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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

総務相「停波発言」を地方紙社説は批判〜あらためて放送法4条は「倫理規範」

 高市早苗総務相が国会で、放送局に対し、番組が政治的に公平であることを定めた放送法の規定に違反した場合、電波法に基づいて電波停止を命じることがありうると、繰り返し表明しました。番組制作が政治的に公平であることを定めているのは放送法4条1項ですが、この項目も含めた放送の規定については、憲法21条の表現の自由との兼ね合いで、放送局の自律的な基準、「倫理規範」であって、政府がこの規定を根拠に行政処分や行政指導を行うことは許されない、との解釈がメディアや憲法、表現法制の研究者の間では通説です。例えば、このブログでも紹介したように、昨年11月、NHKの「出家詐欺」報道に対して、NHKと民放各局が設置した第三者機関の放送倫理・番組向上機構BPO)の放送倫理検証委員会が「重大な放送倫理違反があった」との判断をまとめ公表した際に、総務省がNHKに対し、放送法を根拠に番組内容を理由とした文書での厳重注意を行ったことや、自民党がNHKから事情聴取したことを厳しく批判しています。
 ※参考過去記事「『放送の不偏不党』『真実』や『自律』は公権力こそが守らなければならない〜BPO『NHK出家詐欺報道への意見』の核心 ※追記 政府、自民党が反論」=2015年11月8日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20151108/1446980357

 「表現の自由」「報道の自由」の観点からは、今回の高市総務相の発言は大きな問題で、新聞各紙も社説で批判的に取り上げました。目に付いた範囲で、備忘も兼ねて見出しと印象に残った記述部分を引用して書きとめておきます。
 地方紙、ブロック紙はおおむね総務相の発言への批判でそろっています。従来から安倍晋三政権がマスメディア、中でも放送局に対して威圧的に臨んできたことの延長にある、との見方もいくつもの社説が示しています。放送行政を独立の行政委員会に委ねる方式に言及した高知新聞の指摘は印象に残りました。
 全国紙では読売新聞が、放送局側に特に目立った問題がない現状での発言に疑問を呈してはいるものの「政府関係者は放送内容に関し、安易な口出しを慎む。放送局も多角的な論点を視聴者に提供する。そうした取り組みを重ね、視聴者がニュースへの理解を深める番組を制作してもらいたい」と書き、政府が放送内容に介入する権限自体は必ずしも否定していないように読み取れます。また、朝日新聞高市発言を批判しつつ、放送局にも「萎縮するな」ということを求めていますが、萎縮してはいけないことは自明のことです。ことさらに放送局にも触れることで、政府批判とのバランスを取ろうとしているように感じなくはありません。うがち過ぎでしょうか。


朝日新聞:2月10日「放送の自律 威圧も萎縮も無縁に」

 現政権下で自民党は「放送の自律」を軽視する態度を続けている。テレビ局の幹部を呼んで個別番組について事情を聴き、選挙報道で「公平中立、公正の確保」を求める文書を送った。「マスコミをこらしめる」などの発言もあった。NHKの新年度予算案を審議する総務会では「解説委員が無責任な評論家、コメンテーターのような発言をしている」と放送内容に干渉するような批判も出た。自民党のこうした振る舞いが続く中での総務相の停波への言及は、放送への威圧とも受けとれる。
 この春、報道番組のキャスター、国谷裕子氏、岸井成格氏、古舘伊知郎氏が降板する。政権にはっきりものを言う看板番組の「顔」の交代に、報道の萎縮を懸念する声も上がっている。各局は番組を通して、それを払拭してもらいたい。
 「政治的公平」は、政治権力と向き合い、それとは異なる意見にも耳をすまして、視聴者に多様な見方を示すことで保たれる。報道機関である放送局が萎縮しその責任から後退したら、民主主義の土台が崩れる。

毎日新聞:2月10日「総務相発言 何のための威嚇なのか」

 総務省は、放送法4条を倫理規定から制裁を視野に入れた法的な規定とみなす解釈に変わってきた。安倍晋三首相は昨年11月の衆院予算委で放送法について「単なる倫理規定ではなく法規であって、法規に違反しているのだから担当の官庁が法にのっとって対応するのは当然だ」と語った。
 安倍政権の放送法解釈には大きな問題がある。制度上も政治の影響を受けやすい放送局に、政権与党が制裁を視野に入れて公平性を働きかければ圧力と取られかねない。
 放送の問題を自主的に解決するため、NHKと民放は放送倫理・番組向上機構BPO)を設立し、成果をあげてきた。政府は放送法の原則に立ち返り、努力を見守るべきだ。

