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「沖縄の犠牲を前提にした差別的政策」(沖縄タイムス)「沖縄に犠牲強いるのは日本政府」(琉球新報)―沖縄2紙の社説・5月24日

 沖縄2紙の社説の記録です。それぞれ一部を引用します。
【5月24日】
沖縄タイムス「[オバマ氏との面談]政府の責任で実現図れ」
 http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=169592

 被害者の父親が23日、事件後初めて、遺体が見つかった恩納村の現場を訪ねた。娘の魂を拾いに来たという。
 県道脇の雑木林の地面にひざをつき、花を手向け、ふり絞るような声で娘の名前を呼んだ。
 「お父さんだよ。みんなと一緒に帰るよ。おうちに帰ろう」
 かけがえのない一人娘をなくした父親の震える声が木立を包み、周りに響く。
 この日、東京では翁長雄志知事が安倍晋三首相に会い、語気強く遺体遺棄事件の発生に抗議し、日米地位協定の見直しを求めた。
 「綱紀粛正とか再発防止とか、この数十年間、何百回も聞かされた」
 だが、安倍首相から返ってきた言葉は「実効性のある再発防止策」というお決まりの文句だった。
 沖縄の現実は、再発防止策で事態を取り繕うような段階をとうに過ぎている。再発防止策は完全に破綻したのだ。
 本土の多くの人たちは知らないかもしれないが、沖縄でサミットが開かれた2000年7月、クリントン米大統領森喜朗首相と会談し、米兵による相次ぐ事件に謝罪。その日の夜、クリントン大統領は、キャンプ瑞慶覧に1万5千人の軍人・軍属とその家族を集め、「良き隣人たれ」と訓示した。
 16年前の構図が今も繰り返されているのである。
 (中略)
 翁長知事は、安倍首相との会談で、サミット参加のため訪日するオバマ大統領に面談する機会をつくってほしい、と要請した。
 クリントン氏の「約束」が実現できていない現実を踏まえ、政府はあらゆる手を尽くして翁長知事とオバマ大統領の面談の実現を図るべきである。
 (中略)
 米軍関係者による凶悪な性犯罪が、復帰後44年たった今も、繰り返されているのはなぜか。沖縄が世界的にもまれな、基地優先の「軍事化された地域」だからだ。
 日本政府がその現実を承認し性犯罪の発生に有効な手だてが打てない状況は主権国家として恥ずべきことである。政府の政策は、沖縄の犠牲を前提にした差別的政策というほかない。
 基地問題は今回の事件によってまったく新しい局面を迎えた。
 基地の撤去、海兵隊の削減・撤退、地位協定の見直し、実効性のある再発防止策−これらの対策を組み合わせた抜本的な解決策が必要だ。

琉球新報「知事・首相会談 沖縄に犠牲強いるのは誰か」
 http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-284753.html

 その冷淡ぶりに寒々しい思いを禁じ得ない。うるま市の女性会社員遺体遺棄事件を受け、翁長雄志知事は安倍晋三首相との会談でオバマ大統領と直接話す機会を与えてほしいと要請した。だが首相はこれに答えず、会談後に菅義偉官房長官は「外交は中央政府間で協議すべきだ」と要望を一蹴した。
 1995年の事件の際、県内の日米地位協定改定要求の高まりに対し、当時の河野洋平外相は「議論が走り過ぎ」と、交渉すらあっさり拒否した。菅氏の発言は、あの時の冷淡さをまざまざと思い起こさせる。
 菅氏の言う「中央政府間の協議」では沖縄に犠牲を強要するだけだったから、大統領との面会を要望したのである。即座の却下は、その犠牲の構図を変えるつもりがないと言うに等しい。
 沖縄に犠牲を強いるのは誰か。米国との意見交換を仲介し、沖縄の民意が実現するよう動くべきはずなのに、仲介どころか積極的に阻んでいる日本政府ではないか。
 会談では、首相に対する発言としては極めて異例の、厳しい文言が並んだ。翁長知事はこう述べた。
 「安倍内閣は『できることは全てやる』と枕ことばのように言うが、『できないことは全てやらない』という意味にしか聞こえない」
 「基地問題に関して『県民に寄り添う』とも言うが、そばにいたとは一度も感じられない」
 しかしこの、かつて例のない発言が何の違和感もなく、言って当然の言葉に聞こえる。それが県民大多数の感覚だろう。
 広島に行く大統領と面会し、基地集中の是正を直接訴える貴重な機会すら、あっさり拒否される。知事は「今の地位協定の下では日本の独立は神話だ」と協定見直しも求めたが、それもゼロ回答だった。知事が言った通り、県民の思いはもはや「心の中に押し込められないくらい爆発状態」である。

