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沖縄タイムス「沖縄の怒り、見誤るな」、琉球新報「大人の責任果たせていない」―沖縄2紙の社説・5月23日

 沖縄タイムス琉球新報両紙の23日付の社説です。
 ともに一部を引用して紹介します。沖縄県外(ヤマト)の日本人に読んでほしいと思います。

【5月23日】
沖縄タイムス:社説「[無言の意思表示]沖縄の怒り、見誤るな」
 http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=169432

 大音量のシュプレヒコールもなければ、高く突き上げるこぶしもない。参加者は黒や白の服に身を包み、プラカードを掲げて、フェンス沿いを無言で行進する。
 米軍属の男による女性遺体遺棄事件を受け、女性団体の呼び掛けで開かれた22日の集会は、これまでとまったく違っていた。沈黙の中に悲しみがあふれ、怒りがたぎる。
 北中城村石平のキャンプ瑞慶覧ゲート前で、参加者が手にしていたのは、亡くなった人の魂が宿るといわれるチョウの絵。わずか20歳で命を奪われた被害者の苦しみを思い、決して忘れないという気持ちを込め、15分置きに基地に向かってチョウをかざした。
 「命」と書かれたむしろ旗や「怒」の文字など、意思表示の言葉はそれぞれだが、目立ったのは「全基地撤去」を求めるプラカードだ。
 今回の事件で、1995年の少女暴行事件を思い返した人が多い。95年の事件の際は、55年の「由美子ちゃん事件」が語られた。
 21年前、あれだけ声を上げて「基地がもたらす人権侵害」を訴えたのに、ちょうどその年に生まれた女性の命を守ることができなかった。その怒りや無念さが、米軍の撤退を求める以外に解決策はない、との声に集約されてきている。
 約2千人(主催者発表)の無言の行進は、声を張り上げる以上に沖縄の強い意志を感じさせた。同時に基地問題で沈黙し続ける多くの日本人に「あなたたちはどうするつもりなのか」と問い返す行動でもあった。

琉球新報:社説「米軍属女性遺棄 大人の責任果たせていない」
 http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-284070.html

 1995年10月、少女乱暴事件に抗議する県民大会で、大田昌秀知事(当時)は「行政を預かる者として、本来一番に守るべき幼い少女の尊厳を守れなかったことを心の底からおわびしたい」と述べた。少女の人権を私たち大人は守れなかった。集まった約8万5千人の人たちはつらい涙を流し、二度と犠牲者を出さないことが大人の責任だと考えた。
 あれから20年がたって、若い命が犠牲になってしまった。胸がふさがる。あのとき誓った大人の責任を私たちは果たせていない。
 被害女性の両親は「一人娘は、私たち夫婦にとってかけがえのない宝物でした」と告別式の参列者に宛てた礼状に記した。「にこっと笑ったあの表情を見ることもできません。今はいつ癒えるのかも分からない悲しみとやり場のない憤りで胸が張り裂けんばかりに痛んでいます」。あまりにも悲しい。
 容疑者の元海兵隊員である米軍属は被害者と接点がなく「2〜3時間、車で走り、乱暴する相手を探した」と供述している。女性は偶然、ウオーキングに出掛けただけで残忍な凶行の犠牲になったのだ。
 軍隊という極限の暴力装置に、あまりにも近くで暮らさざるを得ないこの沖縄。事件は沖縄の誰の身にも起こり得る。被害者は自分だったかもしれない。家族の悲しみ、痛みは私たちのものだ。