▼読売新聞:2月14日「高市総務相発言 放送局の自律と公正が基本だ」

 高市氏は「再発防止が十分でないなど極端な場合」と限定はしている。だが、今、放送局側に特段の動きがないのに、電波停止にまで踏み込んだのは、言わずもがなではないか。
(中略)
放送は公共財の電波を利用していることも忘れてはなるまい。
 個々の番組の内容に問題がある場合には、NHKと日本民間放送連盟によって設立された第三者機関「放送倫理・番組向上機構BPO)」が調査し、放送局に対する意見や勧告を公表している。
 こうした自浄作用は、有効に機能していると言えよう。
 政府関係者は放送内容に関し、安易な口出しを慎む。放送局も多角的な論点を視聴者に提供する。そうした取り組みを重ね、視聴者がニュースへの理解を深める番組を制作してもらいたい。


【2月10日】
茨城新聞総務相発言 目に余る放送の自律軽視」
信濃毎日新聞「電波停止発言 知る権利を侵害する」

 放送法4条違反を理由に停止処分をするのは許されるのか。
 4条は倫理規定、と見るのが法律の専門家の定説だ。いわば努力目標であり、処分の理由にならないというのである。
 高市総務相が挙げる電波法は電波の「公平かつ能率的な利用」を目的とする。番組内容に関わる問題に援用するのは無理がある。
 総務相は公平を欠く放送の一例に、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、他の見解を支持する内容を相当時間にわたって繰り返し放送した場合」を挙げた。
 この発言にも問題が多い。公平かどうか政府が判断するとなれば言論統制につながる。

新潟日報総務相発言 恣意的解釈によるものだ」

【2月11日】
北海道新聞「放送の公平性 政府が判断することか」

 放送倫理に関しては、すでにNHKと民放が設立した放送倫理・番組向上機構BPO)がある。
 NHK番組でやらせがあったとする問題では、BPO放送倫理検証委員会が「重大な放送倫理違反があった」と指摘した。
 これが自浄作用である。政府が口を出す問題ではない。

河北新報「電波停止の可能性/総務相の発言、容認できぬ」

 公平性を欠き、公益を害したと誰が判断するのか。繰り返しの事実認定を含め、基準は曖昧で客観性を保ち難い。停波の手続きに関し放送免許を交付する当局の意向が強く働くのは明白で、将来的な罰則の適用も否定せず、影響は大きく広がりかねない。
 政府からみれば威圧効果を、放送局からすれば萎縮効果をもたらすだろう。
 一昨年の衆院選のころから放送に対する安倍政権の姿勢が変化。今夏の参院選に加え憲法改正の発議を念頭に、あらためてくぎを刺したとの見方も的外れとは言えまい。

東奥日報「放送の自律軽視が過ぎる/総務相発言」

 しかし安倍政権は、国民の知る権利や表現の自由を支える「放送の自律」という大原則を軽視するような姿勢が目に付く。昨年、自民党が番組内容をめぐりNHKテレビ朝日の幹部を事情聴取。NHKと民放が放送による被害救済などを目的に設立した第三者機関である放送倫理・番組向上機構BPO)は、「自律を侵害する行為」と批判した。すると、政府内から「法定の機関ではない」などと、その指摘を軽んずるような発言が相次いだ。
 そのような政府が政治的に公平かを判断し、場合によっては権限を使うというのだから、恣意(しい)的な運用を危惧する声が上がるのは当然だろう。報道現場の萎縮につながる恐れもあり、介入や圧力ととられかねない。

北日本新聞「電波停止発言/『言論の自由』の軽視だ」
京都新聞「『電波停止』発言  表現の自由狭めかねぬ」
神戸新聞「『電波停止』発言/放送の自由を危うくする」

 安倍政権に批判的とされる看板キャスターの報道番組降板が相次いでいる問題を野党が取り上げ、「電波停止が起こり得るのではないか」と質問したのに対して答えた。ただでさえ懸念の声が上がる中、時の総務相が「公平性」を振りかざし、番組内容が適切かを判断するというのでは言論統制に陥る恐れがある。
 さすがに与党内からも危惧する意見が出ている。石破茂地方創生担当相は「『気に入らないから、統制する』となれば、民主主義とメディアの関係はおかしくなる」と述べた。表現の自由に関わる問題であり、当然の指摘だ。

山陰中央新報総務相発言/放送の『自律』尊重を」
徳島新聞高市総務相発言 放送局の委縮が心配だ」
高知新聞「【電波停止発言】放送局を威圧するのか」

 政治介入を招きかねない放送行政の在り方にも触れておきたい。米英をはじめ先進国の多くは政府から一定の距離を置く独立機関が放送を管轄している。
 日本にも1950年の放送法などの施行に併せ、電波監理委員会が設置されていた。わずか2年で廃止となったのは独立性の高さが原因との見方もある。再設置を検討すべき時期が来ているのではないか。

