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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

再び、検察の堕落とマスメディアの当事者性〜吉永元検事総長の訃報に考えたこと

 東京地検特捜部が田中角栄元首相を逮捕、起訴したことで知られる「ロッキード事件」の主任検事で、その後、検事総長を務めた吉永祐介氏が死去しました。マスメディアも28日に一斉に報じました。
「吉永元検事総長が死去 特捜の顔、ロッキード事件指揮」(47news=共同通信、2013年6月28日)
 http://www.47news.jp/CN/201306/CN2013062801001715.html

 戦後最大の疑獄、ロッキード事件などを手掛け、「ミスター検察」「特捜検察の顔」と呼ばれた元検事総長吉永祐介氏が23日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。81歳だった。岡山市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻典子さん。
 岡山大卒業後の1955年に検事任官。東京地検特捜部に通算約14年間在籍した。副部長時代には、76年に故田中角栄元首相を逮捕したロッキード事件で主任検事を務めた。
 東京地検特捜部長としてダグラス・グラマン事件、東京地検検事正としてリクルート事件を陣頭指揮。大胆で緻密な手腕は検察内部で「特捜の鬼」と称された。

 「ミスター検察」「捜査の神様」「特捜の鬼」などなど、マスメディアがいくつもの称号を紹介している通り、吉永氏は1970年代以降の検察を代表した1人であるのは間違いありません。とりわけ特捜検察が「巨悪を眠らせない」とのコピーとともに、正義を実現させる存在として社会にそのイメージを浸透させていった際の象徴のような検事だったと思います。
 吉永氏の訃報を伝える新聞各紙は、当時を知るOB記者らによるいわゆる「評伝」を掲載しています。そのうちの一つ、元毎日新聞司法キャップ、高尾義彦さんの記事に以下のようなくだりがありました。

 ロッキード事件は、縁の下の力持ちのような存在だった職人集団、東京地検特捜部を花形ポストとみなす風潮を生んだ。近年の検察不祥事や検察批判は、こうした体質がもたらした弊害ではないか。本人の意図とは別に「吉永検察」の負の遺産だった。

 ※毎日新聞「評伝:吉永祐介さん死去 ミスター特捜部、困難な道選び核心迫る」2013年6月29日
 http://mainichi.jp/select/news/20130629ddm041010175000c.html
 実は吉永氏の訃報を耳にした時に、マスメディアの報道が故人と特捜検察礼賛一色になるのでは、と少し憂うつな気分になっていました。2010年に発覚した大阪地検の証拠改ざん隠蔽事件に代表されるように、特捜検察は極限まで堕落しました。証拠に手を加えてまで、自ら描いた構図通りに事件を立件しようとする検事が現れるに至った、その傲岸さ、不遜さの源流をたどっていくと、やはりロッキード事件に行き着くとわたしも考えていました。吉永氏の検事総長退任は1996年1月。検察の堕落の責任を吉永氏に負わせるのは酷かもしれませんが、しかし「東京地検特捜部を花形ポストとみなす風潮」の果てに、極限の堕落があったのは間違いありません。
 同時に思うのは、その「東京地検特捜部を花形ポストとみなす風潮」を生んだのは、ほかならぬマスメディア自身であるということです。2010年の大阪地検の不祥事の後、2011年2月にメディア総研が「提言・検察とメディア」をまとめ公表しました。少し長くなりますが「はじめに」の部分を引用します。

