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「小さな種を蒔いて去りました」追悼 菅原文太さん

 昭和を代表する俳優の一人として活躍された菅原文太さんが死去されました。ご冥福をお祈りいたします。
※「菅原文太さん死去、81歳 『仁義なき戦い』などに主演」=2014年12月1日 47news(共同通信

 映画「仁義なき戦い」シリーズなどに主演し、昭和を代表する映画スターだった俳優の菅原文太(すがわら・ぶんた)さんが11月28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため、東京都内の病院で死去した。81歳。仙台市出身。葬儀・告別式は家族葬で行った。喪主は妻文子(ふみこ)さん。
 1958年、本格的に俳優デビュー。東映入社後、暴力団同士の抗争を描いた73年の「仁義なき戦い」(深作欣二監督)に主演して大ヒット。75年からの「トラック野郎」とともにシリーズ化され、絶大な人気を得た。
 晩年は山梨県で農業を営み、国民運動グループ「いのちの党」を結成して代表として活動した。

 菅原さん死去の報は昨日(1日)、職場で聞きました。共同通信の速報は午後2時14分。民放やNHKのテロップが続きました。新聞制作上は夕刊作業が終わったばかり。朝刊単独紙などの中には、電子号外を作成したところもあったようです。
 代表作の「仁義なき戦い」は20代のころ、レンタルビデオで一気に見ました。しかし個人的には、俳優としての菅原文太さんよりも、近年の脱原発反戦平和の立ち位置を鮮明にしての社会的発言が強く印象に残っています。そうした発言や活動がどこに根差してのものだったのか詳しくは知りませんが、発表された菅原さんの妻文子さんのコメントには深く感じ入るものが多々ありました。以下に引用して書き留めておきます。

 7年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
 「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。1つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう1粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の1人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
 恩義ある方々に、何も別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます。

 聖書の「一粒の麦」の生き方を思い出しました。わたしはクリスチャンではないのですが、既に故人となっている尊敬していた方の生き方でした。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、いつまでも一粒のまま。しかし、死ねば、多くの実を結ぶ。この世で自分の命を顧みない人は、永遠の生命に至る」という教えです。菅原さんの蒔いた一粒の種も、必ずや次の多くの種を生むのだと思います。
 「日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げること」は、わたし自身の生き方の課題に重なります。菅原文太さんの遺志と思いを同じくする人たちがこの社会に広がっていってほしいと、わたしも願います。


※ブログの過去記事です。長文ですので、関心がある方に読んでいただければ幸いです。
「『わが罪はつねにわが前にあり』故松橋忠光さんのこと〜『一粒の麦』の生き方」=2010年1月4日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100104/1262533481