大阪で迎えた3回目の8月15日です。
大阪は1945年8月14日、終戦の前日に大空襲を受け、大勢の方が犠牲になりました。「あと1日」を生き延びることを許されなかった人たちがいました。戦争では、生死の分かれ目はほんの偶然に左右されます。個人の意志や力は無力です。だから戦争はむごいし残酷なのだと考えています。戦争は起こさせてはいけませんし、一度起きてしまった戦争は早くやめさせなければなりません。それはそのままジャーナリズムの課題だと思いますし、マスメディアの一角に身を置くわたし自身の課題でもあるのだと考えています。
昨年の今ごろ書いてアップした記事が「大阪大空襲」などの検索で引っ掛かり、読まれているようで、ここ数日アクセスがいつもより増えています。
今もわたしの考えは変わりません。お読みいただければうれしいです。
「『あと1日』を許さなかった8月14日の大阪大空襲(再び)」=2012年8月15日
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20120815/1344985658
【追記】2013年8月15日午前7時35分
これもことし5月にアップした過去記事ですが、「敗戦」「戦争責任」などのキーワードで検索されているようです。きょう8月15日にあらためて伊丹万作の一文を紹介したいと思います。
「伊丹万作『戦争責任者の問題』と憲法96条〜『だまされる罪』と立憲主義」=2013年5月7日
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20130507/1367881891