「お気持ち」ビデオ公表、在京各紙の報道の記録―マスメディアは天皇退位問題の当事者に

 NHKが7月13日夜7時の定時ニュースに合わせるように流した独自ダネ「天皇陛下生前退位』の意向示される」で始まった天皇の退位問題で8月8日、大きな動きがありました。象徴天皇の在りようについて天皇自身が語ったビデオテープを宮内庁が午後3時に公表。NHKのほか、在京の民放キー局5局すべてが特別番組で一斉にこのテープを放映しました。在京の新聞各紙では号外を発行したところもあり、また翌9日付朝刊では、そろって1面トップの扱い。各紙とも関連記事を大量に掲載しました。宮内庁のホームページでは、このビデオテープには「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」とのタイトルがついていますが、マスメディアの大勢は「お気持ち」と呼んでいます。
 ※宮内庁トップ http://www.kunaicho.go.jp/index.html
 東京発行の新聞各紙朝刊1面(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の6紙、いずれも東京本社発行の最終版)の見出しを追うと、天皇が「これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と語った部分に注目し、発言のファクトとして伝えるのとともに、これをどう解釈すればいいのかについて「退位の願い にじむ」(朝日)、「退位意向 強くにじむ」(毎日)、「生前退位を示唆」(読売、日経)、「生前退位 強いご意向」(産経)、「生前退位 強いお気持ち」(東京)とそれぞれ意義付けています。

 各紙とも、識者の論評やコメントも多く載せています。それらを読みながら、特に憲法との兼ね合いで印象に残った見方、考え方が二つあります。一つは、個人の尊重を原則の一つとする現憲法の下では、天皇の人権も尊重せられるべきだとの見方です。例えば作家の保坂正康さんは東京新聞のインタビューで、今回のメッセージを「心と魂の叫びだ。『平成の玉音放送』であり『天皇の人権宣言』ともいえる」と評しています。政治や軍事のことではなく、皇統についてであれば、むしろ当事者に発言を許さないのはおかしいとも指摘しています。こうした考え方を重視するなら、当事者の意向を尊重して、退位にも肯定的になるのかもしれません。
 もう一つは、厳格に憲法に即して天皇を考える発想です。印象に残ったのは、朝日新聞が掲載した憲法学の西村裕一・北海道大准教授のインタビューです。例えば冒頭から以下のように指摘しています。一部を引用します。

 「象徴としてふさわしいあり方」を果たせないのであれば退位もやむを得ない、というのが天皇の意思だと報じられ、一連の議論の出発点になっています。前提には、天皇は象徴である以上「象徴としての務め」を果たすべきだという考えがあるのでしょう。
 しかし、日本国憲法4条は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めています。したがって、天皇には国事行為以外を行う「能力」を求めてはいけない、というのが憲法の立場だと解することもできます。
 にもかかわらず、現天皇は積極的に「象徴としての務め」の範囲を広げてきました。とくに先の大戦にまつわる「慰霊の旅」のように、「平成流」に好ましい効果があることはたしかです。しかしそれは、民主的な政治プロセスが果たすべき役割を天皇アウトソーシングするものともいえます。
 まず問われるべきは、天皇に一定の「能力」を要求するような、現天皇が行ってきた「象徴としての務め」のあり方でしょう。

 西村准教授は結論として、退位を認めるかどうか、制度設計の議論をする際には、世論も含めた政治プロセスから天皇の「お気持ち」を切り離し、国民が自律的・理性的に判断することが、国民主権原理が貫徹されることになる、と指摘しています。ただ、天皇職業選択の自由もなく、婚姻の自由や表現の自由も制約されるなど、重大な人権制約があり、天皇制は個人の尊厳を核とする立憲主義と原理的に矛盾するとの指摘も行っています。「生前退位の可否が論じられるということは、天皇制が抱えるこうした問題が国民に突きつけられる、ということを意味します」「80歳を超えて、退位を望んでも認められないのはお気の毒であると考える人も多いでしょう。しかし、天皇をそのような境遇に追い込んでいるのは誰なのか、国民は自覚すべきであると思います」との指摘は、憲法との兼ね合いの本質を突いたもののように思います。
 このインタビューは内容が濃く(聞き手は豊秀一編集委員)、マスメディアに関わる重要な指摘もされています。該当部分を引用します。