 琉球新報はこの日、2本目の社説も米軍の関連でした。
琉球新報「在沖米軍の規律 人権感覚欠如は構造的だ」
 http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-284752.html

 在沖米軍に規律を順守させることは限りなく不可能に近くないか。そんな疑念が付きまとう。
 米軍属による女性死体遺棄事件に対し、全県で怒りが強まる中、米海軍3等兵曹が22日未明、酒気帯び運転の現行犯で逮捕された。
 基準値の約2・5倍のアルコールが検知された容疑者は、米兵の深夜外出や飲酒を規制する「リバティー制度」に違反していた。容疑者の階級なら午前1時以降の外出禁止が課されている。それを破った上で酒を飲み車を運転していた。
 「綱紀粛正」「再発防止」という言葉が空虚に響くばかりだ。
 緩み切っている、空念仏、規律の機能不全、県民は恐怖の連続−。県内政党代表が発した強い怒りは、県民の命が危険にさらされている危機感を反映していよう。
 (中略)
 3月に那覇市内のホテルに泊まっていた米兵が起こした女性暴行事件の後、米軍人の事件・事故防止を協議する日米会合は、それまでの制度運用に欠陥があったかについて検証はなされなかった。
 米軍側の「努力」を喧伝(けんでん)する場になってしまい、再発防止に向けた厳密な検証が素通りされることが、何度も繰り返されてきた。
 日本政府側の弱腰がそれを許容している。日米双方の無責任体質が、米兵犯罪の横行を招いているのである。
 女性死体遺棄事件が殺人事件に発展する可能性が高くなる中、平然と酒気帯び運転できる米兵が出ることにあきれ果てる。二万数千人を擁する在沖米軍の規律と人権感覚の欠如はもはや構造化されている。在沖米軍は「良き隣人」を名乗ることをやめた方がいい。


 本土紙では毎日新聞の社説が印象に残りました。一部を引用します。
毎日新聞「沖縄元米兵事件 怒りの本質見つめたい」
 http://mainichi.jp/articles/20160524/ddm/005/070/023000c

 問われているのは、今回の事件だけにとどまらない。
 復帰から44年たってなお、沖縄に過重な基地負担が押しつけられ、住民は基地があるがゆえの不安を感じている。そういう重荷を本土は共有しようとせず、沖縄だけが背負わされ続けている。この不公平で理不尽な状況をどう解決すればいいのか。それが問題の本質ではないか。
 解決のためには、まず基地を縮小することが不可欠だ。とりわけ基地負担の象徴である普天間飛行場の一日も早い返還を実現する必要がある。ただ、それは、県民の多くが拒否する基地の県内たらい回しであってはならない。現在の辺野古への移設計画は見直すべきだ。
 もう一つは、日米地位協定の改定に向けて、日米両政府で議論を始めるべきではないか。
 今回の事件は、男の公務外で起き、県警が身柄を拘束したため、地位協定は障害にならなかった。ただ、もし米軍が先に身柄を拘束していたら、引き渡しを拒否されたり、時間がかかったりした可能性もある。
 事件が絶えない背景として、米軍人や軍属の間に、いざとなれば基地に逃げ込めば地位協定に守られる、という甘えがあるのではないか、と疑わざるを得ない。
 公務外の犯罪で、米側が先に身柄を拘束した場合でも、起訴前に日本側が身柄拘束できるよう、運用改善でなく明文化すれば、犯罪の抑止効果も期待できる。