沖縄メディアの報道を知ることの意義〜辺野古本体着工、沖縄タイムス「自治破壊する暴挙だ」 琉球新報「民意無視の強権政治だ」

 沖縄の米軍普天間飛行場移設問題で、日本政府が10月29日、名護市辺野古の新基地計画の予定地で埋め立て本体工事に着手したことを伝える琉球新報の10月30日付紙面が手元に届きました。「辺野古 本体着工」「国、民意無視し強行」「県、2日に不服申し出」「『寄り添う意思感じず』」「知事、言行不一致を指摘」―。1面の主な見出しを追うだけでも、激しい怒りが伝わってきます。総合面には大きく見開きで「県民の危機感放置」「知事『強権極まる』」と、社会面にも「声聞かず力ずく」「市民 必死の抵抗」と同じく見開きで、それぞれ大きな見出しを組み、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前や海上で抗議行動を続ける人たちの写真を大きく掲載。特集面も設けて、翁長雄志知事の記者会見を一問一答で詳しく紹介しています。以前の記事では、在京各紙の扱いを沖縄タイムスが記事化していることを紹介しましたが、琉球新報もこの30日付の紙面の第2社会面で、在京紙の報道ぶりのほか、米ワシントンポスト、ニューヨークタイムスもそれぞれウェブサイトで、着工を伝えるAP通信の記事を掲載したことを紹介しています。

琉球新報10月30日付1面】

琉球新報10月30日付社会面】


 日本国政府が沖縄で、地元の民意を、具体的には民意を代表する知事の反対を押し切り新基地建設を進めていることが、沖縄ではどのように報じられているのか、日本本土に住む日本国の主権者である日本人も知っておいていいことだろうと思います。現に地方紙の中には、沖縄の新聞の記事を折に触れ転載しているところもあります。
 沖縄タイムスの記事を紹介した先日のこのブログの記事で触れたことですが、よく指摘されるように、沖縄の米軍基地をどうするかは日本国の安全保障の問題であり、沖縄という地域の固有の問題ではありません。辺野古への新基地建設を強行しようとしている安倍晋三政権は、日本国の主権者たる国民が選挙制度と議会政治を通して成り立たせている政権です。ですから、沖縄の人々の意に反して基地負担を続けさせようとしていることに対しては、個々人が安倍首相や政権を支持しているか否かにかかわらず、主権者たる国民一人一人が他人ごとのように無関心であることは許されない問題だろうと考えています。だから、沖縄以外のマスメディアが日本本土に住む日本国民に対して、基地をめぐって沖縄で何が起きているかを伝えることには大きな意味があり、同じように、沖縄でどう報じられているのかを日本本土に住む日本国民が知ることにも大きな意味があります。それによって、今まで知らなかったことを知ったり、考え方が変わったりすることがあるからです。それまで自覚していなかった、自分自身と沖縄の基地問題の関わりに気付くかもしれないからです。
 そうした問題意識の下で、ここでは30日付の沖縄タイムス琉球新報の社説の一部を引用して紹介します。ネットでも読めます。


沖縄タイムス「社説[辺野古本体工事着手]自治破壊する暴挙だ」2015年10月30日
 http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=139317

 名護市辺野古の新基地建設に向け、防衛省・沖縄防衛局は29日早朝から、陸上部分の本体工事に着手した。
 普段、穏やかな笑みを絶やさない島袋文子さん(86)が、別人のような形相で警備員をにらみつけ、怒りの声を上げた。血の水をすすって沖縄戦を生きながらえ、本土とはまったく異なる米軍支配下の戦後を歩んできた86歳の老女を、日本政府は国家意思によって排除したのだ。
 ゲート前で反対行動を展開していた市民が強制的に排除され、海上ではカヌーで抗議する人々が強制排除された。
 外見的には、新基地建設をめぐって政府と沖縄県が法律を盾に激しく応酬しているように見えるが、そのレベルをはるかに超える深刻な事態だ。
 憲法を尊重し憲法に従って政治を行う立憲政治がないがしろにされ、法律の恣意(しい)的な解釈がまかり通り、公権力の行使をためらわない強権的な姿勢があまりにも目立つのである。
 著名な憲法学者の佐々木惣一は「真の立憲政治が我が国に行われないのは何の故か」と問いかけ、こう指摘している(『立憲非立憲』)。
 「憲法制度を条文の解釈から観ただけで分かるものではなく、憲法制度を吾々の生活から観なければならない」
 実はこの著書は、今から97年も前の1918年に出版されたものだ。憲法制度を生活から観るとはどういうことか。現在の問題に引きつけていえば、辺野古の現場から観るということである。
 私たちの目の前で繰り広げられているのは、米軍を引き留めておきたいあまり、憲法を空洞化し、地元の民意を無視して安全保障のコストを半永久的に沖縄に負わせる理不尽で差別的な政治である。


琉球新報「<社説>新基地本体着工 民意無視の強権政治だ 自制なき政権に歯止めを」2015年10月30日
 http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-162967.html

 防衛省名護市辺野古への新基地建設の本体工事に着手した。中断していた海底ボーリング(掘削)調査も再開した。翁長雄志知事が指摘するように「強権極まれり」という異常事態である。
 これほど一地方を標的とした政治的暴力があっただろうか。「公益」を名目に地方の声を踏みにじる。まさしく民主主義の破壊だ。
 民主的な行政手続きによる県の埋め立て承認取り消し、非暴力の理念を踏まえた市民の抗議行動を安倍政権は黙殺した。国策への隷属を民に強いる前時代的な強権政治を断じて許すわけにいかない。

沖縄を「弊履」扱い

 日米同盟の肩代わりに沖縄の民意を切り捨てるような非道は、サンフランシスコ講和条約による沖縄切り捨てに比すべき不条理と言えよう。このような歴史の桎梏(しっこく)から逃れたいという県民の訴えを政府はことごとく退けてきた。
 1971年11月、沖縄返還協定が衆院特別委員会で強行採決された際、屋良朝苗行政主席は破れた草履を意味する「へいり(弊履)」という言葉を使い、「沖縄県民の気持ちと云(い)うのはまったくへいりの様にふみにじられる」と日記に記した。
 安倍政権の姿勢は、まさに沖縄を「弊履」のように扱うものだ。
 その態度は、普天間飛行場所属のMV22オスプレイ佐賀空港での訓練移転計画を防衛省が取り下げたことにも表れている。
 米国と地元の理解が得られないことが取り下げの理由だ。菅義偉官房長官は「知事など地元からの了解を得るのは当然だ」と述べた。沖縄では反対を押し切ってオスプレイを強行配備し、新基地建設を強行しているのに、佐賀では「地元の了解」は必須という。このような「二重基準」を弄(ろう)するような行為は県民を愚弄(ぐろう)するものだ。
 名護市の久辺3区を対象とした防衛省の振興費拠出もそうだ。地方自治への露骨な介入であり、住民分断を意図した米統治時代の「高等弁務官資金」の再来を思わせる。
 住民分断は植民地統治の常とう手段だ。戦後70年を経て、安倍政権は沖縄を植民地視していると断じざるを得ない。
 明治の言論人太田朝敷は「琉球処分」後の沖縄は植民地的な「食客」の位置に転落したと嘆いた。安倍政権の沖縄政策は、沖縄を「食客」の位置に固定するものだ。
 本体工事の着手は、民意を無視し、地方自治をじゅうりんする安倍政権の専横が最も露骨な形で沖縄に襲い掛かったものだ。
 これは沖縄だけの問題ではない。全国民が安倍政権の本質と厳しく対峙(たいじ)しなければならない。