再び「2つの『3月20日』」

 3月20日はオウム真理教による「地下鉄サリン事件」から20年の日でした。1995年のこの日の朝、東京の営団地下鉄(現東京メトロ)3線の車内で猛毒のサリンがまかれ、地下鉄職員や通勤客ら13人が死亡し、6千人以上が重軽症となりました。東京都内発行の新聞各紙は朝刊、夕刊ともに大きな扱いで、遺族や被害者の表情や、官庁街の霞ケ関駅で行われた慰霊式の様子などを報じました。
※47news=共同通信「地下鉄サリン20年、続く苦しみ 霞ケ関駅で慰霊式と献花」2015年3月20日
 http://www.47news.jp/CN/201503/CN2015032001001118.html

 13人が死亡、6千人以上が重軽症を負ったオウム真理教による地下鉄サリン事件から20年となった20日、駅員2人が犠牲になるなど多くの被害者が出た東京メトロ霞ケ関駅で慰霊式が開かれ、職員が犠牲者の冥福を祈り黙とうした。献花した遺族は「事件を語り継いでほしい」と訴えた。
 被害者や遺族の苦しみ、悲しみは続いている。世界的にテロ事件は後を絶たず、化学兵器を使った未曽有の無差別テロの教訓をどう未来に生かすかが問われている。
 死亡した同駅助役=当時(50)=の妻で、被害者の会代表世話人の高橋シズヱさんは「若い人にオウムの事件が何だったのか関心を持ってほしい」と話した。

 また、3月20日は2003年にイラク戦争が始まった日です。地下鉄サリン事件の「20年」のような分かりやすい節目ではないためか、マスメディアでは関連記事はほとんど目にしていません。しかしわたしにとっては、個人的な体験の強烈な思い出もあって、地下鉄サリン事件イラク戦争の二つは分かちがたく結びついています。
 20年前のこの日、わたしは社会部の記者でした。前夜から社内に泊まりこみで勤務し、一夜明けて「明け」と呼ばれるシフト。午前8時ごろ、警視庁詰めの記者から「地下鉄駅で乗客がバタバタ倒れている」との連絡が入ったのが第一報でした。間もなく全員呼び出しとなり、わたしはその日一日、持ち場に出ることもなく社内に缶詰めになって、同僚たちが電話やファクスで送ってくる情報をまとめ、記事にする作業に追われました。
 12年前、イラク戦争の開戦当日は、社会部でこの戦争の取材班の担当デスクでした。自衛隊イラクに出るのはまだ先のことで、日本社会の一般の人たちに、それほどなじみがあるとは言えないイラクという国での戦争をどう報じるか、同僚たちと頭を悩ませていました。
 この地下鉄サリン事件イラク戦争の「二つの3月20日」が、日本社会では一つにつながっているように思うようになったのは、新聞労連の委員長だったころです。当時運営していたブログに書いた9年前の記事を読み返してみて、今また同様の思いが強まっています。
 少し長くなりますが、このブログ記事を再録します。
※ニュース・ワーカー「2つの『3月20日』」2006年3月21日
 http://newsworker.exblog.jp/3683934

 3月20日はイラク戦争開戦から3年であると同時に、オウム真理教信者らによる地下鉄サリン事件から11年でもある。
 3年前は、この戦争の日本と日本人との関わりをどう考えていけばいいのか、わたしは社会部の職場で同僚たちと、あれこれと議論しながら取材を進めていた。米英軍がイラクに「侵攻」なのか「進攻」なのか、用語をめぐって議論があったりしたが、正直に言って、開戦当初を振り返れば、どこか遠い地域での出来事、メディア内部ではもっぱら外信部が主役、という雰囲気だったと思う。
 その後、人道復興支援を大義名分にした自衛隊派遣が急浮上し、イラクはぐっと身近な存在になり、社会部の取材も忙しくなった。年が明けて2004年1月、陸自先遣隊がクエート国境を超えてイラク入りした際には、社会部からも記者を現地に出し、取材・出稿はフル展開の日々が続いた。
 3年前、米国がイラク先制攻撃に踏み切った大義名分は、サダム・フセイン政権の大量破壊兵器保有疑惑だった。小泉純一郎首相も即座に開戦を支持した。今は、大義なき戦争だったことが明らかになっている。しかし、ブッシュ米大統領小泉首相も、開戦が誤りだったとは認めていない。自衛隊イラクに派遣されたままだ。
 この間、米軍の世界的規模の再編に合わせて、在日米軍基地の再編協議が進み、大詰めを迎えている。そのこと自体、米軍と自衛隊の一体的運用の強化であり、有事法制をはじめとして、それを可能にする仕組みも着々と出来上がっている。憲法9条自民党案の通りに改訂され、集団的自衛権の行使も解禁されれば、新生「自衛軍」は米軍とともに『テロとの戦争』に参戦することになるだろう。イラクで英軍が果たした役割だ。
 この3年の間に、日本社会では小泉首相構造改革路線によって、ますます「格差」が拡大した。雇用・労働問題の面では、契約社員派遣社員、パート、アルバイトなど非正規雇用の人たちがどんどん増えている。注意が必要なのは、決して望んで不安定な働き方を選んだ人ばかりではない、ということだ。しかし、そうは考えない人が多い。特に自らが正社員の場合、その風潮が強いように思う。また、「フリーター」や「ニート」も、勤労意欲に欠けているといったマイナスイメージで語られることが多い。
 仮に、このまま9条改憲に進んだ場合、「格差社会」は「戦場で殺し、殺され合うのはだれか」の問題に直結してくるだろう。「勝ち組、負け組」の二元論が、「ろくに働こうともしないフリーターやニート自衛軍に入って国のために死ね」という風潮を生み出すことを危ぐする。
 さて、11年前の3月20日は、わたしは社会部で前夜からの泊まり勤務明けだった。ことしと同じように、前日は日曜日で、翌日は春分の日の祝日だった。朝8時すぎだったと思う。「地下鉄で乗客がバタバタ倒れている」との警視庁詰め記者からの連絡が第一報だった。泊まり明けの少ない人数で手分けして取材を始めた。社会部員の総員呼び出しもやった。今のように携帯電話なんてなかったから、ポケットベルを片っ端から鳴らす。折り返し、部員から次々に電話がかかってきて、職場はあっという間に騒然となった。
 前年には長野県松本市の松本サリン事件が起き、オウム真理教サリンのつながりも指摘されていた。午前中には、警視庁が「地下鉄車内でサリンが撒かれた疑いが強い」と発表した。あとはもう何が何だか分からなかった。その日、わたしがまとめた記事で「首都東京は終日、見えない恐怖におびえ続けた」と書いたのを覚えている。
 この日を境に、警察はオウム真理教への捜査を一気に加速させる。オウム真理教の信者であれば、微罪でも何でも即逮捕だった。森達也さんが「ご臨終メディア」で指摘している通り、いわゆる「ビラまき」逮捕事件が多発し、共謀罪の新設も強行されかねない今日の情勢はどこから来たかといえば、あの時の「オウム狩り」にさかのぼるのかもしれない。オウム真理教の信者なら、マンションの駐車場に車を止めれば「住居侵入」で、カッターナイフを持っていれば「銃刀法違反」で現行犯逮捕する、そういうやり方を社会が容認した。メディアはその以前から、俗に「ヤクザと過激派に人権なし」とうそぶきながら、法令の明らかな拡大適用を許してきた。そのことの報いを今、メディアも受けつつあると思う。
 イラク戦争地下鉄サリン事件。この2つの「3月20日」は今、ひとつにつながっている気がしてならない。9条改憲が現実のものとなり、共謀罪が新設されれば、日本の「戦時社会化」は完成する。そうなったとき、「戦争反対」の言論は「敵を利するだけで、国益に反する」として、弾圧を受けることになるのではないか。

