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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

戦後70年の安倍首相談話に「積極的平和主義」が盛り込まれたことは軽視できない〜在京各紙の社説から感じたこと

 安倍晋三首相が8月14日に発表した戦後70年談話(以下、便宜的に「安倍談話」と表記します)についての、以前の記事(「安倍首相の本意は『謝罪の区切り』ではないか〜戦後70年談話の在京紙報道」)の続きになります。この談話に対して、東京発行の新聞各紙が翌15日付の社説でどう論評しているか、読み比べてみました。近年、特に安倍政権をめぐっては全国紙の論調は賛否や是非が二極化する傾向が顕著になっています。しかし、わたしの印象論ですが、この戦後70年の安倍談話に対しては各紙それぞれに違いがあり、各紙各様の受け止め方に分かれたように感じます。
 特に産経新聞の社説を読みながら感じたことですが、実は戦後50年の村山富市元首相の談話(以下「村山談話」と表記します)を引き継ぐとしたことに不本意なのは安倍首相自身ではないでしょうか。戦後70年に際して談話を出すことを打ち出した当初の狙いは、村山談話を自身の談話で上書きして、村山談話を実効のない存在にしてしまうことだったのではないかと思います。しかし、村山談話、それを継承した戦後60年の小泉純一郎元首相の談話の重みは無視できなくなりました。その代わりに、ということなのか、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」のひと言が安倍氏の本心として入ったように思います。
 談話を出す以上は村山談話を否定できないし、村山談話を継承すると表明することで「おわび」の気持ちを持ち続けていることも表明する。しかし、謝罪という行為は自分はしたくないし、今後はするべきではない―。安倍氏の本心はこんなところではないかと思いますし、談話が長く、村山談話を継承と言いながら主語や対象がはっきりとしない文法がやたらと目立つのも、こうした点からではないかと思います。
 もう一つ思うのは、この安倍談話には歴史認識の問題のほかにもう一つ、将来の日本の国家像の問題があり、そこに「積極的平和主義」が盛り込まれたことの意味です。談話の終わり近く、その当該部分を引用します。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 村山談話を継承するのかどうかや、「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」「謝罪」などの用語に関心が集まったためか、社説の中で「積極的平和主義」に言及したのは読売新聞と産経新聞で、当然ながら両紙とも従来からの社論に沿うため肯定的に評価しています。しかし、安倍氏が掲げる「積極的平和主義」は明らかに自衛隊という軍事力の付随を志向する内容です。現在、参院で審議中の安保法制法案は自衛隊の海外展開を飛躍的に拡大させるためのものであり、安倍氏の「積極的平和主義」を具体化させる方策の一つです。そして、この法案には憲法違反との批判が付きまとっています。安倍談話が非戦を誓いつつ、一方で「積極的平和主義」を盛り込んでいることをマスメディアは軽視してはいけないと思います。この談話は閣議決定を経ています。


 それぞれの社説の見出しは、小見出しも含めて以下の通りです。各紙ごとに感じたことなどを、備忘を兼ねて書きとめておきます。

朝日新聞「戦後70年の安倍談話 何のために出したのか」/「村山」以前に後退/目を疑う迷走ぶり/政治の本末転倒
毎日新聞「戦後70年談話 歴史の修正から決別を」/曖昧さ残した侵略/プラスに転化させよ
・読売新聞「戦後70年談話 歴史の教訓胸に未来を拓こう 反省とお詫びの気持ち示した」/「侵略」明確化は妥当だ/女性の人権を尊重せよ/次世代の謝罪避けたい
日経新聞「70年談話を踏まえ何をするかだ」/キーワード盛り込む/未来志向の外交を
産経新聞「戦後70年談話 世界貢献こそ日本の道だ 謝罪外交の連鎖を断ち切れ」/積極的平和主義を貫け/「歴史戦」に備える時だ
東京新聞中日新聞「戦後70年首相談話 真の和解とするために」/村山、小泉談話は継承/侵略主体、明確でなく/負の歴史に向き合う


 ▼朝日新聞は批判をはっきり打ち出しました。冒頭の一部を引用します。

 いったい何のための、誰のための談話なのか。
 安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった。
 侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。
 しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。
 この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。
 談話全体を通じて感じられるのは、自らや支持者の歴史観と、事実の重みとの折り合いに苦心した妥協の産物であるということだ。

 安倍談話のうち、「侵略」や「おわび」をめぐる表現に対して批判し、次に談話の扱いをめぐって、閣議決定から個人的談話、再び閣議決定へと揺れたことを批判し、最後に以下のように安倍政治を「本末転倒」と批判しています。