はじめに――「検察改革」のためにメディアの姿勢が問われるべき
 今、日本の検察のあり方が根本的に問われている。大阪地検特捜部の主任検事による証拠改ざん事件は、現職の検察幹部の逮捕・起訴にまで至り、検察に対する国民の信頼は決定的に失墜した。法務省では2010年11月、有識者らによる「検察の在り方検討会議」を発足させ、検察庁改革に向けた議論を進めている。
 今回、特捜検事の証拠改ざん事件は、メディアの取材・報道によって明るみに出た。ここでは確かにメディアの「権力監視」機能が発揮されたと言えるだろう。しかし、それでは大阪地検特捜部が、証拠改ざんの舞台となった厚生労働省の郵便不正事件を捜査していた段階で、その捜査に対して疑問や批判を突き付けるようなメディアの報道が、はたして存在しただろうか。むしろ、ほとんどすべてのマスメディアが、特捜部が勝手に描いた事件の構図にそのまま乗った形で、後に無罪が確定することになる村木厚子厚生労働省元局長のことを厳しく断罪するかのような表現をとりながら、ことさらに報道してきただけだったのではなかっただろうか。
 歴史を振り返ってみれば、これまで東京地検特捜部が手掛けた汚職事件などについて、マスメディアは必ず大きな扱いで取り上げ、検察による事件摘発を「社会正義の実現」として持ち上げるような報道を繰り返してきた。社会の不正を許さないという点では、捜査当局と報道機関は目的をある程度共有している側面はあるかもしれない。しかし、これらの特捜事件の報道で、強制捜査権を持つ権力機関である検察庁に対して、メディアが市民から期待されているチェック機能が十分に発揮されてきたのかと問われれば、その実情は甚だ心もとないと言わざるを得ない。
 逆に、多くのメディアは、捜査段階で得た情報を無批判に報道して「特捜神話」の形成に寄与し、結果として無実の人を罪に陥れるような事態にも加担してきたと言われても仕方ないのではないか。そのようなメディアが、自らの検察報道のあり方について真摯な反省や自己検証を行っているようすは、これまでのところ見受けられない。
 メディアのあるべき姿を研究・考察してきた私たちは、検察が今後同じような過ちを繰り返さないためには、メディアが検察に対して適度な緊張関係を保ちながら、健全な監視機能を果たしていくことが不可欠だと考える。政府によって検察のあり方が検討されている今こそ、検察とメディアの関係も根本的に見つめ直す好機だと捉え、議論の一助として以下の各提言を試みたい。

 ※「提言・検察とメディア」
 http://www.mediasoken.org/page058.html
 ※メディア総合研究所トップ
 http://www.mediasoken.org/index.html
http://www.mediasoken.org/
 当時、わたしはこの提言を引用しながら、このブログに次のように書きました。

あらかじめ描いた事件の構図通りに被疑者や参考人の供述調書を作成しようとする特捜部の捜査手法は、たとえばリクルート事件江副浩正氏の公判でも焦点になり、検察側と江副氏側が激しいやり取りを繰り広げていました。その強引さは、一度でも司法記者を経験したことがある記者なら気づかないはずはなかったと思います。しかし、結果として特捜検察の捜査手法を正面から問う報道はほとんどありませんでした。そのことが、ついには大阪地検特捜部のように物証にまで手を付ける検事が現れてしまうに至ったことの一因にあると思いますし、そこに今回の一連の検察の問題、さらには検察改革に対するマスメディアの当事者性があると思います。わたし自身もまたかつて司法記者を経験した記者の一人として、当事者の一員であることを免れ得ません。

 ※参考過去記事
 「メディア総研が『提言・検察とメディア』公表〜検察問題にマスメディアは当事者性がある」2011年2月13日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110213/1297540628
 この過去記事にも書きましたが、わたし自身、1990年代に二度にわたって東京の司法記者クラブに加盟し、東京地検特捜部をはじめとした検察取材を担当しました。当時は地検特捜部が手掛けた事件というだけで、新聞紙面ではほかの事件よりも扱いが大きくなっていました。分かりやすかったのは政界や官界の事件で、政治家や幹部官僚を立件することで特捜部と特捜検事たちの「神格化」は強まり、担当記者にとっては、その特捜部が次は何を捜査し、だれをターゲットに据えているかをいち早くつかむことで「敏腕記者」「できる記者」の評価を得る図式がありました。検事たちにとっては、政官界の腐敗を摘出し続けなければならないとのプレッシャーが常にかかっている状態でした。一方で記者にとっては、特捜部の捜査を疑ってみても、それが記者の仕事として果たしてプラスの評価を得られたかどうか。それよりも「次の一手」を探ることに労力を注ぐ日々でした。その当時、特捜検事たちの間にも、わたしを含めた「司法記者」たちの間でも、「吉永祐介」の名前は神聖不可侵の重みを持っていたように思います。
 吉永氏の訃報に接して、マスメディアの報道が故人と特捜検察礼賛一色になるのでは、と少し憂うつな気分になったと書きました。ほんの数行とはいえ、毎日新聞の「評伝」記事に「『吉永検察』の負の遺産」の記述があるのを知って、憂うつな気分は少しだけ和らぎました。しかし、2年前にメディア総研の提言が指摘した、検察の堕落に対するマスメディアの当事者性の問題は、今もなお総括しきれていない課題としてマスメディアの前にあると感じています。この機会に、マスメディアの内部にいる一人でも多くの人が、メディア総研の提言に目を通し、今後のありようとそのための行動を考え、模索してほしいと願っています。
 最後になりましたが、吉永氏のご冥福をお祈りいたします。


【追記】2014年12月18日9時50分
 メディア総研のホームページ・トップのURLを修正しました。