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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

斎藤実記念館のひび割れた鏡台


 8月に入って間もなく、私用で岩手県奥州市の水沢を訪ねる機会がありました。ここ何年か、2月になるとこのブログで紹介してきましたが、水沢は1936(昭和11)年2月26日に起きた二・二六事件で殺害された内大臣、元首相、元海軍大将の斎藤実の出身地で、遺品や資料を集めた記念館があります。このブログで紹介するたびに、もう一度記念館を訪ね、中でも二・二六事件関連の史料を見ておきたいとの思いが募っており、今回、6年ぶりに再訪しました。
 二・二六事件の概要をここで記すのは私の手に余ります。ウイキペディアの「二・二六事件」の項の書き出し(2013年8月13日現在)を引用すれば以下の通りです。
 「二・二六事件(ににろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、『昭和維新断行・尊皇討奸』を掲げて起こしたクーデター未遂事件である。事件後しばらくは『不祥事件(ふしょうじけん)』『帝都不祥事件(ていとふしょうじけん)』とも呼ばれていた。」
 斎藤実は日露戦争当時に海軍次官、その後、海軍大臣を長く務め、五・一五事件直後に首相に就任しました。海軍の中では、いわゆる条約派と艦隊派の色分けで言えば、条約派の源流にいる一群の提督の一人と言っていいのではないかと思います。二・二六事件の当時は天皇側近の内大臣でした。それが殺害の理由でもあったようです。首相としても海軍軍人としても、今日の印象は地味で、やはり一番有名なのは「二・二六事件で暗殺された重臣の一人」ということでしょう。
 ※ウイキペディア「二・二六事件」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 ※ウイキペディア「斎藤実」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%AE%9F

 事件は一部の軍人が社会変革を大義名分に、国家の実力組織である軍隊を私(わたくし)したものでした。明確に「反乱軍」として位置づけられ、数日のうちにクーデターは失敗に終わり、主導した将校らは死刑になりました。以後、陸軍内では皇道派が影響力を失い東条英機らの統制派が実権を握っていきます。行き着いた先が、戦争遂行の社会態勢でした。二・二六事件当時、新聞は既に軍部批判をやめていました。
 今日も社会変革が叫ばれています。「維新」は政党名にもなっています。二・二六事件を今日振り返ることの意味は小さくないと考えています。

 6年ぶりに訪ねた記念館の史料では、斎藤実が殺害された当夜、現場の寝室に置かれ銃弾を受けた鏡がやはりいちばん印象に残りました。写真撮影は不可でしたので、絵葉書のセットを買い求めました。アップしている写真はその絵葉書です。ほかにも、変色しているものの血糊がはっきり分かる枕や布団、やはり撃たれて重傷を負った夫人の寝巻き、銃弾が貫通した跡がはっきり分かる綿入れなどが並んでいました。これらの史料をまじかに見ることで、事件が文献の中だけの存在ではないこと、本当にあの日あの場所で起きたのだということをまざまざと感じ取ることができた気がしました。機会があれば、ぜひ一度訪ねることをお奨めします。

※奥州市のサイトの斎藤実記念館のページ http://www.city.oshu.iwate.jp/htm/soshiki/syakai/kousui/