ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

2014年の初めに

 新しい年、2014年を迎えました。
 昨年末は、強行採決による特定秘密保護法の成立に、安倍晋三首相の靖国参拝と、戦後社会の転換点を思わせるようなニュースが目立ちました。沖縄では、普天間飛行場移設に絡む辺野古埋め立て申請を仲井真弘多知事が承認。しかし、だれが(或いは、どんな力学が)知事にそう迫ったかを考えると、知事を批判する気になれませんでした。日本国政府に沖縄への差別的扱いを止めさせられないことに対して、ヤマトに住む日本国の主権者の1人として、責任を免れうるものではないと考えるからです。
 安倍首相への評価は人それぞれ、さまざまにあるのは当然だと思います。しかし、こと「戦争を許さない」との観点からは、一強の巨大与党をバックにした安倍氏の言動から感じられるのは危うさばかりです。そして、いよいよ戦争を容認する社会へ進もうかというのに、政権の支持率は落ちたといっても、水準としてはまだまだ高いレベルです。容易ならざる安倍首相、というよりは、戦後70年近くがたって、安倍氏が体現しているいわば「戦争を容認する国家のありよう」を支持する人たち、あるいはそうした国家観に対して傍観者でいる人たちが、わたしたちの社会で相当な割合を占めるに至ったようにも思えます。
 だからマスメディアの役割と責任もますます問われようかというところですが、メディアがこぞって団結し、戦争容認の道に反対する、という状況では既になくなっています。脳裏に浮かぶのは1930年代、新聞がやがて戦争支持への一色に染まっていった歴史です。その歴史が示しているのは、この先も「戦争を容認しない」という筋目を守るには、相当の覚悟と努力と実践が必要だということだと受けとめています。
 今はネットをはじめ情報流通は複雑で、既存メディアは既存メディアであるというだけで憎悪と罵倒の対象になることもあります。かつて戦争反対を掲げ続ける新聞がなくなってしまった大きな要因に、経営問題がありました。これ以上軍部ににらまれては新聞社は存続できない、従業員は生活できないとの経営判断があったと、先人から伝え聞いています。形は違いますが、現代のマスメディアも近年、ネットの台頭とともに経営問題にさらされ続けています。実はマスメディアの内情は、特に外部からの批判に対して、わたしが今思っている以上にぜい弱であり、筋目を守ることは容易ではないのではないかと感じています。
 仮に社会の中で、戦争容認への道を否定しない、待望さえする層が今以上に増えていくことになったときに、自分にどんな立ち居振る舞いができるのか。マスメディアで働く一人として、社会の一員として、変節することなく、筋目を守り続けていくことができるのか。今年は、そういうことが問われる年になる予感がしています。もちろん、予感が外れ、杞憂に終わるのに越したことはありません。
 正直なところ、明るい気持ちになりにくい年明けです。ですが、だからこそ、明るく振る舞って過ごしていきたいと思います。人は、自分とは異なった価値観やものの考え方に触れた時に、考えが変わることがあります。民主主義で少数意見が尊重されなければならない所以です。その「人の考えは変わることがある」ということのために、この1年、希望を持ってマスメディアの仕事を続けていこうと思います。
 本年も、よろしくお願いいたします。