鳥越俊太郎氏と「表現の自由」「説明責任」―ハフィントンポストのインタビュー記事に思うこと

 7月31日投開票の東京都知事選で、民進、共産など野党4党の統一候補として出馬し、惨敗した鳥越俊太郎氏にインタビューした記事が、ネットメディアのハフィントンポストにアップされています。

※「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】
 http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe_n_11422752.html

※「戦後社会は落ちるところまで落ちた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】
 http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe-2_n_11424086.html


 一読して、鳥越氏の識見がよく分かる、そういう意味で優れたインタビュー記事だと感じました。ここで鳥越氏が語っている内容に対しては、人によって感じることは様々かもしれません。都知事選については、わたしはこのブログで「人格と識見、身ぎれいさに政策を兼ね備えた、そういう意味での『勝てる候補』を選挙民に提示できなかった4党の責任は極めて大きいと思います」と書きました。野党4党は鳥越氏の擁立と惨敗について総括をまとめ、社会に示すべきだろうと、このインタビュー記事を読んであらためて思います。
※参考過去記事
「人気投票に終わった観の東京都知事選―『勝てる候補』提示できなかった野党4党」2016年8月1日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20160801/1470009668

 鳥越氏は毎日新聞記者出身で、そういう意味ではわたしの職能の先人に当たります。また週刊誌やテレビを舞台に活動してきた経歴もあります。ジャーナリズムの役割の一つが権力のチェックであることを考えると、そうした人物が「著名ジャーナリスト」の触れ込みで、巨大な権力機構である東京都の知事を目指すことに、私は当初から違和感を覚えていました。それはともかくとしても、職業人としての歩みからも「表現の自由」を何よりも重んじて然るべきだろうと思っていたのですが、週刊文春週刊新潮が女性問題を報じたことへの説明は、わたしとしては首肯しかねる内容でした。該当部分を引用します。

――週刊誌報道の影響は?

大きかったでしょうね。女性票と浮動票が小池さんに流れたということは。検証のしようがないですが、可能性はある。それは認めます。

――あの報道への対応についても批判がありました。

あれしかないですよ。「やってない」ということを証明することは、できないんですよ。「悪魔の証明」と言われていて、痴漢冤罪の例もそうですけれども、痴漢してないということをどうやって証明するかというと、できない。

週刊誌2誌に書かれたといっても、情報源は一緒ですよね。はっきり言って、それがそのまま、なんの裏付けも証拠もなく、「この人がこう言っている」というだけで載っちゃうのね。

でもこっちは、それに打ち勝つ方法が何もない。そういうジレンマというか、本当にもどかしい思いがありましたけれども、説明してどうなるものではない。あとはきっちり、裁判でけりをつけるしかないと覚悟を決めました。その結果、選挙戦にどういう影響があるか、周りは色々考えてくださっていましたけれど、僕はそれで行くしかないと思っていたんです。

――鳥越さんは、(報道に携わっているため)仕事として人のスキャンダルを聞く立場でもあります。証明が難しいなりに、記者の質問には答える選択肢はなかったのですか。

難しいですね。特にああいう混乱状態ですから。どんどんどんどん、1つ答えればまた次、となって、結果的に「要するに疑わしい」という印象しか残らない。直感的にわかりましたよ。僕ら冤罪も含めて、取材してきたからその経験で。記者会見はしても同じことだから「(疑わしいと思うのなら)勝手に思え」と思って全部切った。説明責任というのは美しい言葉だけど、実際にはこれほど難しいことはないんですよ。何の意味もないですよ。

 「説明責任に何の意味もない」と言わんばかりの説明は、本当に都知事になろうとしていた人の発言なのかと驚きました。仮に週刊誌報道が都知事就任後だったら、どうなっていたのでしょうか。「冤罪も含めて、取材してきたからその経験で。記者会見はしても同じことだから『(疑わしいと思うのなら)勝手に思え』と思って全部切った」との説明も、今まで説明責任を果たそうとして、何度も記者会見を開いて説明したのに受け入れられなかった理解を得られなかったというような経験を語るのならともかく、何十年も続けてきた報道の仕事の価値を自ら貶めているようにすら思えます。
 何よりも気になるのは、「本当にもどかしい思いがありましたけれども、説明してどうなるものではない。あとはきっちり、裁判でけりをつけるしかないと覚悟を決めました」との部分です。「裁判でけりをつける」とは、通常は民事訴訟のことです。記事の内容は事実無根で、名誉を傷つけられたとして、損害賠償なり、謝罪広告の掲載なりを求めて提訴することです。しかし、鳥越氏と弁護団が行ったのは刑事告訴でした。名誉棄損と公選法違反の容疑で東京地検に週刊誌の編集人を告訴したと報じられています。
 民事訴訟を選択するのなら、請求の対価によってはスラップ訴訟との批判の余地はあるにしても、主張をぶつけ合う側面は曲がりなりにもあります。しかし、刑事告訴は基本的に公権力の捜査権に委ねるものです。報道に長らく携わり、事実究明を何より重んじるはず(とわたしは受け止めていました)の人が「きっちり、裁判でけりをつける」と言い切るには難があるように思います。
 鳥越氏は正確に「あとはきっちり、検察当局にけりをつけてもらうしかないと覚悟を決めました」と話すべきではなかったでしょうか。意図的なすり替えなら悪質ですし、事実誤認ならあまりに事を軽視しています。あるいは追加で民事提訴を行い、刑事告訴は取り下げた可能性も考えられますが、それならそうとインタビューの中で言及すべきだと思います。
 そもそもこのブログの8月1日付の上記過去記事でも書いた通り、「事実無根」と言っても「事実」には幅があります。その女性との面識すら心当たりがまったくないのか、報じられているような行動を女性に対して取ったが、それは合意の上だったのか。「なかった」ことは証明できないにしても、「なかった」というのは記事のどの部分なのかを説明し、理解を求めることは可能だったのではないでしょうか。冤罪も含めて、取材してきたからこその経験で、説明できることはあったのではないかと思います。何より、鳥越氏が報道する立場からこの問題を見ていたとしたら、どう思ったでしょう。
 週刊誌報道を「選挙妨害」と呼ぶことにも違和感を覚えたのは、上記過去記事でも書いた通りです。週刊誌に限らず、書かれる側が認めたこと以外は、選挙運動期間中は何も書けないことになりかねません。長く政治の世界に身を置いてきたとか、ジャーナリズムとは直接かかわりなく過ごしてきたという候補ならともかく、鳥越氏は50年間、報道に携わり、現場に身を置いてきたことを強く自負していました。当然に、何よりも「表現の自由」を重んじているのかと思っていたのですが、このインタビュー記事からはそうしたことはまったく感じられませんでした。