2月26日は、1936(昭和11)年の「二・二六事件」から78年の日でした。岩手県奥州市水沢区(旧水沢市)に、事件で殺害された内大臣、元首相、元海軍大将の斎藤実(まこと)の記念館があります。事件当夜、斎藤が殺害された自宅寝室に置かれ、銃弾を受けてひび割れた鏡台などの資料を見ることができます。事件を文献上の知識としてとらえるだけでなく、事件が間違いなく起こったことを目で見て確認することができる貴重な資料の数々です。昨年夏、再訪した際にこのブログに書いた記事を紹介します。
※「斎藤実記念館のひび割れた鏡台」2013年9月2日
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20130902/1378048450
※奥州市のサイトの斎藤実記念館のページ http://www.city.oshu.iwate.jp/htm/soshiki/syakai/kousui/
【写真説明】二・二六事件の銃弾を受けた鏡台(斎藤実記念館で購入した絵葉書)
1930年代の日本は、満州事変(1931年)に始まって国際的にどんどん孤立を深めていました。やがてドイツ、イタリアと三国同盟を結び、太平洋戦争に突入。自国と近隣アジア諸国におびただしい犠牲を強いて、1945年に敗戦を迎えました。
このところ安倍晋三首相や周辺では、例えば首相の靖国神社参拝、それを批判した米国に対する首相補佐官の批判、集団的自衛権と憲法解釈をめぐる首相らの発言など、国際的に警戒を受け、将来的には孤立を招きかねない言動が相次いでいます。そして、その安倍政権が高い支持を維持しています。今、1930年代の歴史を振り返ることには大きな意味があると思います。
斎藤実は海軍の中では親英米・軍縮派の源流に属する長老の一人でした。事件当時の首相で危うく難を逃れた岡田啓介も同じ流れに属する海軍提督でした。これらのことは今日、とりわけ意識されていいことだと思います。隠忍自重を説く意見よりも、とかく、主戦論が勇ましくもてはやされていないか―。憲法を変えて、戦争をできる国にしたがっている安倍首相や周辺の数々の言説は、現代の主戦論にほかならないように思えます。その主戦論が高い支持を維持する状況をどう考えればいいのか。歴史に学ぶべきはそこだと思います。
※安倍政権が海外ではどう見られているか、という問題を明確に意識できる論考です。
水島朝穂さん:今週の直言:「政局的平和主義」――安倍政権の歪んだ対外政策 2014年2月24日
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0224.html