 当時、危惧していたいくつかのことについて、現状はどうなっているか、思いつくままに書き並べてみます。
 現在は、憲法9条改正を悲願とする安倍晋三氏が2度目の首相の座に就き、高い支持を誇っています。憲法改正はいずれ具体的な政治日程に上ってくることを覚悟しておくべきだと思います。集団的自衛権の行使は既に憲法解釈の変更が閣議決定され、今は具体的な法整備の論議が政府・与党内で「一方的に」と言っていい状態で進んでいる最中です。憲法改正を経なくても、条件次第で自衛隊はどんどん海外へ出て、武力を行使することになると危惧されます。
 在日米軍基地をめぐっては、沖縄の普天間飛行場の移設問題で、県外移設を求める沖縄の県民意思が選挙で何度も明確に示されているにもかかわらず、安倍政権は日米政府間の合意である沖縄県名護市辺野古地区への代替基地建設を強行しつつあります。
 雇用・労働の面では、折しも真っ最中の春闘で、安倍政権の強い要請で企業側が正社員のベアを認める流れが続き、報道でも明るいニュースとして伝えられてはいます。しかし、非正規雇用の人たちの割合は増え続け、不安定な立場は変わらず、むしろ法改正(改悪)によって固定化へ、との流れが強まっています。正社員にしても、ホワイトカラーエグゼンプションの導入は「アリの一穴」のように広がることが危惧されます。何より、労働時間の規制を「岩盤規制」とネガティブに評価する安倍政権の発想には、戦争の惨禍を経て、「労働者の地位の向上」を世界平和のための課題として共有するに至った人類の近現代史への洞察が全く欠けていると感じます。
 昨年12月に施行された特定秘密保護法は、自由な表現活動や自由な取材活動と真っ向から衝突する恐れがあります。悪法は生まれた時には小さくとも、後に大きく育つことは、戦前の治安維持法などが顕著な例です。この法律には共謀罪の規定も含まれています。共謀とは密室でのやり取りです。それを処罰の対象にするということは、密室でのやり取りを立証することが前提になります。盗聴や盗撮、私信の開封などの捜査が広く合法化されることになりかねません。そうなれば密告も奨励されるでしょう。
 朝日新聞慰安婦報道をめぐって、一部のマスメディアが「国益に反する」との趣旨で感情的な激しい言葉で批判していること、ネット上にはそれ以上の激しい憎悪があふれていること、慰安婦報道にかかわった元朝日新聞記者の現在の勤務先に脅迫があったことなどは、暗澹たる思いがします。
 このままでは遠くない将来、自衛隊が日本国外で武力行使に及ぶことになりかねません。「そうなったとき、『戦争反対』の言論は『敵を利するだけで、国益に反する』として、弾圧を受けることになるのではないか」。9年前にブログに書いた通りのことを、今また危惧しています。


※参考過去記事
 「2つの『3月20日』」2009年3月21日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090321/1237565666
 6年前に書いた記事です。この時にも2006年のブログ記事を引用しました。この年の8月の衆院選を経て自民党から民主党政権交代が実現しました。改憲論議はひとまず収まっていた時期で、今読み返してみると、随分楽観的だったなと思います。