 今回の事案が提起したのは、日本国憲法下における天皇制のあり方という国政上の重要事項でした。指摘しておかなければならないのは、その発端が「天皇の意向」であったということです。
 そもそも天皇の意向」といっても、天皇自身ではなく、「天皇の意向」なるものを報道機関に伝えた人物がいるのでしょう。「天皇の意向」が皇室典範改正論議の引き金になった以上、当該人物による天皇の政治利用が問題となるだけでなく、この人物が宮内庁に属しているのであれば、天皇の発言をコントロールすべき内閣にも政治責任が発生し得ます。
 にもかかわらず、だれが天皇の意向をメディアに伝えていたのか、責任を負うべき内閣はどんな判断をしていたのか、全く明らかにされていません。宮内庁や内閣の責任追及を可能にするためにも、メディアには一連の経緯を検証することが求められます。

 ビデオメッセージが平易で分かりやすく、見る者の心に響きやすいこともあって、「それが希望なら退位もいいのでは」と考える人は多いのだと思いますが、外見的には「天皇の意向」が政治に検討を促す形になってしまっているのは間違いありません。この点は軽視すべきではないと思いますが、憲法の研究者とそれ以外の分野の研究者では、受け止め方も異なるのかもしれません。関連して、共同通信が配信した君塚直隆・関東学院大教授(英政治外交史、王室研究)、田中優子・法政大総長(近世文学、アジア比較文化)、横田耕一・九州大名誉教授(憲法学)の3氏による座談会の一部を引用して書きとめておきます。

―お言葉と憲法が禁じた政治的行為の関係は。
 横田 本来なら女性・女系天皇を容認した「皇室典範に関する有識者会議報告書」(2005年)のような形を最初に取らない限り、天皇のお言葉をきっかけにする形では天皇の政治介入になってしまう。客観的に見て、天皇の発意で政治が動いているように思える。
 君塚 集団的自衛権とか、明らかに政治的マターの問題に発言したら政治介入と言われても仕方ない。だが今回はご自身を含めた皇室の在り方の問題なので、むしろ「問題提起」と言えるのではないか。それさえ述べられないなら「天皇の人権」の問題になりかねない。
 田中 憲法に「退位してはならない」と書いてない以上、政治介入ではない。天皇と皇族は生身の人間だ。人間は人権を有している。憲法は「国民」に対して基本的人権を保障している一方、天皇と皇族に基本的人権を保障しているのか。天皇の「地位」は「国民の総意に基づく」とされている。「地位」は抽象的なものだが、それを持つ人間は現実の人間だ。政治介入とする論理は、天皇を生身の人間としない論理だ。

 「一連の経緯の検証」に戻れば、冒頭に記した通り、始まりはNHKの夜7時のニュースでした。マスメディアの一般的な事情で言えば、この7時のNHKニュースは、日本中の新聞社や放送局が注目しています。あるニュースがここで大きく扱われると、翌日の朝刊の扱いも大きくなるほどの影響力があります。大きな独自ダネが流れれば、新聞社や民放局もすぐに後追い取材に走ります。天皇の退位の問題も、そうやって一晩ですべてのマスメディアが報じる大ニュースになりました。そういう形で、マスメディアはこの「天皇の退位」の問題の一端の当事者になってしまっています。そのことは心にとめておきたいと思います。
※参考過去記事
 「『生前退位』在京紙初報の記録―天皇制報道は憲法を報じることに通じる」=2016年7月17日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20160717/1468729811


 一方、新聞各紙の天皇の「思い」への評価はどうかというと、各紙の社説を見ると、天皇のメッセージを受け止め、真摯に議論すべきだとの基調はおおむね共通しています。しかし「退位」そのものに対しては、評価は割れているように思います。「前向きに受け止めたい」との見出しを掲げた毎日新聞や、「生前の退位と皇太子さまの譲位のお気持ちは国民の理解と共感を得られたのではないか」と書いた東京新聞は肯定的ですが、読売新聞、産経新聞は退位に伴う問題点の指摘が目立つように感じました。朝日新聞日経新聞はどちらとも判断を示さず、というのがわたしの印象です。以下に各紙の社説の見出しを書き出しておきます。

朝日新聞】「天皇陛下 お気持ち表明 『総意』へ議論を深めよう」/政治の怠慢の責任/決めるのは国民/皇室活動の再定義を
毎日新聞】「陛下のお気持ち 前向きに受け止めたい」/「象徴」への強い思い/技術的な課題の克服を
【読売新聞】「天皇『お言葉』 象徴の在り方を議論したい」
日経新聞】「高齢化社会象徴天皇制の姿を考えよう」
産経新聞】「天皇陛下お気持ち 国の未来に丁寧な議論を/皇室の弥栄へ政府の責任重い」/敬愛の念を新たにする/英知集め課題にあたれ
東京新聞】「『お気持ち』表明 未来につながる天皇制に」/全身全霊の象徴の務め/皇室の在り方を問題提起/男系、女系でなく一系こそ