 首相は未来志向を強調してきたが、現在と未来をより良く生きるためには過去のけじめは欠かせない。その意味で、解決が迫られているのに、いまだ残された問題はまだまだある。
 最たるものは靖国神社戦没者追悼の問題である。安倍首相が13年末以来参拝していないため外交的な摩擦は落ち着いているが、首相が再び参拝すれば、たちまち再燃する。それなのに、この問題に何らかの解決策を見いだそうという政治の動きは極めて乏しい。
 慰安婦問題は解決に向けた政治的合意が得られず、国交がない北朝鮮による拉致問題も進展しない。ロシアとの北方領土問題も暗礁に乗り上げている。
 出す必要のない談話に労力を費やしたあげく、戦争の惨禍を体験した日本国民や近隣諸国民が高齢化するなかで解決が急がれる問題は足踏みが続く。
 いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。
 その責めは、首相自身が負わねばならない。

 安倍政権に対してはこれまでも批判的だった朝日新聞の社説の中でも、今回は際立って批判が強いように感じます。


 ▼毎日新聞は以下のような書き出しです。

 日本を滅亡の際に追いやり、アジア諸国でおびただしい数の人命を奪った戦争の終結から70年を迎えた。
 安倍晋三首相はきのう、戦後70年談話を閣議決定し、発表した。
 歴史の節目にあたって、国政の最高責任者の発する言葉が担う責務とは何であろうか。私たちは、近現代史について国民の共通理解を促し、かつ、いまだに道半ばである近隣国との和解に資することだと考える。
 安倍首相は「深い悔悟の念」や「断腸の念」を談話に盛り込んだ。だが、その歴史認識や和解への意欲は、必ずしも十分だとは言えない。

 その「必ずしも十分だとは言えない」理由を以下のように書きます。批判だとしても、朝日新聞ほどの激しさは感じられません。

 全体に村山談話の骨格をオブラートに包んだような表現になっているのは、首相が自らの支持基盤である右派勢力に配慮しつつ、米国や中国などの批判を招かないよう修辞に工夫を凝らしたためであろう。
 しかし、その結果として、安倍談話は、誰に向けて、何を目指して出されたのか、その性格が不明確になった。歴代内閣の取り組みを引用しての「半身の言葉」では、メッセージ力も乏しい。
 村山談話は、日本が担うべき道義的責任を包括的に表明したものだ。歴史認識の振れを抑える目的と同時に、近隣諸国との長期的な和解政策の一つと位置づけられた。
(中略)
 この村山談話に否定的な態度を示してきたのが安倍首相である。
 村山談話に先立つ95年6月、衆院本会議で戦後50年決議が採択された際、当選1回の若手だった安倍氏は内容に反発して欠席している。
 また05年8月、当時の小泉純一郎首相が村山談話を踏襲して戦後60年談話を出した際、自民党幹事長代理だった安倍氏は「村山談話のコピペ(複写と貼り付け)ではないか」と周囲に不満を漏らしたという。
 その後、首相に返り咲いてからも「全体として引き継ぐ」と曖昧な態度をとり続けた。「侵略」「反省」「おわび」などの文言を引き継ぐかどうかを、必要以上に政治問題化させた責任は首相自身にある。

 一方で、これからの日本の課題を指摘して結んでいます。「安倍政権」とせずに「日本」の課題として記述しています。

 ただし、消極的ながらも安倍首相は村山談話の核心的なキーワードを自らの談話にちりばめた。「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を与えた」と加害性も認めた。その事実を戦後70年の日本はプラスに転化させる必要がある。
 すなわち、すでに定着した歴史の解釈に異を唱え、ストーリーを組み替えようとする歴史修正主義からきっぱりと決別することだ。


 ▼読売新聞は以下の書き出しのように、非常に肯定的です。

 先の大戦への反省を踏まえつつ、新たな日本の針路を明確に示したと前向きに評価できよう。
 戦後70年の安倍首相談話が閣議決定された。
 談話は、日本の行動を世界に発信する重要な意味を持つ。未来を語るうえで、歴史認識をきちんと提示することが、日本への国際社会の信頼と期待を高める。

 読売新聞は社論として、1945年8月に日本の敗戦で終結した戦争は「侵略」であったことを明確に打ち出しています。それまでの日本と戦後の日本は国家として別のものであり、もはや戦前のような戦争国家になることはないとの前提で、憲法9条の改正を社論に掲げ、安倍内閣が現在進めている安保法制の整備も支持しています。そうした立場から、これまでも安倍首相に対し「侵略」を明記するよう求める社説を掲載したりしていました。安倍談話が「侵略」を記述したことで、さぞかし安堵したのではないかとも思います。
 読売の社説は全体的に、安倍談話をどう読み取るべきか、饒舌とも思えるほどに説明しています。その上で、以下のように「『積極的平和主義』を掲げ、世界の平和と繁栄に貢献することが欠かせない」と課題を指摘しています。

