」。古賀誠元幹事長や野中広務官房長官自民党の大物国会議員OBが「護憲」で奮起している。講演やインタビューを通じ、安倍政権が意欲を示す憲法改正の発議要件を定めた96条や平和主義をうたう9条の改正論を批判。戦中時代を生き、かつて「ハト派」と呼ばれた重鎮たちは国会から去った今も、歯止め役がいない改憲論議に警鐘を鳴らす。
 「96条改正は絶対やるべきではない」。古賀氏は5月、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」のインタビューで、憲法改正の発議要件を緩和する96条改正を真っ向から批判した。
 インタビュー記事の掲載は6月2日付の日曜版。自民党元幹部が赤旗に登場するのは異例だ。過去にインタビューに答えたのはごく少数で、09年の野中氏、今年1月の加藤紘一元幹事長ら党内ハト派の論客たちが並ぶ。
(中略)
 自民党幹部が「もはや党内の『護憲派』はいない」とまで言い切る現実に、重鎮たちの危機感は募る。
 野中氏は現在、全国各地を講演に回り、「参院選が済んだら憲法改正国防軍とかいう発言もあり、日本が右へ右へと行くのではないかと心配している」と訴える。


信濃毎日新聞社説「表現の自由 過ち繰り返さぬために」(2013年6月2日)
 http://www.shinmai.co.jp/news/20130602/KT130601ETI090003000.php
 現憲法が保障している国民の諸権利の中でも、とりわけジャーナリズムに重要なのは21条の「表現の自由」です。「知る権利」も「取材の自由」も憲法の文言には直接記載がありませんが、この21条に根拠があります。新聞が何はさておいても「表現の自由」を守る、自らの取材報道だけでなく、社会に広く「表現の自由」が担保されている状態を守ることは、社会的な責務であるだろうと思います。この信濃毎日新聞の社説を読みながら、あらためてそんなことを考えました。
 前半部分を引用します。

 今の憲法の21条と明治憲法大日本帝国憲法)29条を読み比べてみる。言論や結社の自由について定めた条項である。
 まず、今の憲法
 「集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」
 明治憲法ではこうなっていた。
 「日本臣民は法律の範囲内において言論著作印行集会および結社の自由を有す」
 違いはどこにあるか。気づくのは、明治憲法には「法律の範囲内」との制約があることだ。一見さしたる違いには見えない。
   <空洞化の歴史>
 しかし当時の政府はこの規定に基づき、新聞紙条例、出版法、映画法などメディア各分野を規制する規則や法律を定めていった。その内容は、例えば新聞紙条例はペンネームで記事を書くことを禁止、筆者の住所、氏名を明記することを原則とした。人を教唆、扇動する記事の掲載も禁じた。
 この規定により、政府は自分に都合の悪い記事の掲載を差し止めることができるようになった。言論の自由の空洞化である。
 1941年3月の治安維持法全面改正は言論弾圧の総仕上げとなった。表現の自由は最終的に息の根を止められた。
 向かった先が同年12月の日米開戦である。世界で何が起き、日本がどう見られているか知らされないまま、国民は破局へと駆り立てられていった。メディアはその一翼を担った。
 新聞やラジオ、映画がかつて戦争遂行に協力したことは、いまメディアで働く私たちにとって忘れてはならない歴史である。
 <規制色濃い自民案>
 現行憲法では、表現の自由は絶対の権利として保障されている。教育を受ける権利や居住の自由を定めた条項に付けられている「公共の福祉に反しない限り」「法律の定めるところにより」といった留保条件は一切ない。
 自民党改憲草案ではどうか。
 「集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する」。ここまでは現行憲法と変わらない。問題はこのあとだ。
 「前項の規定にかかわらず、公益および公の秩序を害することを目的とした活動を行い、ならびにそれを目的として結社をすることは、認められない」
 見方によっては、言論規制の色彩は明治憲法以上に濃い。

 この後、憲法表現の自由を手厚く保護している理由を、メディアの取材源の秘匿をめぐる最高裁判例を挙げながら解説し、自民党改憲草案に国防軍創設が盛り込まれていることに対し、「政府が機密指定する情報は、国民の目の届かない場所で取り扱われることになるだろう。軍人の犯罪は裁判官、検察、弁護側のすべてが軍人で構成される法廷(軍法会議)で裁かれる。国会には秘密会が設けられるかもしれない」「国防軍創設は国民の知る権利を掘り崩し、国民主権を危うくする可能性が高い。表現の自由の観点からも賛成できない」と結んでいます。


目取真俊さん「沈みゆく泥船」(ブログ「海鳴りの島から」2013年6月3日)
 http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ea7aaafea1622c9902240ad18c764e86
 日々の更新記事から学ぶところが多い、沖縄県名護市在住の作家目取真俊さんのブログです。目取真さんはわたしが新聞労連委員長当時、沖縄で開催した新聞研究集会に講師として参加いただきました。その際に目取真さんが発した「かつてそれでもヤマトのマスコミには沖縄への負い目があった。それすら消えた」との言葉は今も耳に残っています。
※参考:新聞労連委員長だった当時に運営していたブログ記事です。目取真さんに参加いただいた集会のリポートも含んでいます。
 ニュース・ワーカー(旧ブログ)「沖縄で『在日米軍再編』報道を考えた」2006年2月13日
 http://newsworker.exblog.jp/3523538


▽日比野敏陽さん「憲法問題に『客観』『中立』はありえない」(法学館憲法研究所「今週の一言」2013年6月3日)
 http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20130603.html
 日比野さんは京都新聞記者で、現在は休職して新聞労連委員長、日本マスコミ文化情報労組会議議長。かつての私のポジションです。

 自民党改憲案は21条に第2項を新設し「公益及び公の秩序を害することを目的とした」活動や結社の自由を抹殺しようとしている。「公益及び公の秩序」は国が決め、それに反する表現や結社は取り締まるとなれば、政府や政権政党への批判が困難になることは確実だ。警察や防衛、外交などの分野で権力を告発するスクープも生まれなくなるだろう。新聞や雑誌には提灯記事ばかりがあふれかえることになる。そんなメディアに商品価値はないから私たちはたちまち読者を失ってしまう。
 自民党改憲案はメディア、ジャーナリズムと相容れる要素はまったくない。それでもこれまで通りの両論併記、客観報道に徹しようとするなら、それは自殺行為にほかならない。私はいま、新聞労連やマスコミ関係の労組でつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」(MIC))などの集会では必ずこう呼びかけている。

 多様な意見、ものの見方を紹介することはマスメディアのジャーナリズムの基本的な役割であり、責任でもあるのですが、こと憲法21条の「表現の自由」に限っては、マスメディアは当事者としての責任を自覚するべきだと私も思います。