西日本新聞総務相発言 表現の自由に対する威圧」
南日本新聞「[高市総務相発言] 電波停止を命じるのか」
沖縄タイムス「[『電波停止』発言]放送への露骨な威圧だ」

 公平性違反を前面に掲げることによって政府の介入を正当化するその手法は巧妙である。公平性を前面に押し出せば国民の理解が得られる、と踏んでいるのかもしれない。
 政治介入を避けたいという放送局側の心理が「自粛」の空気を生み出していく。満州事変以降の戦前の新聞・ラジオもそうだった。
 番組内容が適切かどうかを大臣が判断するような仕組みは極めて危険だ。安倍政権下の「1強多弱」の政治とは、野党や司法、メディアが監視機能を低下させ行政権力が肥大化した状態のことである。決して好ましい姿ではない。

琉球新報総務相『停波』発言 報道への介入をやめよ」

 高市氏は歴代の総務相らも同様の発言をしていると指摘するが、発言の趣旨は全く違う。
 「表現の自由を制約したりする側面もあることから、極めて大きな社会的影響をもたらす」(2007年、増田寛也総務相=当時)「至って謙抑的でなければならない」(10年、片山善博総務相=同)。
 増田、片山の両氏は権限があることを認めつつも、行使には慎重な姿勢を示している。大臣の権限を前面に打ち出した高市氏の発言とは全く異なっている。

【2月12日】
愛媛新聞「政治と報道と圧力 知る権利への無理解を危惧する」

 安倍晋三首相は、高市氏の発言を「従来通りの一般論」として追認した上で、「恣意的に気に食わない番組に適用するとのイメージを広げるのは(安全保障関連法で)徴兵制が始まるというのと同じ手法だ」「政府による高圧的な言論弾圧との印象づくりをしようとしているが、全く間違いだ」と反発した。だがそのイメージ、印象を生んだ責任は、ひとえに政権や自民党のこれまでの振る舞いにあることを忘れてはならない。

宮崎日日新聞総務相発言 『放送の自律』に介入するな」
熊本日日新聞「『電波停止』発言 放送の自律軽視が過ぎる」

【2月13日】
▼神奈川新聞「総務相発言 放送の自立、脅かすな」

【2月16日】
中日新聞東京新聞「『電波停止』発言 放送はだれのものか」

 戦前・戦中は政府の検閲があり、放送は自由ではなかった。逆に政府や軍部の宣伝機関として利用されてきた歴史がある。戦後の放送法制定時には、その反省に立って、「放送による表現の自由」をうたったのである。
 もし、四条が倫理規定でなく、担当大臣が放送をチェックする根拠法ならば、放送内容が公平なのかどうかを権力側が判断することになってしまう。自由な放送どころか、権力側が放送局を縛る結果となるわけだ。

【2月18日】
岩手日報「放送の『公平性』 政治が判断することか」

 ところが民主党も、政権にあった2010年11月の委員会答弁で、当時の総務副大臣が現政権と同様の認識を示していることを高市氏が指摘した。規定に照らせば、確かに政府、与党の見解を誤りと切り捨てるのは難しい。つまるところ時の政府の判断で、放送事業者が処分を受ける可能性があるのが現状だ。
 こうなると、問題は今の政権にとどまらない。こうした制度解釈が民主主義の維持、発展に有用かどうか、厳しく問われるべきだろう。


高市総務相の発言の記事(47news=共同通信

放送局に電波停止命令も 総務相言及
政治的公平性で」 衆院予算委
 高市早苗総務相は8日の衆院予算委員会で、放送局が「政治的に公平であること」と定めた放送法の違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及した。電波停止に関し「行政が何度要請しても、全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性が全くないとは言えない」と述べた。
 民主党奥野総一郎氏が、安倍政権に批判的とされる看板キャスターの番組降板が相次いでいると指摘した上で「電波停止が起こり得るのではないか」と質問したのに対し答えた。
 高市氏は、放送法について「単なる倫理規定ではなく法規範性を持つ。私が在任中に(電波停止命令を)出すとは思えないが、事実に照らして、その時の総務相が判断する」とも指摘した。

電波停止に再び言及、総務相
「極めて限定的」衆院予算委で
 高市早苗総務相は9日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送法違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に再び言及した。電波停止について「極めて限定的な状況のみで行う」と指摘。将来的に罰則を適用することを否定しなかった。菅義偉官房長官は記者会見で「当たり前のことを法律に基づいて答弁したにすぎない」とし、恣意的な運用は「あり得ない」と強調した。