 首相は記者会見で、談話について「できるだけ多くの国民と共有できることを心掛けた」と語った。歴史認識を巡る様々な考えは、今回の談話で国内的にはかなり整理、集約できたと言えよう。
 談話は、日本が今後進む方向性に関して、「国際秩序への挑戦者となってしまった過去」を胸に刻みつつ、自由、民主主義、人権といった価値を揺るぎないものとして堅持する、と誓った。
 「積極的平和主義」を掲げ、世界の平和と繁栄に貢献することが欠かせない。こうした日本の姿勢は、欧米や東南アジアの諸国から幅広く支持されている。
 「歴史の声」に耳を傾けつつ、日本の将来を切り拓ひらきたい。


 ▼日経新聞も以下の書き出しのように、好意的です。 

 「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」。安倍晋三首相が戦後70年談話でこうした考えを明確にした。戦後50年の村山談話を大きく書き改める談話になるとの見方もあった。おおむね常識的な内容に落ち着いたことを評価したい。

 ただ全体としては、安倍談話の評価そのものよりも、これからの課題の方に紙幅を割いているように思います。そこでは以下のような指摘もあります。

 「できるだけ多くの国民と共有できる」というフレーズは70年談話にだけ当てはまることではない。安全保障関連法案への国民の理解はなぜ広がらないのか。安倍首相はこの機会にそうしたことにも思いを広げてほしい。
 首相は日本という国を代表する立場にある。国民の多数の意見を幅広くくみ取って政権運営に努めねばならない。

 ▼産経新聞の社説(主張)の書き出しは以下の通りです。本記もそうですが、「これで謝罪には区切りを付けたい」との、恐らくは安倍氏の本心を前面に出しています。

 70回目の終戦の日を前に、安倍晋三首相が戦後談話(安倍談話)を発表した。
 先の大戦の歴史をめぐり、日本が進むべき針路を誤ったとの見方と、おわびや深い悔悟の念を示した。そのうえで、戦後生まれの世代に「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないと述べた。
 戦後生まれの国民は人口の8割を超える。過去の歴史を忘れてはならないとしても、謝罪を強いられ続けるべきではないとの考えを示したのは妥当である。

 ただ、全体としてこの談話を支持しているかとなると、どうもそうではないように感じます。例えば村山談話をめぐる以下の部分です。直接の明示はしていませんが、村山談話を引き継ぐ姿勢に対しては批判的なように思えます。

 一方で談話は、先の大戦について「痛切な反省とおわびの気持ちを表明してきた」歴代内閣の立場について「今後も、揺るぎないもの」とし、村山富市首相談話などを引き継ぐ姿勢を示した。
 村山談話は、過去の歴史を一方的に断罪し、度重なる謝罪や決着済みの補償請求の要因となるなど国益を損なってきた。
 首相はもともと、村山談話の問題点を指摘し、修正を志向していた。会見で「政治は歴史に対して謙虚であるべきだ」と述べたのは、村山談話に向けるべき言葉だったのではないか。

 また、「侵略」と「おわび」をめぐっては端的な言及にとどめ、その上で論点を「謝罪外交の断ち切り」へ移しています。

 首相は「国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」と日本が誓ったこととして、「事変」「戦争」とともに、「侵略」を挙げた。
 首相は侵略について、具体的な定義は歴史家に委ねるとしつつ、全体としてはこれらを認め、おわびに言及した。
 重要なのは、この談話を機会に謝罪外交を断ち切ることだ。


 ▼東京新聞中日新聞の社説については、少し長くなりますが、前半部分を引用します。

 戦後日本の平和と繁栄は、国内外での膨大な尊い犠牲の上に、先人たちの努力で勝ち得てきたものだ。戦後七十年の節目に、あらためて胸に刻みたい。
 安倍晋三首相はきのう戦後七十年の首相談話を閣議決定し、自ら記者会見で発表した。
 戦後五十年の一九九五年の終戦記念日には村山富市首相が、六十年の二〇〇五年には小泉純一郎首相が談話を発表している。
 その根幹部分は「植民地支配と侵略」により、とりわけアジア諸国の人々に多くの損害と苦痛を与えた歴史の事実を謙虚に受け止め「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明したことにある。

 ◆村山、小泉談話は継承
 安倍首相はこれまで、歴代内閣の立場を「全体として引き継ぐ」とは言いながらも、「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権としてどう考えているのかという観点で出したい」と述べるなど、そのまま盛り込むことには否定的だった。
 戦後七十年の「安倍談話」で、「村山談話」「小泉談話」の立場はどこまで引き継がれたのか。
 安倍談話は「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた」として村山、小泉談話に言及し、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものだ」と受け継ぐことを言明した。
 この部分は評価するが、気になるのは個々の文言の使い方だ。
 首相が、七十年談話を出すに当たって参考となる意見を求めた有識者会議「二十一世紀構想懇談会」の報告書は「満州事変以後、大陸への侵略を拡大」と具体的に言及したが、安倍談話では「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」という部分だけだ。

 ◆侵略主体、明確でなく
 この表現だと、侵略の主体が日本なのか、国際社会一般のことなのか、明確にはなるまい。

 評価に値するのか、それとも批判されるべきなのか、一言ではなかなか語れない、という内容のように思いました。