「沖縄県民大会に3万5千人」の報じ方〜本土紙の中に生じた変化

 日がたってしまいましたが、記録の意味で書きとめておきます。
 沖縄の米軍普天間飛行場の移設先として、名護市辺野古に新基地を建設する日米両政府の計画に反対する沖縄県民大会が5月17日、那覇市で開かれました。参加者は主催者発表で3万5千人。主催の実行委員会は、翁長雄志知事を支える県議会与党や経済界有志、市民団体などで構成されました。沖縄タイムス琉球新報両紙とも18日付紙面は1面と最終面をつなぎ、びっしりと人で埋まった迫力ある写真を大きく載せた特別版でした。翁長知事は沖縄言葉で「沖縄人をないがしろにしてはいけない」と訴えたと報じています。
【写真説明:沖縄県民大会の熱気を伝える琉球新報の紙面】

 この県民大会について、日本本土(ヤマト)の報道は扱いがはっきり分かれました。
 東京発行の新聞各紙では朝日、毎日、東京の3紙は1面に会場の写真を3〜2段で掲載。社会面でも3段、4段の見出しを立てて報じました。もっとも扱いが大きかったのは東京新聞で、1面は準トップ、第2社会面のほぼすべてを使って関連記事を掲載したほか、総合面にも解説や大会決議全文を載せました。
 この日の紙面の1面トップは各紙とも、橋下徹大阪市長の宿願だった「大阪都構想」が大阪市住民投票の結果、否決されたニュースでしたが、東京は1面に橋下氏の写真は載せておらず、また朝日、毎日も1面の県民大会の写真は、位置こそ橋下氏記者会見の下の真ん中のあたりでしたが、大きさは引けを取りません。
 対照的だったのは読売、産経の両紙。読売新聞は第2社会面に短信スタイルの12行、産経新聞は総合面に22行でした。ともに写真はなく、産経新聞には参加人数の記載もありませんでした。この違いは、辺野古移設方針を社論として支持するか否かの違いと一致していると言っていいでしょう。
【写真説明:左から東京新聞朝日新聞毎日新聞の各1面】

 このブログでは以前から、沖縄の過剰な基地負担の問題を沖縄以外のマスメディアがどう報じるかを記録してきました。沖縄の基地の問題は沖縄という地域に固有の地域の問題ではありません。日本国が国策の一環として、基地負担を沖縄に強いています。だから何よりも、日本国の主権者である日本国民の間に問題の所在が知られ、意識されていなければなりません。そのためには、沖縄以外の日本本土でマスメディアが基地問題をどう報じているか、沖縄で起きていることをどう報じているかが重要です。本土マスメディアの報道を記録してきたのはそれが理由です。

 以前は、例えば東京発行の各紙の紙面では、「辺野古」という地名が紙面に出るとすれば、日米間で普天間飛行場の移設計画が見直されるなど、各新聞社の東京本社政治部が取材する大きなニュースがあるときぐらいでした。ほんの10年くらい前までは、在京紙の論調も大きくは割れておらず、普天間飛行場の1日も早い危険除去のためには、辺野古移設(ただし現行の沿岸部ではなく、その前の沖合案でしたが)が必要という点では、基本的には一致していました。2005年10月に日米間で、現在の辺野古沿岸部案が決まった際には、「今回の合意に沿って、一刻も早い解決を図るしかない」「そのために政府は地元を説得する責任がある」との論調が主流だったように記憶しています。
※参考過去記事 過去ブログ「ニュース・ワーカー」
「沖縄で『在日米軍再編』報道を考えた」=2006年2月13日
 http://newsworker.exblog.jp/3523538/

 そんな東京発の東京目線の記事はあっても、沖縄の人たちと同じ地平にまで目線を下げ、沖縄の人たちの声をヤマトに届けよう、紹介しようとする記事は、少なくとも新聞の1面には見当たりませんでした。その当時と比べれば、日本本土の新聞の中に、報道姿勢に変化を遂げた新聞が出てきたと言っていいと思います。その契機になったのは、民主党中心の政権に変わり、当時の鳩山由紀夫首相が普天間飛行場の移設先を「最低でも県外」と唱え、公約を守ろうと様々に動きながら、結局は断念せざるを得なかった2009年から2010年ではなかったか、と個人的には考えています。
 ※参考過去記事
「『なぜ沖縄』の疑問に応えていく報道を〜ヤマトメディアに起きた無自覚の変化」=2010年5月30日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20100530/1275180587

 今年の春以降、「オール沖縄」をバッググランドにする翁長知事が安倍晋三首相や菅義偉官房長官を前に一歩も引かず、日本政府が沖縄に基地負担を強いるさまを「政治の堕落」と言い切る様子が広く報じられました。日本本土でも関心が高まり、政府方針を疑問とする見方が増えていることは、各メディアの世論調査で明らかです。沖縄の過剰な基地負担の問題は、大きな潮目にさしかかっているのではないかと感じます。そのような状況だからこそ、本土メディアが沖縄で何が起きているかを伝えることには、今まで以上に大きな意味があります。責任もまた大きいと思います。
 わたしも身を置く本土マスメディアのジャーナリズムが社会的な責任を果たしているのか否かの観点から、引き続き、本土紙の動向を見ていきたいと思います。