 以下は8月9日付の東京発行新聞各紙朝刊の備忘です。1面の主な記事の見出しを書きとめておきます。ほかに、関連記事がどの程度のボリュームの掲載だったかの目安として、1面に載った各面の記事のインデックスも記録しておきます。

朝日新聞
 1面:本記「天皇陛下 お気持ち表明」「『象徴の務め 難しくなるのでは』」「退位の願い にじむ」/「首相が検討方針」/メッセージの骨子
 1面:解説「国民への影響案じる」島康彦記者
 ※以下1面インデックスより
 2面:連載「象徴天皇のこれから」1▼3面:生前退位 検討を本格化▼4面:与野党の反応▼9面:海外も速報▼10面:皇室制度と皇室典範▼11面:お言葉全文▼14面:社説▼15面:象徴天皇のあり方▼38面:重ねた訪問▼39面:重い問いかけ


毎日新聞
 1面:本記「『象徴の務め難しく』」「退位意向 強くにじむ」「天皇陛下お気持ち」「公務縮小、摂政に否定的」/「5〜6年前から陛下、側近に相談 宮内庁長官」/お気持ちのポイント
 1面「有識者会議設置へ 政府」
 ※以下1面インデックスより
 2面:制度の安定性 課題▼3面:象徴への思い 率直▼5面:与野党から意見続々▼8面:海外も高い関心▼11面:論点「お気持ち」に思う▼14・15面:生前退位 難題多く▼30・31面:自らの老い語る


【読売新聞】
 1面:本記「『象徴の務め困難に』」「天皇陛下生前退位を示唆」「高齢・手術で『体力低下』」「ビデオ」で『お言葉』」/「識者 多様な意見」/「政府 法整備を検討へ」/「お言葉」の要点・天皇一家の構成(系図)
 1面:「生前退位 広く議論必要」沖村豪編集委員
 ※以下1面インデックスより
 2面:実現へ論点多岐▼3面:「天皇像」への思い▼4面:重く受け止め▼6面:海外も速報▼10面:「お言葉」全文▼11面:28年の歩み▼12・13面:皇室活動は▼38面:ゆかりの人は▼39面:不安 率直に


日経新聞
 1面:本記「天皇陛下 生前退位を示唆」「『象徴の務め難しくなる』」「衰え考慮 お気持ち表明」/お言葉の骨子
 1面「首相『重く受け止め』」「政府、有識者会議の設置検討」
 1面「『象徴の形』国民の総意で」井上亮編集委員・「生前退位を考える」1
 ※以下1面インデックスより
 2面:憲法の制約「個人として」▼3面:象徴の責務に強い思い▼4面:生前退位の論点は多く▼7面:海外メディアの反応▼36面:天皇陛下のお言葉全文▼37面:退位後の制度は白紙▼社会面:街の人はどう受け止めた


産経新聞
 1面:本記「生前退位 強いご意向」「天皇陛下『象徴の務め 困難に』」「お気持ちご表明 摂政には否定的」/「首相『重く受け止める』」/皇室の構成図(系図)
 1面「真剣に議論し結論を」三笠博志・社会部長
 1面・お気持ち全文
 ※以下1面インデックスより
 2面:「主張」(社説)/5年前▼3面:国の根幹▼5面:粛然と対応▼10面:生活ご懸念▼26面:お気持ち英訳▼28面:被災地の声▼29面:在り方模索


東京新聞
 1面:本記「生前退位 強いお気持ち」「『全身全霊での象徴の務め、難しくなるのでは』」「天皇陛下が表明」/「意識『5、6年前から』宮内庁長官」/「首相『何ができるか考えていく』」/天皇陛下お気持ち骨子
 1面・解説「人間天皇として問い掛け」小松田健一記者
 ※以下1面インデックスより
 2面:お言葉全文と識者見方▼3面:核心・法整備など課題▼4・9面:長官会見・海外反応▼30・31面:ゆかりの人の思い


※追記:2016年8月10日7時20分
 「天皇ビデオ公表、在京各紙の報道の記録―マスメディアは退位問題の当事者」から改題しました。